くるみの月-上-
山凍は誰何の声を聞いた瞬間に執務室の扉を開けた。
「ネフィー様!」
当代守護主天、ネフロニカは静かに視線を上げて、勢いよく踏み込んできた山凍をおっとりと見つめた。
「どうしたんだい、山凍。ずいぶん気が立っているようだね」
珍しく執務に励んでいたらしいネフロニカは、机の前に立ちはだかる山凍をおもしろそうに微笑んで眺めながら、頬杖をついた。
「いくらおまえとはいえ、私が執務をしているときに許可も得ずに入ってきてはいけないよ。四天王がうるさいからね」
北の後継ぎである山凍をもっともらしく諌めると、ネフロニカは用向きを尋ねた。
「ネフィー様。その・・・。あなたが、最近、南の兵士が、その、お気に入りだと伺ったのですが・・・」
「耳敏いことだね、山凍。彼は兵士ではない。成り立てだが、れっきとした仕官だよ」
まったく悪びれずに、ネフロニカはにっこり微笑む。
「ネフィー様。彼のことは、文殊塾での同級ですので、私も多少知っています。一本気な、まっすぐな男です。だから・・・」
「だから?」
ネフロニカは組んだ手の上に顎をのせた。
「だから私の毒牙にかけるには忍びない・・・と、おまえは言いたいのかい? 山凍」
「ネフィー様!」
「彼のまっすぐなところが私は気に入っていてね。一途に私を慕ってくれるのだよ。おまえが口をはさむことではない。控えなさい」
「・・・ネフィー様」
「それとも、南の新米王に泣きつかれたのかい? 彼は、昔から私を気に食わないようだからね」
「ネフィー様。天界のものは皆、守護主天であるあなた様に忠誠を誓っております。炎王も、王太子の時分から、その気持ちに変わりはないものと・・・」
「心にもないことを言うのはおやめ。おまえとて、そんなことを信じているわけではあるまい」
「ネフィー様。彼は・・・」
「くどい」
ネフロニカは言い捨てて、羽根ペンを手にとった。
「お下がり、山凍」