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投稿(妄想)小説の部屋 Vol.3

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No.41 (2006/11/11 12:19) title:典艶なる新春の祭典(プレステージ)
Name:しおみ (175.101.99.219.ap.yournet.ne.jp)

碧玉さん作『憂悠なる秋の祭典』をテキストにご覧下さい。

「はぁぁぁぁぁ」
 あえて視界に入れないようにしていた執務机の方から、本日何度目かのため息が聞こえる。がりがり頭をかいて、書き掛けていた書類をぐしゃぐしゃにして放り出す。こんなことがつい数ヶ月前にもあった。
 そのとき同様──いや、そのときの学習経験により、桂花は可能な限り無視を決め込んできた。が、もう限界だ。
「柢王、いいかげんにしてください」
 側近用の机を叩きつけて、元帥の執務机の方を向いた。
「静かにできないなら、どこか遠くに行ってもらえませんか」
 口調は依頼形だが、実質は命令だ。その言葉に、柢王が顔を上げ、
「冷てぇよな、桂花。最愛の男が悩んでんのにさー」
 ぐったり机に額をつく。
 時には最愛の男より、すっきり片付いた机の方が好ましいこともある。桂花は思ったが、口には出さなかった。立ち上がると、つかつかと柢王の机に歩み寄り、
「今度はなんなんですか」
 仕事でないのは先刻承知だ。仕事なら、悩む前にこちらに押し付けてくるからだ。机の上には札のようなものが並び、字を書いた紙が散乱している。
「よく聞いてくれた、これは──」
「言っておきますが手伝いませんよ」
 いまにも猫撫でスマイルを咲かせようとしていた柢王が、がっくり机にのめりこむ。
「マジで冷てぇ」
「あたりまえですよ。吾は仕事をしているんです。それに、この前のことを考えたら、どうせろくでもないことに決まっています」
 この前というのは、この前こうして机の前で悶々としている柢王を見た時の事だ。その時、つい何事かと聞いた桂花に、柢王は天界で行われている行事の話をした。
『四国対抗親ばか合戦』。正式名称は違うが、桂花のつけた仮名がそれだ。
 天界では、四国の交流と体力強化などの理由により、スポーツ大会が行われるのが慣わしらしい。柢王はその競技内容と規則を作るように、主催者である『文殊塾』から依頼を受けていたのだ。
 もしそれが正しい意味でのスポーツ大会なら、桂花も文句はなかった。が、内容を聞くうちに天界人はバカだとしか思えなくなった。詳しい話はテキスト参照。憂いで愁いな祭典だ。
 机の上の札は無地と、姿絵。天界人のものらしい。柢王やティアのもある。嫌な予感がしてそのまま席に戻ろうとした桂花を、動物的カンで気づいたらしい柢王がガシっと捕まえる。
「柢王っ」
「頼むから手伝ってくれっ、何でも言うこと聞くからっ」
「いままでも何度もそう言って、そもそもそあなたは人の話なんか聞かないくせにっ」
「今度はちゃんと聞くからっ、頼むっ!」
 拝み倒さんばかりに手を合わせられて、桂花は憮然とした。いままで、本当に聞いていなかった事は自白ではっきりしたが、一生のお願いをずいぶん先の人生の分まで使っているような男を好きになったのが運のつきと言うものだ。
「・・・言うだけなら構いません。今度は何ですか」
 柢王は、それへいま泣いたなんとかで、
「ん、四国対抗札取り合戦!」
「──仕事が詰んでいますね、吾は」
「あああ、頼むって、今度上等な肉食わせるから、頼む、桂花っ!」
「肉が食いたいのはあなたでしょーがっ」
 そして料理するのはおそらく自分。甘えモードの柢王は理論的にめちゃくちゃで突込みどころ満載だが、そもそもそ甘えで問題解決する気なのだからしょうがない。
「で、どんな大会なんですか?」
 柢王の座る椅子近く、机に軽く腿を載せて斜めに見下ろすと、甘えモードの男は「ん〜」と呟きながら膝枕になだれ込もうとする。それを近くの書類の束ではたいて、
「だ・か・らっ」
「痛ってーな。わかったよ。説明する。あのな、正月に」
「天界に正月が?」
「あー、えーと、まあ一年の始まりにだな、文殊塾で、四国対抗の札取り合戦があるんだよ。もともとは人間界の行事で、ひとつの詩を半分にして、誰かが上の詩を読み始めたら、その下の書いてある絵札を取るっていうのな。で、それはまあ詩の勉強にもなるし、結構反射神経も使うし、頭の体操にもなるってことで、最初は子供たちのためにさせていたんだけどな」
「それが例によって親ばか合戦になっていったと?」
 文殊塾は教養、武術に礼儀作法となんでもござれな天界のマナースクールだ。当然王侯貴族のOBがほとんどで、その子弟の大会となれば親がしゃしゃり出てくる。と、いうより、親の方が威信をかけて出張ってくるので、子供はおちおち負けられない。運動会もそうだった。
「それで、今度はあなたは何をするんですか?」
