謝恩会 (前)
「…おっ、おまえ、本気で言ってんのか?」
「失礼だな。本気じゃなかったら訊かないよ」
確かに自分でもちょっと突拍子ないかなとは思うけど。
でも、その言い方はないんじゃないか?
桜も散り、目に映る風景に緑が増えてきた今日この頃、自分の卒業式はとっくに終わってるのに、今になって思うことがある。て言うか、後悔ってのはそういうものだってつくづく思い知らされる。
でもまだ、幸運にも二葉の卒業式がある。
まだ遅くないはずだ。
「そういうのは二葉じゃなく、俺でしょーーーっ!?」
なんで俺に一番に言ってくれないかなーっっ!?と器用に泣きまねしながら責め立ててくる小沼に、俺は平謝りにあやまる。
「で、正直な話。…いくらくらいするもの?」
場所は開店前のローパーのカウンター。
他には誰もいないのに、俺は声をひそめて訊いた。
「…うーん。悪いけど、忍の小遣いじゃ無理だと思う。もちろん貯金でもね」
俺の預貯金の目安がつくあたり、やっぱり小沼って変なとこで鋭いかも。
「そっか…。駄目元で訊いてみただけだったんだけどさ。ごめん。変なこと訊いて」
「それだけ?」
「え?」
「なんで、それで引き下がっちゃうんだよ〜〜〜!!」
「や、…だって…ないものはないし。どこか別なとこ考えるしかないかな…」
「うわーん! 俺を誰だと思ってんのさー!! 忍の頼みならローパーの1軒や2軒、どうとでもしてあげるに決まってんじゃんかっっ!」
「…ほぉ。それはそれは。大きく出たね、桔梗」
「あ、あれっ? かかか一樹、いいいつからそこにっ?」
「貯金がどうの…ってあたりからかな」
小沼じゃないけど、本当にいつの間に現れたのか、一樹さんは涼しげな笑みをたたえて俺達の真後ろに立っていた。
「あ…あははっ。それはそれはっ…」
「で? ローパーの1軒や2軒、どうするって?」
にっこり微笑む一樹さんとは裏腹に小沼の腰は引けている。
「あ、あのっ…!」
そんな小沼が哀れで、ついつい俺は小沼を背中にかばってしまう。
「お、小沼は、俺のために…えと、その…いや、あの、」
「そういえば、忍の頼みならって言ってたっけ?」
「…え、あ、………はい」
ううっ…そこもちゃんと聞こえてたか…。
「どんな頼み?」
「…えっと…その……」
ええい、ままよ!
「一樹さんっ、個人的にこのローパーを貸してもらえませんかっ?」
「……………貸してくれって、ここを?」
言ってしまった…。
一樹さんも驚いてる。けど、もっと考えてから行動に移すつもりだった俺自身が、一番驚いてるというか、脱力というか…。
「はい…」
ああ…。
無理だって分かってても、やっぱり俺、ここでしたいんだなぁ…。
一樹さんの「スマイルプレッシャー」(いま俺が命名しました…)に負けて、つい口を衝いて出ちゃったけど、それはまさしく俺の本心からの言葉だった。
「…個人的にって、忍が? どうして?」
「え、あ、あの…」
「ここは一応バーだし、忍は未成年だし。何に使いたいの?」
俺のバカ…。
一樹さんの反応は当然だ。賃貸料金云々で悩むより先に、わけもなくただ借してくれで、一樹さんが納得してくれるはずない。
でも、わけを話せば、一樹さんは無理をきいて融通してくれるかもしれない。
けど、それじゃ意味がないんだ。
これだけは自分の、自分達の力でなんとかしたい。そのうえで……。
「忍?」
一樹さんの瞳が、じーっ…と俺を見つめてる。
(ううっ…どうしよう)
「あの…まだ…、今は…」
ここでわけを話してしまうことが本意でない俺は、どうにも言葉が出てこない。
「ハイハイ、そこまでーっ!」
声とともにこちらも突然現れた二葉が(さすが兄弟だ)、小沼を背にした俺をかばうように、両手を広げて一樹さんとの間に無理やり滑り込んできた。
「……困惑気味の忍に急接近な一樹。…まさかまさかまさかっ…まさかとは思うけど…」
しつこくひとりでぶつぶつ繰り返しながら、俺と一樹さんの顔を交互に何度も見比べる。
「時間もちょうど時間だしっ…」
時間って?
