投稿(妄想)小説の部屋 Vol.3
それから一週間、グラインダーズは文殊塾を休んだ。
・・・初潮が来たのだ。
「・・・―――――― 」
開口部という開口部をすべて厚地の布で覆った部屋はうす暗く、蒸すように暑かった。
その暗い部屋の壁際に置かれた籐の寝台の上で、グラインダーズは頭から掛け布をかぶ
ってうつぶせになっている。掛け布の下で目を見開き息をひそめているその姿は、暗がり
に潜む獣のようだった。
・・・・・事実、彼女は今、手負いの獣のように怒り狂っていた。
しかし怒り狂うと言っても、大声を上げたり、大暴れをするわけではない。乳母達にと
っては、いっそその方が楽だったろう。彼女は今にも弾けそうなピリピリとした激しい怒
りを周囲に発散させながら、ほとんど語らず能面のような表情で、人の手を静かに、だが
激しく拒んだのだ。
・・・グラインダーズに初潮が訪れた事はたちまちのうちに天界に広まった。
これまでは、天界中の大貴族達からせめて約束だけでも、と怒濤のようなオファーが押
し寄せても、子供であることを理由に炎王が沈黙をもって返答していたことにより今まで
ずっと二の足を踏んでいた貴族達から、初潮がおとずれたということは、それは子供を産
める体になった―――つまり一人前になったと言うことで、グラインダーズ宛てに直接
求婚と贈り物が殺到したのだ。
―――情報が筒抜けであることに頭を殴られたような衝撃を受けているグラインダー
ズにさらに追い打ちをかけたのは、求婚者の殺到を我が事のように喜び合う乳母と使い女
達の姿だった。
乳母や使い女達が喜んで部屋に運び込んだそれらの贈り物を、年頃の少女らしい潔癖さ
でもって、グラインダーズはそれらすべてを窓から投げ捨てた。
そして、乳母と使い女達を部屋から追い出したのだった。
「・・・・・・・」
グラインダーズは掛け布の下で唇を噛みしめた。
恥辱と屈辱のあまり死んでしまいそうだ。
月経に関する知識はもちろんあった。 だがそれが訪れた途端、いきなり、貴女は大人
の女性の体になった、子供を産める体になったと言われても、全然納得いかなかった。
では今までの私は何だったというのだ。女の子だからと言われ行動の制限を受けていたあ
の時はいったい何だったというのだ。
(そしてこれからはもっと・・・?)
第一、一人前の存在になど、どこが扱われているというのか。
そこにはグラインダーズの意志はない。あるのは南領の王女という肩書きと、子供を
孕む子宮だ。
(私は子供を産むための道具でしかないの?)
彼らの誰も、本当のグラインダーズを知らない。知ろうとしない。
そのことがただひたすら悔しかった。
自分の存在というのはその程度でしかないのか―――。
グラインダーズは自分の手をみつめた。乳母がいつも乳液でマッサージしてくれていた
その手はなめらかで、形良く整えられた爪がならんでいる。
手を返すと、手のひらには微かにだが剣だこが出来ている。グラインダーズは拳を握り
しめた。
(こっちの方が好きだわ)
この手のひらは自分で手に入れたものだ。爪が割れる、指が太くなるとどれだけ乳母に
言われようと、武術を習うことが楽しかった。強くなってゆく、という感覚が嬉しかった。
(・・・でも、力で勝つことは出来ない)
長棒をたたき落とされた時の感覚がよみがえってグラインダーズは枕に突っ伏した。
・・・・・暑苦しい湿った空気に、ふ、と別の香りが混じったのはその時だった。かすかに
部屋が明るくなった。見回すと香玉を載せた皿を小さな手が、そっと扉の隙間から押しや
るのが見えた。
「・・・アシュレイ?」
その声に手はあわてて引っ込んだが、扉の外に弟の気配はまだあった。部屋の中に、甘
く澄んだ香りが広がっていく。もう一度名前を呼ぶと、小さな顔がひょこっと現れ、暗い
部屋にとまどったように目を瞬かせた。アシュレイはそれ以上は部屋に踏み込もうとはし
なかったが、元気そうな姉の顔を見て(病気だと言い含められているらしい)嬉しそうに
笑い、これからレースに長棒の稽古をつけて貰うのだと言った。
レースガフト・パフレヴィーは飛び抜けて背が高い南領元帥の一人で、一般的な武器の
扱いはもとより暗器の扱いにも長けていた。ついでに言うならグラインダーズの教育係の
一人だった。アシュレイの教育係は別にいるはずなのに何故レースなのか?と聞けば、
アシュレイはにっこり笑って「姉上が、勝ったから!」と言った。
