夢十夜 その二 口は災いの…
こんな夢を見た。
柢王はご機嫌だった。
蒼地に薄い銀と銀とで蔓草を描いた豪華な絹の装束。
広く抜いた襟に、後れ毛が残るうなじがくらくらするほど色っぽい。
紅を刷き、まぶたを彩り、花街の艶姿に整えられた桂花は、部屋にいる美女たちがかすんで見えるほど妖艶で、美しかった。
杯片手に、桂花の膝に頬ずりをして、柢王は心から満足のため息とともに呟いた。
「あ〜もう最高! おまえってほんと綺麗だわ」
そして、唇も艶やかな桂花の美しい顔を見上げてにっこりと笑う。
「この前は変な夢を見たけど、災い転じて…ってのはこのことだよな〜。やっぱおまえの綺麗さは思う存分発揮させなきゃなぁ。綺麗だから映えるったら映えるったら。気分いい〜!」
嬉しさを表すように膝にすりすりする柢王に、徳利を手にした桂花はあきれ顔で肩をすくめる。
「あなたが気分がいいのは、飲んでいるからですよ。…まったく、あんなことして少しは反省しているかと思えば、突然、花街に行こう、ですからね。何かと思えば吾にこんな格好をさせるのが目的だとは…柢王、酒がこぼれますよ」
細い指が柢王の持っていた杯をとめる。
何気ない、そのしぐさまでが色っぽい。柢王はその指を掴むと唇を寄せた。ごろごろと桂花の膝に懐いている柢王に、座敷に居並ぶ美女たちはおかしそうに微笑んでいる。
先日、柢王はおかしな夢を見た。花街のなじみの店で着飾った桂花が、潜入捜査でなぜか柢王の義兄、輝王の座敷に出る、という悪夢である。
夢の中で座敷に向かう桂花を引き止めるつもりで抱きすくめた相手は、酔った自分の側の止まり木に寝ていた冰玉で、危うく圧死しかけた鳥と、桂花に顰蹙を買った夢だった。
話を聞いた桂花は、ありえるはずもない夢にうろたえまくった柢王に「ばっかじゃないですか」と冷たいコメントを放ち、冰玉の命を危険にさらしたことでしばらく機嫌が悪かった。
それは致し方ないことであり、柢王にも実にいやな夢だったが、そのとき、楼の女のいでたちであでやかに着飾った桂花は本当に色っぽくて、柢王はぜひともその姿を現実に堪能したくて仕方がなかったのだった。
反省の色なしと叱られても、甘え上手の末っ子。
折りよい頃に、桂花を花街に誘い、ちゃんと用意してあった衣装や宝石を身にまとうように口説き落とすのも慣れたもの。
大体、桂花にしても美しいことを誉められるのは嫌いではないのだ。なんで吾がそんなことをと、口では文句をいいながらも、着飾り、化粧を施されて現れたかれに、柢王はもちろん、楼の美しい女たちまで目を輝かせて誉めそやされると、かすかに微笑んで見せたのはかなり満足している証だと柢王は踏んでいる。
「なあ、これからはうちでもたまに着飾れよ。せっかく綺麗なんだからこれっきりなんて勿体ないって。俺が着合い入れて似合うもの探すから」
弄ぶ指に唇を寄せてそう囁く柢王に、
「こんな動きにくい格好では困ります。大体、あなたがこれ以上無駄遣いをするのはごめんですよ」
いいながらも、桂花の瞳は優しくて、柢王の髪を梳くように撫でてくる。柢王はそれにうっとりと目
を閉じた。
(あー、幸せ。なんか夢みてぇ)
美しい恋人を、美しく着飾らせてその膝でまどろむ。周囲にいるのも美女。奏でられている音曲は優
しく、うまい酒の酔いも心地よい。
陶然と幸せに浸っているところに、
「柢王様、ご機嫌はいかがでございますか」
座敷の戸が開き、女将が顔を出した。膝をついてそう尋ねるのに、柢王は桂花の腰を抱きしめたまま、
「すっげぇいい。もう最高〜」
答える。女将もそのさまに微笑んで、
「それはようございました。今夜の桂花様は特別におきれいですものね。せっかくご満足のところをなんですけれど」
いいかける言葉に、柢王は、え、と目を開く。座敷の明かりがふいに一段落ち、美女たちがいっせいに二手に分かれて道を作っていた。
「なんだよ、何が…」
桂花の膝から頭を起こすと、女将の声がなぜだか部屋の四方八方から響いて来た。
「せっかくですけれど、桂花様にはご指名のお座敷がございまして」
「なんだと」
柢王はがばっと身を起こした。部屋の明かりがまた暗くなる。頭の中が一瞬、くらりとして不吉な予感が漂う。
微笑んでいる女将の顔も美女たちの顔も、なぜだかにんまりほくそえむようで、
「なんだよ、指名って。桂花は俺の…」
「仕事です、柢王」
ふいに背後から桂花の冷静な声がする。振り向いた柢王に、悩殺するような笑みを一撃。
「行かなくては」
「ちょっと待て!」
立ち上がろうとする桂花に、柢王はあわててしがみついた。動悸がした。嫌ぁな予感が炸裂して訴える声も震えた。
「なんだよ、仕事って。え、これってまさか本当に潜入捜査? そんなわけないだろっ。だって今日は俺が…」
「柢王、わがまま言わないで放してください。大事なお客様ですから」
「なに言ってんだ、おまえにとって一番大事なのは俺だろっ。客って、なんでおまえが店で客なんか…まさか、まさか本当におまえ、輝王の座敷にっ」
この前見た夢の嫌な記憶が鮮明に蘇る。だが、あれは夢だ。そんな馬鹿なこと
「何を言っているんですか、柢王。吾が輝王の座敷になんか出るはずがありません」
ほっ。やっぱりそうだ。柢王は安堵して、
「止せよ、桂花、みんなも悪ふざけが過ぎるぜ。そうやってみんなで俺のことを担ぐ気だろ。生憎だけど俺はそこまで…」
「輝王様ではございませんわ」
笑いかけた柢王の声を遮るように、女将の声が部屋の壁から響き渡る。ぎょっとした柢王に、女将と、桂花と、美女たちまでが声をそろえていっせいに唱えた。
「今夜の相手はあちらの方です!」
それと同時に座敷を遮る格子の引き戸が次々と音を立てて開かれる。スパパパパーン、と見開かれていく視界の先に、いきなりまぶしいばかりの豪華な座敷が現れて。
居並ぶ美女たちの酌を片手に、こちらに杯見せて、
「おまえごときの出る幕か」
といいたげな、あの勝ち誇った笑みで構えているあの男は……。
「し…翔王…」
柢王の顔色が鉛のように青ざめる。
次の瞬間、魂の底からの叫びが楼の屋根まで響き渡った。
「マジでありえねえぇぇぇぇぇっー!!」
ぴっぎぃぃぃぃぃぃぃぃっ
その後、しばらく東領最年少の元帥、第三王子の寝床は、屋根の上に決まったとか。
夢を司る(最上階の)神の言葉。
『だって、おまえ、輝王だけはやめてくれって言っただろう?』
口は災いの元と言うことわざは、こうして生まれた……と、いう噂である。