空蝉恋歌〜花暦〜
長引いた火事で足の打撲と手の甲に軽い火傷を負ったアシュレイは、ティアや柢王の薦めで小石川薬園へ向かっていた。
養生所が完成するのはまだ先の事だったが、既にそこには名医がいるからと言われからだ。
フラフラだったアシュレイはサッサと家に帰り寝ようと思っていたのに、足を軽く引くようすに気づいたティアが騒ぎ、泣きついてきたのだ。
「そこの幸橋で待ってて! すぐに駕籠の手配をするから! 小石川につくまで休めるし、ね!?」
「小石川〜? そんな所まで冗談じゃねぇ、俺は帰って寝る!」
「ダメ! お願いだよアシュレイ・・・・・」
短気なアシュレイだったが、半泣きで頼み込んでくるティアには強く出られず結局駕籠の中に収まる羽目となったわけだ。
「・・・・大袈裟なんだよ、この程度のケガで」
乗りなれない駕籠に揺られ寝るに寝られず、アシュレイはどこかくすぐったい気持ちを持て余していた。
虎ノ門を過ぎてしばらくは、普段と違う目線が楽しくて筵の隙間から外の様子を見ていたが、すぐにそれにも飽きてあくびを一つ漏らした。
伸びをすることもできず、決して乗り心地が良いとは言えない駕籠の中、アシュレイは打撲した足を見てみる。
「・・・・・うわ、けっこう腫れてんな」
熱をもち、鈍痛を感じていた足は思っていたより赤く腫れている。
「〜〜〜見なきゃ良かった」
思わずもれた彼らしからぬ弱気な発言は、駕籠の筵に吸われて消えた。
「―――――さん、兄さん、ありゃ〜寝ちまってんのかなぁ?」
上下振動にようやく体がなれてきたアシュレイは、いつの間にかうたた寝をしていたようだ。何度か呼ばれたところで気がついて目を覚ます。
「起きた。なんだ?」
「ああ、起こしちまってすまないです。なにね、この先で大八車が荷崩れを起こしてましてね、別の道を行こうかと」
「かまわない――――そんな事より重いのに遠くまで悪いな」
「いやぁ、兄さんは軽い軽い」
客に気を使わせないために言ってくれたであろう言葉は、アシュレイの自尊心を傷つけた。
柢王やナセルのように一人前の男らしくありたいと思うのに、この外見はまだまだ幼さが残る少年体形なのだ。
『風に吹かれて纏ごと飛んでいくなよ』と、頭取にまでからかわれてしまう自分が情けない。
「飯だっていっぱい食ってんのに」
せめてこの腫れた足くらいの太さになりたいと切に願うアシュレイだった。
「どうしました? 病人ですか」
駕籠が到着すると御薬苑内を歩いていた者に声をかけてきた。
その声に聞き覚えがあったアシュレイが駕篭の筵をめくりあげた顔を出す。
「名医ってまさかお前の事じゃねーよな、ヤブ医者」
「・・・・・・どこから連れてきたんです? この小猿」
「何だとっ! 大体お前が何でこんな所にいるんだっ!」
向かってきたアシュレイの足に気づいた男は、ヒョイとその細い体を肩に担ぐと駕籠かきに目礼して奥へと入っていく。ところが姿が見えなくなってもアシュレイの怒号が届いてきたので、駕籠かき達は目を合わせて笑ってしまった。
少し坂になった細い道を抜けると、辺り一面にれんげ草が群れ咲いていて、そこにアシュレイはぶざまに転がされた。
「てめぇっ! 殺されたいかっ!」
ぴょんと跳ね起きた途端目の中に丸い小さなものが弾けて、アシュレイはふらりとしゃがみ込んでしまう。
「貧血だな、しばらく横になっていた方がいい。火事が長引いていたからな」
「違うっ! てめぇが担いだりするからだっ」
プイと顔をそむけてしまったアシュレイの横に腰を下ろすと、男は無言のままれんげ草の葉を摘みはじめた。
言われたとおり従うのは癪だったが頭を起こしていられず、あお向けに転がってみる。
空には白い雲が浮かび、自分の周りには小さな紅紫色のれんげ草がゆれていた。
次第にアシュレイは心地良い気分になってくる。
「紫雲英(ゲンゲ/れんげ草のこと)の中にいると自然の力が自分に染み込んでくるのがわかるだろう。この花は人に良い気を分けてくれる」
「・・・・・ただの雑草だろ? こんなにスペースとって勿体なくないか?」
「いや、これは緑肥として使用する為にわざわざ栽培しているものだ・・・・・・・それにしても、相変わらず失礼な口だな。人前でヤブなどと呼ぶな、吾には桂花という名がある」
桂花は小烈を取り出し、その中に摘んだ葉を入れて揉みはじめた。
この医者と初めて会ったのは自分が高熱を出した時。
「鬼の霍乱」と近所が大騒ぎになる中、グラインダースに連れられやって来たのだ。
幸い桂花の持ち薬で事は足り、次の日にはアシュレイの熱もすっかり下がった為、彼はアシュレイ家族やその近所の者から絶大なる信頼を得たのである。
熱は下がったものの頭が霞みがかっていたアシュレイは、隣室にいる姉達の楽しそうな話し声を聞くともなしに聞いていた。
姉は手荒れの相談を桂花にもちかけているようだ。
「そうですね、家事をしているのだから手荒れは否めませんね。木立蘆薈や糸瓜水などは肌に良いですから、お試しになってみては?」