 文化競技でも油断大敵だ。桂花の予想を裏付けるように、
「俺はまず、札の用意をして、ティアに呪文をかけてもらって・・・」
「はい?」
「いや、だからさ、札を並べて取るって言ってもさ、本当は手で取るのが礼儀なんだけど、例によって熱くなってくるとみんな技に走るっつーか。まあうちの貴族だと風で札を飛ばしたりとか、南だと相手が取ろうとした札を燃やしちまうとか」
「どーゆーゲームですか、それはっ」
「何回も審判のジャッジが入るんだけどなかなか聞かなくてさー。で、そういうことなら、もう最初からティアに頼んで札には悪さができないようにしようってことで」
「またそんな理由で守天殿を・・・・・・」
 頭が痛くなりそうだ。ただでさえ忙しい守天をそんなことに使うとは。運動会の時は救護要員だった。この天界どころか人間界まで支えている唯一絶対の存在だというのに。
「でも、あなたの仕事はその程度ですか」
「ああ、後は会場の警備の手配とか、弁当は仕出しにするとか」
「弁当合戦まではさせないと」
「そうそう。あと応援団はなし」
 そもそもどうゆー応援をするんだ、桂花は心で突っ込んだ。
「それなら簡単そうじゃないですか。何を悩むんですか」
 札に詩を書いて印刷させ、ティアに渡すだけ──あとは人にさせればいいだけのことだ。
 尋ねた桂花に、柢王は肩をすくめ、
「でも、札を用意するのも大変なんだぜ。最近はさ、決まった詩ばっかり使っていると自分で作った札をこっそり持ち込む奴がいてさ」
「それはいかさまでは?」
 新年早々いかさまかよ。が、柢王はやはり人の話を聞かないらしく、平然と続けた。
「それで、前回から民間に札に使う詩を募集してるんだけどな。各国の使い女とか従者とか、直接競技に関係ない奴から。その選考が大変なんだよ。なかなかぴったりのがなくって」
「ぴったり?」
「いや、だって初めての詩だろ、誰も下半分なんかわかんねぇじゃん。だから、絵札は天界で少しは知られているような奴の姿絵にして、詩を読んだらそれに関連する奴の札を取るっていうルールになったんだけどさ」
 それは連想ゲーム? 突っ込みももう口に出したくない。
「まあその姿絵の段階で修正ありーの描き直しありーので、ようやく札がそろったトコなんだよな。だから後は読み札なんだけど、これが──」
 柢王はため息をついて、机の上の紙の束を桂花によこした。桂花は渋々覗いてみた。
 紙面に柢王の走り書きでびっしりと文字が書かれ、ところどころ二重線で消されてある。例えば、
「『八人揃って一馬力』──」
「あ、それ没な。言いたいことは同意すっけど、やべぇだろ、バレたら。八人がかりで怒られんぞ」
 つか、なぜ馬力? 似たような句も消してある。『八人揃って一レンジャー』。あたっている。が、そもそも詩ですらない。
「『白髪三千丈』──これ、聞いたことありますね」
 つかぱくり? 柢王は、ああと頷くと、
「それ親父な。でも言うなよ。本人はプラチナブロンドだって言い張ってんだから」
「『天界抱かれたい男・ヤング部門ナンバーワン』」
「あ、それは──」
 おそらく、俺、といいかけただろう柢王が、桂花のまなざしにそのまま横を向く。
「これも没、と─」
 桂花はぶっとい二重線で消して、書類をぱらぱらとめくった。
「太子ひとりで噴火(かじ)の元──わかりますね、誰だか。しっかし、まともなものはないんですか、まともなものはっ」
「だからそれを捜してんだって」
 柢王は頭をがりがり掻くと桂花を向き直り、
「なー、頼むよ。おまえ頭いいしさ、美人だし、俺なんかよりずっと人を見る目もあるしさー、だから手伝ってくれよ。締め切りが明日なんだって。今日のうちにやらねーと印刷間に合わないんだって。頼むよ、なっ、桂花ぁ〜」
 甘えた声で懇願する柢王の瞳は、「おまえだけが俺の大事な奴なんだぜ」といいたげな輝きがきらきらしている。
 桂花はその瞳を見つめた。いままで柢王にされてきたお願いと、今時分が抱えている仕事とを思い起こしてみる。東領元帥がこんなことで時間を割かれていることと、自分が手伝ったらどれだけ早いかをも、心で計算してみる。そして決めた。
「わかりました、柢王。吾が最大の協力をします」
「マジで最高っっ!」
 抱きつきそうになる柢王を軽くおしのけ、
「いいですか、柢王。吾の協力はこうです。吾はいまから花街の報告書を書き上げ、今日のあなたの書類も作っておきます。見回りも吾ひとりで行きます。その他、吾にできるあなたの仕事は全てしておきます。だから、あなたは心置きなくその作業を終らせてください、ひとりで!」
「えええええええっ」
「ちなみに、夜も帰ってこなくて構いません。吾には冰玉がいますから。そういうわけでまずそれを一切合財持って外へ!」
「け、桂花っ! おまえ、ひどすぎんぞっ、俺はおまえの──」
「最愛の男でも甘やかすのは愛じゃありません。愛は相手が独り立ちするのを願う事です。とにかくさっさと外へ!」
「マジで冷てぇよっ」
「あなたの本気がたくさんあるのはよーくわかりましたから、外へ!」

