投稿(妄想)小説の部屋 Vol.3
―――――――光?
覚醒は突然だった。
私は―――ティア。ティアランディア・フェイ・ギ・エメロード。
気づいた時は守護主天という任についていた。
赤子の思考は徐々に育っていくものだと聞く。
だが私は違う。
必要な思考は既に身についていた。
作られたものだから?
だが組み込まれなかった事柄は、時と共に分かってきた。
『道草しないで帰るよういったでしょ!!』
『―――――』
『母さんは、母さんハッ・・・』
『―――ウワァーン!!ごめんなさい』
―――なんで、あの大人はあんなに怒るんだろう?―――
遠見鏡をのぞき不思議に思う。
だが次の瞬間、胸が熱くなる。
ギュッと子供を胸に抱きしめる母親の姿。
―――あれは?―――
―――ああ、そうか、あれが肉親というものなのだろう―――
手をつなぎ帰途する二人の姿は脳裏に色濃く焼きついた。
『守天さま、ごきげんよう。お茶はいかがですか?』
『守天さま、どうぞお先にお使いください』
『寒くありませんか?』
天主塔から出て、通うようになった文殊塾。
そこでは皆、優しくしてくれた。
『あなた様は特別な方ですから』
『誰も傷つけることができないのです』
特別だから?・・・同情?・・・哀れみ?・・・
私だけ、私は異種人種?
魔族に仲間意識があるとは思わないが、時に羨ましく思う。
『あれで男かよっ』
『仕方ないよ、守護主天さまなんだから』
『あたらず、さわらずが一番さ』
年を重ねるうち耳にする陰口。だが面と向って言ってくる者はなかった。
いや、一人だけ、彼だけだった。
『やい!ティアランディアってどいつだ』
アシュレイ。彼の存在は曇った空に射す一筋の光ように鮮明だった。
彼は身をもって私に自信をくれた。
シュラムによって蝕まれた肉体、毒素。この御印付きの力でなければ救うことはできなかっただろう。
愛するもの、大切なものを救えた喜び。
はじめて我が身の存在を肯定できた。
―――よかった、よかった。守護主天でよかった―――
二つ年上の親友は巧みな言葉でもって私に自信をくれた。
『おまえの口添えがあったから、おまえの援護射撃のおかげで今の俺たちがあるんだ』
蓋天城を飛び出し、桂花と二人で暮らすようになった柢王はそう笑った。
『大変なことは、すべて御印のせいにしちまえ』
『おまえはもっと、我儘言っていいぞ。我慢なんかするな。自分の意見を通して道を作れ。まわりになんか言われたら、結果なんかすぐ出るわけないだろって言い返せ』
最後まで心配してくれた。
その親友は、もういない。
魂は転生した。だか、それは柢王ではない。
アシュレイも自分の道を見出した。
おまえの為に王になる―――と。
私はどうしたらいい?
繰り返し続く山凍殿との関係。翌日には跡形もなく消える記憶。
だが身体は忘れない。消えず幾重にも積もっていく。
私はそう長くないだろう。
歴代の守護主天がそうだったように。
私には転生などない。心も身体も次代へと再生されるだけのもの。
誰の記憶に残ることもなく、すべてのものから忘れ去れ、すべてのものから。
アシュレイっ、アシュレイにも?
いやだ、それはいやだ。
忘れないで―――
ずっと愛してる。
『虜石を握らせようか』
誰?―――私?―――私の本心か?
この醜い心、逝ってしまった親友が知ったらどう思うだろう。
朽ちていく、朽ち果てて・・・
助けて―――
―――誰、私を呼ぶのは誰?
ティアランディア
我が兄弟よ
悲しまないで我らがいる
いつまでも我らが見護っているよ
兄弟よ、やらねばならぬことは、まだある
それが我ら守護主天に果せられた使命だから
ああ、会いたい会いたい会いたい・・・・アシュレイに会いた―――いっ。
正に禁断症状。
限界っ、限界だあっ〜〜〜。
ティアは黒ずんだ机に突っ伏した。机の汚れはアシュレイ、アシュレイと何百、何千と書かれたインク染みだったりする。
アシュレイは寂しくないのだろうか?もしかして愛されてない?