いま…えと、お昼の2時?
「おまえらふたりで昼下がりの情事とかってんじゃっ…ぶっ!!」
「おまえは、バカか!!」
思わず俺の鉄拳が二葉の下あごに炸裂した。
「あはははははは」
一樹さん、笑ってる場合じゃないでしょう…。
「ってぇなーもう。ジョークだろが、ジョーク。おまえは、も少しアメリカンジョークつーもんを理解し」
「それで忍? ローパーをどうしたいって?」
弟をまるきり無視した一樹さんがにっこり言う。
「…アメリカンジョークを解さないアメリカ人めっ」
「俺は日本国籍だから。おまえと違って、俺は忍と同じ、完っ全な、日っ本っ人っ、だ・か・ら」
最大級のにっこりでもって、一言一句丁寧に二葉に説明する一樹さんが怖い…。(「スマイルホラー」と今俺が命名…)
「あっ、愛に国境はなーーーーーい!!」
だよなっ、忍!?と必死の形相で両肩をぐわしと捕まれブンブン揺すぶられ、少し意識が遠のきかける。
て言うか、二葉。おまえだって、一応日本人じゃないってわけじゃないんだからさ…。
「俺も日本国籍なんだけどねー。関係ないかぁ…。ハハーンだ!」
「あれ。そういえば卓也は?」
すっかり蚊帳の外に追いやられ、いつの間にかひとり不貞腐れたようにカウンターに両肘ついてボヤく小沼に、一樹さんは今更な疑問を口にする。
「お買い物ですぅ」
小沼、いまだブータレ中…。
「ひとりで?」
「あ、小沼は俺が話があるから残って…って…」
二葉から解放された俺は、一樹さんのその問いに素直に反応してしまった。
「話? なんの?」
にっこり。
あああああ、また墓穴を掘ってしまった…。
話すべきか、話さざるべきか。それが問題だ。
…って、そんなたいしたことでもないんだけど。
や、俺にとっては、たいしたことなんだけど、たいしたことができるわけじゃないっていうか、なんていうか…。
「無理に聞くことねーじゃん」
「二葉?」
「忍が、今は話せないってんなら、待ってやれば? 今わけ話せねーからって、こいつが一樹騙すみたいな変な頼みごとするはずねぇじゃん」
「おまえ…成長したなぁ…」
しみじみという感じで一樹さんがつぶやく。
「前は、そう言ってなだめるのが俺の役目だったのに。…愛は人を変えるもんだなぁ…うん。お兄ちゃん、嬉しいよ」
「おかしいよ、の間違いだろ、どーせ」
二葉が小さく突っ込む。
「じゃあ、忍を信じて…」
「…っふぁふひーっ!」
二葉の鼻をつまみあげながら、一樹さんは俺に希望日を訊いてくれた。
そして、ローパーの6月最初の定休日の6月1日、準備と片付けの時間も入れて合計6時間を俺達の貸切にしてくれることを了承してくれた。
「もちろんタダだよねっ!」
「大負けに負けて、出世払いってとこだな」
小沼の断定的な問いかけに、一樹さんがあっさり否定の答えを出す。
「あー!? なんだよ、それー!!」
「ケチケチ、一樹のケチンボーーー!!」
「うるさい」
小沼と無事鼻を解放された二葉は猛然と抗議を始めたが、一樹さんは相手にしない。
でも俺は、ほっとしていた。
(よかった。ちゃんとお金、取ってくれるんだ…)
タダでいいって言われたら、絶対辞退しなきゃって思ってたから。
「ありがとうございます。あの…それで料金なんですがローンでお願」
「もちろん、」
お礼を言おうとする俺の言葉をさえぎって、一樹さんは続けた。
「あるとき払いの催促なしの金利ゼロ。ついでに80パーセントオフ価格でね」
え……!?
「卓也が帰ってきたら事務所にいるって言っといて。…ああ、一応手付金だけもらっとこうかな」
そう言って素早く俺の頬を両手で挟みこむと、二葉と小沼の叫び声の中、一方的に受け取りを済ませて出て行った。