「姉上は、姉上より年上の大きなヤツとやって勝った!だから俺もレースに今から教えて
貰って、柢王に勝ってやるんだ!」
レースでなくても自分より大きな相手に勝つ闘法を教えてくれる指南役はいるだろう
に、やけにレースにこだわるのがおもしろい。
扉向こうで小声でいさめる乳母の声がして、アシュレイはなごり惜しそうにグラインダ
ーズに笑いかけ、扉を閉めて軽い足音を響かせながら去っていった。
再び暗がりに一人になったグラインダーズは枕に左腕で頬杖をつき、もう一度右手のひ
らの剣だこを見た。
(・・・・・・もとはと言えば、アシュレイだったのよね)
自分が武術に打ち込むようになったきっかけは。
最初は戯れだった。
遊びに行った文殊塾の友人の所で、友人の膝によじ登り抱っこされている内にそのまま
腕の中で眠ってしまった友人の弟の姿が可愛くて、自分もしてみたいと思ったのだ。
ところが自分の小さな弟は人がいるとなかなか寝付かず、おとなしく膝の上にはいるの
だが、いつまでも体を硬くしているのだ。
何となくそれが悔しかったグラインダーズは走り回り始めて乳母達の手を焼かせ始め
た弟に、文殊塾で習った棒術や剣術を見よう見まねで教え始めたのだった。
そうやって体を動かせ疲れさせればそのまま膝で眠ってくれるかもしれない、と今思え
ばとことん子供の浅知恵だと思うのだが、あの頃はグラインダーズなりに一生懸命だった
のだ。・・・結果と言えば、自分も疲れ果てて弟の寝顔をろくろく見られずに一緒に眠りこ
けてしまっていたということなのだが。
しかしそれが功を奏したのか、アシュレイはグラインダーズによく懐いた。 仲が悪い
より良い方がいいと思う周囲の意向により彼女らの武術ごっこは黙認された。
・・・数年後にグラインダーズが父王に願い出て専任の武術指南役をつけて貰う頃には、
アシュレイは5歳上の自分と剣の手合わせをして3本に1本は取るという、なんとも恐る
べき3歳児となっていた。
・・・そして今(回想中グラインダーズ11歳現在)では南領中を飛び回り、斬妖槍を使
いこなして一人で魔族討伐まで行っている恐るべき6歳児となっている。
弟はみるみるうちに強くなった。大人顔負けの強さを誇りながら、飽くことなく強さを
求め続ける弟に、果たして今の自分が相手として通用するだろうか? さほど年の違わな
い男児にすら力負けをした自分が?
「・・・―――」
ふいにアシュレイの笑い声が窓の下でおこった。それから長棒が打ち合わされる音が。
何事か、とグラインダーズが窓のおおいをかき分けて覗くと、窓に面した小さな中庭で
ちょうど真っ正面からレースにぶつかっていったアシュレイが、特に力を入れたわけでも
なさそうなレースの棒先に軽くあしらわれて芝生の上にころんと転がされていたところ
だった。
(・・・どうしてレースには勝てないのかしら?)
大型魔族を数撃で打ち倒す弟が、ああも簡単にあしらわれているのがグラインダーズに
は不思議でたまらない。
窓からのぞくグラインダーズに気づいたのか、レースガフトが長棒をぶんぶん振って笑
いながら言った。
「お嬢! 鼻血を1リットル流す事と引き替えに、相手に鼻血を5リットル流させて勝っ
たって話じゃないですか! おめでとうございます! 武術指南役の私としては鼻高々
ですよ! いやあ、まさしく捨て身攻撃!まさしく肉を切らせて骨を絶つ!
――― って! そんな危ない戦法を教えた憶えはないのですが!」
5リットルも鼻血が出る前に普通死ぬ。1リットルだって危ない。・・・いや、そもそも
そういう問題ではない。
何かを言い返そうとしたグラインダーズの視線の先で、アシュレイがまたしてもレース
の棒先であしらわれ、ころんと転んで笑い声を立てた。レースも笑っている。
小さな中庭は さんさんと差し込む陽光と 流れ込む水の音と 花の香りと 笑い声
に満ちあふれている。
「―――――・・・」
―――急に馬鹿馬鹿しくなった。
こんな暗い自室で一人閉じこもっていろいろ思い悩んでいたとしても、何一つ変わりは
しないのに。・・・情けない。これでは本当に子供だ。
経血はとっくの昔に止まっている。グラインダーズは汗にぬれて張りつく寝着を勢いよ
く脱ぎ捨てると、部屋の一角に置いてある盥の水を頭からかぶり、一つ大きく息をついて
から、良く通る声で乳母を呼んだのだった。
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