ズ―――――ン
繰り返し思い出すのは数ヶ月前、アシュレイが魔風窟のつる草の作用で子供かえりした時のこと。
ああ、あの時はよかった。
腕におさまるほど小さくて、いや大きさなんて関係ない。あの時のアシュレイは警戒心などまったくなく私の腕に抱かれていたのだから。
その時の記憶が残らなかったのは有難く・・・いや憶えがないと知ってれば、もっとあーして、こーして・・・。
大後悔っ。
今だったら・・・今だったら・・・今・・・今なら。
小さく!!
『小さく―――!!!ならぬなら、ならせてみよう、ホトトギス!!』
こっ、これだ!!
ティアはにんまり笑うと素晴らしきスピードで柢王に使い羽を放った。
「ホラ、頼まれたブツだ」
柢王はティアの前にドサッと麻袋を置いた。
「ンな面倒くせぇことしなくてもよぉ・・・相変わらずの変態ぶりだな、etc・・・」
柢王の言動など今のティアには右から左。
「おーおぅ、こりゃ重症だな」
心此処にあらず、遙か遠くに意識をとばしているティアに柢王は肩をすくめた。
「ま、あとは勝手にやってくれ。特別サービス、天主塔にくるようアシュレイに伝えといてやったから、礼は上乗せで頼むな、さて結界とくぞ」
柢王が麻袋の結界を解くと同時にアシュレイがバルコニーから姿をあらわした。
焦って隠すべく袋に飛びついたティア。その瞬間を狙っていたかのよう中から伸びた蔓が彼の身体を包みこんだ。
「ティア!!」
アシュレイが炎を投げる。
ボオ―――――ッ―――――
凄まじき火力に蔓は瞬時、炭化した。
「ティアっ!!―――――!!」
駆け寄ったアシュレイとティアが見たもの・・・それは・・・。
天使―――の如く、子供にかえったティアの姿だった。
「参ったなぁ〜〜〜〜〜」
腕の中を覗く。
ハァ―――――ッ―――――
小さなティアがにこにこアシュレイに笑いかける。
柢王め!!
数日で戻るってのは本当だろーなっ。
その柢王は冷ややかに怒る片腕の協力を仰ぎ、変化し守天代理を務めている。
ティアの安全を考えると天主塔にいるのが一番なのだが、そうもいかずアシュレイは自国の王子宮に進路をとった。
顔にかかった黒髪をはらってやる。
黒髪、正体を隠すためとられた原始的処置。原始的・・・つまり御印には絆創膏がはられ、髪は桂花によって染めあげられただけなのだが。
「早く戻れよな」
そうこうしているうち王子宮が見え、アシュレイは一旦足を止めた。
バレなきゃいーけど・・・考えても仕方ねぇか、バレたらバレただ。
開き直りと、やけっぱちで再度足を進めた。
世継ぎの王子の子連れ帰国は宮全体を騒然とさせた。
だが当人たちは絵本を開いてみたり、絵を描いたりと至って穏やかに過ごしていた・・・それまでは・・・。
―――――ガタン―――――
「わっ―――父上っ!!」
ノックも断りも前触れすらなく突如現れたのは父、炎王。
炎王は部屋に入るなりアシュレイに構わずティアを抱き上げた。
ティアは手足を硬直させ、ちんまり抱かれている。
「なにすんだよっ」
我に帰ったアシュレイが腕にかじりつく。
「綺麗な子だが強さが感じられぬ。――む、守護主天さまの気を感じるが・・・」
「ティ、守天さまに守護術を分けていただいてんだ」
ティアの腕をめくり刻印入りの腕輪をみせる。
「おお、そうかそうか、守天様からは既に祝いの品が・・・だがアシュレイ、こういうことは父である我に先に報告するのが筋というものだぞ。例え身分違いだとしても隠すのはよくない」
なにを報告しろってんだ!!内心がなりつつアシュレイはプイと横を向いた。
「コラッ、父親にもなってその態度はなんだ」
「ちっ―――ちっち父親―――っ!!ち、違っ、ティアは俺の子なんかじゃねぇーっ」
「ティア?」
「ティ・・・じゃなくて『ちあー』だ」
