投稿(妄想)小説の部屋 Vol.3
「カイシャン様、もう帰りますよ」
桂花とカイシャンは昼前から「勝ち抜き大会」を覗いたり、出店をひやかして周ったりして一日中市場を歩き回っていた。
人ごみが苦手な桂花は少し疲れていた。
カラリと青かった空はいつの間にか群青色に変わり、西の片隅にわずかにオレンジ色を残すのみになっている。薄闇の中に沈み始めた市場の中はあちこちで灯籠に火が入れられ始めた。
あちこちに金色の光が浮かびあがり、市場は浮かれ酔わせるような艶やかさを帯びた、華やかな装いに変わっていく。
人波の中を流れるようにゆっくり歩きながら、音楽や嬌声が聞こえる酒家を見るともなしに眺めているカイシャンに桂花は帰宅を促した。
「今日は一日中歩き回ったんですから、お疲れでしょう」
「別に平気だ」
カイシャンは目を酒家に向けたまま言った。
「昨日は帰っていないのです。今日はお帰りにならないと皆が心配します」
カイシャンは桂花の館に滞在している。本当なら昨晩、宮廷に帰らせるはずだったのだが結局泊まっていったのだ。
「お前がいるんだから心配する必要はない」
「カイシャン様」
桂花が少し厳しい口調になった。
「お立場をわきまえて下さい」
カイシャンは口をへの字にまげて黙った。黙ったが桂花に従う素振りもなく、頑固に立ち並ぶ酒家を見つめたままだ。
桂花はため息をついた。カイシャンは最近反抗期を迎えて本当に扱いが難しくなった。しかし、今日は少しそれとは違うように見えた。いつも通り元気に駆け回っていたが、時々鬱屈したものが見え隠れしていた。カイシャンのことは何もかも知っているつもりでも、時々全く分からなくなることがある。それは年頃の少年特有のものなのか、天真爛漫のようで、底が見えない最愛の男の特徴を受け継いでいるせいなのか。
・・・さんざん振り回されてその都度怒ったり心配したり。
でもいつも最後には暖かな腕の中にくるんで、包み込むような空色の瞳で見つめて安心をくれた―・・・。
桂花は記憶と呼ぶにはあまりにも生々しい感触が一瞬怒涛のように押し寄せ、全身を撫でていったような気がして眩暈を覚えた。
「桂花?」
我に返るとカイシャンが心配そうに桂花を見上げている。
「何でもありませんよ、カイシャン様」
桂花は安心させるように微笑むと、腰に手を当ててわざと明るい声を出した。
「さぁ、帰りますよ。我儘はおしまいです。もう子供ではないのでしょう?」
カイシャンはまだ探るように桂花を見つめている。その視線を避けるように桂花は先に歩き出した。カイシャンも仕方なく桂花の後についてきた。これで今日は帰らせることができると桂花がほっとしていると
「おっと、そこ行く兄さん方。寄っていかないかい?いい酒が入ってるよ」
軽くて陽気な声がかかった。見ると酒家の呼び込みらしい男が近寄ってきた。
「お兄ちゃん、見たところ結構イケるクチじゃないかい?俺はこんな商売やっているから見る目はあるんだな。いい男は酒の方もいけるって相場が決まってるもんだ」
男は2人の前に回りこんでカイシャンの顔を覗き込んだ。
カイシャンは背が高いし、年齢より大人びている。酒も大人に混ざって口にしているが如何せん、まだ12才だ。
何が見る目はある、だ、馬鹿らしい、と桂花は無視して通り過ぎようとしたが、カイシャンは興味を示すような素振りを見せた。それに素早く反応した男はさらに畳み掛けた。
「そうさ。男前だしこんな別嬪さん連れているんだ、いい男に間違いねぇよ。兄ちゃん、若けぇのに大したもんだなぁ。どうだい?彼女にいいとこ見せなきゃ、だろ?」
