投稿(妄想)小説の部屋

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No.39 (2006/06/02 15:35) 投稿者:

空蝉恋歌〜月下の刃/壱〜

 ここしばらく小石川の方で生活していた桂花は、呼び出しを受け久しぶりに柢王の屋敷を訪れていた。
 南町奉行所の敷地内にある柢王の屋敷は、何度通ってもいまだ迷ってしまいそうなほど広く、長屋生活をしていた自分がこんな立派な所に出入りを許されていることが夢のようだ。
 桂花は、柢王と出会う前から南町奉行所の御門前を通るのが好きだった。
 思わず気を引き締めてしまう品位を持った様式。
 それは長屋門で黒い渋ぬりに白い漆喰のナマコ壁で、一種峻厳な黒白の対照をなしている。
 しかもそのナマコは諸方の武家屋敷にあるイカツイものと違い、やや細めなものにしてある為すべての感じが凛々しく、それでいて優しい柔軟さをそなえた印象を与えるのだ。
 これが柢王の趣向により設計されたと聞いた時は、その趣味のよさに感嘆した。
 黒渋塗りの長屋門を入ると突き当りが玄関の式台となっていて、そこに行くまでまっすぐにのびる青板の敷石、それを残し一面に粒選りの那智黒の砂利石が敷きつめてある。
 それらはほこりがたからぬよう毎朝うち水をしたり掃き清めたりしているため、キラキラと光っていた。
 更に、左にある天水桶(雨水を防火用として溜めた桶)はタガの部分が銀砂で磨きこすられているのだろう、料理茶屋の入口の飾桶よりも清浄できれいであった。
 通るたび、ここに勤める者達の気持ちを表しているようで誠に気持ちがよい。
 この門にも色々と決まりがある。
 正門は公式の時に奉行、他からの使者、役人、または捕物出役の折の出役役人が出入りする。
 正門が閉じられていても右の小門は開けておき、駆け込み訴え(直訴)はこちらを使用し、平常は奉行・与力・同心・諸職・給人・小男・下男・公事人も使用した。
 そして、それとは別に左の門があり、それは囚人、非人、付添の役人などが出入りする『不浄の門』であった。
 柢王に会えるというよろこびも手伝って、この道を歩くのが楽しみとなっていた桂花だが、通うこと数回目からは裏門を使用するように言われている。
 それは身内同然の扱いだった。
 の日、夕餉を馳走になったあと養生所に戻るつもりだった桂花は、柢王によって予定を簡単に退けられてしまっていた。
 どうやらはじめから泊まらせるつもりだったようだ。
「もうそのくらいでやめておかないと。飲みすぎですよ」
 空になった杯を奪いとろうとした桂花の手をかわし、手酌であふれるぎりぎりまで酒を足しカッと流し込む。
「桂花・・・」
 慣れた手つきで懐に手を忍ばせると、ぎゅうっと手の甲をつねり上げられてしまった。
「イテテ、なんだよ・・・嫌なのか?」
「何言ってるんですか」
 桂花を保護した翌日、柢王は「お前に惚れた」と彼に告白していたけれど、色よい返事はもらえていない。
「冷たいな。こんな・・・酒飲んで勢いつけてる俺が気の毒だろっ? 哀れだろーっ?」
 ごろんと転がって足をばたつかせる姿は子供のようで、とても御奉行とは思えず、桂花は噴出してしまった。
 南町奉行の柢王様・・・・・こんなに身近な存在になるとは夢にも思っていなかった。

『柢王様のお白州は、罪人を作るばかりの所ではない』
 柢王に情けをかけてもらった町民が言っていた言葉に桂花は深く頷く。
 正当防衛が通じ難かった時代だからこそ、女や身分の低い者が泣きを見ることが多かった。
 柢王はそういった者たちの言い分に耳を傾け、できるだけの計らいをしてやる。
 お偉方に牙をむくことになるとしても弱者を守ることを心情とした柢王を奉行所の者たちは、いつか言いがかりをつけられ処罰を受けるのではないかという不安半面、誇りに思っていた。
 書役同心(裁判の記録係)など、つらつらと裁きの成り行きを書き連ねている所でいきなり「その件に関しては主を思うそなたに免じ、証言として残す事はすまい。安心するがよい」などと柢王が言うので、あわてて筆を止めることが多々ある、と嘆いている。

「笑ってられるのも今のうちだぜ? 四六時中、俺の事が頭ン中から離れなくなるようにしてやるからな」
「はいはい」
 軽くあしらって今度こそ杯を奪いとり、自分のそれに重ね朱盆に置くと、背後から腕を伸ばしてきた柢王が髪を束ねていた紐を解いてしまう。
「ちょっ、何するんですか」
 慌てた桂花を無視して自由になった髪に頬を埋め、そのまま体を預けるようにのしかかってきた。
 倒れこんだ拍子に体のむきが反転し、あお向けになった桂花を逃がさないよう跨いだ足でおさえつける。
「あ」
 唇をつき出していた柢王の顎を押し戻して、桂花が眉をよせたまま天井を指さす。
「見てください」
「〜〜〜〜なんだよ」
 柢王が唇を尖らせたまま振りかえると―――――――――夜の蝶。
 不吉の兆しといわれる存在が、二人の前でひらひらと儚げに舞っていた。

