おとこ教室・6 〜おとこ格付けチェック・終盤戦(前)〜
余興の「跳び箱テスト」終了後、昼食の食べ過ぎでぐったりしていた受講生達に食休みを与えた江端は、ひとり教官室へと向かっていた。
レストランに入った直後、携帯に貴奨から、悠を病院に運ぶと連絡が入っていたので、第四問の準備は江端がしなければならない。
二葉がどーしたこーしたときゃんきゃん喚き、入門を希望していたはずの悠だが、外見に反したあまりのおとこっぷりに、江端は入門に関してのOKは出さなかった。
だが、あまりの熱意にほだされ(というか、圧倒され、というか)、この底意地の悪ささえなければ、受講生達の良い手本になり得るかもしれないという思惑もあり、とりあえず試しにアシスタントを努めさせることにしたのだが。
しょっぱなから、愛しの二葉によって病院送りにされるとは…。
また、頭痛の種が一つ増えてしまった江端である。
「……?」
教官室のドアノブに手をかけたところで、中に人の気配を感じた。
瞬時に、江端の体中を緊張の波が駆け巡る。
慎重にドアを開けると、細い隙間から煙草の香りが流れてきた。
江端のピースよりもずっと軽い、メンソールのそれを好んで喫っているのは…。
「…よっ、えーばたー」
「…健…」
3人掛けのソファにふんぞり返っていた細身の体が、ゆっくりと振り返った。
獲物を見つけた、肉食獣のように。笑いながらゆっくり近付いてきても、気を抜いてはいけない。
隙を見せること、それはすなわち死を意味する。
こんなに張り詰めた空気は久しぶりだった。これも、あの可愛い少年のせいなのだろうか。
「ナニ、飯食いに行ってたの? 誰もいねぇから、勝手に邪魔さしてもらったぜ」
まだ半分ほど残っている煙草を灰皿に押し付け、手招きしてくる健に応えるように、江端は健の座っているソファの、テーブルを挟んで向かいにある1人掛けのソファに腰を落ち着けた。
「……被害状況は?」
健には、道場の鍵は一切渡していない。となれば、彼の侵入経路はふたつにひとつ。
「…ちっ。ガラス1枚。だいじょぶだいじょぶ、ダンボールでふたしといたから」
正面玄関前には出待ちの色ボケどもが待ち伏せているのだから、流石にそいつらの前で玄関をぶち破るなんてマネはしなかったようだ。
破壊されたのが窓ガラス1枚だけで済んだのは、江端にとっては幸運だった。
器物破損と不法侵入をやってのけた健は、それを何とも思っていない様子で、新しい煙草に火を点けた。
「何をしに来た」
「…ふん、別に? なんだよ、俺が来ちゃマズいわけ?」
「…最高に」
「へーえ、そいじゃ、俺は期待に応えなきゃなんねーかな?」
今の健には、なにを言っても煽るだけになってしまうのは、江端には分かっていた。
言わないなら言わないで、また機嫌を損ねるということも。
なにが目的かが、まだ見えない。
だが、自分がなにを言おうとなにをしようと、健はそれを遂行するだろう。
「邪魔をするなら…本気でいくぞ」
「へえ、いいねえ、本気。…馬鹿っぽくて」
顔しかめ、煙草を口に咥えた江端が、テーブルの上にあるライターを取ろうと手を伸ばすと、あと5ミリというところで、それは健の手に奪われた。
セーラムを咥えたままの健の顔が、ゆっくりと…探るように、近付いてくる。
同じ速度で顔を近づけ、軽く息を吸い込むと、ピースに火が移ったのが分かった。
江端が顔を引く力を上手に使って、素早く右手でつままれたピースが、健の手に奪われる。
代わりに押し付けられた唇は、2本の煙草が灰になるまで、離れなかった。
10分後―――
第四問の開始を知らせに道場へと向かう江端の隣には、奇妙なステップを刻みながら軽やかに歩く、オオカミの着ぐるみの姿があった。
「…オオカミ、ね。お前にはぴったりだ」
「一度着てみたかったんだよなっ、着ぐるみ! ちっと暑ちいけど、いいカンジ♪」
『おとこ格付けチェック』第四問―――味覚問題。
問題内容は、それ以上は詳しく発表されなかった。
いや、江端は多分意識的にしなかったのだろうと、慎吾は踏んでいた。
どんな理由にせよ、それは自分に重度のプレッシャーを与えている。
「どっ、どっ、どうしよう…。またDランクだったら…腕ひしぎ逆十字…それだけは避けたい…」
ぶつぶつと呟きながら、出題ルームに入る。
「あれ。うさぎさんの次は、オオカミさんだ」
部屋の中にいたのは、なんだかとてもノリのいいオオカミの着ぐるみ1匹。いや、正確には1人。
慎吾を見るなり顔を輝かせて(…いるように、慎吾には見えた)、スカートの両端を持ったジェスチャーで片足を折り曲げ、ちょこんと頭を傾げて『ごきげんよう♪』なポーズをとった。
それだけで、慎吾の緊張に固まっていた顔が柔らかくほぐれる。
どうぞ、とまたジェスチャーで椅子を勧められ、アイマスクの着用を促された。
「へえ、こんなのまでするんだ。厳重だな。 ね、オオカミさん、これって美味しい方を選べば良いってことだよね?」
オオカミは、それにコクンと首を振って答える。