しかも桂花を女性と間違えている。しかしカイシャンは本格的に立ち止まって考え始めた。
桂花の頭の中で警報が鳴った。
「カイシャン様、いけません。帰りますよ」
カイシャンを牽制して桂花は男を睨んだ。
「この方はまだ12才だ。そんなことも分からずによく客引きができるな」
男は切り捨てるような視線と思いがけない男性の声に狼狽して体を引かせたが、悔し紛れに呟いた。
「何でぇ、優男のお守り付きでガキがお散歩中だったのか。相手にもなりゃしねぇ」
本当なら不敬罪ものだが、身分を隠している上では逮捕するわけにもいかない。大体そういう身分でこんな時間まで街をうろついているのはこちらの方だから仕方ない部分もある。
桂花はカイシャンを強引に促そうとしたが、すでにカイシャンの姿はなかった。
慌てて周囲を見渡すとカイシャンはスタスタと男の店に入っていくところだった。
「カイシャン様!?」
桂花は男を押しのけ、人ごみを掻き分けてカイシャンを追った。
店内では、すでに出来上がった客達があちこちで盛り上がっていた。その中の何人かが、やけに堂々と入ってきたがどう見てもこの場に不似合いな少年に気が付いた。しかしカイシャンは好奇の視線に対して特に気後れする様子もなく、客や行き交う従業員でごったがえす中をすり抜けながら、奥に空いている卓を見つけて腰を下ろした。その隣の卓を陣取っていた男達の一人がニヤニヤしながら従業員を呼び、カイシャンを示して
「こちらの方に俺からの一杯を差し上げてくれ」
そして何事かを耳打ちすると従業員もニヤニヤしながら頷いた。 カイシャンが物珍しそうに煤けた壁を眺めていると、先ほどの従業員が透明な酒で満たした杯をカイシャンの前へ置いた。
「あちらの方から、お客様へ」
カイシャンは杯の中身を一瞥すると、隣の男へ会釈を一つ。周りの視線を浴びる中、一瞬の躊躇もなく杯を一気に干した。そして空になった杯を卓へ置くと、椅子からストンと降り、もう1度見惚れるほど優雅に会釈をするとスタスタと店から出て行った。
客達や従業員はポカンとその姿を見送った。
カイシャンに奢った男と同席していた男が、カイシャンが飲んだ酒と同じものを注文した。それを口にした瞬間、派手にむせた。
浅い眠り。
それを妨げるように身体の先からじわじわと冷気が包んでいく。
瞼を開けることすらしんどかったが、骨の髄まで冷えきったところで頑なだった瞳が覚醒した。
辺りは霧がかかり、まるで胡粉を刷いたようだ。
「・・・・風穴・・・・・どうりで・・・・・寒いはずだ」
苦笑して呟いた男の左腹には、コイン大の何かが貫通した痕跡があった。
右肩にも鋭い爪か何かでえぐられたような傷がある。
ゆっくり半身を起こし深く息をついてから天を仰ぐと、それだけで身体がかしいでしまいそうになった。
近くの切り株を頼りに立ち上がろうとするが、体は沈子をつけられたみたいに重くだるい。大量の血が流れたせいもあり、結局は目眩をおこしその場にくずれてしまう。
「さすがにキツイ・・・」
痛みはもちろんあるが、毒だろうか?痺れたような感覚の方が強い為、こんな大ケガを負っても泣き叫ばずに済んでいる。
―――――――数年前。やはり魔族に襲われた時、死を覚悟した自分を思い出す。
眼前に迫る魔族になす術もなく顔をそむけた瞬間、紅焔が自分の前に立ちはだかった。
あまりの熱さに身をかがめ必死に転がって逃れると、そこには自国の王子が立っていた。
(アシュレイ様!?)
