主天塔でのある日の出来事・1
「桂花、少しいいか?」
執務室の隅で書類の整理をしていた桂花は先ほど渡した書類に何か不備でもあったのか、とやや緊張した面持ちで守護主天を振り返った。
「……何か?」
守天は書類に印を押す手を休め、真っ直ぐ真剣な表情で桂花を見た。
「小さな頃のアシュレイを見たいと思わないか?」
「はい?」
守天と仕事をしていてこういうコトは今までにも多々あった。まじめに仕事をしているかと思えば突発的にわけの分からないことを口走るのだ。それは主に赤毛のサルのことなのだが………
もはや呆れて何も言えない桂花を無視して守天は続ける
「アシュレイの幼い頃と言ったらそれはそれは可愛くてな………」
長々とのろけ話をしている守天の横では桂花が使い女を呼び出していた
「誰か守天殿を寝室に……心労がたまってとうとうあっち側の住人になってしまわれた」
そんな彼を引き戻し使い女を退散させた守天は腰を下ろしながらふぅ、と息をついた。
「まあ、話を聞け。さっきも言ったが小さい頃のアシュレイは可愛い。今のかっこよく綺麗な彼ももちろんだが、小さな身体で満面の笑みを浮かべた彼はもう草むらに誘っちゃいたいくらいのかわいさだ。昨日ふとアルバムを見て改めてそう思った……そんなアシュレイを桂花も見たいと思うだろ?」
「いえ、全く全然思いません」
桂花は即座に言い切る。サルをコザルにしてどうするのだ、と
「だって、ほっぺただってぷにぷになんだぞ? 小さな身体で力一杯ぎゅうって抱きしめてくるんだぞ?!」
力説する守天の前で桂花は憎たらしいほど冷静だった。
「申し訳ありませんが私は貴方みたいに幼児を愛でるような変…こ、高貴な趣味を持ち合わせておりませんので」
「わざとらしく訂正しなくてもいいよ。何となくアシュレイの気持ちがわかった」
しかし守天は諦めなかった。
「でもね、桂花。君も近い将来子供を愛でるようになるような気がする。いや、絶対になる!!」
「……そこまで言いきる根拠はどこにあるんです?」
「いま、まさに藤村紫様の天啓が下った」
「……誰ですか?」
「伝説では全ての世界を創り全ての世界を統べる力をお持ちの作者という位の高いすばらしいお方であると聞いている」
「………それで? 一体貴方は私に何をさせたいのですか?」
守天はまさにその言葉を待っていたのだ。
「アシュレイを一時的に小さくする薬を作ってほしいんだが」
にこにこしている守天の前で桂花は頭を抱えながら立ち上がった
「申し訳ありませんが、頭痛がするので今日は休ませていただきます」
「え?! だって前、そういう薬があるって言ってたじゃないか!!」
それは昔。桂花が、精神を幼い頃に戻す薬を飲ませると物質よりも精神の力が勝るこの天上界では精神に合わせて身体も年を引き下げるだろうと言ったのを覚えていたのだ。
「いえ、薬のできるできないではなく。吾の精神衛生上の問題でして…それだけはお断りします」
きっぱりと桂花がそう言うと守天は椅子に座り直し茶を一口飲んでから残念そうな表情でわかったといった。
どうやら守天もとうとう諦めたらしい。
「無理を言ってすまなかったな。それより桂花、少し世間話をしたいのだがいいかな?」
話題が移ったということで桂花はまた椅子に座った。
「世間話といいますと?」
守天はニヤリとしながら言った
「最近文官見習いの貴族の子息と随分仲良くなったようだね」
それは魔族を良しとしない天主塔の中唯一魔族であることよりもその有能さに惹かれたと桂花を慕う若者のことだった。
しばし鬱陶しくもなるが能力を認められ慕われるのはそんなに嫌な気はしない。言ってみれば仕事の後輩のようなものだ。客観的にものが見れるなかなか優秀な者だった。だから桂花もアドバイスをしたり効率のいい書類整理の仕方を教えていたりしていたのだが
「別段仲がいいっていうほどでもないと思うのですが?」
「ああ、何も言わなくていいよ。私もそんなつもりで言ったんじゃないし、君が天主塔の人と仲良くなるのは大賛成だからね。……ただ」
「ただ、何です?」
「柢王には言わない方がいいよ。彼ってあれで結構独占欲強いところがあるからね」
……今やっとわかった。なぜ彼がこんな話を持ち出したのか、
「………脅し、ですか?」
「脅迫? とんでもない。私は桂花のことも大切だし、そんな優秀な文官見習いを失いたくもないからね。柢王にも言う気はないよ。でも、大切な親友を欺くとなると結構気が重いな。申し訳なくて彼の顔を真っ直ぐ見られなくなるだろうな………」
ここまで言われたら桂花は負けるしかなかった
「わかりました。薬作ります」
頭を抱えて沈鬱な表情をしていた守天は一気に笑顔になった
「え? 本当か? じゃあ、早速アシュレイを呼んでこよう。あっ、アシュレイのために薬は甘くしてくれ。ここの厨房を使ってくれてかまわないから」
言いながら守天は既に鏡に向かっていた。
桂花はまだまだ積み上げられた書類の山を見ながらため息をつくととぼとぼと厨房に向かうべく執務室を出た。
つづく