 ようやく──
 柢王を追い出した桂花は、椅子に腰をおろすとほっとためいきをついた。
 ことが事務であるなら、柢王を助けて道草食うよりも柢王の分まで自分がやるほうがはるかに効率的で能率的に決まっている。
 正しい判断ができてよかった。そう頷きつつ、いま学んだ教訓を紙に書き出し、机に貼った。
『悩んでいる柢王は無視する』『天界人はやはりバカ』。
「今度の仮名は『天界新春バカバカ合戦』ってとこだな」
 さっくり名づけて、仕事に戻ったのだった。


No.40 (2006/11/09 14:50) title:八仙抄
Name:しおみ (148.101.99.219.ap.yournet.ne.jp)


 突然じゃが、わしの名前は紫仙一号。むろん仮名じゃ。天界の所司であり、守天様の補佐を勤める八紫仙のひとりじゃ。
本名は別にあるのじゃが、わしら八紫仙は常にチームワークで働いておる。わしだけ抜け駆けするわけにはゆかぬので、一号様と呼んでよろしい。
 ときに諸君らは、わしらの姿を見たことがあると思うが、わしらは常に官位にふさわしい装束に身を包み、顔も隠しておる。重大任務ゆえ、顔を隠すのは慣例じゃ。決して不細工だから隠しておるのではないぞっ。
 先日、天界瓦版にそのようなでたらめが噂されておったが、本当のわしの顔ときたら、花街に飾れば客が引きもきらぬほどの男前じゃ。本当じゃぞ。
 八紫仙は尊い役目ゆえ、多少の神秘性は不可欠なのじゃ。わしを含め、みんな尊い生まれで教養もぴか一じゃ。わしの身元なぞ、明かせば諸君らは平伏するのに違いない。
 断っておくが、わしが『じゃ』と話すのは八紫仙テキストの威厳ある話し方講座に則ってのことじゃ。年寄りだからではないぞっ。広島県人だからでもないぞっ、よいなっ。
 おお、すまぬ、話がそれてしまったわい。今日はの、諸君らに、よいものを見せて進ぜようと思ったのじゃった。
 改装中の蔵書室の棚の上から見つかったという書物を、蔵書係りのナセル・ノースがわしのところへ持ってきたのじゃ。あの若者はよう働く上に気配りがあってよいのぅ。指圧が上手いのがますますよい。
 いや、そのようなことはよいが、その書物というのが聞いて驚くでない、われらが歴代八紫仙による『守天様日誌』じゃ──ここは驚くところじゃ、なぜ驚かんっ。
 驚いたか? よし。わしら八紫仙は守天様のおそばにお仕えしておるので、誰より守天様のご様子に通じておる。
業務が速やかに行われるように、毎日の日誌も欠かさぬのじゃ。それをある程度まとめて清書したのがこの『守天様日誌』じゃ。
 なになに、天主塔の事は門外不出では、とな? 確かにそうじゃ。特に先代以前の守天様の事は口に出してはならぬのが天界の不文律じゃ。
 とはいえ、わしら高貴な八紫仙が高貴な守天様のためにつづった日誌なのじゃぞ。わしら八紫仙の教養と職務への厳格さのつまった日誌なのじゃ。ぜひにと乞われればむげには断れぬ。これは文化遺産じゃからの。読みたいであろうの。読んでみたいであろう?
 うむ、そこまで請うのならば仕方あるまいの。では、ひそかに諸君らにその一部分を見せて進ぜよう。なに、一号様って男前で太っ腹だとな。
いやなに、そのような世辞は百万回聞いても厭きぬが、先に進まねばらぬゆえの。世辞は後でも構わぬぞ。
 これはずいぶん古ぼけておる、いやいや歴史ある日誌じゃ。わしの先代の先代の先代の先々代あたりから書かれておるゆえな。残念ながら今生の守天様の事は書かれてはおらぬが、いずれわしらが『若様日誌』をお作り申し上げるゆえ、諸君らは案じずともよいぞ。
 飾り文字で『八仙抄』とな。うーむ、表紙も立派じゃ。実のところ、わしもこの日誌を読むのは今日が初めてなのじゃ。昨夜発見されたゆえな。じゃからわしも諸君ら同様、歴代の八紫仙の英知への期待に心が躍っておる。
 それでは、ページをめくるぞ。げほげほ。埃っぽいのぅ。
『これはわれら八紫仙の日誌の総括である。責任重き役職なれば赤裸々に真実を語りたる。なれどゆめゆめ守天様のお目には触れぬよう、しかと管理するがよろし』
 うむ、この心構え。これぞ、八紫仙じゃっ。
 おお、まず初めは守天様の『座右の銘』とな。うむうむ。天界・人間界を統べる尊い方ゆえ、『座右の銘』くらいあるのが当然じゃ。
守天様の御名も記されてはおるが、諸君らには必要ないゆえ、それは明かさぬ事にしよう。
 ではまず最初のひと方じゃ。
『堅牢堅固』
 うむ? よくはわからぬが、きっと堅い巌のような志を持って職務に尽くすというお心の表れじゃな。次じゃ。
『空前絶後』
 こ、これはきっとこれまでにない立派な守天様になられようというご決意に違いない。次じゃ。
『ノブレス・オブリージュ』
 おお、これぞ守天様じゃ。尊い身の義務ということじゃなっ。なれど、なにゆえフランス語かのう? それも時代先取りじゃ。まあよい、きっとこのようなすばらしいお言葉が続くであろう、次じゃ。
『世界はわたしのためにある』
 うむ? これはきっと書き間違えであろう。守天様は世界の護り手じゃ。世界のために守天様があられるのじゃからの。次はどうじゃ。
『さっくりさくさく万事てきとー』
 ・・・・・・。
 諸君、『座右の銘』には充分感銘を受けたじゃろう。次の項目はの、おお、なんと、守天様の日常生活じゃ。歴代紫仙も登場しおるぞ。では。
『×月×日 紫仙一号』
 おお、わしと同じく一号様じゃ。ありがたく拝見するとよいぞ。

『本日、執務室にて守天様が窓を開け放し、風を入れておいでだった。しかし、お机の上の書類が飛んでしまうため、わたくしがお閉めしようとすると、
『ああ、そこの線、踏まないように。そこがボーダーラインだから』
 みれば床に線がかかれてある。思わず、これは何かと伺うと、守天様はお笑いになりおっしゃった。
『風でその線まで飛んだら重要、そうでないものは却下』
 諸君。この件にはいかが対応すべきか』
 
 ごんっ。
 こ、これも何かの間違いじゃっ。
『×月×日 紫仙三号』
 今度こそは間違いなかろう。

『本日、守天様にはご機嫌麗しからず。わたくしが四国視察についてご意見を伺うと、
『外交は政治家に任せる』
とのお返事であった。諸君、これについていかがお答えするべきか』
『紫仙二号の回答 東領では舟遊び、南領では温泉があるとお伝えせよ』
『紫仙三号の回答 快くお引き受けくださった』。
 
