桜語り 2
その若者は、薬草を採りに来たのだと言いました。
ひとり離れて暮らす鬼を、村人たちは気味悪そうに見ていましたが、この若者は違いました。自分から名乗り、笑顔を向けてくれたのです。
人間と向き合うのは、ほんとうに久し振りのことでした。
「俺は柢王。おまえは?」
鬼の唇がわずかに動いて、言葉を紡ごうとしましたが、一瞬後、また閉ざされてしまいました。自分の名さえ忘れてしまうほど、若者の笑顔は鮮やかでした。
「なんだ? 言いたくないのか?」
若者はさして気にした風でもなく、鬼の目を見たまま言いました。
そして地面にしゃがみこみ、薬草を探しはじめました。
鬼はしばらく、その様子を見つめていました。なんとなく、目が離せなかったのです。
やがて薬草を採り終わった若者は、明日もまた来るよ、と言って帰っていきました。
その日は、それだけでした。
言った通り、若者は翌日も早い時間からやって来ました。
そして若者は、呼び名がないのは不便だからと言って、鬼に「花霞」と言う名をつけました。
「ここの桜は綺麗だぞ。綺麗と言うよりも、桜、桜で恐いくらいだ」
まだ固い蕾を見てそう言ったあと、おまえも花みたいだな、と笑ってこの名をつけたのです。
鬼は、ほんとうの名をお言おうかと思いましたが、また今日も、声を忘れてしまったかのように、言葉が出てこなかったのです。
「いやか?」
顔を覗き込むように問われて驚きながら、それでも鬼はひどくゆっくりした動作で、首を左右に振りました。その顔には明らかに、戸惑いの表情が浮かんでいました。
「そっか」
それを見て若者は、心から安心したように微笑みました。
なぜこんな表情をするのか、花霞には全く分かりませんでした。
若者の顔にはいつも穏やかな笑みが浮かんでいました。
まるで、花霞を包み込むような笑顔でした。
その翌日も、またその翌日もそれからもずっと、若者はやって来ました。
最初のうちこそひとりで薬草を採ったり薪を拾ったりしていた若者でしたが、三日もすると、花霞を連れて歩くようになりました。
花霞は何も言わず若者の言うことを聞いていましたが、心の周りはまだ、高い壁で覆われていました。
若者もそれは分かっていましたが、だからこそそうしたのでした。
いつも黙ったままの花霞に、それでも若者は色々な話しをしてくれました。
なので花霞は、この若者が今ひとりきりだと言うことを知りました。
十で両親を失くし、それからずっと一緒に暮らしていた祖母も、この冬に天に召されました。若者も、ひとりでした。
……そうして若者は、花霞の隣にいるのです。
花はまだかと桜を眺め、寒くはないかと花霞の心配をし、もっと太れと口にものを押し込むのです。
日がな一日、若者は花霞の隣で過ごしました。時にはうたた寝することもありました。
もう長いことひとりでいるので、そんなふうに自分の隣で誰かがくつろいでいるのは、花霞にとって不思議なものでした。
しかしけっして、嫌なことではありませんでした。
嬉しいとさえ、思えるのです。