投稿(妄想)小説の部屋 Vol.3
『天と地との間には、おまえの哲学では及びもつかない事があるのだ──(シェイクスピア)』
配線を巡らせた巨大な箱のようなものがいくつか並んでいる。
一面の大きな窓。真ん中にレバーをはさんで左右対称に天井まで計器に埋め尽くされた狭い室内。
座席にはシートベルトにショルダー・ハーネス、インカムにグローブ姿の制服姿のパイロットの姿が見える。左に燃えるような赤い髪、右に流れる白い髪。どちらも離陸前の様相だ。
「・・・・・・結局、問題点は大きく三つだけです。ひとつはジェットストリーム。もうひとつは空港の立地。北面が丘ですからアプローチはビルや寺院がある市街地側から。それに街が至近すぎてILSがしばしば作動しない」
念を押すような桂花の言葉に、新米機長アシュレイはためいきをつく。
会議でも講義でも訓練でも、このフライト最大の問題点はそこだ、市街間近での無回線着陸。
「視界によっては再履行が頻繁にあるかもしれません。燃料は必ずチェックして下さい。天候がいいと管制塔がよくショート・カットを許可してくれます。景色がよくて乗客は喜びますが、市街にまっすぐ降りますから、いずれにしろヴィジュアル・ステップ・ダウンになるでしょう」
こともなげに言う先輩機長はいつもながら冷静だが、アシュレイももうそれが腹立たしいとは思えない。
それに有視界着陸は確かにパイロットの腕試し。わくわくしないこともないが、失敗したら『天界航空あの世行き』、絶対に笑えない。
「最後は、代替空港です。装備は問題ないですが、軍の基地ですから高度の航行が禁じられます。空港間の異動も短いですからもとから高度も速度も取れないと思っていた方がいいですが、地形が複雑ですし、海上の横風もあります。機体の重量と視界には充分気をつけてください」
「わかった」
「ジェット気流は吾の体験では時速400キロを超えたこともあります。計器の変化を見逃さないことですね。読み取りにくい気流ではありますがヒントが皆無ではないですし」
「わかった、気をつける。あー、くそっ、あれこれある島だなっ。でもやるしかねぇよな」
決心するようにそう呟いたアシュレイに、
「そういうことです。では、始めますか」
「了解!」
アシュレイも居住まいを正した。
「なーんか最近、アシュレイと桂花が仲がいいとか一緒のシュミレーターから出てきたとかって、俺のシップのCAたちがきゃーきゃー言ってたぞ。お似合いよねーとかあやし〜い、とか。バッカじゃねえかっつーのなっ、ティア」
一面の窓がオレンジから濃いラベンダーに変わる夏の夕映え。
空港間近の『天界航空』本社ビル。最上階のオーナー・ルームにいたティアランディアは親友であり幼馴染の機長の愚痴を聞いていた。
いつもなら、この忙しい機長がここへきて言う軽い噂や文句は、その親友たちと同じものを少しでも共有させてくれようという優しさだとわかる。
だが、今日に限っては私情の色がかなり濃い。理由のわかるティアとしては、その友人が自分だけに見せてくれる顔でもある、苦笑いしつつ拝聴する気はあるのだが。
大手航空会社『天界航空』が西方のクリスタル・アイランド・リゾートに新規乗り入れを決定したのは去年末の事だった。
エアラインの新規乗り入れは、法的にも契約的にも資金的にもあれこれあってとても大変だが、一番問題なのは実はパイロットだ。
なにせ新規というからには誰も飛んだことがない。航行に使用する機種の資格をもつ、現在も稼動中のパイロットたちをその路線が飛べるように予定を組んで技術、知識の訓練をしなければならないという事だ。
他社が飛んでいればマニュアルは比較的早期に用意はできるが、見切り発車の出来ない職種。確実なフライトのためにスタッフたちは現地と本社をひっきりなしに行き来してプランニングに駆け回る事になる。
