くるみの月-下-
その日は、ネフロニカの生誕を祝う日だった。
天界中から集まった王族、貴族、元帥や大商人などが、我先に守護主天ネフロニカに祝いを述べた。
守護主天の任期は百年、当代の治世もすでに終わりに近づいている。
それなのにネフロニカは老いるということがなく、優美な姿態も長い髪も、少しも変わらぬ輝きを放っていた。
「守天様」
山凍もこの華やかな席にいた。もうあらかたの者がネフロニカに祝いを述べたあとを見計らって、彼はネフロニカに声をかけたのだ。
「山凍。おまえも、私を祝ってくれるのかい?」
「はい。お誕生日、おめでとうございます」
「祝われて嬉しい年でもあるまいよ」
ネフロニカは自嘲の笑みを見せた。
そんな彼を見ながら、山凍は不安に襲われる。実は彼が今、ネフロニカに声をかけたのは、件の南の仕官を入り口近くで見つけたからだった。
その仕官は、同輩であろう相手と話しこんでいて、ネフロニカの周りに人がいなくなっても、彼に近づく様子がなかったのだ。
ただ、公式の場で守護主天に話し掛けるのが恐れ多い、と思っているようでもなかったので、山凍はなぜか不安を感じ、一人で立っているネフロニカに話し掛けたのである。
「山凍。私の気に入りの仕官の居場所を、知っているかい? 案内しておくれ」
山凍の頭の中で警鐘が鳴った。会わせてはいけない、と。しかし、守天の命令に背くことはできなかった。
「・・・はい」
「楽しそうだね」
突然声を掛けられた仕官は、驚きと、おそらく羞恥に顔を染めた。
「これは守天様」
もう一人の仕官がとっさに姿勢を正す。
「シェイン。そなたの友人か?」
名を呼ばれたほうが、ネフロニカの今の情人であった。
「は。南方元帥、レネ・・・」
「ああ、よい。そなたらの邪魔はすまいよ。いずれ紹介してくれればよい」
手を振って紹介をやめさせ、ネフロニカは艶やかに微笑んだ。
「仲がよくて、うらやましいことだ。よい友をもっているようだの、シェイン」
「はい、私の親友です」
ネフロニカはその答えに肯いた。
「今宵は無礼講、楽しくおやり」
そう言ってネフロニカは情人とその親友に背を向けた。情人は追っては来なかった。
「山凍、おまえも北の者とは久方ぶりに会うのだろう? 話しておいで」
「・・・はい、守天様」
ネフロニカは一人になりたいのではないかと、その声で山凍は思った。
だが、彼が知り合いと話しながらネフロニカを見ると、尊き守護主天はいつも一人だった。
ネフロニカは宴のあと、暗い部屋に引きこもっていた。
椅子に体を預け、天を仰いで顔を片手で覆っている。その喉からもれるのは笑い声だった。
「・・・ふふ、シェインはまだ幼いな」
彼の情人は、宴が終わるまで一度もネフロニカの元へは来なかった。
「私といるより、あの親友とやらと話しているほうが楽しいのだな」
情人は、ネフロニカが一人になっていることにも気づかなかった。
気づいたのは・・・気づいてくれたのは、山凍だけだったのだ。
その山凍を遠ざけても、シェインが来てくれることを望んだのに。
ふわり、と背後から、二本の腕が伸びてきた。
この腕が、まもなくシェインを殺すだろう。もしかしたら、その親友も。
「ああ、わかっているよ。私を愛してくれるのはおまえだけだ」
生まれたときから分かたれたことのない影が、ネフロニカを抱きしめる。
「おまえはいつもそばにいてくれて、わたしのことを一番に考えてくれる。愛してるよ。おまえだけだ」
守護者の腕に包まれて、顔を覆ったまま、ネフロニカはずっと笑っていた。