「お試しって・・・どうやればよいのか教えてくださらないと」
「ああ、それでは今度紙に書いてきましょう。ただ糸瓜水は夏にならないと採れませんが・・・・・・そうだ、手を美しく見せる良いことを教えましょうか。これも夏の花なので今すぐにはお試しいただけませんが、鳳仙花という花をご存知でしょう?あの花は別名、爪紅と言います。その名のとおり、鳳仙花の花の汁とカタバミの葉の汁を混ぜて爪にぬると、ほんのり桃色に染まるのです。あなたのように指が長く美しい手の形をされている方はより一層美し―――――」
「てめぇっ!」
バシッと勢いよく襖をあけ、大人しく寝ていたはずのアシュレイが踊り出てきた。
「アシュレイ!?寝てなくちゃダメよ」
グラインダースが体を支えるが、その手を振り払い桂花に掴みかかる。
「やい! このヤブ! うちの姉上をたぶらかすんじゃねぇっ!」
「・・・・は?」
「とぼけんな! 何がほんのり桃色だ、この野郎っ!」
「・・・・・やれやれ、め組の纏持ちは姉離れができていないと見える―――――これだけ元気があるなら心配はあるまい、吾はこれにて失礼します」
待ちやがれ――――っっ! と絶叫するアシュレイは姉と下女中とにおさえられ屈辱を受けたまま桂花を逃してしまったのであった。
その後、会うたびヤブ医者呼ばわりしていたアシュレイだったが、桂花は本気にしてはいない。アシュレイの知人が怪我をしたり、病気にかかったりする度、彼は何だかんだ言いながらその患者を自分のところへ連れてくるからだ。
素直じゃないアシュレイが可笑しくて、ついからかってしまうところが桂花の悪い癖である。
「それ、なんだ?」
さっきから桂花が揉んでいる小烈が気になっていたアシュレイは、その手元を覗き込んだ。
「軽いヤケドには紫雲英の生の葉をしぼって、その汁を患部につけると良い」
小烈の中身が自分のためのものだと知り、アシュレイはバツが悪くなってしまう。
「打ち身の方もすぐ診てやるからな」
桂花は会うたび自分に悪態をつかれてもこうして診てくれる。それは医者だから自然とできることなのだろうか? 自分だったらそのままケンカになり、絶対診てやらないと思う。
「・・・・なぁ、お前サ、医者って仕事、自分に向いてると思うか?」
「何を突然。向いていなければこう長く続けられないし、新しい知識を取り入れようという向上心もわかない」
「つまり自分では向いてると思ってんだな?」
「自分では? ―――――――私が医者向きではないと言いたいのか」
急に低くなった桂花の声にアシュレイは慌てた。
「そうじゃねーよ! お、お前とか柢王とかナセルとか、俺の周りにいる奴はみんな自分にすごくあってる仕事をしてると思う。そう考えると・・・俺・・・俺は、鳶やって町火消しもやってるけど・・・向いてると思うか?」
このアシュレイが柢王達を助ける為に火事場で纏を放ったことは既に聞いている。
あの時は落ちこんでいるアシュレイのことを柢王もかなり心配していた。
もうすっかり立ち直ったとばかり思っていたが、まだ引きずっているのだろうか?
桂花は小烈を巾着のようにかるく絞り、アシュレイの手の甲にそっと当てながら口を開いた。
「お前はこの花をただの雑草だと言っていたな。しかしさっき言ったとおりこの花には意外な活用法がある。人もそれと同じではないか? 己のできる範囲の役割というものがある。皆が同じ仕事を担っているわけではないだろう。各々の持つ能力を生かせる職につけた者こそが花開く。お前の仕事はまさにお前のためにあるようなものだろう? 短気でケンカッ早くて負けず嫌いの怖いものなし。そんなお前は火消しが適任。天職さ」
「・・・・・そうかな」
「他に何ができるというんだ、この小猿は」
こつんと頭を小突かれて、アシュレイは照れかくしに毒を吐く。
「医者なんかオレサマにだってすぐなれるんだよっ」
「なんだと?」
桂花は笑いながら小烈をそのままアシュレイの甲に少しきつく巻きつけた。
「イテェッ!」
「なに、このくらいで泣き言か? め組の花形もたいした事はないな・・・・しばらく取らないでこうして塗布しておいで。さて、中に入って打ち身の方を診るとするか」
「こんなの大したことね―けどな」
「足を引いていたくせに強がるな――――打ち身は熱を呼ぶ事もあるからな」
そう言って手を伸ばしアシュレイの額の熱を測る。
「――――前の時は山梔子を用いたが・・・・打ち身による解熱・・・・ウドの根がいいか、それとも・・・まぁ、効かなかった時は色々試してみるとしよう」
「なにぃっ? 何言ってんだっ! このヤブッ! 一発でビシッと決めやがれっ!」
キーキー喚くアシュレイに、桂花はしゃがんで背を向けた。
負ぶされというのだ。
「・・・・・・・」
アシュレイは少しためらってから、その背中にしがみつく。
れんげの花が、さやさやと笑った。