「どれでも好きなものをお取り」
 ティアの前には、わざわざ特別に絵師に描かせた町火消しいろは四十七組の纏持ちの札がズラリと並んでいる。
「本当ですかっ!? ではっ、二番組のこちらを!」
「―――――――――なるほど。め組の纏持ちが、お前のご執心の相手なんだね?」
 してやったり。と自分を見下ろす秀麗な男にハッとして、ティアは思わず歯を食いしばった。
 向き合う二人の間にフフフと意味深な笑いが生まれる。
 自分の想い人が纏い持ちだというところまではバレていたが、どの組かまではこれまでどんなに探りを入れられても決して口を割らなかったのに・・・・アシュレイの絵札を見つけた瞬間理性が飛んでしまった。
負けだ。
「今度連れておいで。私がこの目で見定めてあげよう」
「お断りします」
 向き合う二人の間に再びフフフと笑いがこぼれる。
 しかし今度の笑いは怖気だってしまうようなものだった。
 二人の後ろに控えていた男はどちらにも視線を合わさないよう下を向いていた。
 関わらないようにするのが一番なのだ。
「山凍!」
「は」
 石と化していた所に声がかかり、下を向いていた男が人に戻る。
「この札を例の袋に入れてティアに渡しておやり!」
「例の袋・・・?」
「いいから早く。小姓にでも訊けば分かる」
「は」
 短く答えて山凍がさがるのを見届けると、ネフロニカはティアに向きなおる。
「やれやれ。山凍はお前が城下町で行動するのは危なすぎると嫌っているからね、今のうちに早くお行き。あの絵札は次に会う時まで私が預かっておこう・・・・・私はお前を束縛するつもりはないけれどティアランディア・・・・くれぐれも気をつけるんだよ。
 謹慎しているはずの尾張の冥界教主が江戸にもぐりこんでいるという情報が入った。私もお前もあの男にとっては邪魔者以外の何ものでもないのだからね」
「ありがとうございます兄上。兄上もじゅうぶんお気をつけて・・・それはそうと決して私の想い人には手出ししないでくださいね?!」
「ふふ、考えておくよ」
 気の多い兄に不安を覚えながらティアは廊下へ出た。
「ティア殿、どちらへ行かれます」
 出てすぐに、山凍に呼び止められ困ったティアは兄を振り返る。
「山凍、早かったね。例の袋はあった?」
「いえ、それがネフィー様、カルミア達はそのような物は存ぜぬと。代わりにこちらの袋を用意してまいりましたが・・・」
「う・・・・そんな物しかなかったのか。まあいい、早く渡しておやり。あ、それと、紅葉山文庫から次の鷹狩の地図を持ってきておくれ」
「かしこまりました」
 山凍から、金糸でデカデカと家紋が縫いとられた紫色の袋を受けとって懐にしまうと、自分とアシュレイを繋ぐお守りのような気がしてティアはなんだか嬉しくなった。

「ア、アシュレイが昨夜から帰っていない?!」
「途中までは連中と一緒にいたらしいんですけどね、まあ小さな子じゃあるまいし心配はいらないと思うけれど」
 心配はいらぬと言いながら、浮かない顔のグラインダーズは繕いものに針を通している。
 二人が話している間、め組の連中が
「誰かいい女でもできて、どこかにしけ込んでるんじゃないっスかぁ?」
「そうかな〜アシュレイさんは女泣かせで有名だけど」
 などと口を挟んできたので、思わずティアが反論しようと口を開いた時、グラインダーズが針を止め顔を上げた。
「そうねぇ、今まで何人のお嬢さんを泣かせたことか」
「!!」
「・・・・・・・ま、女泣かせとは言ってもタラシには程遠いわね。すげなく断るもんだからカワイイ小鳥ちゃんたちはみんな泣いちゃうのよねぇ。もぉ慰めるのが大変、ほほほっ・・・・あら? ティアさんは?」
「・・・・・青い顔をされて出て行きましたわ、お姉さま」
「シャ、シャーウッド! ・・・あ、ら・・・・いつの間に・・・」
 とっさに笑顔をつくろってみたが、こちらは手元のそれのように上手く繕うことができず、思わず人足達に助けを求めてしまうグラインダーズであった。
 ムダに不安をあおられたティアは、その足ですぐに南町奉行所へ向かっていた。
 今月は北町奉行所の月番に当たるため、南町奉行所は非番となっている。
 月番、非番で一ヶ月ずつ交代に開庁し、月番の町奉行所は門を八文字に開けその月の訴訟を受けた。
 一方、非番の町奉行所は門を閉じ、前月に月番であった時の訴えの未整理を処理する。
 非番と言っても月番の奉行所へ寄って連絡を取ったり登城して老中と打ち合わせをしたりとなかなか忙しい。
 南町奉行所と北町奉行所はいくらも離れてはおらず、町の北側にあるから北町奉行所。南側にあるから南町奉行所―――-という地域の分担の名称ではないのだ。
 同じ通りの北側と南側にあるからその名がつけられただけであり、双方行き来するのにもそう時間はかからない。だから一カ月おきに交代で奉行所を開いたとしても町民にとってなんの不自由はないのだった。
「て、柢王っ! アシュレイがっアシュレイが行方知れずなんだっ!」
 屋敷に通されるなり大声で叫ぶティアに、柢王が落ち着けと水をのませてやる。
「質の悪い遊び女にひっかかってしまったのかも! どうしよう!」
「あのアシュレイに限ってそれはないな」
「でもっ、でもアシュレイは情にもろいから上手くだまされてるのかも・・・」
「・・・それは有り得ないこともないな」
 柢王の言葉を聞くなりティアはスッと立ち上がり、近くで控えているであろうお庭番の『エンミ』と『キョウ』にアシュレイの居場所を探るよう指示をだした。
「一体どこの女がアシュレイを・・・・」
 勝手に決めつけ、本気で怒っているティアを初めて見た柢王は、そんな彼が何をしでかすのか見当がつかなくて、渋い顔をした。


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