お忍びではなく堂々と、たった一人で自分の父親の仕事場に遊びに来ていた王子と、これまで何度か会ったことがある。
『おい、そこの!絶対に動くんじゃねーぞ!』
全身から炎のオーラを噴上げ、王子は背を向けたまま自分に向かって叫んだ。
驚きのあまり返事すらできなかったが、彼の闘う姿は瞬きもせずに見ていた。何ひとつ見落としてはいけない気がしたのだ。
斬妖槍を自在に使いこなす細い身体は、魔族に対する恐れなど微塵もなく、それどころか水を得た魚のように自由に、楽しげに技を繰り出していく。
『・・・・なんて美しい・・・』
無駄のないしなやかな動きに魅せられる。
息を殺してその闘いを見届けていたら、決着をつけたアシュレイが額の汗を拭いながらこちらを振り返った。
その目は。
普段の瞳より更に深く激しい色をしていた。
ピジョンブラッド―――――――鮮烈な鳩の血色。最高級と称えられるルビーのその色は、凶暴なほど美しいとされている。
今のアシュレイの瞳はまさにそれだった。
『なんだ、お前だったのか』
目をうばわれたまま頭を伏せる事すら忘れていると、アシュレイはしゃがみ込んで手の平を何度か上下させる。
『器用だな、目開けたまま気絶してんのか?』
我にかえって平伏し、礼を述べると「天界人が襲われてんだ、助けるのは当り前だろ」と笑った。
それからというものアシュレイは、父親ではなく自分を訪ねてくれるようになり、突然かわいい弟ができたような気分になって浮かれたものだった。
身分の尊い相手をつかまえて弟もないのだが・・・・・・。
何をしても父と比較され、自分そのものを見てくれる者がいなかった中、純粋に慕ってくれるアシュレイの存在は唯一の救いでもあったのだ。
だから尚更・・・・少しでも早く父親に近づきたくて必死になっていた。
王子が文殊塾を卒業する直前、そんな愚痴をちらっとこぼしてしまった時、彼は言ってくれたのだ。
『大丈夫だって。お前ならきっとあのオヤジに追いつく。追いついて抜かしてみせろ、俺が見ててやる』
「アシュレイ様はいつも・・・・俺自身を見てくれていた・・・・・」
あの方の為なら法など侵しても構わない。
喜んでもらえるならどんな事でもしたい。
その為なら―――命を落としても―――――。
「・・・・・でも・・・・・南に帰って・・・これを・・・」
最後の力をふりしぼって血にまみれた袋を引きよせる。
これが、恐らく探し続けていた物だと思う。とりあえず少量持ち帰って調べようとしたところで、魔族とかち合ってしまったのだ。
こちらが倒れた時点で興味を無くして行ってしまったようだが、油断はできない。魔族はきまぐれだからいつ戻ってくるか・・・・・しかし、もう指一本動かせない事は自分が一番わかっていた。
あの責任感の強い王子は、こんな風に自分が命を落としたなどと知ったらどれだけご自分を責めてしまうだろう。それを思うと、傷口よりも胸が痛む。
どうか・・・・・どうか王子が――――・・・・・・?
音もなく静かに舞い降りてきたそれは儚くとけて男の頬を伝う。
「これは・・・・・雪?」
かすむ視界の中、時折見える雪に手を伸ばそうとするが今やそれも叶わない。
『俺、寒いの苦手だけど・・・・雪は好きだ。雪って、見たことあるか?あれはすごいぜ、真綿を細かく千切ったみたいな小さい雪が、時間をかけてデカイ山をすっぽり包みこむんだ。信じられねーだろ?・・・・お前のことを人界に連れてくのは無理だけど、北で雪が降る頃に見せにつれてってやろうか』
笑っていて欲しい・・・・・いつでも、愛情に満たされて・・・。 男の呼吸が次第に細いものになっていく。
新しい武器を手にした時の王子の笑顔を想像しながら、彼は瞼を閉じた。
その口元に、わずかな笑みをともしたまま―――――。 。
。 。 。 。 。
本格的に降りだした雪は、まるでその身体を守るようにゆっくりと降り積もっていった。 。 。 。 。
。 。 。 。 。 。
。 。 。 。 。 。
後日、鍛冶職人の名匠と謳われるハンタービノからアシュレイへ、息子の訃報と共にその遺品が届けられた。
