桜語り 6
「好きだよ」
突然に若者は言いました。
花霞が願ってやまなかった、ただひとつの言葉でした。
「吾は鬼です…!」
まるで、若者を責めるかのような口調でした。
何度でも、花霞は尋ねずにはいられないのです。
「だーから、さっき聞いたって」
疑り深いなぁと、若者は可笑しそうに笑いました。
「………ほんとうに?」
「ああ」
愛しくて愛しくて仕様がないのだと言うような顔でした。
「俺は柢王。おまえは?」
「え?」
いちばん最初に逢った時の科白を、若者はもう一度言いました。
「おまえのほんとうの名は?」
何度も何度も、頬の上を若者の指が滑っていくのです。
揺れている瞳を驚かせないように、怖がらせないように、おまえが大事なんだとありったけの思いを指先に込めて……。
「名は?」
瞳は見つめ合ったままでした。
「………」
花霞が唇を開いた瞬間、ひときわ強く風が鳴りました。
花霞が紡いだ言葉も、若者に届く前に、風にさらわれてしまいました。
一瞬の間が、ありました。
「けいか?」
しかし若者は、その名を紡ぎ出したのです。
花霞は何も言うことができませんでした。
胸が、ほんとうにもういっぱいなのです。
かわりに涙がひとすじ、紫微色の肌を伝っていきました。
「桂花」
頬を撫でていた手が頭の後ろに回されて、気づいた時には、花霞の細い体は若者の腕の中でした。
温もりに触れたとたん、涙が止まらなくなってしまいました。
……疲れたのです。
ずっと、この温もりが欲しかったのです…。