投稿(妄想)小説の部屋 Vol.3
―――七月。
草原の緑が濃くなり、その上を光る風が吹き渡ってゆく
その風はかすかにひんやりとして、すでに秋の気配も漂わせている。―――夏という季
節の短い草原が 一番美しく映える月だ。
「桂花!」
草原を駆ける馬上で幼い声とともにカイシャンが笑顔で手を振る。
「カイシャン様!手綱をしっかり持ってねえと危ねえって!」
疾走する馬の背に一人で乗る子供は幼く、草原の生まれ育ちではない馬空などは、あん
なに走らせて、鞍から転がり落ちやしないかと半ば青ざめながら、おろおろと桂花の隣で
見守っている。
「・・・落ち着け、馬空。バヤン殿が並走されているから大丈夫だ」
声音は落ち着いているが、桂花も内心は もっと速度を落として走ってほしいと思って
いる。
知識として、草原の国の人間の習慣を理解している桂花だが、つくづくと思い知らされ
る。
ここは、人馬の国なのだ、と。
草原の子供は産まれて腰が据わると、すぐ馬の背に乗せられる。
両親あるいは年長の者の鞍の前に乗せられて、朝に、晩に草原を移動する。そうしてい
るうちに子供は馬上での姿勢の制御を体で覚えるのだ。
体が大きくなるころに、父親がよしと判断すれば、そのまま手綱を渡され、一人で馬を
乗り回すことをおぼえる。
しかも、その乗り方が、また尋常ではない。
木に布を張っただけの堅い鞍なので、優雅に座って馬を走らせるなどということは出来
ない。
『立ち鞍』といって、草原の人間は鐙(あぶみ)に全体重をあずけ、鞍をまたぐように
して立ったまま、馬を全速力で走らせる、という、凄い乗り方をする。
この時代、馬を農耕・運搬、移動の手段として使役することがほとんどだった大陸の他
国の人間の目に、地響きのような馬蹄の音をとどろかせ、すさまじい速度で攻め込んでく
る彼らの姿は 人と馬が一体化した怪物に映ったことだろう。
「―――桂花!」
草原の光と風を体いっぱいに受けて、馬上でカイシャンが笑っている。
笑い声が吹きわたる風に乗って草原に響く。 カイシャンは一人で馬を乗り回すことを
ゆるされたことが嬉しくてたまらないらしい。
高い丘陵がそこここに連なるが、そこに生えているのは草と低い灌木だけである。見渡
す限り地平線の草原の中を、川はきらきらと光りながら蛇行する。
水面の反射を背に受け、草原の生命そのもののような少年の笑顔が桂花に向けられる。
今は地下に眠る恋人の、かつての笑顔の面影を探してしまわないよう桂花はまぶしいよ
うに目もとに手をかざした。
陽が落ち、バヤンたちの泊まるゲルの持ち主が羊を屠り、宴を開いてくれた。
長時間馬を乗り回した昼間の疲れがいっぺんに出たのか、カイシャンは食事の途中で頭
が揺れ始めた。まだ飲み続ける気満々の男たちを とっとと見限って桂花のゲルに連れて
ゆくと、着くなり眠ってしまった。
少年の健やかな寝息と寝顔を見守りつつ、書物を広げたり、薬を調合する桂花の耳に、
酔った男たちの陽気な笑い声 羊や牛、馬たちの鳴き声がとぎれとぎれに風に運ばれて届
く。
やがて長く騒いでいた男たちもようやく寝静まった夜半、雨を伴わない雷雲がゲルの上
空に現れた。
雷光と轟音に、少年は目を覚ますどころか、かすかな笑みさえ浮かべて、深く寝入って
いる。
明かりを落としたゲルの中、桂花はカイシャンに寄り添って横になっていた。
風はゲルを包む布地の輪郭を丸くなぞるように吹き渡っては、過ぎてゆく。
(雷、風、・・・―――)
傍らに眠る少年の 守護の象徴―――
・・・穏やかな、震えるほど平和なこのひとときを桂花は何かに感謝すらしたいと思う。
そしてその直後に思い知る。
(いつまでこうやっていられるのだろうか―――)
馬に一人で乗れるようになれば、ほぼ一人前だ。
少年の寝顔を桂花はそっと見る。
(・・・ああ、大きくなった―――)
少年の成長に、残された時間の少なさに、桂花は胸に重苦しい つかえを感じる。
彼と未来に行くことはできない。それは最初からわかりきっていること。桂花に出来る
のは、カイシャンの『今』を守ることだけだ。
