投稿(妄想)小説の部屋 Vol.3
Welcome to the Golden wings!
画面一杯に広がる青い海と白いさんご礁。
真っ青に輝く空に、金色のラインをほどこしたジェット機が優雅に翼を傾け、下降していく。
その後ろに見える七色の虹。美しい音楽。あたたかなナレーターの声が告げる。
『黄金の翼で行く楽園の旅──天界エアラインで、あなただけのリゾートへ』
画面を見終わったティアランディアは、美しい顔に安堵の色を浮かべて頷いた。
『アウトラインはこれで問題ないかと思います』
先程、そう告げて部屋を出て行った山凍の笑みを思い出す。
問題ない。というより問題解決。持つべきものは頼りになるスタッフだ。ティアは満面の笑顔で壁にあるご先祖様の写真に手を合わせた。
ここは空港ターミナルにほど近い、『天界航空』のビルの最上階にあるオーナールーム。一面の窓からは離着陸する航空機の姿を望む事もできる。ティアにとっては幼い頃から見てきた大好きな光景だ。
業界大手の航空会社を先代から譲り受けて二年。歳若いオーナーが老舗の会社を管理するのは大変な仕事だ。
もともと親族会社、教育は子供の時から受けてきたが、現状は往々にして教育とは異なる。時に気疲れする事もあるが、ティアにとっては幼い頃からの夢である会社だし、改正や競争のある市場にも熱意と創意性で対応してくれる有能なスタッフたちにも恵まれていた。
自分ひとりで気負わなくてもいいとの信頼はスタッフにも伝わっていて、この二年、天界航空は順調に業績を伸ばしていた。
まあ、たまにごく迷惑な問題も起きる事もあるが・・・・・。
と、ためいきをついたティアの気をノックの音が変えた。秘書を通さずここに来るのは二人しかいない。瞳を輝かせて、どうぞと答えると、
「よう」
ドアが大きく開いて、男が顔を出した。黒髪に輝く瞳、着ているのは国際線の機長の制服だ。男は陽気そうな笑顔でティアに手を上げた。
「久しぶり。待たせたか」
「ううん、全然時間どおりだよ、柢王! さあ座って、変わりない?」
ティアは矢継ぎ早に言うと椅子を勧めた。
「あいかわらずこき使われてるよ。あれ、俺ひとりか」
「あ、桂花はすぐ来るよ。さっき営業部から連絡があったから」
柢王、と呼ばれた男はそれにへぇと答えると、ソファにどっかり腰をおろした。
「なんか疲れてんな、大丈夫か」
尋ねられて、ティアは思わず微笑んだ。
柢王は、天界航空の機長であると同時にティアの幼馴染だった。父親も天界航空の機長だった関係で、同じ境遇の柢王の副機長アシュレイとともに、幼い時から側にいた気の置けない親友なのだ。
「平気だよ。実はさっき山凍部長が夏の企画を持ってきてくれて──」
「ああ、あの世行き直行便!」
「だからそれを訂正したんだってばっ!」
ライバル会社の冥界航空が売り出した旅の企画『大人の贅沢、古都の旅』は、高級感溢れる画像と、黒い翼を持つ機体が古い優雅な街並みの上を行くイメージとが当たったのか反響を呼んでいた。
その対抗策として、天界航空でも、新規乗り入れをしたリゾート地への市場を広げる狙いもあって、リゾートへの自社旅行の企画を組む事になったのだ。が──
どこから話を聞いたのか、古くからいる重役たちがいきなりその企画のキャッチコピーを掲げて来たのには一同あぜんだ。しかも、
『天界航空──天国への翼』
いや、確かにそのリゾートは奇跡のように美しく、まさに天国と賞される場所。今後も期待のリゾートだ。
が、地に足のつかないフライトで『天国への翼』は笑い事ではない。
噂を聞いたパイロットたちはみんな『縁起でもない』と呆れたし、柢王などは大笑いして言い放った。
「事故が起きたら絶対『あの世行き直行便』だって叩かれんぜ!」