まったくもって苦しい嘘。その嘘を隠すべくアシュレイは続ける。
「俺は知らねぇっ、柢王の奴が―――」
「なに、柢王殿の・・・そうか・・・そうか柢王殿の・・・」
炎王は子供をじっくり見分すると「そうか」と頷きティアを放した。
「柢王殿とは二つ違い、おまえもおめおめ負けておれんぞ」
もはや興味なしと、だが心なし肩を落とし炎王は退出していった。
「なんか分かんねーけど、助かった」
アシュレイは額に浮いた汗をこぶしで拭った。
―――――ガタン―――――
一難去って、また一難。
又しても扉が開かれた。もちろん今度もノック、断り、前触れもなく。
現れたのは姉、グラインダーズ。
先ほどと同じ展開を予測しアシュレイはガックリ肩を落とした。
ああ、会いたい会いたい会いたい・・・・アシュレイに会いた―――いっ。
ティアは更に黒ずむ机に突っ伏した。
あれから数日、元に戻ったティアの側にはアシュレイはいない。
聞いた話では、この数日、寝食シャワーはもちろんのこと、正に四六時中アシュレイがつきそっていたそうで・・・だが、もちろんティアにその記憶はない。
「懲りない奴だな」
「まったく・・・。懲りない方ですね」
替え玉とその片腕はお役御免と嘆くティアを残しさっさと退却した。
「ハァーッ、終わった終わった。花街の湯殿貸切ってのんびりしようぜ」
「その前に蒼龍王さまと皇后さまから呼び出しがかかってます」
「親父と御袋から?」
「それから、詰所に届けられた荷物、何とかしてくださいね」
「荷物だぁ?」
「あなたの息子宛だそうです」
「息子っ!!」
「隠し子宛です」
「―――!!」
「吾は先に帰宅していたほうがよさそうですね」
「ま、待てっ、待て、桂花―――!!」
美貌の片腕は既に窓の外。
扉の中からは今だ苦悶の声が・・・廊下にたたずみ柢王は、二度と軽率に手を貸すものかと心に誓った。
『天と地との間には、おまえの哲学では及びもつかない事があるのだ──(シェイクスピア)』
配線を巡らせた巨大な箱のようなものがいくつか並んでいる。
一面の大きな窓。真ん中にレバーをはさんで左右対称に天井まで計器に埋め尽くされた狭い室内。
座席にはシートベルトにショルダー・ハーネス、インカムにグローブ姿の制服姿のパイロットの姿が見える。左に燃えるような赤い髪、右に流れる白い髪。どちらも離陸前の様相だ。
「・・・・・・結局、問題点は大きく三つだけです。ひとつはジェットストリーム。もうひとつは空港の立地。北面が丘ですからアプローチはビルや寺院がある市街地側から。それに街が至近すぎてILSがしばしば作動しない」
念を押すような桂花の言葉に、新米機長アシュレイはためいきをつく。
会議でも講義でも訓練でも、このフライト最大の問題点はそこだ、市街間近での無回線着陸。
「視界によっては再履行が頻繁にあるかもしれません。燃料は必ずチェックして下さい。天候がいいと管制塔がよくショート・カットを許可してくれます。景色がよくて乗客は喜びますが、市街にまっすぐ降りますから、いずれにしろヴィジュアル・ステップ・ダウンになるでしょう」
こともなげに言う先輩機長はいつもながら冷静だが、アシュレイももうそれが腹立たしいとは思えない。
それに有視界着陸は確かにパイロットの腕試し。わくわくしないこともないが、失敗したら『天界航空あの世行き』、絶対に笑えない。
「最後は、代替空港です。装備は問題ないですが、軍の基地ですから高度の航行が禁じられます。空港間の異動も短いですからもとから高度も速度も取れないと思っていた方がいいですが、地形が複雑ですし、海上の横風もあります。機体の重量と視界には充分気をつけてください」
「わかった」
