おとこ教室・1
Y市某所、とある住宅街の昼下がり。
学校帰りの子供達が騒ぎながら走り回り、信号無視をしようとしていた子供を見つけた警官の怒鳴り声が響く。
道端では、スーパー帰りの奥様方が井戸端会議を繰り広げ、最近近所にできたばかりの怪しい建物について話し合っていた。
「なんでも、先週開講したばかりなんですってよ、奥さん」
「わたくし、てっきり空手か柔道の道場だとばっかり思っておりましたのに」
「ええ、何なんでしょうね、あの『おとこ教室』って…」
「『おこと』…じゃありませんのよね。ええ、『おこと教室』にしたって、普通はあんな建物じゃありませんものね」
「何にしたって、怪しいですわよ。まったく、町内にあんな得体の知れないものがあるなんて…。息子にはあそこに近付かないように言ってありますの」
数人の奥様方は、世も末ねぇ〜、と各々溜め息を吐きながら、後方にそびえる問題の建物を振り返った。
この町内の外れ…長年空き地だったその場所に、つい最近建てられたその建造物は、一見して何かの道場だとすぐに分かる。
はて、空手か柔道かと覗き込んだ人間は、まず正面に掲げられた看板を見て、拍子抜けすることだろう。
そして次の瞬間、拍子抜けしていた顔は、妙なものを見てしまった、という風に歪められる。
純和風の道場の正面に堂々と鎮座しているその看板には、『おとこ教室』と書かれていた。
「あら、もうこんな時間。いけないわ〜、娘のバレエ教室の時間なんですの〜」
「あらあら、本当だわ。うちの息子も、そろばん塾に送ってあげないと〜」
「まあ、田中さん、ケンちゃんに今度はそろばんを?」
「ええ、今くらいからきちんとお勉強させないと。息子には主人と同じ大学に行ってもらいたいんですのよ〜」
「田中さんのご主人の大学って…確かT大でしたわよねぇ〜」
まあすごいわ〜、いいえ〜そんなことなくってよ〜、またまたご謙遜を〜、……と奥様方が火花を散らし始めた、まさにその時。
ドンドンドンッ!
『おとこ教室』から、太鼓の音が鳴り響いた。
建物には防音効果が施してあるらしく、太鼓の音といっても不快に感じるほどの音量ではない。
「やっぱり…近付かない方がよろしくってよ…」
「ええ、中で一体何をやっているのか…」
奥様方がそそくさとその場から立ち去った後も、太鼓の音は道場から響いていた。
だが耳を澄ませてみれば、太鼓の音だけではなく、奇妙な掛け声も聞こえてくるはずである。
ドンドンッッ!
「ひとぉ〜つ! おとこはずぐ泣いてはいけなぁ〜〜いっっ!」
ムキムキのマッチョか、ばりばり硬派の応援団を連想させる野太い声が聞こえたかと思うと、
『ひとぉ〜つ! おとこはずぐ泣いてはいけなぁ〜〜いっっ!』
続いて、男にしては高めの、まだ青い果実を連想させる青年達の声。
ドンドンッッ!
「ひとぉ〜つ! おとこの腹筋は六つに割れていなければいけなぁ〜いっっ!」
『ひとぉ〜つ! おとこの腹筋は六つに割れていなければいけなぁ〜いっっ!』
ドンドンッッ……
奇妙な掛け声はその後しばらく続き、道行く一般市民の顔色を蒼白にさせていた。
おとこ教室……そこは、川原ワールドに於ける<可愛い系キャラ>が、己の男っぷりを上げるため、講師・江端のもと、日々稽古を重ねる場所である。
『おとこ教室』での全行程を終えると『おとこ認定証』が発行され、江端の最終兵器である『ダム決壊』をもマスターしているという。
ちなみに、何かがおかしいということには誰一人気付いていないらしい。
「おい…やっとあの変な掛け声が止んだぞ。次は一体何をやるんだ?」
卓也は苛々とした調子で銜え煙草に火を点けた。
先程まで道場の周りにはアリ一匹さえも居なかったように見えたが、この男、道場を囲む壁に隠れ、かなり前から張り込んでいたらしい。
いや、張り込んでいたのは卓也だけではなかった。
「俺が知るかよ。ったく、絹一の奴…俺に内緒でこんな怪しいトコ通いやがって」
卓也に負けず劣らずのしかめっ面で、マルボロの煙を吐き出したのは、鷲尾だ。
「忍ぅ〜〜〜、中で一体何やってんだよ〜!」
二葉の隣で、何とか中を覗き込めないものかと扉に張り付いていたティアは、自分同様、恋人達の身を案じて集結した四人を振り返った。
「やはり…天界に帰って、遠見鏡で中をのぞく…いえ、様子を覗った方が…。ああ、でも、アシュレイの側を離れるのも…」
「大体、何で桂花が人界に降りて来れてんだよ、ティア」
動物園のパンダのようにうろうろしはじめたティアの肩を、ぽんぽんと叩いて柢王が宥めた。
先日、この『おとこ教室』に行く・行かせないの大喧嘩をアシュレイとぶちかましたばかりのティアである。
最終的には『俺のことでいちいち人界に降りてくんじゃねぇ!』と、右ストレートをまともに食らい、ワンラウンドでKOしてしまった彼だが、そのアシュレイ馬鹿っぷりは今日も健在であった。
「なんでだろうねぇ…。そんな事より、アシュレイ…大丈夫かな…」
「そんな事って、お前なぁ…。あーあっ、こんなトコでウロウロしてねーで、いっそ俺もココに入っちまおっかなー」
「ダメダメ、そこの看板に書いてあんだろ、『攻め・お断り』って」
二葉が指差した先にある『おとこ教室・新人募集中』の看板には、確かにその旨が赤字で大きく書かれていた。
「くっそー、大体なあ、一般人の目に入るトコに、受けとか攻めとかって専門用語をそんなにでっかく書くなっつーんだ!」
二葉の怒りに、ごもっとも、と肯く保護者ーズ一同。
どうにもできない情況の中、彼らの不安は募るばかりであった。