古くからいる社員を若い社長がどうするかはどこの会社でも思案のし処だろう。相手はティアが赤ん坊の時から知っているのだ。だけにその忠誠心と責任感もわからないではない。が、なにせ歳のせいかボケている。
幸い、今回もまた誠実実直で岩のようにゆるぎない広報部長山凍のおかげで事なきを得たが、ティアは時々、そのモグラのような神出鬼没な年寄りたちに、ハンマーをよこせといいたくなることもないではなかった。
「まあ、じいさんたちも愛嬌だよな。やることねぇから仕方ねえよ」
柢王が笑って、秘書の持ってきたお茶を飲む。ティアも苦笑いを浮かべた。ティアが時に青二才の自分にいらだつ事があるときでも、柢王は朗らかに気持ちをほぐしてくれる。その余裕がスタッフから信頼され好かれているのだ。
「ま、おまえもあれこれ心配だよな。来月にはアシュレイが機長になるし。おまえ、また無理やりコネ使って管制塔まで入り込む気だろ?」
「だって、柢王、初めてのフライトなんだよ。少しくらい見守ったって──」
「初めてじゃねえよ。俺と何度も飛んでる路線だ。南回りは雷に遭遇しなきゃそう心配するこたねえよ。ま、俺としては隣が淋しくなるけど、あいつの腕は信用してるからな」
「私だって信用してるよ。でも──」
いいかけたティアを遮るようにノックの音がして、秘書が桂花が来たと告げた。柢王が、おっ、と呟いて姿勢をおこす。その瞳にきらめきが宿る。
ティアはその顔に目をやりながら、入ってもらうように告げた。
「失礼します、オーナー」
機長の制服を来た男がドアから入って来る。すらりとした四肢と白い長い髪。赤い尾髪の、美しい男だ。かれは、ティアとソファにいる柢王とを確認すると、落ち着いた声で言った。
「お待たせして申し訳ありませんでした」
ティアは笑顔で椅子を勧めた。
「こっちこそ呼び出してすまないね、桂花。座って。お茶は何がいい?」
「いえ、いまは結構です。ありがとうございます」
「よ、久しぶり」
向かいの席に腰を下ろした桂花に、柢王が笑顔で挨拶する。その顔に、ティアに対する時ともまた違う種類の生き生きとした表情が浮かんでいる。対して、桂花はいつも通り落ち着いた──落ち着き払ったとでもいいたいような笑みを浮かべて答えた。
「久しぶりですね」
瞬間、ティアはオーナーの椅子からわずかに身を起こした。
なにが、というのでもないがいつもティアはこの二人が揃うと食い入るように見てしまうのだ。いや、実際、同じ国際線の機長であるふたりが顔を合わせる機会は少ないはずなのだが、にも関わらずこのふたりは、初対面の時からいつも、ティアにその、微弱な電流が肌にピリピリ触れるような、言葉にいいにくい雰囲気を感じさせるのだった。
とはいえ、そんなことを確認するために呼んだのではなかった。ティアは渋々好奇心を忘れて、話を切り出した。
それは来月行われる航空業界主催の若手のパイロットの研修の件で、それは業界の若手の交流とスキルアップを目的としていた。今回、営業部から推薦されたのがこのふたりなのだ。
柢王はもちろん、半年前に冥界航空から移ってきた桂花も技能的にも優れたパイロットだ。ほぼ満場一致のその採決を、当人たちももちろん知っているし、詳しい話も聞いているはずだった。
ティアがふたりを呼んだのはもう一度その趣旨を自分の口から伝える事と、天界航空としてもふたりに期待していると伝えるためだ。大した用ではないし、オーナーの仕事でもないかも知れないが、ティアはなるべくスタッフと接触の機会を持つようにしていたし、パイロットが会社にいる時間は少ない。それが正しいやり方かどうかはともかく社内に反対らしきものはなかった。
それに、会場でもといた会社のパイロットと顔を合わせる予定の桂花のことも心配だったからなのだが・・・・・・。
「・・・・・・ということで、私の話は以上だけど、なにか心配に思うこととかある? 桂花も遠慮しないで言っていいよ」
