投稿(妄想)小説の部屋

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No.43 (2006/06/08 20:07) 投稿者:しおみ

夢十夜 七  サンクチュアリ

 こんな夢を見た。

 執務室の扉から、慌てたような若い男が出て行く。乱れた衣服を改めるまもなく、足早に立ち去る姿は以前にも見たことがあった。
 そして、そのあとすぐに、
「山凍、そこにいるのだろう、お入り」
 美しい声がそう呼んだ。
「おやおや、私の雛は相変わらず堅いのだね」
 当惑と苛立ちを隠したまま、中へ入ると、薄物の衣服も乱れた美しい人が、こちらを向いて嫣然、微笑んでいた。光差す、真昼の執務室で。
 天界に唯一の守護主天はたいていのわがままは黙認される。とはいえ、昼間から気に入りの側近と肌を合わせるこの守天を、間近なものたちは腫れ物に触るように扱っていた。
「ネフロニカ様」
 山凍はその顔を見て、目を伏せた。あらわな姿もそうだが、なんと言ったらよいかわからぬ当惑が視線をいつも下げさせる。
 目の前の麗人は光のように美しいが、その瞳はいつもなにかを突き放すようでこちらの心は見透かすのに、自分の心はかけらも明かさない。もっとも、明かしてもらえる立場でもないのだが。
「お呼びだと伺いました」
 うつむいたままそう尋ねると、側でふわりとよい匂いがして、ほっそりした腕が首に巻きついた。
「そう、呼んだよ。おまえと少し外に出たいのだ」
 山凍は即座に首を振った。
「またそのような・・・・つい先日お忍びでお出かけになられたばかりです。それに私は謹慎の身・・・」
「私が命じるのだから構わないさ。ともかく支度をおし。外はよい天気だよ、山凍」
 主は聞く気さえもたぬらしい、決めつける。山凍は頬を赤くして首を振った。
「先程、八紫仙が遣いを寄越して来られました。後ほどまた出直させると。それゆえ・・・」
「ああ、かれらはいつだってお伺いに来るのだよ、私を監視するのが仕事だものね。私が書類を見れば世界は救われるというのなら私も考えては見るけれど」
 麗人は、フフフと笑い崩れて山凍から離れた。
 磨かれた執務室の机の上は美しく片付いて、書類どころか紙の一枚もない。この方はいったいいつの間に職務をこなされるのだろうと、間近に住まわっていてもまだわからぬ守天の様子にため息をつく。
「ネフロニカ様、お庭の散策程度ならば喜んで従いますが」
「おや、私の雛は私の行く先まで指示する気か」
 笑顔のままそう返される。
「ネフィー様」
 眉をしかめてそう呼ぶと、麗人はふと、いたわりに満ちたといいたいほど穏やかな笑みを浮かべてこちらを見た。手の届かぬ思いをさせる、あの、静かで、優しくて、そしてどこか戦いを挑む人のような孤独を宿した笑みを。
「おまえが叱られるか」
「私はそのようなことは案じてはおりません」
「そうだね。おまえは我がことよりも私のことだもの。ねえ、山凍」
 麗人はゆったり背を向け、窓辺で山凍を振り返った。光が溢れてどんな顔をしていたのかは思い出せない。ただその平静な声の調子だけはいまも忘れられない。
「この机には常にたくさんの書状が載る。人々の願い、訴え、どうしたらよいかとの悩みが毎日ここに届けられる。人々はこうもおのれがなすべきことを知らず、術も知らない。なのに、守護主天のなすべきこととなしてはならぬことだけは、誰もがはっきりとわかっているというわけだ」
 そして、と麗人が続けた。その言葉が胸に突き刺さった。
「そして、守護主天はそんな人々ですら愛するのが仕事というわけだよ」
 馬鹿げていると思わぬかとすら、その声は聞かなかった。さみしさも、苛立ちもなかった。その声は、ただ、澄んで、美しかった。

(あの方は・・・)
 夢から覚めた山凍は、光差す窓の外を眺めて呟いた。
 夭折した先代の守天は、最期までその本心を山凍には明かさなかった。
 天界にただ独り、人々に慈悲と愛とを与えつづけ、誰かを傷つけることの出来ぬ身に生まれついた最高位者。自分を非難し、蔑む者すら憎むことは出来ない。その孤独。そのやるせなさ。
 だが、あの時、あの光の中で聞いた声を、歳月を経たいま、思い出してわかったように思えることがある。あの瞳にあったわずかな諦念。そして、どこか挑むようなあの笑顔のわけ。
 あれは、愛そうとする意思だった。
 いや、事実、かれは愛していたのだ、この世を。
 それがどのようなものであれ、役割だからという以前に、あの麗人はこの世界を愛していたのだという気が、いまの山凍にはするのだ。
 愛するものが自らの期待にも意思にも添わなくても、誰にも理解されなくても、いや、だからこそ、その思いが冷徹な鎧のように取り囲んで、華やかな奔放さの裏に誰にも触れられぬ鋼の刃のような心を宿していた。
 役割で誰かを慈しむなどできるはずがない。求められていたのは、誰も実行する意思などない聖域の役割。その役割を演じきれたのは、真実、愛していたからだ。
 誰にもそれを見せずに、ひとりで、この世の全てを。
「ネフィー様・・・」
 いまはもう思い出だけしかない。虜石ももう麒麟に食べさせた。もはや先代の守天になにもできることがないのを北の王は知っていた。
 だから、この夢は悔いではない。
 ないが、ただ、うたたねに見た光差すあのときの光景が懐かしくて。

 
 夢ちょうものは、頼みそめてき。


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