 なっ、なにごとか、これはっ。天界に政治家などおらぬと誰もお教えしておらぬのかっ。なにっ、次こそはっ。
『×月×日 紫仙四号 《重要》』
 おお、何か重大事件が起きたのかっ、諸君、歴史的新事実に出会えるかもしれぬぞっっ。

『本日、守天様がふいにお尋ねになられた。
『おまえたちはなぜ八人もいるのだ?』
 わたくしが、わたくしたちはそれは重要な役職で、様様な事に気を配らねばならぬゆえでございますと申し上げると、守天様は身も凍るような視線でわたくしをご覧になられた。
『世界はわたしが動かしているのに?』
 諸君、すばやい回答を乞うっ』

 なななんということじゃ、無回答とはひどすぎるっっっ。

 う、ううむ、どうもわしが予測した日誌とはいささか様相が異なるようじゃが、歴史ある日誌ゆえの、ジェネレーション・ギャップというのもあるのであろう。次は──おお、守天様の個人情報じゃ。なになにお好きなお色とな。
『黄色』
 うむ、天界で最も高貴なお色じゃ。守天様と閻魔様しかお召しになられぬのじゃぞ。
『グレイ』
 これもシックじゃの。理由もかかれてあるぞ。『世の中灰色』。次じゃ。
『限りなく透明に近いシアン・ブルー』
 よ、よくわからぬが、シアン・ブルーとは青酸カリとかいう薬の色じゃのぅ。
『パールグレイッシュ・ローズマイカ』
 それはどこの車じゃっっっ。

 うぉほん。
 諸君、この日誌の内容が計り知れぬほどに奥深いことが、多少触れただけとは言えよくわかったことじゃろう。このようにわしら八紫仙の役割は、諸君らの想像もつかぬほどに深く尊いのじゃ。
 この日誌の続きには、守天様のお好きな音楽、お好きな食べ物を初めとして、『守天様の天気予報』『守天様占い』『今日の守天様』など情報盛りだくさんなのじゃが、わしも忙しい身じゃ、職務に戻らねばならぬ。続きが読みたいのであれば、ファンレターは天主塔気付で遠慮なく送るがよい。
 じゃがくれぐれも、この日誌の内容は外にはばらさぬようにのっ。ことに守天様には絶対にばらしてはならぬぞっ。よいなっ、約束じゃからなっ。
 それではわしは職務に戻る。
 諸君、よい週末を〜、じゃ。


No.39 (2006/11/09 12:54) title:Point of No Return
Name:しおみ (167.101.99.219.ap.yournet.ne.jp)


 ゲルの中は賑やかな笑い声に満ちている。
 夕方、桂花のいるゲルにカイシャンが共を連れてやってきたのだ。
 従ってきた者の中にはバヤンもいて、ゲルに集った兵士たちが王子のために昔語りをしていた。過去の華々しい活躍ぶりを、多少の誇張は交えながら身振り手振りを加えて話す兵たちに、幼い王子は瞳を輝かせ聞き入っていた。
 桂花はその側にいて、食事も取りこぼすほど熱中しているカイシャンの世話を、いつもながら冷静な顔で焼きながら、聞くとはなしに聞いていた。
 もっとも、御前でありながら酒の入った兵士たちの声は大きく、聞きたくなくても聞こえたし、熱気に満ちたゲルの中は蒸し暑いほどだった。
 ちょうど、兵士のうちでもやや壮年のひとりが、若い頃の武勇伝を得々として語った後、苦笑いで言葉を継いだ。
「とは言え、あんな無茶ができたのは若さゆえと申すものでしょうな。いま同じ事をしろといわれては腰が立たぬわ。戻れるものならあの頃に戻りたいものだ」
 戦上手で、戦闘を恐れないのはモンゴルの血だ。その誇りは歳がいくつであろうと変わらない。だからこそ、男の言葉に周囲はどっと笑い崩れた。
 と、カイシャンが桂花の顔を見上げて尋ねた。
「歳を取ったら、みんな昔に戻りたいと思うものなのか、桂花」
 居合わせた一堂はその言葉にまたも声を上げて笑った。少し離れていた席にいたバヤンが、その男の言葉の奥行きを説明しようとしかけたが、それより早く、カイシャンが言葉を継いだ。
「おまえも、戻りたいと思う時があるのか」
 視界の隅で、瞬間、バヤンの顔がなにかいいたげに動いた。が、桂花は落ち着き払った顔で答えた。
「吾にはありません」
 漏れ聞いた兵が笑い声を立てる。
「それはそうだ、桂花殿はお若いから」
「まったくだ。そこへ行くとわしなどはもう・・・・・・」
 と、話を引き取った兵が自らを肴に場を沸き立たせた。
 が、カイシャンはそっと桂花の袖を引くと囁いた。
「本当に、戻りたい時はないのか」
 その瞳が真剣といいたいように光る。桂花はそれを見つめたまま答えた。
「ございません」
 カイシャンの顔いっぱいに笑みが広がった。
「では、桂花はいまが一番幸せなのだな」
 誇らしげにそう尋ねたカイシャンに、桂花は微笑んだだけで何も答えなかった。