(もう少し――― )
時が止まればいいとは思わない。けれど、少しだけ、もう少しだけ、おだやかに過ぎて
ほしいと桂花は願う。
「―――・・・」
何度目かの雷光と雷鳴の下、桂花の感覚に 何かが触れた。
音もなく身を起こすと、桂花はゲルの上部に目をやった。ゲルの真上には換気兼採光口
としてゲルの骨組みに布を張らない部分がある。そこから空が見える。
有事の際の用心として、桂花はその上部の骨組みの部分に細工を施していた。
風に草原の草が波打つ。その草をかき分けるようにして、桂花のゲルに近づいてくる獣
がいた。
やわらかい子供の血肉のにおいが獣を引き寄せたのだろうか 雷光の下を接近してくる
のは、一頭の巨大な狼だった。 銅貨のように光る双眸はゲルの出入り口のはためく布の
奥に向けられ、ぞろりと牙の生えた口から血の気配を漂わせる息を吐いて舌が長く垂れ下
がっている。
その狼の進行方向に 音もなく上空から降りてきたものがあった。
雷光が視界を青白く染め上げる。
牙をむきかけた狼が、本能的に身を低くし、背中の毛をそそけ立たせた。
雷光の下、紫銀の双眸が光る。吹きわたる風に白い長い髪を生き物のようにうねらせて
立つ、人ならざるもの―――
雷鳴が響き渡る。
びりびりと大気が振動する中、光を失わない紫銀の双眸が狼を見下ろす。
そして、低く それはつぶやきにも似た声だったが、狼の鼓膜に雷鳴の振動よりもはっき
りと響いた。
「子供の眠りを さまたげるな。去ね」
―――狼が人の言葉などわかるはずもない。しかし狼は桂花の足元に完全に屈服した。
桂花は狼の眉間あたりに軽く触れ、行け、と促した。
狼が遠く走り去るのを見届け、身をひるがえしてゲルの中に入ろうとした桂花が、目を
見開いた。
ゲルの出入り口の布が風に大きくはためいている。
はためく布の奥に、夜具の上に座ってこちらを見ている子供と目が合った。
「・・・ ・・・カイシャン 様?」
魔族の姿を見られただろうか
しかし子供はゲルの外に立ちすくむ桂花にむにゃむにゃと言葉にならない何かをつぶや
き、コテンと横になって再び眠ってしまった。
翌朝、気持ちよく目覚めたカイシャンは 今年生まれた仔馬を見に行くというバヤンに
ついて、朝駆けに出かけた。
寄ってきた仔馬のたてがみを撫でてやりながら、バヤンの隣で さまざまな毛並みの仔
馬たちをカイシャンは面白そうに眺める。 良く走る丈夫な仔馬は草原の民の財産だ。
仔馬はじきに大きくなって戦士を乗せて走る。
「カイシャン様、昨日はよく眠れましたか? 夜中に雷が鳴ったから眠れなかったのでは
ないですか?」
「雷が鳴ってたのか?よく寝てたから気づかなかった」
バヤンが我らが王子は豪胆だ、と笑う。 雨を伴わない雷雲が出る そんな夜は、雷光
を頼りに狼が家畜を狙うのだそうだ。
「実際、昨夜はあちこちで子羊や仔馬が狼に襲われて大変だったそうです」
この仔馬たちは運が良かったのですよ、とバヤンがカイシャンのそばの仔馬のたてがみ
を撫でた。 それで思い出したのですが、とバヤンが懐を探り、昨夜世話になったゲルの
家族からもらったお守りですが、ぜひ王子に持っていてもらいたい、と素朴な紐にくくら
れた白い小さな塊をカイシャンの手のひらに乗せた。狼の骨だという。
「狼の骨は魔よけになるそうですよ。」
「・・・・・」
狼の骨をてのひらで転がしながら、カイシャンは 昨日の夢を思い出した。
(・・・不思議な夢 だった。)
―――狼を従えた、長い白い髪の、不思議な肌の色をした人が、カイシャンの名を呼ぶ。
ただそれだけの夢だったのだが
(・・・なんだか、とても懐かしいような・・・・・)
懐かしいと思ったのは、昔、一度夢で見たことがあるからだ、とカイシャンはようやく
思い出した。
小さいころ、病気で命が危なかった(らしい)時に、夢で見た。
その夢のあとで、カイシャンの病気は治ったのだ。(命懸けで治療してくれたのは桂花だ
ったのだけれど。)
あの時は、夢の中で 風に乗って空からおりてきて、怒ったような困ったような顔で、
