桜語り 1
昔、丹後の国の山奥に、ひとりの鬼がおりました。
桜に棲むその鬼は、紫微色の肌と白く長い髪を持った、美しい美しい鬼でした。
しかし鬼の瞳に浮かぶ色は、いつも哀しい色でした。
名を、桂花と言いました。
その鬼がまだ、都にいた頃。異形のものと人間たちはなんの隔たりもなく、一緒に暮らしておりました。鬼と人の集落が隣り合っていても、何の不思議もなかったのです。鬼も人も、同じだったのです。
そんな時代がありました。
しかしある時、ひとりの鬼が悪さをしてしまいました。通力を使って人を騙し、殺めてしまったのです。
それからというもの、鬼は人を惑わす悪しきものとされ、人々は鬼を恐れるようになりました。
人々は鬼が町を歩いていただけで、鬼を悪者扱いしました。
そんなふうに扱われた鬼たちも怒って、むやみやたらに人を傷つけてしまったのです。
お互いがお互いを信じられず、町や村はひどい状態になりました。
そんな状態が1ヶ月ほど続いた頃、ついに恐ろしい鬼狩りが始まったのです。
鬼たちが眠っている隙を突いて、鬼の集落に火が放たれたのです。
いくら鬼が通力を持っていても、寝込みを襲われたのでは敵いません。
鬼たちが目覚める前に、火の手はもう消すことができないほど、勢いを増していました。
桂花と言う名の鬼は、一緒に暮らしていた鬼の李々に助けられ、間一髪で火から逃れることができましたが、李々は桂花を助けるため、自らを犠牲にしたのでした。
鬼たちの悲鳴があたりに響き渡りました。数百の、命の叫びでした。
たった一度の過ちで、鬼たちは人間に種を滅ぼされてしまったのです。
今となっては、どちらが悪かったのか、誰にも分かりません。
李々は、炎の中に消えました。
たくさんの鬼が、死にました。
鬼はひとりに、なりました。
そして、静かに涙を流し続けたのです。
鬼の心は壊れてしまいました。固く閉ざされ、自分でも開けることはできませんでした。
涙が枯れた後は、小さな村々を流れるだけでした。
肌の色を消し、髪を黒くして鬼の姿を隠し、一つ所に長く留まることなく、流れ続けました。
…都を離れて、幾年経ったでしょうか。
ここにも長くいることはないのだろうと思いながら、それでも居場所を求めて、その鬼はこの丹後の山奥にやってきました。
鬼は変わらずひとりでした。
何度も死んでしまおうかと思いましたが、李々が助けてくれた命を、どうしても捨てることができなかったのです。
村から少し離れたところで、鬼は静かに、静かに暮らしました。
村人と会うことは、ほとんどありませんでした。
それから数ヶ月、この村もそろそろ離れようかと思い始めた頃、鬼は、ひとりの若者と出逢うのです。
春3月、まだ、桜の蕾が固い頃です。鬼の心も、固く固く閉ざされていました。