抱きしめる腕の強さで。
天主塔でティアランディアは、もう5日間も連続で会議を開いていた。
会議が終わってからも、執務室の机の上に山のように積まれた書類に目を通さなくてはならない。自分のために使える時間は、1日にほんの少ししかなかった。
心底疲れてしまったようだった。こんなことがあと数日続くのかと思うとますます疲れが増してきて、ここから逃げ出せないかと考えるまでになってしまった。
逃げて・・・大好きな彼と二人でのんびり過ごしたい・・・。
のんびりではなくても・・・ほんの少しでいいから、彼の肩に額を寄せて彼の体温を感じたかった。
「アシュレイ・・・今頃、眠っているのかな・・・。」
南領の王子宮の寝台の中でぐっすり眠っている彼の顔を思い浮かべる。
可愛い寝顔を彼の寝息が感じられるくらい近くで見つめたのは、何日前のことだったろう。
自分の腕の中で寝返りをうったアシュレイを抱きしめたのは・・・。
そのとき、バルコニーに人の気配を感じた。
まさか、と思って窓を開けるとそこにはアシュレイが立っていた。
アシュレイは慌てた様子で後ろを向いてしまって、顔を見せてはくれなかった。
「どうしよう、ティアの顔見ただけで涙が出そうになるなんて・・・。」
アシュレイはあせっていた。
どうしてもティアの顔が見たくって、こっそり南領を抜け出した。
そして天主塔のバルコニーに降りてティアの顔を見た途端、涙が出そうになってしまった。
というより、涙はすでにアシュレイの目からこぼれてしまっていた・・・。
こんな情けない姿をティアに見られるのが嫌で、彼の方を向くことが出来ない。
ティアは何故アシュレイが自分を見てくれないのか、困惑していた。
「どうして、アシュレイ?私に・・・会いに来てくれたんじゃないのか。」
何度もこちらを向かせようと腕を引っ張っても、アシュレイは動こうとしてくれない。
「アシュレイ、顔を見せて・・・。」
切ない声でそうお願いされた。
俺だっておまえの顔が見たいのに。
でも・・・でも、なんで涙が止まってくれないのか・・・。
アシュレイがそう思っていると、ティアが後ろからそっと抱きしめてきた。
梔の香りが、こんなに近くで感じられる。
ああ、ティアの香りだ・・・と思ったら、心がどんどん落ち着いてきて、涙が止まった。
開けたままの窓のカーテンが風に揺れたとき、ティアに前を向かされた。
ほっとした表情で微笑んだティアの顔を見て、アシュレイはもう抵抗はしなかった。
「やっと、顔を見せてくれたね。」
真っ直ぐ自分を見つめてきたアシュレイの頬に涙のあとを見つけたティアは、もうそのことは聞かなかった。
「おまえに会いたかった。すごくすごく会いたかった。我慢出来なくてここから逃げ出しちゃおうかと思ってたぐらい・・・。」
今度は前から強く抱きしめられたアシュレイは「俺も、会いたかった・・・。」とだけ言って、ティアと同じくらいの強さで彼を抱きしめた。
ティアを喜ばせるような言葉はたくさんは言えないけど。
でも今は、腕の強さでそれが伝わっていることを願っていた。
数時間後、寝台の中で・・・。
「おまえ、こっから脱け出したりしたらダメだぞっ!外は危ね−んだからなっ。一人でなんか絶対・・・。」
心配そうな顔をしたアシュレイが言う。
「・・・一人じゃなきゃ、いい?」
「そういう問題じゃねえっ。」
自分のことを心配してくれてるのが嬉しくて、なのに今なら我侭を言えるような気がしてしまう。ずっと願っていたことを。
「人間界では桜が満開で、すごくキレイだそうだよ。おまえと二人で花見がしたいな。」
「桜か・・・。」
自分がついていれば、ほんの少しだけ・・・。ティアと花を見るのもいいかも、とアシュレイは思った。ティアの嬉しそうな顔が見れるなら。
疲れきっている恋人が少しでも元気になれるなら。
絶対安全な場所を選んでなら・・・。
数日後の会議がひとまず終わる頃に、桜を見に行く約束をして、アシュレイは南領に帰っていった。
顔を見れたことも、桜を見に行く約束をしたことも嬉しくて、ティアはまた頑張れる気持ちになった。
自分がアシュレイを好きだという気持ちがあれば。
アシュレイが自分を好きだと思っていてくれれば。
それだけで自分は頑張れるのだと・・・。