カイシャンに何かを言っていた。
普通なら、怖いと思うのだろうけど、なぜか少しも怖くなかった。
とても きれいだ と思ったからかもしれない。
桂花と同じ、紫色の瞳だったからかもしれない。
(・・・・・もう一度 逢いたい )
カイシャンの夢の中に現れる、不思議な、―――人。
(・・・夢の中で 逢えるなら――― )
「カイシャン様―――」
名を呼ばれて振り向けば、桂花と馬空が馬を並べてこちらに向かってきている。桂花の
髪が草原の光で金の色に光る。馬空が馬上で大きく手を振っている。
バヤンがカイシャンのそばを離れ、二人の方へ行きながら何か言っている。
馬を下りた二人が、バヤンとともにカイシャンの方を見て笑った。
「・・・・・」
―――桂花がいて バヤンがいて 馬空がいる みんないる。 魔物が入る隙間なんて
ない。
(・・・でも、夢の中で 逢えるなら――― )
心の中でバヤンに謝りながら、今年生まれた仔馬のたてがみに お守りをそっと結びつ
けてやると、カイシャンは三人の待つほうへ笑って駆けだした。
こんなことを思ったのは初めてで、どう言えばいいものか吾には判りません。
吾が、あなたが思っているよりもよほど満ち足りているということを。
それが多分、幸せと呼ばれるものなのだろうと。
幸せというものがなんなのか、吾は考えたこともなかった。
それをあなたならどう表すでしょうか。心を通わせた相手といること。望まれる喜び。力を尽くし、何かを成し遂げた後の達成感。それともほかの何かでしょうか。
あなたのことだから、美味な食事と心地よい寝台があれば、それで良いと言うのかもしれませんが。
あなたが吾を天界に繋ぎ留めたことを、あなたは忘れていない。ただそれは吾にとっては、それほど意味をなさないものです。
吾にとっては、天界だろうと、魔界だろうと人界だろうとたいして変わりがない。どこでも同じです。
だから、どこにいようと構わない。
李々が姿を消してから、人界にあったのは刹那の快楽ですらない――終わることのない暇つぶしの積み重ねだけだった。
吾はいつも退屈していた。
死んでないから生きているだけだった。
だからと言って、魔界を懐かしむほど酔狂でもありません。そもそも、それほど覚えていませんし。
――ね? だから、あなたが何かを背負う必要はない。
あなたはとても手がかかる。吾に甘えて、我侭を言って、こき使ったり置き去りにしたり、吾は落ち着く暇がありません。あなたの不足を補おうと思えばこそ書庫に入り浸って知識の海に浸ることもしたし、あなたのお務めのために策略を練ったり部外秘の資料を片っ端から読み込んだり、計画を立てたりするのは結構楽しいものです。知略を尽くしてぎりぎりの綱渡りをすることは、人界では望むべくもないことでした。
あなたといると退屈しない。それが魔族にとっては、一番の褒め言葉なのだと覚えてください。
あなたといると、生きているという気がするので。
吾はあなたといるから生きている。
心も体も、満たされていて――しあわせ、です。多分。
手紙って苦手でさ。
なんかこう、まだるっこしいっていうか。面倒だろ。
改まって書くことなんかない。俺はいつだって、伝えたいことは口に出して言ってるつもりだ。
――伝わってほしいこと、って言ってもいい。
おまえは馬鹿にするけど、一応これでも、俺って王子様だからさ。確実に伝わってほしいことや誤解されたらまずいことははっきり言うし、言っちゃまずいことは言っていないつもりだ。
だからこれは、絶対におまえに伝えるつもりはないこと。
それでも形にせずにはいられないってあたり、俺もまだまだだよな。
おまえのこと愛してる。それは本当だよ。
ずっとほしかった、俺と一緒に走れる奴。俺に全てをくれる奴。
ようやく見つけたんだ、それが魔族でも構わないと俺は思っていた。
だけど――だけどさ、ほんの少しだけ。おまえが魔族でなかったら、俺はこんなにも自由ではいられなかったんだろうと思う。だからおまえにしたんだろうかと、思う。