が、幸い、千人からパイロットがいると、他社で以前路線を飛んでいたと言う者もあったりするものだ。今回、条件をクリアしていた数人の機長にはプラン作りから始まって、各種裁可や契約に並行した先発訓練、テストフライトなど全ての過程において協力してもらってきた。
そしてその機長に、訓練が終った機長をコー・パイにつけてのビジター・フライト。関係官庁職員を乗せた試験フライト。監査フライト。何往復も客のいないフライトを繰り返して、表方と裏方が一体になって再来月頭の就航をスタートするまでに持ってきたのだ。
クリスタル・アイランドは国土が狭いせいか、空港施設が市街地に極めて近く、無線事情などもジェット機泣かせの面はあるが、いまだ王制の残るローカルな国民性と美しい海岸とエキゾチックな街とが共存する実に魅力的な島だった。
いずれ観光収益が上がれば空港の移転と増便は確約されていたし、なにより元王室からの期待が大きく、便宜も図ってもらっているので、天界航空としては先行きに見合わない決断ではなかった。
ティアとしても山積みな業務のなかで特に気にかけてきた路線で、路線開発はいつも大変だが、成功した時の喜びは言葉では言い表せない。全社員にかれらの力を活かせる機会をできる限り提供する、とうのがティアのオーナー就任時の決意なのだ。
が、それも当のスタッフあってこそだ。
特に今回、航務課と、最初の有資格者である機長たちは短期間で相当量の仕事をこなしてくれた。なかにはテストフライト翌日が監査という機長もいた。いつもならパイロットの就航規則はきっちりしているのだが、期日の決まった新規プランのためにしわ寄せがきたのだ。
が、そのクールな機長はテストフライトで更なる改善点を指摘し、監査も実に平然とこなした優れもの。
(桂花がいてくれて本当によかった──)
ライバル会社冥界航空で機長をしていた桂花は、あと二ヶ月で天界航空一周年。路線で飛んでいたかれの存在は実に多くの労力と予算を削減してくれたのだった。
そして、柢王の愚痴はそこから来ているのだが。
国際線機長同士の柢王と桂花がつきあいだした、といってもいい状態になったのは四ヶ月前の事。同じく幼馴染で親友の機長アシュレイの初機長フライトと研修を機にしてだ。
子供の頃からモテモテだった親友が、同性で同僚でめったに顔を合わせる機会もなかった機長を好きになったのはティアにも驚きだったが、その幸せはすなおに嬉しい。何事にも冷静で、穏やかながらもはっきりと他人と距離を置いていた桂花が他人を受け入れる気になった事にもだ。
それに、
「でもアシュレイと桂花が仲良くしてるなら、柢王にもいいことじゃない。アシュレイももう桂花のこと信用できないなんて言わないし。私も桂花がアシュレイに親切にしてくれるのもとても嬉しいよ。あんなに親身になってくれるなんて嬉しい驚きだよね」
その初フライトまで桂花を嫌っていたアシュレイも、今日は柢王含む四人で食事する事にまでなっているのだ。柢王としても恋人と親友の和解は嬉しいはずなのだが・・・・・・。
「ほんっと、親身だよな。俺以外には!」
柢王は眉を吊り上げると訴えた。
「俺だってあいつとアシュレイが仲良くなってくれたら嬉しいよ。つか、いくら路線飛んでたからってアシュレイから桂花にフライトの相談するなんて奇跡だと思ったね。でも、俺の事だって構ってくれてもいーじゃんか。俺はシフトでまだ今度の路線訓練入れねーし、アシュレイのためにシュミレーター訓練までつきあってんのに、あいつ、俺にはメールの返事もよこさねぇことあんだぞ? 一緒に飛ぶことなんかないんだからせめて陸でぐらい一緒にいたいのに『人がいるとペースが崩れるからやめましょう』とかって同居もしてくんねーし、ただいまコールだってしてくんねーしよっ」
「まあまあまあ」
