空蝉恋歌〜長庚〜
あの火事の日からいまいち元気のないアシュレイ。
組の者から事情を耳にしていたティアだったが、アシュレイが落ち込んでいる原因が自分にもある為、彼からそれを打ち明けてくれることはまず無いだろうと考えている。
慰めてあげたいのに自分から切り出すことができないジレンマは、アシュレイへの貢物と姿を変え毎日のようにティアの足をアシュレイの許へと運ばせた。
「ティア、いい加減にしてくれよ」
アシュレイは桐の箱に入った根付を押し戻し、姉の煎れた熱い茶を流しこむ。
「熱くないの?」
「熱ち―に決まってるだろ」
「君って凄いね、私は猫舌だからとても無理だよ」
自分が何をしてもスゴイだとかステキだとかサスガだとか。
ほんの些細な事でも賞賛してくれるこの男をアシュレイは密かに気に入っていた。
「って、そうじゃない。ティア、俺は真面目に言ってんだ。もう高ぇもん持ってくんな」
「何故?」
「何故って・・・・ンなもん貰う謂われはないからだろっ」
「謂われ? そんな事。君は命の恩人だもの」
「もう充分色々もらった」
「じゃあ、君に似合うと思ったからだよ・・・・ダメ?」
「――――――――――そういう台詞は女相手に言え」
「まあ、君が要らないというのなら無理強いはできないな。気に入らなかったんだね、今度はちゃんと君が気に入ってくれそうな―――――」
「そーじゃないだろっ! 人の話聞いてんのかっ!」
「聞いてるよ。君の口から出てくる言葉は一言一句おろそかにしないよ」
真摯な瞳で手を握られ、アシュレイは自分が女なのではないかと錯覚してしまいそうになる。
「本当は櫛を贈りたかったんだ。君の髪、とても綺麗だから」
「なに言ってんだ、この髪はなぁっ! ・・・・・これは俺の・・・・・ガキの頃からの悩みの種なのに」
「悩みの種? こんなに素敵なのに?」
「・・・・・お前くらいだ、そんなこと言うの・・・・」
怪訝な顔でティアを見ると彼は更に体をよせてくる。
「日に当たるといっそう赤くて綺麗だよ・・・・不思議な髪だ」
「止せよ・・・この髪、赤鬼って言われてたんだぜ。綺麗なもんか」
唇を噛みしめて俯くアシュレイに、ティアは少しかがんで目線を合わせた。
「あのね、赤というのも高貴な色の一つなんだよ。平安の頃、庶民には着用が許されなかった色。君はその赤を生まれながらに持ってる。すごく価値があると思わない?」
「全然」
「赤とひとことで言ってもね、色んな赤があるんだよ。躑躅色、猩々緋、鴇色・・・・君の髪はどの赤も例えられない神秘の美しさだと私は思うよ」
「・・・・・・・・・慰めてくれてんのか」
「口説いてるんだけど?」
「そうか・・・・?? 口説くっ? ・・・・・・お、お前、男色趣味なのか・・・?」
「う〜ん、どうだろう? 女の人も可愛らしくて好きだけどね、アシュレイには敵わないよ」
江戸人口半数以上が男であり、女不足のこの町では男色に走る輩も少なくない。
陰間茶屋というそれ専門の所もある。その為、いくら初心なアシュレイでも天地がひっくり返るほど仰天するような事ではなかった。
ましてや姦しい女が苦手なところに持ってきて、相手がこんな美麗で優しく、どんな自分でも受け入れてくれる男なら・・・・・・・・。
「今はもう、どんなに素晴らしい・・・・君の姉君のような方を見ても、何も感じない。アシュレイ、私が夢中なのは君一人だよ」
「ちょ、ちょっと待て、待ってくれ! お前のこと、嫌いじゃない。でも今、ちょっと、色々あって、すぐには返事できないっ」
「もちろん待つよ。きちんと私とのことを考えてくれるんだね? 嬉しいよアシュレイ」
ぎゅうううぅと抱きしめられて胸が苦しくなったのは、その力の強さのせいだけではなかった気がした。
古びた本の表紙を用心深く拭きながら、ナセルはその人を待っていた。
危うく死にそこなった数年前の大火からこっち、毎日でも会いたいその人は、裏長屋に住む老人のためにこの貸し本屋を訪れる。
「年をとると本を読む事すら容易ではない」そうこぼした年寄りに、俺が朗読してやる! とその役を買って出たのである。
乱暴な口調のわりに、行動に労りがあることを知ったのは、あの火事で実際に彼に助けられたからだ。
本が焼けてしまう、と何度も外と炎に包まれた家とを往復した結果、焼けた柱が落ちてきて足がそれに捕まってしまった。動けず焼け死ぬのを待つばかりとなった自分を命がけで助けてくれた人、その人こそがアシュレイだった。
足が完治せず不自由なものとなってしまった時、アシュレイは自分以上に落ちこんでいたが、ナセルとしては己の行動が招いた結果であるし、そのせいでアシュレイや周りの火消したちの命を更に危険に晒してしまったことの方が申しわけなかった。
しばらく経ち、久しぶりに散歩に出た時アシュレイがナセルの足が綴る線に気づき立ち止まる。
「・・・・・・俺がもっと早く助けられれば良かったんだ」
「やめてください、全ては俺の責任です。危険と承知で火のついた家に入ってたんですから。足だって、失くなったわけじゃないんだ、充分ありがたく思ってます」