「ジェット気流は吾の体験では時速400キロを超えたこともあります。計器の変化を見逃さないことですね。読み取りにくい気流ではありますがヒントが皆無ではないですし」
「わかった、気をつける。あー、くそっ、あれこれある島だなっ。でもやるしかねぇよな」
決心するようにそう呟いたアシュレイに、
「そういうことです。では、始めますか」
「了解!」
アシュレイも居住まいを正した。
「なーんか最近、アシュレイと桂花が仲がいいとか一緒のシュミレーターから出てきたとかって、俺のシップのCAたちがきゃーきゃー言ってたぞ。お似合いよねーとかあやし〜い、とか。バッカじゃねえかっつーのなっ、ティア」
一面の窓がオレンジから濃いラベンダーに変わる夏の夕映え。
空港間近の『天界航空』本社ビル。最上階のオーナー・ルームにいたティアランディアは親友であり幼馴染の機長の愚痴を聞いていた。
いつもなら、この忙しい機長がここへきて言う軽い噂や文句は、その親友たちと同じものを少しでも共有させてくれようという優しさだとわかる。
だが、今日に限っては私情の色がかなり濃い。理由のわかるティアとしては、その友人が自分だけに見せてくれる顔でもある、苦笑いしつつ拝聴する気はあるのだが。
大手航空会社『天界航空』が西方のクリスタル・アイランド・リゾートに新規乗り入れを決定したのは去年末の事だった。
エアラインの新規乗り入れは、法的にも契約的にも資金的にもあれこれあってとても大変だが、一番問題なのは実はパイロットだ。
なにせ新規というからには誰も飛んだことがない。航行に使用する機種の資格をもつ、現在も稼動中のパイロットたちをその路線が飛べるように予定を組んで技術、知識の訓練をしなければならないという事だ。
他社が飛んでいればマニュアルは比較的早期に用意はできるが、見切り発車の出来ない職種。確実なフライトのためにスタッフたちは現地と本社をひっきりなしに行き来してプランニングに駆け回る事になる。
が、幸い、千人からパイロットがいると、他社で以前路線を飛んでいたと言う者もあったりするものだ。今回、条件をクリアしていた数人の機長にはプラン作りから始まって、各種裁可や契約に並行した先発訓練、テストフライトなど全ての過程において協力してもらってきた。
そしてその機長に、訓練が終った機長をコー・パイにつけてのビジター・フライト。関係官庁職員を乗せた試験フライト。監査フライト。何往復も客のいないフライトを繰り返して、表方と裏方が一体になって再来月頭の就航をスタートするまでに持ってきたのだ。
クリスタル・アイランドは国土が狭いせいか、空港施設が市街地に極めて近く、無線事情などもジェット機泣かせの面はあるが、いまだ王制の残るローカルな国民性と美しい海岸とエキゾチックな街とが共存する実に魅力的な島だった。
いずれ観光収益が上がれば空港の移転と増便は確約されていたし、なにより元王室からの期待が大きく、便宜も図ってもらっているので、天界航空としては先行きに見合わない決断ではなかった。
ティアとしても山積みな業務のなかで特に気にかけてきた路線で、路線開発はいつも大変だが、成功した時の喜びは言葉では言い表せない。全社員にかれらの力を活かせる機会をできる限り提供する、とうのがティアのオーナー就任時の決意なのだ。
が、それも当のスタッフあってこそだ。
特に今回、航務課と、最初の有資格者である機長たちは短期間で相当量の仕事をこなしてくれた。なかにはテストフライト翌日が監査という機長もいた。いつもならパイロットの就航規則はきっちりしているのだが、期日の決まった新規プランのためにしわ寄せがきたのだ。
が、そのクールな機長はテストフライトで更なる改善点を指摘し、監査も実に平然とこなした優れもの。
(桂花がいてくれて本当によかった──)