ティアは苦笑した。なにせ誰もがあちこちにいて忙しいので詳しい話は聞いてなかったが、聞けばやはり普通の恋愛事情とは違うようだ。それが仕事の特異性のせいなのか、相手のせいなのかはにわかに判断できかねる。が、女で愚痴を言ったことのない男の愚痴は、悪いけれどティアにはちょっと微笑ましい。
「桂花のことは私も悪かったと思ってるよ。本当に忙しかったと思うし。でも、桂花はおまえのことも考えて同居しないんじゃないの。おまえたちは時間も不規則だし、時差ぼけとか健康管理もあるし。おまえもだけど、桂花は特に自分を律するのに厳しいから・・・・・・」
「んなこたわかってるって。飛ぶのは俺にもあいつにも大事なことだ」
「うん。アシュレイもそう言ってた。桂花のこと、センスもいいし技術も高いけどそれ以上に、飛ぶのを大事にしてるパイロットだってわかったって。だから、桂花のアドバイスは聞くんだって」
柢王が、へぇと笑みを見せる。ティアは笑って、
「これアシュレイには内緒だからね。私もおまえに言わないって言って聞き出したんだから。桂花のことどう思ってるのって。好きなんかじゃねぇからなっ、パイロットとして尊敬してるだけだからなって怒鳴られたけどね」
「あいつらしいな。でも苦手な桂花にもちゃんと飛ぶために相談するなんてアシュレイの可愛いトコだよな。桂花も、それがわかってるから時間取ってんだろ」
柢王はあっさり認めた。ティアもそれに頷いて、
「そうだろうね。やっぱりパイロットってそういうとこが以心伝心だよね。羨ましいな」
呟いたが、柢王のまなざしに気づくと微笑んで、
「でも、おまえたちが安心して飛べるように私は私の仕事をするけどね。あ! そうだ、柢王、来月末のアシュレイのクリスタル路線の監査フライトなんだけど、実はその便に今回特に働いてもらった機長と航務課のスタッフのための席を用意するつもりなんだ。特別休暇つきのリゾートで骨休みご招待。シフトが合えばおまえも来る? 私も向こうの王室から就航の前祝いにご招待を頂いていてね、一緒に行くんだけど」
「ティア、おまえまたアシュレイの機に乗る気か? 毎月最低一回は乗ってんだろ、おまえ」
柢王の呆れた声に、ティアは赤くなった。
「だってアシュレイの夢は私の夢なんだからっ。最初のフライトはおまえたちに譲ったんだからいいじゃないのっ」
『大きくなったら、俺がおまえを乗せて飛んでやるからな』──子供の時にそう約束してくれた大好きな親友。その機長初フライトには乗れなかったが、その月のうちに日帰り往復乗った時には、嬉しさに涙が止まらなかった。
CAたちには「大丈夫ですか、オーナー」と心配され、あやうく病院に担ぎ込まれそうになったが。以来、ヒマさえあれば乗っている。
「おまえ、いいかげんにしとけよ。わざわざ国際線乗って空港で土産だけ買ってそのまま戻ってくる客なんかいねーっつーの。天界航空もオーナーは変質者だって思われんぞ」
「私はアシュレイだから乗ってるんだからいーのっ。で、行くの、行かないの?」
「来月って何日だ?」
柢王が手帳を取り出す。覚えているティアは意気込み、
「月末の四日間。離陸は朝九時半だし、帰りは他社のだったら毎日出てるから乗り継いでもその日に戻れるよ」
「行く!」
柢王は即座に決めて、手帳を閉じた。
「手続き頼むわ。ちょうどロングの後の三連休だし。帰りは先に帰るけど。来月か、それまではまあがんばって口説くしかねぇよな。明日は俺らふたりとも休みだし」
言うこと言ってすっきりしたのか、はたまた恋人とのリゾートの予定にときめいたのか。ようやくいつもの晴れやかな笑顔を見せた柢王に、ティアも満面の笑顔でうんっ、と答えた。
人生とは驚きの連続で、予定は常に未定なのだとわかるためには、神にでも生まれるしかない。
この世に生まれたふたりは、嬉しそうに恋人と親友の帰りを待ったのだった──。
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