「ナセル・・・」
「まあ、俺の歩いた後はナメクジみたいな軌跡が残ってしまいますけどね」
戯けてみせたナセルにアシュレイは泣き笑いのような顔になってしまう。
「ナメクジ・・・いいじゃん。俺は奴らに少し憧れてんだ。自分が死ぬとき今までの人生を振り返ってみて・・・・・ナメクジが通った後みたいにキラキラしてたら最高だなって思う。」
「歌人になれそうですね、アシュレイさんは」
クスクスと笑いがこぼれて、互いに何だか泣きたくなってしまった優しいひとときをナセルは忘れられない。
「よう、ナセル」
「いらっしゃい」
日が傾く頃、ようやく姿を見せてくれたアシュレイにナセルの笑顔が迎える。
「この読本ありがとうな、でも読めない字があって参った。今度ヒマな時で構わないから書き出しといた字、なんて読むのか教えてくれよ」
「ええ、いいですよ。最近勉強熱心ですね」
話しながらナセルは、背伸びをしていたアシュレイの本を引き受け、棚に収める。
「そうそう、前に言っていたアシュレイさんの髪の件なのですが・・・・・・もしかしたらその髪はあなたのご先祖様に外つ国の方がいらっしゃったのではないかと。他のご家族は皆黒髪だという事ですし先祖返りのようなものではと・・・」
「外つ国の? ・・・・・・・・俺は生粋の江戸っ子じゃないのか?」
呆然と宙を見つめるアシュレイにナセルはどう続けたら良いか少しためらう。
「―――――私の推理であって・・・・そうと決まったわけではありませんよ」
「でも・・・」
「アシュレイさんは生粋の江戸っ子です。外見や血がどうという事ではない、ようは心意気でしょう? いつも貴方がそう仰っている。それに私はこの髪、とても好きです。美しくてこんな風に結ってしまうのが惜しいくらいだ」
そっと細いうなじに唇を寄せると、くすぐったそうに身じろぎしてアシュレイが頭を振った。
「バカ言うな・・・・お前まで」
―――――――――お前まで???
ナセルは一瞬で甘い気分が吹っ飛んでしまう。
「ほ、他にどなたがそのような事を?」
「ティア。お前も知ってんだろ? この前連れてきた」
ああ・・・・あの男。やけに身なりの良い綺麗な男を連れてアシュレイがやって来たときは身分違いもいい所だと気にもしなかったのに。
「この前の火事でサ・・・・そのティアと柢王を助けた時」
「ええ」
「俺・・・・纏を投げたんだ」
「纏を!?」
纏を掲げるという行為は―――――組のアピールはもちろん、火事場で纏持ちが立ち位置と決めたその家には『決して火を移さない! ここから先は燃やさない!』という火消し達の心意気を表しているのだ。
その代表として纏持ちは猛火の中ジリジリ焦がされながら立ちつくす。
時にはその危険な場所に長居しすぎて命を落とす者もいる。
そういった纏持ちの英雄的行為を目の当たりにして刺激を受け、他の火消したち全員が兄貴分(纏もち)を焼け死にさせない為にも総力を結集し作業に当たり、勇敢な仕事をこなせるのだ。
「五分(1.5cm)でも纏が動いたら人足の気がゆるむ。なのに俺はそれを投げて、剰さえ自分まで持ち場を離れたんだ」
「・・・・・・皆さんに責められたんですか?」
「違う・・・・・だから余計に俺は居たたまれないんだ」
ふうと溜息を漏らしてアシュレイは茣蓙の上に転がった。
きつく瞳を閉じて、ついでに耳も閉ざしているように見える。
「私の・・・・・話を聞いてもらえますか?」
「なんだ」
「その時の火事で、死人は出たのですか?」
「いや、怪我人だけだ」
「アシュレイさんがもし纏を投げ、自ら助けに行かなかったらお二人は亡くなっていたんですよね?」
「多分な」
「なら、何を後悔する必要があるんです? アシュレイさんは組の名誉と人命のどちらを尊重していらっしゃるのか。死にそうな人がいたら迷わず助ける。纏持ちの意地なんてその時は関係なかった、だからあなたは持ち場を離れたのでしょう?落ち込む必要なんてないはずです」
アシュレイはなんだか泣きたくなった。責められてるわけではないし、叱られているわけでもない。その逆で、励まそうとしてくれている。さっきティアにも髪のことで慰められたばかりだ。組の者もティアもナセルも、みんなが優しくて自分だけがそれについて行けてない気がする。
「纏がずれたとか、纏持ちが少し居なくなったとかぐらいで崩れるような組は始めからダメなんです。め組はそのくらいのことじゃ動じない。そうじゃありませんか?」
「・・・・うん」
「かといって纏持ちが不要と言ってるわけではありませんからね、決して」
「分かってる」
転がったまま腕をクロスして目元を隠すアシュレイは、口を一文字にしている。
不器用な泣き方をする彼に微笑んで、ナセルはそっとその場を離れた。
外はすっかり日が暮れて。
アシュレイの家では夕餉の支度を終えた姉が弟の帰りを待っているだろう。
「・・・・・帰したくないな」
叶えられそうにもない事を、思わず星に願ってしまいそうになるナセルであった。