投稿(妄想)小説の部屋

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No.31 (2006/05/18 14:20) 投稿者:

空蝉恋歌〜言ノ葉〜下

「――――――あれ?」
 足元に何かを引きずったような線がのびている事に気づきアシュレイは立ち止る。
 それが何かすぐに悟り、自然とかけ足になっていた。
「ナセル!」
 辿っていった先に長身の貸し本屋を見つけ、彼の名を叫ぶ。
「――――アシュレイさん」
 その瞬間ナセルは昨日の気まずさをどうやってカバーしようかと、頭をフル回転させたが、すぐにブレーキをかける。
 駆け寄ってきたアシュレイの表情がいつもどおり晴れやかだったのだ。
「それよこせよ、俺が背負う」
「そうとう重いですよ?」
「任せろって」
 ナセルの背から大風呂敷に包まれた本の塔を引き受けて、アシュレイは満足そうに笑う。
 昨日の別れ際の笑みとは雲泥の差である。
 自分のせいで沈んでしまったアシュレイが、何事もなかったかのように自然に笑っている。
 その笑顔が自分に向けられているというだけでナセルまで気分が高揚してきた。
 一体どうやって浮上してくれたんだろう?
(――――誰かが・・・・俺の失敗を補ってくれたのか? ・・・・もしかして、あのティアとかいう男がアシュレイさんを慰めて・・・・)
 アシュレイにつられて笑っていたナセルの顔が凍りつく。
「まさか・・・」
「ん、どうした?」
 ティアの上品な微笑が目に浮かび、地べたに足を縫い取られたようになってナセルはそれからしばらく動くことができなくなってしまった。
 そんな彼を動かしたのはアシュレイでもナセル本人でもなく、山のような体をした力士。
「ナセルッ!」
 突き飛ばされたナセルにかけより、アシュレイが睨むと、ナセルのことなど気にもかけずにドシドシと歩いていく後ろ姿があった。
「――――――の野郎っ!」
 一気に沸点に達したアシュレイにいち早く気づいたナセルが慌ててその腰にしがみついて止めにかかる。
「アシュレイさん、俺はなんともありませんからっ!」
「離せよナセル! 人を突き飛ばしておいて知らん顔とはどーいう事だっ、待ちやがれ!」
 アシュレイの怒鳴り声に力士はジロリと振り向いたが聞き取れないほどの小声で何かを言ってまた背を向ける。謝罪ではないという事は表情からして見てとれた。
「コラ―――ッ、ナセルに謝れ―――っ!!」
 グイグイ前へ進もうとするアシュレイに引きずられても、ナセルは決してその手を離さない。いくらケンカ慣れしたアシュレイでもあんな巨体の張り手など喰らったら骨を折る可能性は高いはずだ。ナセルは頑張った。
「もう止めて下さいアシュレイさん」
「離せよっ逃げられちまうだろ!」
「そんな事はいいですからちょっと落ちついてください・・・・痛っ」
 アシュレイに背負われた本の角がぶつかり、つい手を離してしまったナセルだったが、それをアシュレイは上手い具合に勘違いしてくれた。
「どうした? あ、足が痛むのか!」
 ハッとしてアシュレイはナセルの顔を覗き込む。
 このまま自分に注意をひきつけ勘違いさせたまま連れ帰ってしまおうとナセルが目論んだ途端、アシュレイがすっくと立ち上がる。
「ちくしょう、あの野郎〜許さねぇ・・・」
 再び頭に血がのぼり始めた彼をおさえて、ナセルはわざとらしく声をあげる。
「イタタタ・・・・痛い・・・・足が、痛い・・・・あの人のことより俺の方を何とかしてくださいアシュレイさん」
 ヘタリとその場にくずれたナセルにアシュレイが青くなる。
「わ、わかった! 医者に行こう、早く俺に負ぶされ!」
 しゃがみ込んだアシュレイの背には既に本が担がれている。それを忘れるほど気が動転しているらしい。
 ナセルは本と向き合い笑いをこらえる。
「フ・・・すみません・・・・あの、大丈夫みたいです・・・とりあえず自分で歩けそうなので俺の家まで送っていただけますか?」
「お前本当に大丈夫なのか?! へんな気ぃ使って無理すんなよ?」
 ナセルの歩調に合わせ並んで歩いてくれるアシュレイに心の中で手を合わせる。