天界人だったら、家族がいる。例え天涯孤独だったとしても、友達がいて、知り合いがいて立場があってしがらみがある。
だけどおまえには何もない。
会ったときのおまえは、本当に一人だったよな。養い親とはぐれて、飼っていた鳥は死んで。人界に心とらわれるものなんて何一つなかった。
まして天界に、おまえが気を惹かれるものなんてあるはずがない。
おまえの世界は俺だけだった。
俺は、おまえ一人だけを背負えばそれで済んだ。
一目惚れしたのは本当なんだぜ。初めて見た本当の姿のおまえは、信じられないくらい美人だった。きついところもゾクゾクした。
死なせたくなんかなかったし、俺に惚れてほしかった。どんな美人にだって、こんなことを思ったことなんかないんだぜ。いや、本当に。
おまえにはなんだってしてやりたいし、そうしてきたつもりだけど。
天界で一人だけの魔族で、おまえの周りは敵しかいなかったから、唯一の味方だった俺におまえがすがって転んで、惚れちまうのは、当然だったのかもしれない。
俺の我侭につきあってくれて、俺に振り回されてくれるおまえが、どうしようもなく愛しくて、時々少しだけ可哀想になる。自分を曲げるつもりはない俺のせいで傷つくおまえが。
足手まといになる奴がほしいわけじゃない。枷になる奴がほしいわけでもない。
俺はそういう男だからさ。
おまえは誰よりも頭が良くて、腕も結構立って、ものすごく俺の力になってくれた。
おまえに会えてなかったら、俺はあのまま猫を被って兄貴達をやり過ごすだけの男だったかもしれないな。おまえに会えたから、おまえが、おまえを守る力がほしくて、そのためなら誰を敵に回してもいいって思った。
誰に好かれなくてもいい。おまえがそばにいてくれれば。
おまえのおかげで俺は自由になれたんだ。
最後の最後でおまえを置いてってごめんな。
おまえ、どれだけ泣くんだろうな。
ただ、ひとつだけ。絶対に聞かないから、言うだけ言わせてくれ。
俺がそうだったくらい、おまえは俺といて幸せだったか?
俺がおまえから奪ったもの、おまえに背負わせたもの。それと引き換えになるくらい。
なあ。俺は、おまえを幸せにしてやれてただろうか。
Boy's lobe
暖かいそよ風が、軟らかい草に覆われた地面に寝転ぶ、燃えるような赤毛の少年の上を優しく通り過ぎていく。
こどもから少年には羽化済みだが、大人にはなっていないしなやかな肢体。
無防備に放り投げられた褐色の手足に余分な肉はないが、思わず突いてみたくなる様な弾力のありそうなぷくぷくした肌。
そんな少年――アシュレイの隣で、光り輝くような美貌の少年――ティアが厚い本を広げている。
だが、先ほどから1頁も進んではいない。なぜなら、そのトルマリンの瞳は文字ではなく、アシュレイの寝顔ばかりをちらちらと盗み見ているからだ。
やがてかすかな寝息が聞こえてくると、ティアは静かに本を置き、膝でアシュレイの元までにじり寄った。
「アシュレイ?」
小声でそっと呼びかけてみる。寝息のリズムは変わらず、いらえはない。
神々しいまでに美しい少年は、しばらく、あどけない寝顔をうっとりと眺めていたが、やがて引き寄せられるように顔を近づける。
ここは守護主天の結界に囲まれている空間。彼の邪魔するものは何もない。時々柔らかな風がふうわりと髪を揺らすだけ。
たっぷりと苺味(ティア基準)の柔らかな唇を堪能すると、そのまま頬を温かな胸に摺り寄せる。
――意識のある時にできたらいいのに……。
でも、そんなことをしたら、きっと100mくらい飛び退り、理解の範疇を超えた行為に怯えて、離れた柱の影から自分を窺うくらいで側に寄ってくれなくなってしまうに違いない。それより、今は寝てるときだけで我慢してた方がいい。
とくん、とくん……規則正しい鼓動が頬を打つ。
アシュレイは元々体温が高い。が、それとは別に、幼い頃人の温もりというものをアシュレイで知ったようなものだ。
『母に抱かれる』ってこういうものなのかな……。
穏やかな空気に包まれティアの目は自然に閉じて行った。
はっと気づくと、いつの間にかティアは寝込んでいた。
「よう」