金色の光の手に伸ばした自分の動作でカイシャンは目を開けた。すぐ横には桂花の白皙の美しい寝顔がある。あの光は窓から差す朝日だったらしい。てっきり彼の髪だと思ったのだが。
いつもは触れれば指先が凍りつきそうな美貌だが、今は暖かな光に照らされているのも手伝ってか白い頬が柔らかく見える。それは匂いたつような甘ささえ感じられた。
幼い頃からカイシャンは何でも桂花に話した。けれど成長するにつれ、話せないこともできた。例えば自分が桂花をどう思っているか、とか。いっそ言ってしまえれば楽なのにそうできないのは、言葉にするには、その気持ちはまだ形のとれないものだったし、何より桂花の反応が恐ろしかった。漠然と想像がつくくらいにはカイシャンも桂花を分かっている。
誘惑に抗えず、カイシャンは桂花の頬を掠めるように触れた。気配には敏感な彼のこと。細心の注意を払わなければ。自分の鼓動が耳のすぐ内側で聞こえる。そんなに大きな音をたてたら桂花が目を覚ましてしまうじゃないか。しかし、幸いなことに長い睫はピクリとも震えなかった。それにほっとしつつも、まだ視線は桂花から離れない。頬をなぞった指先は今度こそ桂花が目をあけてしまうんじゃないかという心配をよそに、今度はうっすらと開かれた唇へと滑っていった。指先に桂花の吐息が触れ、カイシャンの指先がじんわりと熱くなった。こんな風にまた一つ桂花の知らないことが増えていく。
桂花の唇が動いたので、カイシャンは慌てて指を引っ込めた。桂花の唇から漏れたのは、聞いたことのない言葉だった。今まで習ったどの国のものとも違う、けれど、どこか懐かしい響きを帯びた言葉だった。そしてそれはなぜかカイシャンを切なくさせた。
桂花の唇がまた動いたのでカイシャンは耳を澄ませた。
「柢王・・・」
小さな掠れた声で。桂花は確かにそう言った。桂花の長い睫はしっとりと濡れていた。
こんな風に誰かの名を呼ぶ彼をカイシャンは知らない。桂花は自分が見たことない表情でその人を見つめるのだろう。だって桂花がこんな甘い声で名を呼ぶのだ。先ほどの指先はまだ熱い。これも桂花がカイシャンの知らない誰かを想って生み出された熱なのだろうか。カイシャンはそれを振り払うように昨晩からの読みかけの本を乱暴に引き寄せた。字を追ったが、内容はちっとも頭に入ってこなかった。
しばらくして桂花が起きた時、カイシャンは意趣返しのつもりでさっきの寝言のことを口にしてみた。予想以上の動揺にちょっと小気味よかった。しかし、最後の寝言はどうしても言えなかった。言ったらどんな顔をしただろう。
カイシャンの落とした爆弾に桂花はまだ沈没している。ふと、「柢王」はこんな桂花を知っているだろうかと思う。枕に顔を押し付けている桂花の髪の間から白い項が覗いた。朝日の中、透明な「柢王」の指がそこに触れるのを一瞬見えた気がして、掛け布の下で、カイシャンは無意識にさっき桂花に触れた手をきつく握った。
今、流行りの「勝ち抜き大会」へ誘って、桂花の気持ちが切り替わったところで、カイシャンは何食わぬ顔で寝台から抜け出した。
今は桂花と同じ寝台にはいたくなかった。
(3年前、テレビの格闘技番組に、もし『K-1』(川原ワールド最強王決定戦)があったら……とキャラ掲示板に書いた小話です。少しでも楽しんで頂けたら幸いです)
師走のある日。
開店前のロー・パーにやってきた忍の様子がなんだか変です。
「具合でも悪い? それともなにか心配事?」
カウンターの椅子に座る忍の前に温かいミルクティーを置き、そのまま忍の隣に腰を下ろした一樹がさりげなさを装い、そう問えば、
「……二葉が、」
二葉が、年末恒例の『K-1』に出場するというのです。忍は心配でたまりません。
「なんとか出ないで済むよう、毎年いろいろやってみたんだけど…今年はもうなにも思いつかなくて…っ。二葉、絶対出るって、お正月はチャンピオンベルトで『ひ○はじめ』だって…。なんかもうすごい勢いでっ…」
「今まであいつが出なかったってことのほうが不思議だったけど…。大変だったんだね、忍」
忍のそれまでの、たぶん捨て身の頑張りを察して、一樹はねぎらいの言葉をかけました。
「一樹さんは、今年は出ないんですか…?」
実は『K-1』参戦常連の一樹は、『魅惑の微笑』を最大の武器に毎年上位入賞者でもあったのです。