ライバル会社冥界航空で機長をしていた桂花は、あと二ヶ月で天界航空一周年。路線で飛んでいたかれの存在は実に多くの労力と予算を削減してくれたのだった。
そして、柢王の愚痴はそこから来ているのだが。
国際線機長同士の柢王と桂花がつきあいだした、といってもいい状態になったのは四ヶ月前の事。同じく幼馴染で親友の機長アシュレイの初機長フライトと研修を機にしてだ。
子供の頃からモテモテだった親友が、同性で同僚でめったに顔を合わせる機会もなかった機長を好きになったのはティアにも驚きだったが、その幸せはすなおに嬉しい。何事にも冷静で、穏やかながらもはっきりと他人と距離を置いていた桂花が他人を受け入れる気になった事にもだ。
それに、
「でもアシュレイと桂花が仲良くしてるなら、柢王にもいいことじゃない。アシュレイももう桂花のこと信用できないなんて言わないし。私も桂花がアシュレイに親切にしてくれるのもとても嬉しいよ。あんなに親身になってくれるなんて嬉しい驚きだよね」
その初フライトまで桂花を嫌っていたアシュレイも、今日は柢王含む四人で食事する事にまでなっているのだ。柢王としても恋人と親友の和解は嬉しいはずなのだが・・・・・・。
「ほんっと、親身だよな。俺以外には!」
柢王は眉を吊り上げると訴えた。
「俺だってあいつとアシュレイが仲良くなってくれたら嬉しいよ。つか、いくら路線飛んでたからってアシュレイから桂花にフライトの相談するなんて奇跡だと思ったね。でも、俺の事だって構ってくれてもいーじゃんか。俺はシフトでまだ今度の路線訓練入れねーし、アシュレイのためにシュミレーター訓練までつきあってんのに、あいつ、俺にはメールの返事もよこさねぇことあんだぞ? 一緒に飛ぶことなんかないんだからせめて陸でぐらい一緒にいたいのに『人がいるとペースが崩れるからやめましょう』とかって同居もしてくんねーし、ただいまコールだってしてくんねーしよっ」
「まあまあまあ」
ティアは苦笑した。なにせ誰もがあちこちにいて忙しいので詳しい話は聞いてなかったが、聞けばやはり普通の恋愛事情とは違うようだ。それが仕事の特異性のせいなのか、相手のせいなのかはにわかに判断できかねる。が、女で愚痴を言ったことのない男の愚痴は、悪いけれどティアにはちょっと微笑ましい。
「桂花のことは私も悪かったと思ってるよ。本当に忙しかったと思うし。でも、桂花はおまえのことも考えて同居しないんじゃないの。おまえたちは時間も不規則だし、時差ぼけとか健康管理もあるし。おまえもだけど、桂花は特に自分を律するのに厳しいから・・・・・・」
「んなこたわかってるって。飛ぶのは俺にもあいつにも大事なことだ」
「うん。アシュレイもそう言ってた。桂花のこと、センスもいいし技術も高いけどそれ以上に、飛ぶのを大事にしてるパイロットだってわかったって。だから、桂花のアドバイスは聞くんだって」
柢王が、へぇと笑みを見せる。ティアは笑って、
「これアシュレイには内緒だからね。私もおまえに言わないって言って聞き出したんだから。桂花のことどう思ってるのって。好きなんかじゃねぇからなっ、パイロットとして尊敬してるだけだからなって怒鳴られたけどね」
「あいつらしいな。でも苦手な桂花にもちゃんと飛ぶために相談するなんてアシュレイの可愛いトコだよな。桂花も、それがわかってるから時間取ってんだろ」
柢王はあっさり認めた。ティアもそれに頷いて、
「そうだろうね。やっぱりパイロットってそういうとこが以心伝心だよね。羨ましいな」
呟いたが、柢王のまなざしに気づくと微笑んで、
