投稿(妄想)小説の部屋 Vol.3
天界南領。
周囲の緩やかな山並みが一望できる、小高い山の頂上に背の高い木が1本生えている。そのてっぺん辺りの枝の上で煩悶している王子が1人。
途絶えていた幼なじみとの交流が2年ぶりに戻り、尚且つ告白までされた。
アシュレイは、まだその事実に許容範囲がついていかず、頭の中がフワフワしている。突然、「好き」なんて言われても・・・。あの時アシュレイも似たようなことを言ったのだが、そんな事実はとうに何万光年も彼方に蹴り飛ばされていた。
文殊塾からの付き合いで、親友だと思っていた相手のことを突然「恋人」として考えるのはアシュレイには無理があったし、それ以前に「恋人」というのをどういう風に扱っていいのかも分からない。
柢王や桂花がしているみたいにしろってことか?
公衆の面前でいちゃいちゃベタベタ。挙句に天界や人間界の重大な決定が下される厳粛な場である執務室の中でさえも、あ、あんな、は、破廉恥な・・・。
紺青の空と濃い緑が広がるのどかな風景に不似合いな光景が一瞬頭をよぎり、アシュレイは赤い頭をブンブンと振った。あいつらなら空が青かろうが赤かろうがお構いなしだが、自分にはそんなふしだらで恥知らずな行為は断じてできない(その厳粛な場で守天はふしだらで恥知らずな妄想に頭をフル回転させている)。
アシュレイは頭上にポカリと浮かんだ雲を見上げた。昔みたいに何も考えずにティアに会いに行きたいと思った。ティアのことは好きだし、大切だ。自分が強くある理由そのものでさえある。でも、だからってそれがティアの言う「好き」とは、どうしても結びつかなかった。昔はどうやってティアに会いに行っていたのだろう。
「あーっ!チクショウ!!」
一声叫んでアシュレイは枝からフワリと飛び上がった。天界中を飛び回ればこのモヤモヤも風と一緒に吹っ飛んでくれるかもしれない。眼下には青々とした山が連なっている。アシュレイは大きく息を吸い込むと山脈に沿ってトップスピードで飛び始めた。
山に沿って飛んでいる内にいつの間にか南領を抜けて東領に入っていた。広い平野に市街地、そして河を挟んで花街が広がっている。飛んでいる内に空腹を感じ始めていたアシュレイはそのまま花街を目指し、空を見回る兵士の目を盗んで上空から入った。
アシュレイは人目がない裏通りに降り立つと同時に髪の色を変え、頭のツノを隠すだけの簡単な変化をした。そのまま大通りに出て行き、ブラブラと歩く。花街は昼間でも買い物客や食事目当ての人達で賑わっていた。丁度昼時で、あちこちから食欲をそそる匂いや、元気の良い呼び込みの声で何だか気分が浮き立ってくる。やっぱり飛び回って正解だった。問題は解決の兆しも見えないが、そのことはひとまず置いといて目の前の空腹から片付けよう。
東領は温暖な気候にも恵まれているので農作物も豊富だ。加えて流通の要である花街は他国から大量の輸入品が入る。四国の色々な食べ物が味わえるという、アシュレイにとって幸せな場所だった。
「さーて、何から食べようかな」
アシュレイは張り切って腕をぐるぐる回した。気分はすっかり晴れやかだ。アシュレイは店に入って食べるより屋台での買い食いの方が好きなので目は自然と大通りの両側にずらりと並ぶ屋台へと向けられる。どこの屋台も買い求める客や物色している客で一杯だった。焼き菓子の甘い匂いもするが、それは後に取っておこう。今は香ばしい匂いに惹かれる。と思っているとすれ違った人が上手そうに頬張っている揚げ物に目を奪われた。その揚げ物が売られている屋台の場所はすぐにアシュレイの動物並の嗅覚が教えてくれた。屋台の前にはすでに行列が作られていて店主は材料を油の中に放り込んだり、勘定をしたりで、汗だくになって対応に追われている。腹の虫も急かしている、ここからスタートしようということで、アシュレイも行列に加わった。並んでいる間にも通り過ぎる人々が手に持っている食べ物を観察して、「次」のことに忙しく頭が働いている。考えることは苦手なのにこういうことはちっとも苦にならない。楽しく頭を悩ませているとアシュレイの順番が来た。
「いらっしゃい」
と熱気で真っ赤な顔をした店主が愛想よく声を掛けた。そして揚げたばかりの鳥肉を手早く紙に包んでアシュレイに手渡した。鳥肉はまだ紙の中でジュージューと音を立て、火傷しそうなほどの熱を伝える。アシュレイが嬉々として受け取り、金を払うと店主は皮袋にそれをしまいながら自慢げに言った。
「毎度。うちの揚げ物は他のとは一味違うよ。東国のいい鳥を使っているんだから。衣だって、ほら、きらきら金色だろ?」
金色?