「っしゃ! はいっ、オオカミさん、準備オッケーです!」
アイマスクをつけ、やる気も復活した慎吾を見つめるオオカミの目が、妖しく光った。
勿論、慎吾がそれに気付くはずもない。
「んじゃ、口開けな」
「……?」
初めて聞いたオオカミの声…しかしそれは、よーく知っている声のようで…。
しかし慎吾は目隠しをしている上、着ぐるみ越しの声は若干くぐもっているため確信が持てず、首を傾げながらも言われるままに口を開いた。
味覚問題は、目隠しをした受講生に、アシスタントがスプーン1杯分の料理を食べさせる仕組みになっている。
そういえば、何の料理だかも教えてもらってなかった…
慎吾がふとそう思った時、口の中に何かが差し込まれた。
「…?」
料理…ではない。
「…??」
差し込まれただけでなく…口全体を何かが覆ってきて…。
「…???」
これは、まるで…。
まさか、もしや…! と気付いた瞬間、何か甘いものが、恐らくオオカミの口経由で、口の中に入れられた。
「健さん! 健さんでしょーっ!? ちょっ、これ、アイマスクとってもいいですか!?」
「だーめ。今それ取ったら、失格になっちゃうよぉ?」
「やっぱり〜〜〜、健さんだーっ!」
「ふーふふー。さて、もいっこいくか?」
「え、ちょっ、まさか、また…」
慎吾がアイマスクを取ることができないのをいいことに、再び唇経由で問題の料理が運ばれる。
「さて、最初のAのクレープと、次のBのクレープ、どっちが美味いでしょう?」
「……う、クレープ、だったんですか……」
どうやら慎吾には、料理を味わっている精神的余裕がなかったらしい。
「えっと、えっと、んー…じゃ、B…」
「ハ〜イ、そいじゃ、Bの部屋へど〜ぞ〜♪」
アイマスクを外した慎吾は何か言いたそうな顔をしていたが、健に『巻いていこう〜』と急かされて、恨みがましい視線だけを送りながら、仕方無しに退室した。
「あの情況でよっく分かったよな、あいつ。ま、俺がいつも美味いクレープ食わしてやってるしな」
着ぐるみの頭の部分を外し、自分の唇を名残惜しそうに指でなぞっていた健に、江端の盛大な溜め息が聞こえた。
この部屋にはビデオカメラが備え付けてあり、中の様子を別室で見ることができるようになっている。
また、別室からの指示も、マイクで聞こえるようになっていた。
『健…まじめにやれ』
「うっせーなー。お前は黙ってな。覗いてんじゃねーよ、むっつりスケベ」
『…今の食わせ方、他の奴にはするんじゃねぇぞ』
オオカミの頭を被り直した健は、その忠告には答えず、「次の奴、カモ〜ン♪」とカメラに向かってポーズをとった。
桂花はご機嫌斜めだった。
自分の出番が少ないから…ではなく、アシュレイに先を越されたことが、たまらなく悔しかった。
二人とも今までパーフェクトなのだが、アシュレイは更に、跳び箱で1問分の余裕がある。
これであと1問間違えても、Bランク落ちになることはないというわけだ。
サルにだけは、負けたくない…!
気合いも充分、景気良くバァン! とドアを開けると、中にいたオオカミと目が合った。
(なんか、このオオカミ……………怪しい)
勧められるままに椅子に座り、アイマスクを渡される。
「へえ〜っ、今度はまた、えらい美人だな♪」
被りもの越しでも、舐めるような視線はダイレクトに桂花の体に伝わる。
「あんた…本当にここのアシスタントなんですか?」
「ふーん、なかなか手強いね。ますますイイな」
「……江端さん!」
アイマスクにはまだ手を付けず、カメラに向かって桂花は声を張り上げた。
『何だ?』
「別の人間に、変えてもらえませんか? この人間の前で目を隠すなんて、なにをされるか…」
『…まあ、確かに』
「ちぇーっ、信用ねぇの」
『だが桂花、悪いが人手が足りないんだ。ソレで我慢してくれ』
「ソレとは何だよ、ソレとは!」
「…仕方ありませんね。…では、こいつが吾に何かしようとしたら…容赦なく、殺します」
『いいだろう。そういうわけで、健、殺されたくなかったら、大人しくしてろ』
それがはったりではないことは、桂花から発せられている殺気で、健にもすぐに分かった。
それ以降、健は桂花に関しては干渉しなかったが、江端は別室でひとり、
『健…お前それじゃまるで、フレモント・兄のようだぞ…』と複雑な顔をしていた。
この後健は、忍や絹一を真っ赤にさせて、後ほど慎吾が2人に死ぬほど謝ったり、二葉とアシュレイを死ぬほど怒らせたりと、不真面目にアシスタントを努め、満足して帰った頃には日が傾きかけていた。
<『おとこ格付けチェック』第四問終了時点での、現在の成績>
Aランク:アシュレイ・桂花
Bランク:忍・桔梗・慎吾・絹一
Eランク:二葉
(アシュレイは健とケンカの末、間違えてしまったが、1問分免除権があるのでまだAランク。絹一はクレープを味わう余裕がなく、ヤマカンでいったところ、運悪くBランク落ちとなり、そして一番派手に健とやりあった二葉…遂にEランク落ち。最終問題、起死回生のチャンスに賭けよう。)