 夜が更けて、寝付いたカイシャンを寝台に運び、兵たちもおのおのの寝場所に戻った後──
 桂花は外へと出た。
 目の前に暗く広がる草原。露の匂いが感じられる。かすかに肌寒い大気に空を仰ぐと、濃い群青色の空に満天の星がこぼれおちそうな輝きを宿している。
 足を踏み出せば、それが壊れて落ちてきそうな錯覚を抱きながら、桂花は夜露にぬれた草を踏みしだいて、歩いた。さわさわと、草原のざわめきが聞こえるほどの静寂。膚をすぎる冷たい風。
(こうして──)
 草原の中を、地上の星のような輝く草を踏みしめて歩いた時があった。
 懐かしむように、瞳を細めてそこに佇む。
 と、草を踏む音がして、
「桂花殿」
「バヤン殿か」
 桂花は振り向きもしなかった。先程の席で、この男がなにかいいたげな目をしていたのは気づいていた。
「どうなされたのです」
 尋ねると、バヤンは桂花の隣にきて、
「お聞きしたいことがあったので」
 桂花は草原に目を向けたまま、
「聞きたいこと?」
「先程、カイシャン様に桂花殿が言われていた言葉が気になって。桂花殿には、これまでのうちに戻りたいと思う時はないと」
「ええ」
「しかし、私には桂花殿はいささかためらわれたように見えた。あれは、カイシャン様のためにそう答えられたのか」
 咎めているわけではない、気がかりそうにそう尋ねたバヤンに、桂花はかすかに微笑した。
(何事もよく気のつく男だ)
 たぶん、そう聞きたいのだろうと、声をかけられた時から察していた。桂花は、いいえと答えると、初めて、バヤンの顔を見た。
「確かに、吾がいまより他にないと答えれば、カイシャン様は喜ばれたでしょう。ですが、嘘をついたわけではありません」
「では、桂花殿はいまが一番よい時だと思っておられると言うことか」
 疑うのではないが、確信の持てぬようなバヤンの言葉に、桂花はかすかに肩をすくめた。
(ずいぶんと、酷な問いだな)
 心の呟きはかけらも見せず、いつもの冷静な顔で答える。
「あいにくと、吾は夢を見ぬ性質なのですよ、バヤン殿。他の時に戻りたいなど、思って見ても仕方のないことでは? 吾はいまあるところにある、それだけですよ」
「では、心には戻ってみたい時があると言うことか」
 バヤンが畳み掛けるように聞いた。桂花はそれに再び、肩をすくめた。バヤンが頷いた。
「やはり。それはいつ──幸せだったときのことか」
 桂花は今度こそ、小さく声を上げて笑った。
「一体どうしたというのです、バヤン殿。まるで吾が道で迷った子供でもあるかのような言いようだ」
 桂花の言葉に、バヤンはかすかに頬を赤くした。が、すぐに真顔に返ると言った。
「私はあなたがカイシャン様の側にいて欲しいと思っているだけだ。カイシャン様にはあなたが必要なのだ。だから、もしも、過去のなにがしかのためにあなたがある日、カイシャン様の元を離れることがあったらと、それが案じられてならぬだけなのだ」
 その言葉に、桂花は瞳を鋭くした。
 もしも、過去がなかったら──
 桂花はそもそもここにはいなかった。過去の何がしかのために、いつかここを去る──それは正確ではないだろう。過去のためではなく、いつも、ただひとりのためだ。そのひとりのためにここにいて、そのひとりを想う気持ちのために愚かな選択をした。
「バヤン殿」
 桂花の頬に冷たい笑みが浮かんだ。
「吾はカイシャン様のお側を離れることはありません、少なくとも黙っては。それに、ご心配なさらずとも、吾が戻りたいのは幸せだった時、などではありませんから」
 バヤンは桂花の冷ややかさにいくらか戸惑った顔をした。
「では、どのような時に戻りたいと──」
「花の咲いていた夜に」
 桂花は答えると、微笑んで、
「もうお休みになられては? また明日」
 きびすを返すと、ゲルへと向かった。

 ゲルに戻ると、こらえていた想いが胸を突き上げた。
 桂花は天幕を握りしめて、切れ切れの息を漏らした。
 他愛もない一幕に、こんなにも耐えがたい思いをするなど──絶望などもう慣れたはずなのに。それでも、死んだはずの胸が痛むのは、なんという皮肉なのだろうと、その唇がゆがんだ笑みを宿す。
 戻りたいと思う時はないかと聞かれて、否と答えたのは誰かのためではない。過去は語れない、そのためでもない。
 戻ることはできない。それが絶対の真実だからだ。
「戻りたい時など・・・・・・」
 ない、と言うより他に答えなどあるのだろうか。

 戻れるなら──
 過去を巻き戻すことができるなら──
(あの、花の咲いていた春の夜に・・・・・)
 巨大な月が冴え冴えと輝いていたあの夜に、戻りたい。
 やりなおすためではなく、終らせるために。
 いつか生まれ変わるかれを、さだめのままに生かせるために──かれを妨げる生よりも、かれの手にかかる生を選びたい。
 願いが適うのなら、全てをあの時に終らせて欲しい。

「ふ、馬鹿げている・・・・・・」
 桂花は呟いて、唇を歪めた。
 そんな願いがことごとく適うというなら、そもそもそんなことを願うことなどなかっただろうに。
「願いなど、死者のものではない・・・・・・・」

 過去はまだ遠くない。過去と言い切れるほどなにも終ってなどいない。
 それでもいまは、ここにいる。
 二度とは戻れない、場所にいるのだ──


No.38 (2006/11/03 23:55) title:プレゼント3 〜天使を見た日〜 (2)
Name:モリヤマ (i220-221-13-162.s02.a018.ap.plala.or.jp)


 
 いま思えば、あれって赤ん坊の『むし笑い』だったんだよね。
 でも、ママが言ってたように、赤ちゃんにはいろんなものが見えてるのかなって思った。それで、二葉には俺が見えてたのかなって。
 夢の中のことなのに、真剣にそう思ってしまう自分に赤面だけど。
 ……凄くいい夢だった。
 二葉、可愛かったなぁ……。
 