「うーん…そろそろ後進に道を譲ろうかと思っ」
「それって、二葉に、ってことじゃないですよねっ!?」
必死な様子の忍に一瞬引きかけた一樹でしたが、そこは年の功、にっこり笑って否定します。
「まさか。そういうんじゃなくて、広い意味で、だよ。上位メンバーが毎年同じだと見てて面白みがないだろう?」
「そういえば…」
入賞者っていつも同じような人たちばかりかも…、と忍も思わず頷きます。
しかも一樹同様、どちらかといえば『大会の花』のように思える者ほど、なぜか毎年あまり有効とは思えない同じ技で勝ち残っていきます。
たとえば桂花。どんなに優勢であっても油断は禁物、ついつい身軽な彼の誘いに乗って風下にまわった対戦者は身体が突然しびれてピクピクしだしたりします。
たとえば絹一。一見たおやかな風情についついフラフラと近づく愚かな対戦者は、突然回し蹴られて意識不明に陥ります。
毎年、同じパターンの技を食らって敗退する馬鹿者が多いのも、この『K-1』の特徴であり、盛り上がる要素でもあります。
しかし、そんな中にも、強い者は確かに存在するのです。
そして忍もそれを心配してるのでした。
「二葉が強いのは、俺だって分かってるつもりなんです。でも、大会に出る人って、ちょっと普通(の強さ)じゃないでしょう!? …江端さんやサルヴィーニさんや…人間でもすごく強いのに、アルフレッドさんや、霊界(昨年度出場/閻魔・城堂さん)とか天界(昨年度出場/柢王・アシュレイ・山凍)からの出場も有りだなんて…。たとえ霊力とか特別な力の使用禁止ってルールがあったとしても、俺、鼻血出してぶっ倒れる二葉なんて見たくないんです。…そりゃ血にまみれた二葉もカッコイイとは思うけど…ちょっと見てみたいとは思うけど…………、でももし二葉の鼻が折れたり前歯が欠けでもしたらと思うと……っっ!!」
「落ち着いて、忍。…かわいそうに。心配なんだね、二葉のことが」
錯乱しかける忍をすかさず抱き寄せると、一樹は優しく労わるようにささやきかけました。
「でもね、忍。男には、負けるとわかっていても戦わなければならないときがあるんだよ」
「ハー○ックですね、一樹さん…!」
一樹の言葉に、忍が顔をあげて答えます。
「さすが忍。この前勧めたDVD、もう観たんだね?」
「『真の男』について、考えさせられてます」
頷き、潤んだ瞳で誇らしそうに答える忍に、一樹は満足げに微笑むと救いを与えました。
「忍、二葉の鼻がちょっとくらい折れても心配ないよ。なんのために毎年守護主天殿がリング横に特別待機されてると思ってるの。(アシュレイが選手として出場するからです。/by:守天) 彼にかかれば折れた鼻なんて、チョチョイのチョイ、朝飯前だよ」
「前歯も…?」
「もちろん」
「鼻血も?」
「ノープロブレム」
「…でももし、相手に髪の毛を掴まれて振り回されたりしたら? 髪の毛が、二葉の、あのきらきら光る金髪が、ごっそり抜けでもしたら…っ!?」
「それこそ心配無用だよ。それくらいなら守天殿の手をわずらわせることもない。うちの顧客にアデ○ンスもアート○イチャーもリー○21も押さえてあるからね。育毛に増毛にヅラ、今はいろいろあるみたいだから安心して、ね?」
「一樹さん…っ」
一樹の言葉で少し落ち着いた忍は、気が抜けて涙がこぼれそうになりました。
「泣かない、泣かない。…二葉の応援には一緒に行こうね?」
緩みがちな口元を引き締めて、一樹は小さく頷く忍を優しく胸に抱きこみました。
(……これだから)
いつまでたっても、可愛くて手放せないんだよねぇ…。
心でそう呟きながら、優しく忍の髪を撫でる一樹のおもてには、楽しくてたまらないといった笑みが浮かんでいます。
(…フフ、フフフ)
子離れできない親のように、自分もほんの少しだけ、弟離れできない兄バカ入ってるかも…と改めて実感する一樹でした。
そして、そんなことは夢にも思わず、一樹に話したことで悩みが消え心の霧が晴れた忍は、大晦日の夜にはどんな姿になっても目をそらさず、最後まで二葉を応援することを心に誓ったのでした。
終。
「柢王様!」