「でも、おまえたちが安心して飛べるように私は私の仕事をするけどね。あ! そうだ、柢王、来月末のアシュレイのクリスタル路線の監査フライトなんだけど、実はその便に今回特に働いてもらった機長と航務課のスタッフのための席を用意するつもりなんだ。特別休暇つきのリゾートで骨休みご招待。シフトが合えばおまえも来る? 私も向こうの王室から就航の前祝いにご招待を頂いていてね、一緒に行くんだけど」
「ティア、おまえまたアシュレイの機に乗る気か? 毎月最低一回は乗ってんだろ、おまえ」
柢王の呆れた声に、ティアは赤くなった。
「だってアシュレイの夢は私の夢なんだからっ。最初のフライトはおまえたちに譲ったんだからいいじゃないのっ」
『大きくなったら、俺がおまえを乗せて飛んでやるからな』──子供の時にそう約束してくれた大好きな親友。その機長初フライトには乗れなかったが、その月のうちに日帰り往復乗った時には、嬉しさに涙が止まらなかった。
CAたちには「大丈夫ですか、オーナー」と心配され、あやうく病院に担ぎ込まれそうになったが。以来、ヒマさえあれば乗っている。
「おまえ、いいかげんにしとけよ。わざわざ国際線乗って空港で土産だけ買ってそのまま戻ってくる客なんかいねーっつーの。天界航空もオーナーは変質者だって思われんぞ」
「私はアシュレイだから乗ってるんだからいーのっ。で、行くの、行かないの?」
「来月って何日だ?」
柢王が手帳を取り出す。覚えているティアは意気込み、
「月末の四日間。離陸は朝九時半だし、帰りは他社のだったら毎日出てるから乗り継いでもその日に戻れるよ」
「行く!」
柢王は即座に決めて、手帳を閉じた。
「手続き頼むわ。ちょうどロングの後の三連休だし。帰りは先に帰るけど。来月か、それまではまあがんばって口説くしかねぇよな。明日は俺らふたりとも休みだし」
言うこと言ってすっきりしたのか、はたまた恋人とのリゾートの予定にときめいたのか。ようやくいつもの晴れやかな笑顔を見せた柢王に、ティアも満面の笑顔でうんっ、と答えた。
人生とは驚きの連続で、予定は常に未定なのだとわかるためには、神にでも生まれるしかない。
この世に生まれたふたりは、嬉しそうに恋人と親友の帰りを待ったのだった──。
発端は、小首を傾げたティアのひと言だった。
「ばけつってなに?」
文殊塾で、アシュレイは飼育係をやっている。
貴族の子弟が学ぶこの文殊塾では、子供達が学び舎を磨き上げ、食事の準備をする――ということはありえない。ともすれば、一人では着替えもしたことがない子供が入学してくる学校である。そんな中での飼育係という役目は、最も不人気なものだった。
だがアシュレイは自ら立候補し、泥まみれになるのも構わずに、楽しそうに動物達の世話を焼いている。子馬も兎も小鳥もみんなアシュレイには良く懐き、そうするとアシュレイは一層熱をこめて世話にあたる。
獣臭い、という少女達もいるが、ティアはそんなアシュレイが眩しくて羨ましくてたまらなかった。
少女達と同じ、真っ白い手。ティアは自分のそれが好きではない。
だってアシュレイの手は、日に焼けていて傷だらけで、指の付け根にはタコがある。その手で撫でられた動物達は、みんないっぺんでアシュレイのことを好きになってしまうのだ。
そんなある日、珍しくぽっかりと時間が空いたティアは、女の子達に見つからないようにこっそりと飼育小屋に向かった。
空になった飼葉桶を子馬の房から運んでいるアシュレイが、ティアを見つけて目を丸くする。
「ティア! どうしたんだ?」
「時間が空いたから来てみたんだ。私にも手伝えることある?」
腕も足も半ば以上剥き出しにしたアシュレイは、長衣のティアを見て少し考え込んだ。
「・・・じゃあ、井戸の水出してくれ」
「うん!」
ティアはたっと駆け出して先回りし、ポンプ式の井戸に張り付いた。胸の高さのレバーに手をかけて、アシュレイが差し出した桶の上に水がかかるように、何度もそれを押し下げる。