――― あれ以上のプレゼントは、もうないだろうねぇ…。

(うん……)
 一樹さんの言葉を思い出して、俺もしみじみそう思った。
 それがご両親からの一樹さんへのプレゼントだったことも、すごく嬉しくて心に残ってるんだろうな……。
 昨日そう言った一樹さんは、とても優しく笑ってたんだけど、懐かしそうでいて、なぜか寂しそうに見えたんだ。
 
 
「なーに考え込んでんだよ」
「え? あ、あれ…?」
「もう出る時間だろ?」
「え、もうそんな時間っ!?」
 俺は飲みかけのままのオレンジジュースを一気すると、急いで小沼に『今出る』メールを打った。
 目が覚めてからも、ずっと夢で見たことが頭から離れなくて、二葉がせっかく用意してくれた朝食も上の空で食べてたみたいだ。
 俺がなにか考えごとしてると思って、邪魔しないで放っておいてくれたんだろうな。
(…ごめん、二葉)
 鞄をつかんで玄関に向かうと、後ろから二葉がついてくるのが気配で分かった。
「夜、俺ちょっと兄貴んとこ行くからさ」
「ロー・パー?」
「ああ。俺に渡したいものがあるから事務所に来てくれって、さっき一樹からメール入ってさ」
「二葉に渡したいもの…」
「ちょっと早いけど俺の誕生日プレゼントだってさ」
 リピートする俺に二葉は、なんでもないことみたいに言って笑った。
「当日はおまえとゆっくりしろってことらしいぜ」
「…ふぅーん。じゃあ俺、遠慮しとこうかな」
「なんで? いいじゃん、『ロー・パー』で待ち合わせして、軽く食べて帰ろうぜ」
「うん。……今日はちょっと買い物もしたいし。『ロー・パー』はまた今度で」
「そうか?」
「うん」
 なんとなく。
 今日は一樹さんに『弟』を返してあげたい気がしたんだ。
 ていうか、「返す」って言い方、二葉が俺のものだって言ってるみたいだ。
 もの、とか、そんなんじゃなくて。
(夢の中で一樹さんが、とても大切で誇らしげに「僕の弟」って言ってたみたいに…)
 俺にとっての二葉は、そんなふうに表すとするとしたらなんだろう。
 俺『の』、なにになるんだろう……。
「おいってば! マジ、もう出ないとヤバいだろ」
「あ…」
「考えごともいいけど、運転してるときだけはやめろ。…あ。あと、ベッドん中でもな」
 玄関のドアを開けたまま、俺を待ってる二葉がウインクしながらそう言った。
「はいはい」
「ん? 怒んねぇんだ?」
「朝から怒るようなことじゃないよ。運転はもちろん、ベッドに入ったら考え事なんてしないで早く寝ろってことだろ」
「…そう来たか」
「じゃ、行ってきます。二葉」
「気をつけて」
 玄関出るとこで、俺は二葉の頬に自分の頬を触れ合わすようにささやいて、マンションの廊下に出た。
 ドアが閉まる音がしないから、二葉は俺を見送ってるんだろう。
 いつものことだけど、今朝はそれがちょっと照れくさくて嬉しい。
「あ……!」
 俺は思わず振り返って二葉を見た。
「なに? 忘れもん?」
「……ううん。なんでもない。二葉、夜『ロー・パー』で食べてくるよね?」
「おまえがなにも食わねぇで帰ってくんなら、俺も腹空かしとくけど? 食いたいもんある? 用意しとくよ」
「いいよ。二葉、食べてきて。俺も仕事終わったら軽く食べとくから。でも、帰ったら少し飲みたいかな」
「了解」
「じゃあね」
「ああ」
 今度こそ振り返らずに俺はエレベーターにたどりつき、一階まで降りた。
 外に一歩出ると、快晴だけど少し肌寒さを感じた。
(こんな季節に二葉って生まれたんだなぁ……)
 さっき二葉に見送られながら、二葉って俺のなんだろうって考えて、浮かんだひとつの言葉があった。
 いまはそれが一番しっくりくる気がする。
 友達とか同士とか仲間とか恋人とか…。
 いろんな言葉もあったけど、今はこれだと思う。

 ねぇ、二葉。
 二葉は、俺の家族だよね……。

「なんにしようかなー…」
 つぶやきながら、澄みきった秋晴れの空と同じ、清々しい気持ちで歩きだした俺は、今日の帰りは二葉へのプレゼントを物色しに行こうと決めていた。


No.37 (2006/11/03 23:54) title:プレゼント3 〜天使を見た日〜
Name:モリヤマ (i220-221-13-162.s02.a018.ap.plala.or.jp)


 次の仕事までぽっかり時間が空いてしまった小沼と俺は、たまたま前の仕事が六本木だったこともあって、まだ早いかなとは思ったけど、開店前の『イエロー・パープル』に寄ってみることにした。
 案の定卓也さんはまだ来てなくて小沼は残念そうだったけど、俺達より十分ほど前に来たばかりだと言う一樹さんに「ちょうど頂き物があるから」と事務所に誘われた。
 そこで勧められたお茶とお菓子で、小沼のテンションは血糖値とともに一気に盛り上がったようだった。

「これ、このカスタード! いつ食べてもふわふわなんだよね〜〜」
 はじめは出された『萩の月』を幸せそうに堪能していた小沼だったんだけど、
「そろそろ十月も終わりか……」
 そう何気なく呟いた一樹さんの一言に、突然、過剰反応したんだ。
「そういえば今年の二葉の誕生日ってもうすぐじゃん!? 忍っっ」
「…なっ、なに?」
「今年はもう決まった!?」
「な、なにが…?」
 小沼の変なスイッチが入っちゃったんだろうな……。
 いつのまにか、俺の二葉へのバースディプレゼントが、酒の肴…じゃない、茶飲み話のネタになっていた。
 

