囁声のない幻夢(ゆめ)・2(黄門漫遊記2)
直前まで守天と接していた子供は突然のことにショックを受け、ただ泣くばかりで話が尋ける状態ではなかった。突然倒れた守天を前に供の者達の気は急いたが、原因もわからないままではうかつに動かすことも出来ず、忍耐強く待って、子供がひとしきり泣いて少し落ち着いた頃を見計らい、やっとで守天が倒れたときの状況を知ることができた。
「数日前、遊んでいた最中に森の中で偶然光る石を見つけ、そっとハンカチに包んでお守りにしていた。じかに触ったことはない。はじめて見る黄門様があまりに綺麗で優しかったので、なにか贈り物をしたくて自分の大切な宝物の石をあげた。…と、こういうことでしょうか」
子供の話を尋き終えると、桂花はそのままでは要領を得ない子供のジグソーパズルのような話をかいつまんで時系列で説明した。
「なるほど、将来は男に貢ぐタイプだな」
「…そういう方をたくさんご存知のようですね」
絶対零度の微笑で柢王を黙らせると、
「話してくれてありがとう。大丈夫、黄門様はちょっと休んでるだけだから。すぐに目を覚ましますよ」
桂花は少しかがんで不安そうな子供の目をとらえてゆっくり話して聞かせる。子供が小さく頷くと、今度は仲間たちの方に向き直り、守天の指の隙間から覗く石を見ながら告げた。
「胎石だと思います」
「は?」
「胎石なんだ…」
「八殿はご存知のようですね」
「…塾で話してる子がいたから。眠り薬みたいなもんだって」
桂花はひとつ頷くと、続けた。
「…なんというか、キノコで笑い茸とか眠り茸とかありますが、石にもあるんですよ。笑い石とか眠り石とか。素手で握るだけで効果もそれほど強くなく短時間ですので、気分が滅入った場合や不眠のとき気休め程度に用いる薬師もいるようです」
「ようです、…てのは?」
微妙な言葉尻をとらえた柢王は、すぐに疑問を口にした。
「吾はそんな不確かなものは使いませんから。噂で小耳に」
いかにもな返答に、目で続きを促す。
「その名のとおり、母親の胎内にいるときのように安らかな眠りを与えてくれる石だと聞いています」
「じゃあ、ただ寝てるだけか?」
「たぶん」
「たぶんてなんだ、たぶんて!!」
「飛猿。心配なのは分かるが、落ち着いてお銀の話を聞くんだ」
たまらず食ってかかろうとしたアシュレイを山凍が腕ずくで引きとめ、続けて、と再び桂花を促す。
「…守天殿は、なんというか症状が少し違うんですよ」
「違うって…どういうことだ、そりゃ」
「おいで…。そう、この石を持って」
桂花は守天の傍らに落ちていた白い布を拾うと、それで守天の手の中からそっと石を抜き取り、心配そうにこちらを見ている子供の手に持たせた。
−−−−−−かくん。
「ほらね。普通は、こんな感じで寝てても笑ってるんですよ」
「確かに笑ってる…な」
「とても幸せな感じがするでしょう? …吾にはわからない感覚ですが、母親の胎内というのはよほど気持ちがいいらしい…」
「そうだよなぁ…俺もおまえン中が一番気持…ッテーーーーーッッッ!!」
「守天様は…なにがそんなに苦しいんでしょう…」
絶叫に驚く教師や子供達をよそに、おもろい夫婦の痴話ゲンカは、緊急時につき、仲間によって華麗にスルーされていた。
そしてそんな山凍の呟きに、アシュレイの真っ赤な眸は自然と潤んでくる。
男は泣くもんじゃないと思うのに、ティアのそんな顔を見るのはつらくてたまらない。
「おいおい、なんてツラしてんだー?」
伏せた顔を柢王が覗きこんでくる。
「…なっ、…いつもの俺だ!!変わりない!!」
「変わりない、ねぇ…」
「…なんだよっ!」
いつもそんなうるうる目だったら、今頃ティアの結界ん中で飼い殺しだって…。
そう思ったが、あえて突っ込まない柢王だった。
そこに突然、山凍の詰問の声が響く。
それまでおとなしくしていたカルミアが、守天の隣で眠っている子供の掌を無理やりこじ開けようとしていたのだ。
「ぼぼぼくも、ティア兄様と同じとこに行きます!!」
「行きます!!ったって、どうやって」
「手を繋いで同じ石を握れば、同じ夢に行けるって…!」
「…噂ですが」
カルミアの声に続く桂花の言葉を誰も聞いてはいなかった。
「飛猿!!」
止める間もなくティアの手を取ったアシュレイが、カルミアを押しのけ眠りこけてる子供の手から石を奪うと、…その場にぱったりと倒れこんだ。
「あいつ、戻り方知らねぇよな…?」
「たぶん」
「こら、駄目だ、八!」
「だってだって、僕だって行きたいっっ…」
アシュレイに先を越されたカルミアが、諦めきれず自分も守天の夢の中に入ろうとアシュレイの手から石を取り出そうとして山凍に阻まれる。
「僕が先に行くって言ったのにーーーっっ…」
泣き出したカルミアの子守りを勝手に山凍に委ねることにした柢王は、桂花の腕を取り自分に引き寄せると桂花に耳打ちで尋く。
「ところで、今度のコレ、魔族とは関係ねーのか?」
虜石のことを思い出して言ってるのだと桂花にも分かった。
「違いますね。さっきも言いましたが、毒キノコの石バージョンですよ」
「毒!? おまえさっきそんなこと一言もっ」
「毒は薬にもなりますよ? 使い方次第です」
「…つっても、あやしすぎだろ」
「あの石、光りの加減で微妙に色がついて見えますが、透明でキラキラしててとても綺麗だったでしょう? 水晶に属するんだと思います。水晶には魔を祓う力や不思議な力がありますからね。サルの魔族レーダーも、石の力に反応したんじゃないですか? 胎石の場合、力が少し強いのかもしれませんが、たいていは使う人間の心を映して安らぎを与えてくれるだけのもののはずです。…今回は守天殿の力が胎石の力を増幅させてしまったのかもしれませんね」
…憶測ですが、と付け加えた桂花に、柢王は静かに頷いた。
ふたりとも守天の夢の中を見たわけでもなく、胎石を使ったこともない。
全ては、憶測にすぎないのだ。
「もしかしたら…」
桂花は遠く視線をめぐらすと、ぽつりとつぶやいた。
「このあたりには、こんな石がまだ他にもあるのかもしれませんね…」
「ティア! ティアーーーっ!!」
ちっくしょう…! 手を繋いで眠ったはずなのに、なんでそばにいねぇんだ!!