 ―――――――――――こんな風にしか守れないことが悲しい。

 足が不自由になっても、後ろ向きな姿勢にはならなかった自分。
 杖を使わず歩くこともできるし、日常の生活に不自由する事は多々あるが、それを悲観するほど辛いわけではなかった。
 しかし大切な人を、体を張って守ることが出来ないことを痛感した今、初めて「失った自由」に気がついた。守ることはおろか走って逃げ出すことすらできない自分。
(この先足手まといにはなっても役立つことなんてあるのだろうか)
 ナセルの心に雨雲のようなものがたちこめていった。

 本を背負い送ってくれた礼にとナセルは茶菓子を出してアシュレイをもてなす。
「大体、相撲取りってやつは嫌いなんだ。図体ばっかりデカくて何の役にもたたねぇ・・・ったく、両国に引きこもってろってンだ」
 アシュレイが力士を目の敵にするのには訳がある。
 一年前、力士VS鳶の大ゲンカが勃発し、アシュレイの仲間も多数重症を負った。
 柢王の話によると、事の発端は神明茶屋の娘をめぐる恋のいざこざで、仲違いしていた鳶と力士の二人のケンカが火種となり、そのうち互いの味方が加勢に加わり大事となったようだ。ただ、先に言いがかりをつけてきたのが力士の方だったということが明らかな為、アシュレイたち鳶は力士を目の敵にしているのだ。
 ブーブー文句をたれているアシュレイにナセルはクスクス笑いながら話し始めた。
「まあ、そう怒らないで聞いてください。大昔から力士というのは大地を鎮める神と言われていて、相撲の動作すべてが呪術となっているのですよ。四股は大地を踏み固めるための動作であり、両手を合わせるのは陰陽の気をひとつに結ぶためのもの。塩を撒くのは聖地を清めるもので、土俵四隅に下がっている四色の房は東の青房、南の赤房、西の白房、北の黒房をあらわし、その中央にある土俵が丸いのは天、土台が四角いのは地を象徴しているのです。行司のかけ声である「はっけよい」は「八卦良い」の意であり、その手にある軍配に日と月が描かれているのは天の巡行を表す。つまり土俵は宇宙そのものであり相撲は天地の気を整える為の行為なのです。
 両国という土地は、側を流れる墨田川が、古くは武蔵、下総の両国の国界であったため、二つの気をつなぐ重要地点だったのです。その二つの国をしっかりと安定させる為に行われた相撲。相撲取りも、アシュレイさん達のようにこの土地を守ってくれているのです」
「あいつら・・・・・・・図体と態度がデカイだけじゃなかったのか・・・・」
 感心したようにアシュレイはため息をついた。
「ナセル、お前は色んなことを知ってて、それを俺に教えてくれる。小難しい本を読む気はしないが、お前の話を聞くのは好きだ。これからもそーやって、色々教えてくれ」
「―――――――俺は・・・アシュレイさんのお役に立ててますか?」
 モチロンだ、とアシュレイは頷く。
「ずっと一緒にいてたくさん話を聞かせて欲しいくらいだ」
「・・・・・・」
目頭が熱くなり、ナセルは茶を煎れなおすと言って席をたった。
 守り方が情けなくても、足手まといになっても、きっとアシュレイは呆れたりしない。
 ありのままの自分を受け入れてくれる・・・・・・そういう人だった。

 自分の言葉に救われた者がいることなど、団子を頬張るアシュレイは知る由もなかった。


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