投稿(妄想)小説の部屋

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No.30 (2006/05/18 14:13) 投稿者:

空蝉恋歌〜言ノ葉〜

 アシュレイの頭上で木漏れ日がチラチラと舞う。
 鳥のさえずりを耳にしながら足を進めると目の前に池が現れた。
 大きく張った木の枝はそこで途切れ、高く蒼穹が見える。
 光のひだが池にそそがれて、空色、瑠璃色、縹色。
「―――――――――・・・綺麗だな」
 口にしてはみたものの、頭の中では昨日の会話を反芻していた。
 説教は嫌いだ。
 けれど、心ある言葉は聞き流したようでいて、頭に心にしっかりと刻み込まれるもの。
 自分のことを案じてくれるが為に発せられるそれらの言葉は、深く打ちのめす威力を持ちながら、どこか暖かさを含んでいるのだ。
 ただ、自分の中に溶け込ませるまで時間がかかるのは、いつものことだった。

「おととい来やがれっ!」
 バシッと戸を閉めて鼻息荒くアシュレイは茣蓙にあぐらをかいた。
 ナセルの貸し本屋で雇っていた男を彼は追い出してしまったのだ。
「―――――ったく、呆れた野郎だ、ろくすっぽ仕事もしねーで」
 足の不自由なナセルに代わり、町へ本を背負って貸し出しに行く仕事を短期限定で頼んでいたのだがどこをどう歩き回っていたのか、一冊も貸し出せないまま四日が過ぎた。
 それでもナセルは毎日賃金を払っていたのである。
「仕方ないですよ、彼は彼なりにやってくれていたんだと思います。ここの整理も手伝ってくれましたし」
「お前は甘いんだよっ!四日だぞ? 一冊も出ないなんてありえねぇ! 今度会ったらもっと言ってやる!」
 興奮しているアシュレイに茶を出し、ナセルは困ったように切り出した。
「アシュレイさん・・・・お気持ちはとても嬉しいのですが・・・一方的な批難は、相手にとって何の糧にもならないと思います。相手の立場に立って考えたうえで、注意をしなければ」
「な・・・・」
 ナセルの為にした事なのに、当の本人に異論を唱えられ、アシュレイは固まってしまった。
 ナセルとしては、自分のためにアシュレイが悪者になってしまうことが申しわけないという気持ちがあっての事だった。
 こういう騒ぎが起こるのは、今日が初めてというわけではない。貸し出した本が期日を過ぎても返却されないと、アシュレイが怒鳴りこむ。町火消しである彼に助けられたことがある者も多いがそれはそれ。例え小さな事柄でも善悪がはっきりとしているアシュレイにあいまいな態度は通用しない為、この辺りで彼を恐れている者は少なくない。
『違う、本当に優しい人なんです!』
 大声で叫んだところで、怒鳴られた人々には判ってもらえない。だから意を決して本人を諭そうと試みることにしたのだ。
「俺なら・・・・俺なら、相手を見返してやろうって頑張るけどな!」
 何だか悔しくなってアシュレイは言い返す。
「アシュレイさんは強いお方ですから・・・・けれど皆が皆言われたことを撥条にして見返せるようになれるほど、あなたのように強いとは限らないのです。言葉の受けとり方は各々異なるものですから」
「・・・・・・・」
 前に、同じようなことを頭である父親に言われた覚えがある。

『自分を基準にして物事を考えるな』

 鳶であるにも拘らず、弟弟子の中に高所が苦手だという者がいた。
 努力と根性が足りない! とアシュレイが一喝した時、父の部屋へ呼び出されて言われたのだ。『お前は自分を蔑む者たちを見返そうと努力して、その分心身ともに強くなった。自分に厳しい奴だからな、半端な頑張りではない事は私もよく知っている。しかし他の者がお前と同じ努力を積んで、果たしてお前と同じようになれるかと言ったら、答えは否。
 人は己と同じ生き物ではないのだアシュレイ』
 ・・・・・・・父の言う事は理解できる。しかし頭では理解しても、心が納得しなかった。
自分が強いというのなら、それは懸命にやってきた結果なのだ。
『俺、高い所って苦手なんスよねぇ』
 ヘラヘラ笑って言われ、カッとして怒鳴りつけてしまったが・・・・奴は努力なんてしたのだろうか? 少しでも高所に慣れようと頑張っていたのか?
 父の言葉の重みに耐えながら、小さな逃げ道から目を逸らせない自分がいた。

「・・・・・俺って、進歩してねンだな。前に頭にも似たような事言われたんだ」
 頭をかきながらアシュレイは立ち上がる。
 ここへきて、ナセルはようやく自分の失敗に気がついた。
 ものの言い方に気をつけろと注意しておきながら、己がやってしまったのだ。
 アシュレイは見るからに落ち込んでいる。
「ア・・・アシュレイさん、私が言った「強さ」は「なにを言われても平気」だという無神経さではなく、あなたの心・・・精神力の強さです。あなたは陰の力を陽に変える強さを持っていると――――――」
「大丈夫だ、俺のために言ってくれてるって事はじゅうぶん伝わってる・・・・・・余計なことして悪かったな、今日は帰る」
 ぎこちなく微笑んで背を向けたアシュレイを引き止める術もなく、ナセルはガックリと肩を落とした。