「んー・・・重いね」
「そっか?」
飛沫がかかるのも気にせず、アシュレイはタワシで勢いよく飼葉桶をこすり、服を濡らしながらすすいだ。
「よし! 終わり! ティア、そっちのバケツ持って来てくれ!」
アシュレイの手が、桶をぐるぐる回して水を切っている。その水滴から逃れながら、ティアは首を傾げた。
「ばけつってなに?」
「へ?」
思わずアシュレイは手を止めた。丁度桶は真上にある。水が入っていたら、アシュレイはずぶ濡れになってしまっていただろう。
「バケツだってば! ほら、そこにあるやつ!」
「えーと・・・?」
ティアは困った顔で辺りを見回した。
「・・・どれ?」
「これっ!」
桶を放り出したアシュレイがそれを持ち上げてティアに突きつける。
「・・・あ、これ、ばけつって言うの? 桶じゃないの?」
「・・・普通、桶ってのは木でできてるんだ」
「へえ・・・ばけつって言う名前があるんだ。私は金(かね)で出来ている桶だと思ってた」
全く知らなかったわけではない。ただ、独自の名前があるとは思っていなかっただけだ。
アシュレイはがっくりと小さな肩を落とした。
「ティア。おまえなあ・・・。俺よりずっと頭いいくせに、ときどきバカだよな」
「・・・し、仕方ないじゃないか。誰も教えてくれなかったんだから!」
白皙の滑らかな頬が紅潮する。
「普通は教えられなくたって知ってるんだぞ! やーい、ティアのバカ!」
アシュレイが胸を張ってそっくり返った。普段、頭のよさでは敵わないティアの意外な弱点に、鼻高々な様子だ。
守護主天として、天主塔で大切に育てられているティア。とはいえ、アシュレイとて南領の跡取りであり、ティアに並ぶ高貴な身のはずなのである。それがこれだけ逞しく育っているのは、父王のスパルタに加え、本人の性格のせいだった。
幼馴染のストロベリーブロンドにも負けないくらい、ティアの顔が赤くなる。
「・・・どうせ私はバカだよ! アシュレイのバカっ! 大嫌いだ!」
「・・・えっ?」
止める間もあらばこそ。
火がついたような勢いで走り去るティアの後ろ姿を、アシュレイは呆然と見つめた。
勢いのまま輿に乗ったティアが、いつになく子供っぽく、目を真っ赤にして鼻をぐすぐすいわせて帰ってきたのを見て、使い女達は色めきたった。
「まあ、若様! いかがなさいました!」
「塾でいじめられたのですか? こんなにお泣きあそばして・・・」
「ああほら、男の子なのだから、泣いてはいけませんよ。おいしいおやつがございますから、召し上がって元気をお出しくださいな」
「先に湯浴みをなさいませ。こちらにおいでになって・・・」
「お怪我はございませんか? 侍医を呼びましょう」
塾にいる少女達に似た、ふわふわと甘い空気をまとった女達。ティアを大事に大事にしてくれる、生まれたときから包まれている空気だ。ささくれだった気持ちがゆっくりと静まってくる。
「塾で何があったのです? 貴族の子弟ばかりとはいえ、中には乱暴な子供もいると聞き及んでおりますが・・・まさか、本当にいじめられたのですか? わたくしどもにお教えくださいまし。天界に並びなき尊き御身を傷つけるなど、あってはならないこと。叱りつけておかねばなりません」
「んー・・・」
ティアはごしごしと眼をこすった。その手をやんわりとつかまれ、いけませんよ、と諭される。
「こすっては駄目です。もっと痛くなってしまいますよ。さあ、お顔を洗って、おやつを召し上がってくださいまし。その後で結構ですから、何があったのか仰ってくださいましね」
掴んだ手と掴まれた手は、ともに白かった。
アシュレイの手は、日に焼けていて傷だらけで、指の付け根にはタコがあって。その手で撫でられた動物達は、みんないっぺんでアシュレイのことを好きになってしまうのだ。