「ど、どうかしたかい?」
突然、この若い客の周囲の空気がピキーンと凍ったのである。しかも据わった紅い目が、たった今自分が手渡した自慢の鳥の揚げ物にジーっと注がれている。店主は咄嗟に揚げ物鍋から遠ざかった。油で満たされた鍋が噴火する気がしたからだ、なぜか。良い勘である。商売人として重要な素質と言えよう。緊張感は順番待ちをしている他の客にも伝わって、俄かに揚げ物屋の周囲だけがただならぬ空気に包まれた。
しかし、若い客は揚げ物を握り締め、無言で踵を返した。
な、なんだったんだ。
後に残された店主と後ろに並んでいた客達は、皆で思わず揚げ物鍋の中を覗きこんだ。
なんだったんだ。
アシュレイは大通りをズンズン歩きながら先ほどのことを考えていた。確かに揚げ物を買って幸せの絶頂だった。それなのに、なぜ山の上にいた時の気分に逆戻りしちまうんだ。せっかくの食欲も落ちちまうじゃねーか。と言いつつ揚げ物はとうに腹の中に納まっている。金色が何だっていうんだ。こんなんじゃ、気分も収まらなねぇ。アシュレイは睨むように辺りを見渡した。特に探さなくても魅力的な屋台ばかりだ。こうなったら全屋台を制覇してやる。その眼差しはある意味、魔族との戦いより真剣だった。 今度は甘い匂いのする焼き菓子の屋台へと足が向いた。タイミング的には少し早いが、その誘いに乗るのも悪くない。その屋台では南領で開発された火力は抜群と評判の簡易オーブンが使われており、鉄の箱の中では赤々と燃えた火がころんとした鈴の形も愛らしいパンケーキをこんがりと色づかせている。アシュレイは早速パンケーキを買い、山と盛られた袋を受け取った。2、3個を一気に頬張ると、口いっぱいに広がる優しい甘さに頬も一緒に溶けるように緩んだ。南領のオーブンと東領の小麦粉でできたパンケーキは最高だ。
近くでアシュレイと同じ袋を持った若い女性達も嬉しそうにパンケーキを頬張っている。
「おいしーい」
「ね、言ったでしょ。ここのパンケーキは最高なのよ」
「クセになっちゃうわよね。中はフワフワだし」
「外はこんがりしてて。見て、本当に金色に見えない?」
「そういえば前、お祭りを見にいらした守天様をお見かけしたの。お輿の中からお顔がちらっと見えただけなんだけど、とってもおきれいだったわ。髪も金髪だったんだけど、存在そのものが金色って感じで」
「えー、私も見たかったー」
うっとり夢見心地の女性達は、その時背中に不穏な気配を感じた。はっと振り返るとそこには異様な光景があった。若い男がパンケーキを口一杯に頬張ったまま据わった紅い目でこちらをじとーっと見ているのだ。なぜか黒焦げになりそうな、かつて感じたことのない恐怖にかられ、女性達はぎゅっとパンケーキの袋を胸に抱えて後ずさると、一目散に駆け出していった。
アシュレイは整備された通りを踏み抜きそうな勢いで歩いていた。「金色」というワードでティアはこんなところにまでまとわりついてきやがった。恐るべし守護守天の力である。揚げ物やパンケーキにまでその効力は及ぶのだ。なるほど、御印の力は世界にあまねく影響するわけである。しかし、この力に飲み込まれるわけにはいかないのである。そうでなければこの先何も食べられなくなりそうだ。ちなみにパンケーキは全てアシュレイの胃の中へ落ちている。好き嫌いはあっても食べ物を粗末にすることはない。例えそれが自分を苦しめる根源であろうと放り出すことをしないのがアシュレイの良いところである。
何かないか、何か。
アシュレイは血走った目で次々と屋台を覗いていった。これだけ屋台が出ているのである。金色じゃないものはきっとある。ティアの力が及んでいないものが(ティアを何だと思っているのか。ほとんどノイローゼである)。
…が。
「香ばしいとうもろこしがあるよー」
「摘み立ての黄金茶、是非飲んでいってよ」
「名物のシュークリームをご賞味していって下さい。中のカスタードまでほら、金色でしょ」
「金粉入りの饅頭はいかが?」
金色、金色、金色、金色・・・・。
おぉ、世界は何と金色に満ち溢れていることか。
「だーーーーーっ!!!」
・・・という詩的な感慨に浸る余裕はなさそうである。
アシュレイは大聖城の自室で頭から布団を被って寝ている。どこをどうやって帰ってこられたのか我ながら不思議だが、空腹とこの気分を紛らわすのは今のところ寝るしかないと思ったのだ。いつもは城にいない王子が何も食べずに部屋に篭って寝ているので、周りの乳母や使い女達は心配で顔を見合わせている。使い女から聞いたのだろう、姉も見舞いにやってきた。手には大きなバスケットが提げられている。人払いはしてあるのだが、姉のことは邪険にできないのでアシュレイはもそもそと顔を出した。
「珍しいわね。鬼の霍乱ってやつかしら」
「・・・」
理由なんて言えたものではないのでアシュレイはただむっつり黙っていた。
「具合が悪くてもやっぱり食べないとだめよ。まぁ、それは心配ないかもしれないけど」
そう言いながらグラインダーズはバスケットをベッドサイドのテーブルの上に置いた。
「一応消化にいい物の方がいいと思って。果物とか。色々持ってきたのよ」
グラインダーズはバスケットの中身を次々と取り出してみせた。
「りんごとか、オレンジとか。あと葡萄でしょ・・・。あ、具合が悪い時はこれがいいのよ、あんたも好きでしょ」
と姉が取り出したのは
「ほら、バナナ」
「いらねぇっ」
再び頭から布団を被ってしまった弟を尻目に、姉はベッドサイドに腰掛けて、「何よ、変な子ねぇ。やっぱり病気かしら」と呟きながら自国で収穫されたばかりのつやつや金色をしたバナナの皮を剥いてパクパク食べ始めた。
バナナ。
この言葉で金色の麗しい幼なじみを連想したのか、それとも常日頃から自分のことを「サル」と呼ぶ犬猿の仲である白い麗人を連想したのか。
答えはアシュレイしか知らない。
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