「どうした? 元気が無いな」
 池のほとりでしゃがみ込んでいたアシュレイが振り返ると、そこには見覚えあるどころかよく見知った男が立っていた。
「アウ・・・頭取・・・・」
 頭取というのはめ組が属する二番組でいちばん地位の高い人物であり、その二番組には、め組の他にろ組、せ組、す組、も組、百組、千組の六つの組が属している。
 頭取→各組の頭→纏持ち→梯子持ち→平人→人足という階級になるのだ。
「アウスレ―ゼでよいぞ」
 本来なら呼び捨てなど以ての外。しかしこの男、アシュレイの第二の父親と言っても過言ではないくらい親しいし、実の父親よりアシュレイに甘い。
 堅苦しくない上に頼りがいのある相手だが、こちらが何か言う前に大抵のことを察してしまう鋭いところだけが苦手である。
「こんな所で何をしておる」
「別に・・・オヤジに小石川まで用事頼まれて来てたんだ。帰りがてら足伸ばして蓮華を見に来たんだけど、まだ早かったようだな・・・・そういうアウスレーゼこそこんな所で何してんだよ」
「ふふ、愚問よのう、アシュレイ。ここがどういう所か分かっておるだろう」
「な、ななな」
 不忍池―――――――寛永寺領内にあるここは、男女の密会場所を提供する貸し座敷が池を取り囲むように建ち並んでいる。寺領の為、町奉行の管轄外で、取締りを受けずに済むという理由からこのような施設が密集したもので俗に「出会茶屋」と呼ばれていた。
 夏には見事な蓮華を楽しませてくれる池でもある。
「どうだ、我と茶でも飲むか」
 肩を抱かれ、耳元で囁かれ、アシュレイの全身が強張る。
「止せよっ」
 やっとの思いで声をあげると、彼は不敵な笑みを浮かべたままアシュレイの顎に手をかけた。
「やめて欲しければ何があったか言うのだな、我に隠し事など千年早いわ」
 色を含んだ瞳に正面から見つめられうろたえたアシュレイは、少し後退してからぽつりぽつりと話し始めた。
「―――――なるほどな」
「みんなして俺は強い強いって。俺なんか腕っ節と気が強ぇだけだろ」
「それだけ分かっておれば十分ではないか」
「・・・・・俺は気づかね―うちに人を傷つけてるようだからな。結局自分の中身が弱いから、やられる前にやっちまえ!って思うんだ。そんなの本当の強さがない証拠だ。その点・・・・ナセルみたいな奴が本当に強いんだよ。物事を広く見れるんだ、俺みたいに目の前のことだけ見て騒ぐのとワケが違う・・・・足のことだって・・・」
 さっきまで警戒していたくせに、話しながらアシュレイの方から寄ってきて、今ではアウスレ―ゼの腕をつかんでいる。こういうところが愛しい。
「アシュレイ、人は大切なものができると強くなれる。なれるが弱くもなるものなのだ。つまるところ強さというものは一つに限らないのではないか? ナセルにはナセルの、そなたにはそなたの強さがある、それでよいではないか」
「俺の強さ・・・」
「そなたの言う「強さ」を得るにはまず己に自信をもつことだな。自信のない者ほど物事の見極めを誤ることが多い。そして、さっきそなたが言ったように相手を押さえつけることによって己を守る癖がついてしまう」
「自信・・・」
「だが、自信を持つ事と、自己中心になることを履き違えるでないぞ?威張りくさって己の行動に責任を持たず、思いやる気持ちを忘れたら、それはただの我侭だ」
「でも俺自信なんて・・・俺はいまだに自分が本当に頭の息子なのかとか、色々考えちまう・・・こんな状態で自信を持てとか言われたって」
「まだそんな事にこだわっておるのか。アシュレイはアシュレイ、それ以外の何者でもなかろう。それにこの髪、我は気に入っているぞ」
 お気に入りの体を逃がさないよう両手で抱きしめて、アウスレーゼはアシュレイの月代に唇をつけた。
「何しやがるっ! 変態!!」
 ブンとふるった拳は宙をきり、アウスレーゼは涼しい顔で手を振った。
「もう悩むな。それ以上頭を使うと知恵熱が出る」
「うるせぇっジジイ! いつまでもガキ扱いすんなっ!」
 声を張り上げながらアシュレイは胸の中でわだかまっていたものが浄化されていくのを感じていた。
 いつだって自分のことを上手くコントロールしてくれる男、それがアウスレーゼだった。
 なにをどう理解したのかと訊かれたら、上手く答えることができない。
 けれど帰途へつくアシュレイの足取りは軽かった。


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