(私の手はこんなに白い・・・)
急にティアは恥ずかしくなった。
そっと使い女の手を外し、微笑んでみせる。
「――もう大丈夫だよ。ちょっと、塾の子と言い合いしたんだ。でも、明日ちゃんと仲直りするから」
「本当ですの? 若様」
「どうかご無理はなさらないで。わたくしどもには正直に仰ってくださいな」
「本当だよ。心配しないで。ありがとう」
さらににっこりと笑ってみせて、ティアはおやつをねだった。
次の日。
授業が終わるのを待って、女の子達に捕まるより早く教室を出たティアは、再び飼育小屋に足を運んだ。
「・・・アシュレイ?」
朝、顔を合わせてから、言葉を交わすのはこれが初めてだった。
ティアはいつも女の子達に囲まれているので、喧嘩していなくても、普段はあまり話せはしない。
「・・・ティア」
アシュレイはむっつりした顔でそれだけを言う。彼の手には、草で一杯の飼葉桶があった。
ティアはアシュレイの日に焼けた傷だらけの手をじっと見て大きく息を吸う。
「――昨日は大嫌いなんて言ってごめんっ! うそだから、信じないで」
滅多にない大きな声を出して、それだけで肩で息をしているティアを、アシュレイは驚いた瞳で見つめた。
「・・・俺もごめん。バカなんて言った。俺もうそだ。おまえはバカじゃないからな!」
「・・・うん」
ティアはほっとして笑う。
「もう、バケツ覚えたよ。他にも色々教えて?」
「うん」
子馬の前に飼葉桶を置いたアシュレイは、今度は小鳥のえさ箱を持った。
「もう・・・笑わないから。ごめんな」
「私も、ごめん」
二人は顔を見合わせて――笑った。
「とりあえず座下座して謝ったほうがいいよな…うん」
宙であぐらをかいたアシュレイは、啖呵をきって飛び出た手前、どうやって戻ろうか、城を見下ろしながら考えていた。
「…でっ。仕事は仕事、でも、それだけの毎日じゃなく、ティアはもっと休んでいいはずだ。外に出て、遊んだり、もっと自由にできるように。少しずつ…少しずつ。手始めに父上を説得する。…うん」
少しずつ、という計画は、猪突猛進なアシュレイにしては格段の進歩と言える。父王や姉や乳母や…他、アシュレイを知る全ての者が腰を抜かすほどの譲歩だ。それだけアシュレイにとって、ティアは大切な存在になっていた。
「よし…! そうと決まればまずは土下座だっ」
考えが決まったアシュレイは組んだ足をのばして立ち上がり、振り返って森を見る。
(ティア…)
おまえのこと、父上はもちろん、他のジジイたちになんか任せておかない。
絶対後悔させない。
ひとりにしない。
「…誓うよ」
塔で手にしたティアからこぼれた金色の一房に、夜風に吹かれながら、アシュレイは小さくささやきかけていた。
ただの道具に知識は必要ない。
ただの道具に情は必要ない。
だが、市井を知らねば祈りはできない。
だから、"目"だけを与えられた。
道具に不必要な"感情"を持たぬよう、余計な言葉は与えられず、音も与えられず。
たまに鏡に映るもので心が動かされても、音が、声がなければ分からない。
気になって動く口元をじっと見つめた。
『あいしてる』って読み取れた。
『すき』ってくちびるが動いた。
『こいびと』って抱き合ってた。
あい、って?
すき、って?
こい、って?
意味は分からなくても、胸がドキドキした。
鏡に映る人たちの、強い感情に憧れた。
ずっと…ずっと…私も大切な誰かに出会いたかった。
私の名前を呼んでくれる誰かに。
……君に会いたかったんだ。
ティアは額の印にそっと手をやり、初めて優しい気持ちで触れていた。
そうすると、彼の熱い熱が自分にも伝わる気がした。
終。
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