此処に来てからずっと、アシュレイはただティアの名を呼びさまよい続けていた。
守天の夢の中は、濃い霧に包まれていて、手を伸ばした先すら見えない。
しかも生身ではないはずなのに、なんだか肌寒さを感じる。
「…ティアーーーっ!!」
くっそー、一体どこにいるんだっ。
絶対見つけてやるからなっ、こんなとこにおまえを置いとくもんかっ!
…気がつけば、濃い霧の中に立っていた。
いつから此処にいるのか。此処はどこなのか。
足を着いて立っているから上下の感覚はあるものの、そこはなにもないところだった。
ふ…と、なにか聴こえた気がして、守天は周りを見回す。
しかし周りにはなにもなく、誰もいない。
けれど、耳を澄ますとかすかになにか聴こえてくる。
やはり誰かがいるのだ。
「誰かいるの?」
優しく問えば、聴こえてきた『なにか』は少し大きくなり、子供の泣き声だと分かる。
分かった途端、ほんの少し霧が晴れてうっすらと前方にうずくまって泣いてる子供の姿が見えてきた。近寄り、そっと声をかけてみる。
「どうしたの? ほら…泣かないで」
――― ・・・・・・・・・・。
「…え?」
――― だれもいない。
「私がいるよ。さあ」
――― だれもいない。
「私がいるから。おいで」
――― どうしてだれもいないの?
「…どうして、って…ここにいるよ?」
噛み合わない会話に守天が疑問を感じ始めたとき、
「見つけたっ、ティア!」
突然真っ赤な色が目に飛び込んできて抱きしめられた。
「アシュレイっ…! どうしたの?君。今どこから来たの? …ここがどこだか分かる?」
「いや…俺にもよくわかんねえ…けど、なんていうか、おまえの夢の中だ、たぶん」
「たぶん? 夢…?」
「夢…ってゆーより、おまえの眠りの中か…?」
「?」
「ああもう、俺だってわかんねえよ! …とにかく、帰ろう」
そう言うと、アシュレイは抱きしめていた腕の拘束を解く。
「帰る?」
「そうだ、帰るんだ」
「…どうして?」
「どうしてって…」
守天の問いに違和感を感じたアシュレイは、尋き返そうとして奇妙なことに気がついた。
「かわいそうだよ、ひとりにしちゃ…」
守天の目が、自分を通り越してなにかを見ている。
「ほら。誰もいないって、ずっと泣いてるんだよ、あの子」
なに言ってんだ、と思ったが、守天の視線の先を見た瞬間、アシュレイはぞっとした。
「さびしそうで、すごくかわいそうなんだ」
そこだけ奇妙に霧が晴れ、無限の闇がぽっかり口を開いている。
「ね、泣いてるだろう?」
「…俺にはなにも見えないし、聴こえない。…帰ろう、ティア」
「うそ。ほら、そこだよ。帰るんなら一緒に連れて帰ってあげようよ」
そんなことできるはずもない、いないものをどうやって連れ帰るというのか。
そこには誰もいないのだ。誰も…。
「ティア…」
守天と同じ場所を見ながら、アシュレイはふと気になったことを問うてみる。
「それって、どんな子供なんだ? 知ってる奴か?」
「顔は見えないけど、肩につくくらいの金髪で、まだ小さいよ。白い更衣で…そうだ、文殊塾に入る前、私もあんな更衣を着てた。懐かしいなぁ」
ティアの眠りの中で、ティアにしか見えない子供…。
「ああ…まだ泣いてる」
「わかった。わかったから、帰ろう。みんな待ってる」
でも…、と渋る声に、アシュレイはゆっくり事実だけを伝える。
「ティア。さっき言ったよな。ここはおまえの眠りの中だって。だから、おまえ以外のものはいないんだ」
「君は…?」
「俺は、無理やり入り込んだ。ここはおまえの、おまえだけの世界だ」
守天はアシュレイの言葉を聞きながら、目の前で泣いている子供を見つめていた。
アシュレイの言うことはなんとなくわかる。わかるけれど、決断できないのだ。
「ティア…!」
焦れたアシュレイは守天の名を呼ぶと、その目線をとらえ尚も言い継ぐ。
「ティア、頼む。俺と、帰ろう」
「…………うん」
真摯に訴える眸に、とうとう守天は承知した。
「でも、帰るって、どうやって?」
「たぶん…おまえが願えば帰れる」
一緒に帰るんだ、と守天の手を取れば、その指先はやっぱり冷たい。
そうして、「連れていってあげられなくて、ごめんね」とアシュレイには見えない子供に向かって告げた守天は、そのままの視線でアシュレイの名を呼び「…ごめんね」と囁いた。
アシュレイは繋いだ手に力を込めると、その手を強く見つめて目覚めを待った。