200メートル離れた地点の空中から柢王とアシュレイを見ていた兵士は、空中へ伸び上
がった巨虫が目の錯覚を思わせるような急激な動きで二人を襲い、さらに上空へ巨体を立て
るように伸び上がるのを、そして一瞬だが大顎の部分にマントがはためいたのを見た。
「柢王様が!」
「・・い、いけない、すぐお助けせねば!」
口々に叫んで空中を飛び出しかけた兵士達は、しかし次の瞬間 それぞれ体の一部を突き
飛ばされて後方へ吹っ飛んでいた。
「・・・総員退避―――っ!」
兵士達の間に目にも留まらぬ速さで飛び込んできた南の太子が、彼らを突き飛ばしたと気
づいたのは、再度後方へ突き飛ばされてからだった。
「あ、アシュレイ様っ?! 何を・・・ 」
空中で体勢を立て直した兵士が抗議の声を上げかけるその横を、尻を蹴飛ばされた兵士が
回転しながら吹っ飛んでいった。
「後退しろ―――っ!」
真っ正面に南の太子の顔があった。力強いとか(凶暴とか凶暴とか凶暴とか)など闘う王
子のイメージが非常に強いので、間近で見た華奢な顔立ちのその意外さに兵士は一瞬見とれ、
そして今はその顔が、焦りに青ざめている事に気づいた。
左腕にズタズタに裂けた布にくるまれた大きな包みをかかえている。 よく見ればそれは
柢王元帥のマントであり、赤黒い染みがじわじわと広がっているのが見えた。
「―――ま!まさか、柢王様がお怪我を・・っ?!」
慌てて近寄りかけた兵士の肩をアシュレイは掴んで方向転換させると押し出すようにし
て自分も走り出す。
「逃げろ!とにかく速く走れ! あいつが術を抑え込んでいるその間に!」
「あ、あいつとは? それよりアシュレイ様!その包みは?! 柢王様がお怪我なさっている
のではないのですか?!」
アシュレイが兵士の顔を一瞬ぽかんとした顔で見た。
「な・何を言ってやがんだぁぁ! あいつなら怪我どころか、かすり傷一つなくあそこで
ぴんぴんしてる!」
「・・はっ?! しかし その包みは」
「まだ気づいてないのか?! ここら一帯の霊気が、あいつの戦闘霊気に反応して全部“雷”
の気に変わろうとしている! ここにいたら確実に巻き込まれるぞ、早く退避しろ!
急げ―――っ!」
アシュレイのその言葉に、わけの分からぬまま走っていた兵士達は、ようやく周辺の空気
が殺気立っていることに気づいた。
「・・・うわっ!? 服が体に張りついてくる!」
「・・な、何だこれ・・? か・髪が・・逆立って・・?! 」
電荷を帯びた服が体に張りつき、また髪が逆立ち始めるのに兵達は動揺し、あわてて走る
速度を上げた。
「・・・・・!」
走る兵士達の殿(しんがり)に付いて走りながら、アシュレイは後ろを振り返り、そして
上空を見上げた。
渦巻く凶暴な霊気の中心に巨虫と柢王がいる。 ・・・その上空に凄まじい速さで黒い雷雲
が広がって彼らの後を追いかけてきている。雷の気を孕んで重く高く立ち上がるその巨大な
姿にアシュレイは息をのんだ。
(・・・心臓が止まりそうなくらい人に心配をさせたと思ったら、次はこれかよー!)
・・・あの時。巨虫の頭部を飛び越えて最初にアシュレイの視界に入ったのは、巨虫の大顎
の下にある巨大な開いた口に、肩口まで頭を喰われた柢王の姿だった。
「・・・ ・・・ 柢王・・・・・ うそ、だろ・・・ ? 」
巨虫の大顎にまで飛び散って滴り落ちる血と、あたりに満ちる血臭に、言葉を失い絶望に
青ざめ、斬妖槍を取り落としかけたアシュレイの目の前で、 しかし次の瞬間、てっきり喰
われているものと思われた柢王の頭が口からひょいっと抜けだしたのだ。
さらに巨虫の口元に添えた左手で体を支え、右腕を肩口まで真っ赤に染めながら、巨虫の
口の中から何かを引きずり出した柢王が、そこでようやく側に浮いてあんぐりと口を開けて
いたアシュレイに気づいて笑いかけたのだ。
アシュレイは再び斬妖槍を取り落としかけるほど安堵すると同時に、周囲に満ちた戦闘霊
気と、巨虫の巨体を幾重にも縛り付ける青白く細い稲妻に気づいたのだった・・・。
(・・・そりゃ、確かに頭部に近い方が攻撃して、残った方がフォローに回るって承諾したさ!
けど!こんな広範囲に攻撃領域を設定する必要がどーこーにーあるんだよ!)