「バースディプレゼントねぇ…」
「忍はさ、二葉に内緒で、でも二葉がいっちばん喜ぶプレゼントあげたいんだよね。エッチ抜きで」
「なっ……小沼っ…!」
 俺は危うく口に含みかけたお茶を吹き出しそうになった。
 一樹さんもいるのに、なんてことをっ…。
「…そ、それは…難しい相談だな」
 笑いをこらえた一樹さんの言葉に、小沼はなおも調子に乗って続ける。
「だよねーっ!? 二葉が一番喜ぶのわかってて出し惜しみしちゃってさ〜。忍ってば、イ・ケ・ズ〜♪♪」
「……だから。もっと普通のプレゼントでいいの、俺はっ」
(ていうか、俺、相談してないし……)
 小沼がこんなふうに言うのも、毎年あれこれと悩む俺を知ってるからで、別に俺をからかおうとか、そんなつもりじゃないことくらいちゃんと分かってる。
 分かってるからこそ、きつく言えないんだよな…。
 でも、確かにまだなにを贈ろうとか決まってないけど、悩んではいないんだ。特別なものじゃなくて……なんていうか、そのとき、思いついたものでいいっていうか。
 ちょっと寒くなったなって思ったら、早いけど手袋とか。
 最近凝ってるドラマがあるようだったら、その原作本とか。
 俺が二葉にって思ったことで、いいんだ。
 今までだって、そう分かってても思い切れずにじたばたしちゃってたんだけど。
「普通ってなにさー。相手が喜べば、それが一番いいんじゃん? 俺だってもし卓也がそんな(エッチ系?)プレゼントくれたらメチャ嬉しいし…。一樹だってそうだよね!?」
 そう言うと、そのまま一樹さんを上目遣いに見て、
「……てゆーか〜〜〜〜。11月は一樹も誕生日じゃん。一樹って、凄いいろんな人から死ぬほどプレゼントもらってそうだけど…。ズバリ! 今までで一番嬉しかった誕生日プレゼントって、なに!?」
 興味津々な目で小沼が尋ねた。
 突然の展開に目を見開いて驚きつつも、一樹さんはちょっと微笑んで答えてくれた。
「俺? うーん…。俺は、忍流に言えば、ちょっと普通じゃないプレゼントだけど…」
 普通じゃないって…。
 か、一樹さんならそれもありかと思ってしまうけど…。いったい…。
「今でもあれが一番のプレゼントだったなぁ…」
「えーっ!? なになになにっっ!? それってやっぱりエッ…」
 チ系!? って言葉は、小沼の口を塞いだ俺の両手によって阻止された。
「もう。小沼、そんなはずないだろ」
(いくら一樹さんでも……)
 そう思いながら、うめいてる小沼を解放したときだった。
 一樹さんが、さらっと言ったんだ。
「いや…なんていうか……男の子をもらったんだ」
「・・・・・!!!」
「犯罪ーーーーーーーー!!」
 絶句した俺と、絶叫の小沼。
 隣にいた俺の耳は打撃だったけど、それよりなにより一樹さんの言葉に俺の全てが大打撃だ。
「か、一樹さん、それって…、い、いただいちゃったんですか?」
 まさかと思いつつ、俺はおそるおそる訊いてみた。
 ていうか、訊いてもいいことなんだろうか…。
「もちろん、もらったよ」
 満面の笑みでそう答えた一樹さんは、あいつには内緒だよ、と念押しして一樹さんの一番のプレゼントについて話してくれた。
「一番嬉しくて、一番大切なものをもらったんだって、今でも思うよ…」
 きっとそれが心に残ってたんだと思う。
 その晩、俺は夢を見たんだ。
 
 
 