何気ないつもりで水を向けてみたが、桂花は落ち着いた顔でいいえと答えた。
「主旨はいまオーナーから改めて伺いましたし、いまの時点では特に」
本当に? ティアは聞きたくなったが、口をつぐんだ。桂花が問題ないといえばそれは本当に問題ないのだ。というよりもこのクールで美形な機長は誰より問題を抱えそうにない。
(ま、そこが問題なんだけどね)
行っても仕方ないことは仕方がない。ティアは微笑むと、柢王にちらっと視線を投げ、
「では、その件に関しては頼んだよ。ふたりとも、明日からも気を付けて」
「はい」
ふたりは一礼すると部屋を出て行った。
「なあ、せっかく会えたんだし、飲みにでも行かないか」
ちょうど来合わせていたエレベーターで、営業部のある階に降りる途中、柢王が人懐こい笑顔でそう尋ねた。
それに対する桂花の答えは、
「あいにく明日早いので」
「あ? 明日は短距離だろ?」
「距離は関係ありませんよ」
柢王は苦笑した。フライト十二時間前からの乗務員の飲酒は禁止されているが、それ以前に、会う度に何事かを誘い、その度にさらりと断られるのはこの男の人生にそうはない経験だ。
「女の子たちもおまえだけは何度誘っても合コン来てくんねぇってがっかりしてたぞ」
肩をすくめてそう笑うと、
「そういうあなたは常連らしいですね」
「へえ、俺のこと、気にかけてくれてたんだ?」
「あなたの噂は嫌でも耳に入りますよ」
チン、とエレベーターが止まり、桂花が先に出る。後に続いた柢王に、
「では、吾はここで」
「寄ってかないのか」
「ええ、連絡事項は確認しましたから」
「何事にも抜かりがないな」
苦笑いした柢王に、桂花は初めて視線を合わせて笑みを見せ、
「ありがとう」
微笑んだその顔は、しかし、営業用とでも書いてあるかのようだ。
その笑みのまま、ではときびすを返した相手に、柢王はため息をついて肩をすくめた。
どんな時でも冷静で頼りになるパイロット。人懐こくはないが、いつも丁寧で穏やかだ。この半年の間で、桂花の関係者間での評価はますます上々だった。
空恐ろしいほどの美貌とフライトセンス。来る前に飛び交った噂では、超がつくほどクールで取り付く島もないと言われていたが、実際には、桂花はいつ見ても落ち着いていて、穏やかな笑みを浮かべていた。
だが、その丁寧さの根底にある絶対の距離。柢王は初めて見た時からそれを感じている数少ないスタッフのひとりだった。
スタッフを信用しないというのではないだろう。自分以外のスタッフを備品のように扱うパイロットもいる。桂花はそんなタイプではなかった。だが、誰にも心に触れさせない。切り立った山に積もる常雪のように、誰からもかけ離れている。
ティアはそんな桂花の性格を気にかけていたし、アシュレイは反感を持っていた。
『あいつは信用できねーんだよっ』
酔った弾みで自分にそう言ったアシュレイの言葉の真意を、柢王は理解していた。感情豊かで人情的なアシュレイには、桂花のその一見優しそうな冷ややかさはよけいに腹立たしいのだろう。実際に何か問題があるわけではないのだが、桂花とのコンビだけは嫌だと拒んでいたのだ。が、それももうないことになる。
「高嶺の花、か」
柢王は肩をすくめると天井を見た。
初めて会った時の、心臓を貫くような衝撃がいまも思い出せた。冷たい刃物のような美貌。なにがあっても仮面を崩しそうにない強さ。その内側に、何があるのか知らずにはいられない。そう思う気持ちを自分がいまも持ち続けている理由もわかっている。
「冷たくされるとよけいに惚れたくなるよなぁ」
あれほど強く胸を貫かれたら、誰にでもわかる。
どうしようもないほど好きになるだろうということが──。
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