桜語り 5
「おまえは、精霊か?」
若者は逃げ出すこともなく、静かにそう問うてきました。
その顔にはもう驚いた表情はなく、柔らかな微笑が浮かんでいます。
「………え?」
花霞は問われたことの意味も、若者が逃げ出さない訳も分かりませんでした。
「前にばあちゃんが、桜には穀物の精霊が降りるといってた。おまえがそうなのか?」
花霞は鬼でした。
神や精霊とは反対の、鬼でした。
「吾は……」
口にしたくはありませんでした。
今度こそ若者が逃げてしまうのではないかと、胸が押しつぶされそうです。
言ってはならないと、頭の中で警鐘が鳴っています。
それでも、言わない訳にはいきませんでした。鬼の姿を、見られてしまったのです。
震える唇でやっと、真実を告げました。
「吾は……、鬼です」
「鬼?」
聞き返した若者の顔は、変わらず穏やかでした。
「降りてこないか?」
首が痛ぇんだ、と若者は笑いました。
一瞬笑顔が消え、ひどく固い声で、降りて来いよともう一度言うのです。
言われるまま、花霞は下に降りました。降りついた先は、若者の目の前でした。
宙に浮いて降りてきた花霞を見ても、若者は驚きませんでした。
「綺麗だな」
そう言って、若者は花霞に手を伸ばしてきました。
びくりと肩が、揺れました。
「なにもしないよ」
ふっと笑って花霞の白く長い髪に、指をもぐらせてきました。
逃げたくても後ろは桜の木でした。
「綺麗だ。肌も、髪も、……瞳も」
言いながら何度も、優しい手は髪を梳き頬を撫でていくのです。
「吾は、鬼です」
「あぁ。さっき聞いた」
けろりと若者は答えます。
「あなたは……、吾が怖くないのですか」
「どうして。怖がってるのはおまえの方だ」
ほんとうにそうでした。震えているのは花霞の方でした。
なぜ若者が自分を恐れないのか、花霞にはまだ分からないのです……。