兵士を押しだして走りながらアシュレイは柢王の凄まじい力に背筋を震わせた。 いつも
より術の立ち上がりが早い。それに攻撃範囲も広い。しかし何よりもすさまじいのは、その
広範囲に満ちた術の発動を、アシュレイが兵士達を逃がすまで、柢王が抑制し続けていると
いうことだった。
術の発動を途中で抑え込むと言うことは、ヘタな大技を放つよりも難しく危険であること
をアシュレイは知っている。
(クソッタレ・・! あいつの霊力は,そこまで上がってるってことかよ!)
「やりたりてねーのは、てめーのほうだろーがー! ばかやろーっ!」
「・・はっ?! アシュレイ様? 何か言われましたか?!」
アシュレイに肩口を掴まれて走り続けながら問い返す兵士に、アシュレイは左腕に抱えた
大きな包みを押しつけ、そのまま肩を押し出した。
「なんでもないっ! これを持って先に行った負傷者達を追いかけろ! こいつは食いち
ぎられた兵士の足だ! ティ・・守天殿なら、つなげてくださる! 足を止めるな! このま
ま天主塔へ行け! 高度を下げるな! あいつが誘導するから雷の直撃を受ける心配はな
い!怖いのは、落ちた後に地面に跳ね返ってジグザグに飛んでくるヤツだ! ・・・!」
周囲に満ちた“雷”の気が急激に震えて光を放ち始めた。
( ・・・もう限界だ! )
アシュレイは足を止め、兵士達に向かって叫んだ。
「耳を塞いで目を瞑れ!―――来るぞ!」
・・・柢王の周囲は彼の戦闘霊気と“雷”の気の共振で青白い光を放ちながら凄まじい勢い
で振動していた。 空中に浮いた彼の足元で、巨虫がギチギチと音を立てて身じろぎしよう
としているようだったが、巨体に幾重にも巻き付いた青白い細い稲妻がそれを抑え込んでい
た。
「・・・無駄無駄。親父直伝の縛雷術だぞ?暴れたぐらいで解けると思ってんのか?」
アシュレイが兵士を逃がしているのを目の片隅で追いながら、柢王は笑った。
・・・兵士の足を見つけられたのは幸いだった。 アシュレイを突き飛ばした時、開いた大
顎のその向こうにある巨虫の口の中に何かが見えた。 巨虫が伸び上がろうとするのを幸い
大顎の端に掴まって反動をつけると巨虫より先に上空へ飛びあがり、 巨体が伸びきったと
ころを稲妻で縛り付けて動けないようにしたのだ。
口を無理矢理こじ開ける時に血が派手に飛び散ったのと、兵士の足がかなり奥の方に引っ
かかっていたので、頭まで口の中に突っ込んで手を伸ばさなければ取れなかったことには閉
口したが、これで少なくともアシュレイの心の重荷が少なくなるのなら、血で汚れることな
ど安いものだった。
「・・・それにしても、アシュレイ様々、だな。まったくあいつの霊力ときたら・・」
頭上に広がる雷雲を見上げ、柢王は苦笑した。 アシュレイは、術の発動を抑え続ける柢
王の霊力のすさまじさに驚いていたが、実際のところ、柢王はほとんど霊力を使っていなか
った。 アシュレイの炎術と違い、発動の臨界点まで達する前に少しずつ霊力で中和してや
れば、ある程度まで抑え続けることは可能なのだ。 ましてや、彼の頭上に広がる雷雲は、
柢王が霊力で一から創り上げたものではないのだった。
・・・アシュレイが劫火で粉砕した現場あたりの上空は、立ちのぼる水蒸気と熱気で霊気が
非常に不安定になっていた。 人界ではこのような状況下では雷雲が発生しやすいと教えて
くれたのは彼の副官だ。 もちろん天界と人界の気候のシステムは全く違うが、霊気が不安
定なことによって、“雷”の気を精製しやすかったのは事実だった。
つまり柢王はもともとあったものにわずかに手(霊力)を加えたに過ぎない。それがここ
まで 巨大化するとは、正直柢王も予想外だった。それだけアシュレイが振るった力の余波
が凄まじかったと言うことである。
・・・頭上の雷の気の振動が激しくなった。柢王の体内の戦闘霊気も爆発的に高まっている。
術を支え続けるのもそろそろ限界だ。
体内に満ちた霊気を放出して雷霆を導こうとした柢王は、一瞬めまいを感じた。
(・・・あ、そっか、熱があったんだっけか。 とっとと終わらせて早く帰らないと あいつ
がまた怒るな・・・―――)
怒るとますます美しい愛人の姿を思い描いて、こんな時に、と柢王は小さく笑いながら咳
き込んだ。
空気が重い。息苦しい―――。 柢王は眼下の巨虫を見おろした。
「・・この クソいまいましい濃霧もろとも消え失せろ」
――― 力の放出と、額に凄まじい痛みが走るのとは 同時だった。
―――周囲は一瞬にして白熱する光に包まれた。
術の発動と同時に放たれた轟雷の、その数億ボルトに達する高熱の電気によって 周囲の
大気は瞬時に数万度という高温に跳ね上がった。
そして熱せられた大気は光を放ちながら爆発的に膨張し、周囲に強い衝撃音波を放ったの
である。
(――― こ・これが、王族の力!)