 気がついたら、俺はどこかの洋館の一室に居た。
 いや、居た、っていうのは正しくない。あるのは意識だけだから。
 室内を見渡すと、大きな窓際においてあるベビーベッドから泣き声が聞こえてきた。
 すぐに母親らしき人の声と足音が近づいてくる。
 そしてなにか語りかけながら赤ん坊に近づき抱き上げると、それまで泣いていた子はやがてぐずりながらも泣き止んだ。
 泣き止んでからも、母親はそのまま話かけている。やさしい表情と声で…。
「おかえり、ママ!」
 そこへ少年がひとり。走ってきたのだろうか、息を弾ませて入ってきた。
 小学校くらいかな…? と思ったところで、突然俺は気がついた。
(…一樹さんだ!)
 日差しにくるみ色の金髪が淡く反射して、すごく綺麗だけど可愛い…。
 てことは、この人は一樹さんのママで(よく見るとそうだ…)、赤ん坊は、二葉…? えっ、えっ…、み、見たい!! と思った瞬間、俺の視点は彼らにぐんと近づいた。
「ただいま、一樹。そして、おかえりなさい」
 二葉を抱いたまま、少ししゃがんで、ママは一樹さんにキスをした。
「ただいま、ママ。…パパは?」
「パパはお仕事に戻ったわ。病院から玄関まで送ってくれただけでタイムリミットだったみたい」
「僕もママと二葉のお迎え、行きたかったなぁ」
 一樹さん、やっぱり学校だったのかな?
 で、ママと二葉は、今日退院してきたとか?
 そんなことを考えているうちに、二葉(?)はベビーベッドに下ろされて、ママと背伸び気味の一樹さんが並んで中を覗きこんでいた。
「…かわいいねぇ」
「一樹も可愛かったわよ」
「僕の弟だね」
 母親を見上げてそういう一樹さん…天使だ…。
「二葉? なに、見てるの?」
 二葉は、俺のほうを見てる…みたいだった。
「ママ。二葉、なに見てるの?」
「赤ちゃんは、見えないものが見えるんですって」
「…ゴーストとか?」
 こわごわと尋ねる一樹さんがまた………(自粛中)。
「そう、フェアリーとか、ね?」
「フェアリー!」
 ぱぁーっと一樹さんの顔に笑みが広がる。
「二葉、すごいね!」
 つ、つれて帰りたいっ…。
 とバカなことを考えていたとき、
「わぁっ…」
 宙を見つめていた二葉が、一回二回と続けて笑ったんだ。
 一瞬のことだったけど、それがもう本当に可愛くて。
「ママ、ママ、見た? 二葉、笑ったよ? なんだろう、ほんとにフェアリーが見えるのかな?」
 興奮して嬉しそうにママに報告する一樹さん。
 そして、それに微笑みで答える容子ママ。
「…ねぇママ、二葉に触ってもいい?」
「手は洗った? うがいはした?」
「手は二回洗ったし、うがいも十回したよ」
「ふふ、じゃあいいわ」
「おかえり、ママ」
 そこへ、初めて出会った頃の二葉に似た感じの少年が、扉の内側に立ってノックをしながら声をかけた。これはきっと…
「幹だっ!」
 そう、幹さんだよね。
 うわぁ…。幹さんも可愛い……。
 って俺、なんだか危ない人みたいになってるかも…。
 でも幹さん。あの頃の二葉よりも年下のはずなのに、やっぱりなんかお兄さんぽい。
(二葉、やんちゃで…ちょっとこわかったからなぁ…)
 思い出して、つい笑いがこぼれる。
 顔は似てても、違うんだなぁ……。
「ただいま、幹。留守の間、不便だったでしょう? ごめんなさいね」
「ママこそ、無理しちゃ駄目だよ」
「幹、幹っ、二葉ね、いま笑ったんだよ、フェアリーが見えるんだって!」
「…カズキ〜。おまえ、ちゃんと兄ちゃんて呼べよなー。おまえが呼ばないと、二葉まで俺達のこと呼び捨てになるぞ〜」
 そう言いながら一樹さんに近づいて、いきなり幹さんは一樹さんの頭を少し乱暴に撫でた。
「ふっ二葉はちゃんと僕のことお兄ちゃんって呼ぶもん」
「呼ばない呼ばない」
「幹、あなた今日はもういいの?」
「あっ、ヤベっ、そうだった…。ごめんママ、これからボランティアなんだ」
「相変わらず忙しいのね」
 ママは両手を上に向け肩をすくめてそう言うと、でも、なんだか楽しそうに幹さんを見ながら、気をつけて行ってらっしゃい、と頬にキスした。
「サンキュ、ママ。あとでな一樹。それと、」
 よろしく二葉、と声がしたかと思うと、幹さんは素早く二葉にキスして部屋を出て行った。
「……あああああああああ1!!」
「と、どうしたの? 一樹」
「ぼぼぼ僕が『ようこそ』って二葉にこの家で一番初めのキスをするつもりだったのにーーっ!! 幹のバカバカバカーーーーー!!」
 一樹さんの泣き叫ぶ声に、二葉もビックリして火がついたように泣き出す。
 でもママは慌てず、まずベビーベッドの二葉を抱き上げてあやしながら、一樹さんの目線にまでしゃがみこんで言ったんだ。
「ほら見て、一樹。一樹が泣くから二葉も一緒になって泣いちゃったけど、………ね? 二葉は泣き止んだわよ。一樹を見てるわ」
 そう言うと、ママはそっと二葉を一樹さんのほうに近づけて囁いた。
「ハッピバースディ?」
「…うっ…ぇっ」
「一樹。二葉が、お兄ちゃんおめでとうって」
 まだちょっとしゃくりあげながら、一樹さんはママと二葉を見た。
「一週間、お留守番できてえらかったわね。ママ、一樹の誕生日になんにもできなくてごめんね」
「…ううん」
「でもね、ちゃんとプレゼントはあるのよ、パパとママから」
「プレゼント…もらったよ、昨日パパから」
「それとは別。もっともっと凄いんだから。一樹、ビックリしちゃうわよ」
「なに?」
 コホンとママは咳払いをひとつして言った。
「Happy birthday, Kazuki!! あなたに、パパとママから弟をプレゼントするわ」
「…………」
「嬉しくない? 一樹」
 ぽかんと口を開けて固まってしまった一樹さんに、笑いながらママが訊く。
「二葉、僕のなの?」
「そうよ。一樹の、弟よ」
「幹は?」
「幹には一樹って弟がもういるじゃない? 幹には一樹で我慢してもらいましょ? 二葉は一樹のよ」
 ママ、我慢って……。
 ふたりとも大真面目なのに、なんだかおかしかった。
「僕の!? 僕のだーっ!」
「ほら、挨拶して?」
「ようこそ二葉。僕の弟だよ。よろしくね」
 そうして一樹さんはママの腕の中の二葉に静かに顔を寄せてキスをしたんだ。
「…一樹ったら。キスは一回よ。何回もすると、二葉がビックリしちゃうでしょ」
「はーい」
 あはっ。二葉、真っ赤な顔して嫌がってる。…や、笑い事じゃないんだけどさ。
「今みたいにちゃんと手を洗って、うがいしてからよ?」
「手洗って、うがいしたら、いいの?」
「おはようと、おやすみのときにね」
「おはようと、おやすみだけ……?」
「じゃあ、行ってきますと、ただいまも」
「うんっ!!」

 幸せいっぱいな一樹さんの笑顔に、俺まで頬がゆるんでしまった。
『二葉、おまえってば、ほんと幸せな奴だよね』
 いつのまにかママに抱かれてすやすや寝息をたてている二葉に、そっと話しかけた。瞬間、二葉が突然ふわって笑ったんだ。
『えっ!?』

 ……残念ながら、俺が覚えてるのはそこまでだった。
 


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