背後から押し寄せてきた、目もくらまんばかりの光と灼熱の大気と轟音は、瞬く間に兵士
達を押し包んだ。 目を閉じる寸前、彼らの眼下の森が、見えない巨人の手で払われたかの
ように次々となぎ倒されていくのが見えた。 そのすさまじさに彼らの足は震えてすくみ、
走ることを止めていた。 目を閉じ、耳を塞いでも、凄まじい衝撃と熱気と轟音に押し包ま
れた恐怖感を緩和できるものではない。
周囲に満ちる熱気、衝撃そして轟音―――。
(・・・?)
そこでようやく彼らは何故灼熱の大気に包まれているにもかかわらず、熱さは感じるもの
の火傷を負うわけでもなく、 衝撃で足元の木々が倒れて行くのを見ていたにもかかわらず、
自分たちがその衝撃で吹き飛ばされているわけでもない事実に気づき、そろりと目を開けて
周囲を見渡し、 彼らの周囲に張り巡らされた結界と、そして彼らの上に立つべき少年が結
界の端で彼らに背を向け、次々と押し寄せる熱気と衝撃に真っ向から立ちふさがっているの
に気づいたのだった。
「・・・・・!!!!」
背中に注がれる兵士達の感謝と畏敬のまなざしに気づく余裕は今のアシュレイにはなか
った。地面に跳ね返って飛んできた雷霆が結界に衝突し、その衝撃に結界がびりびり震える。
一瞬たりとも気が抜けないこの状況に、アシュレイは戦慄しつつ困惑も覚えていた。
(あの巨虫を倒すためとはいえ、いくらなんでもこれは過剰攻撃だ!ここまで凄まじい攻撃
を本当にする必要があるのか?!)
また一つ、雷霆が結界に衝突し、光と熱気と衝撃が結界を突き抜けた。
「・・・やりすぎだ! 柢王!」
―――・・・・何かが歓喜している。いや、狂喜している。
絶え間なくわき起こる激情の深いところから、腐臭のような負の感情を噴き上げながら、
どろりとしたマグマのような赤黒い熱の塊が、せり上がってくる。
もっと力を使えと、もっと力を見せろと、狂喜するそれは『彼』を捕らえて焼き尽くそう
と見えぬ凶暴な手を伸ばす。
(コンナモノデハナイダロウ オ前ノ『力』ハ!)
(全テノ枷ヲ解キ放テ! シガラミナド切リ捨テテシマエ!)
(躊躇スルナ! 感情ノオモムクママニ破壊シロ!)
(壊セ 殺セ 天界人ヲ全テ滅ボセ! オ前ニハ ソノ『力』ガアル―――!)
「―――――止めろ!」
叫ぶと同時に、周囲の音が突然戻ってきた。 柢王の攻撃意志が消えると同時に周囲の
“雷”の気が、潮がひいてゆくように鎮まってゆく。
「―――・・・・・ッ」
空中に仰向けに倒れ込み、 集中するために止めていた息を一気に吐き出す。
耳鳴りと酸欠で頭ががんがんする。激しく息をつぎながら、あえぐように半ば呆然と柢王
はつぶやいた。
「・・・なんだ? さっきのは・・・」
割れるように痛む頭を抱えて、うめくように言葉を継ぐ。
「・・俺じゃ・・・ なかった・・・?」
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