アシュレイの顔がすぐ側にあり、ドキリとする。慌てて体を起こすが、隣に座ってたはずの自分がアシュレイの胸で寝込んでいたことを、彼はどう思っているのか。
「ご、ごめんね、重かったでしょ」
「いいって。また、徹夜したんだろ? 守天サマが地べたで寝るなんてありえねえもんな」
とりあえず、地面に直接寝られない軟弱守天が親友を枕代わりにしたと思われても、疚しい想いがばれるよりはナンボかマシだった。
「でも、肉が薄くてあんまりクッションにはならないか。あーあ、早く筋肉ムキムキになりてえなあ」
アシュレイが腕を曲げて一生懸命力瘤を盛り上げようと努力しているのを見て、
「……ならなくて、いいんじゃないかな?」
と、ティアが遠慮がちに意見する。
「なんでだ? おまえだって安心だろ? そういうのが護衛に付いてるほうがさ」
「ううん! 君は今だって十分強いじゃないか! それに、私の体型もこのままだろうし、あんまり立派な体格が傍らにいると、よけい弱弱しく見えて威厳がなくなりそうだし。ね? 無理に鍛えなくて良いから!」
父親である炎王みたいにごつく成長されるのは、今は余り想像したくなかった。こんなに可愛いのにっ……!
「そっか。おまえがそれでいいなら、俺もいい」
にっこりと微笑むアシュレイに、ティアもうっとりと微笑み返す。
「あ、授業! 私はどれだけ寝込んでたんだろう」
ティアが急に思い出して焦り始める。
「あー、もう午後一はそろそろ終わるな。次の授業は体術だから、俺行ってくる。おまえはもう少し休んでるか?」
「いや、私も奏器の指導を頼まれてるから行くよ」
アシュレイが一瞬眉を顰める。アシュレイはティアが下級生たちに体を密着させて指導しているのが気に入らないのだ。
(言わなきゃ良かった)という顔をしていたが、溜息をつき諦めて立ち上がる。ティアも一緒に立ち上がった。
同じ目の高さになった時、アシュレイがじっと自分の顔を見つめているのにティアは気づいた。
「ん? 何?」
「おまえって……、睫毛長いのな」
すぐ近くでティアの寝顔をずっと見て気づいたのだろう、アシュレイがポロリと口にする。
「え?」
「何でもねえっ!!」
慌ててアシュレイが顔を逸らすが、朱に染まった耳朶がティアの目に入る。
(少しは、親友以上の感情も持ってくれてるのかな)
嬉しくなって、彼の首に抱きついた。
「うわ! な、なんだ?!」
「私達は親友だよね?」
「お、おうっ」
「だから肩を組んだりするよね?」
「お、おう?」
肩を組むというより抱きつかれてると思うのだが、自分より百倍は頭の良いティアが言うのだから最近ではそう言うのかもしれない、とアシュレイは自分を納得させる。
「飛ぶぞ」
アシュレイは、それ以上考えなくていいように、ティアをぶら下げたまま地を蹴った。
ティアは、少し体をずらすフリをして、更に紅くなった耳朶に唇を押し付けた。
赤ん坊の頃から他人が一緒にいると眠れないアシュレイが、自分と一緒の時はスウスウ寝てしまうのも、ナニをしても目を覚まさないのも、こうやって抱きついても不審に思われないのも、彼の信頼を得られるようずっと自分に課してきた努力の賜物。親友以上になれるよう、少しずつ指導教育していくのがこれからの課題。
紅くなった耳朶に、それはそんなに難しいことではないかもと、仄かな期待を抱くティアであった。
(おわり)
翻訳ソフトによると
BOY'S LOBE→少年耳朶
少年の耳朶→A BOY'S EARLOBE まいっか...
(loveじゃないのよ〜)
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「麒麟・・・」
呪縛がとけた冰玉がヘタリと腰を落としたままつぶやいたのを耳にし、氷暉も復唱するかのようにつぶやく。
「麒麟・・・?」
顔色を失った氷暉の声に
「脅えなくていい。私はアシュレイが悲しむことはしない」
麒麟はこちらを見もせずに言い捨てる。
「・・・脅え、だと?」
奥歯をかみしめた氷暉を無視し、彼はアシュレイの足元に腰を下ろした。
「アシュレイ、大丈夫?私だよ、孔明だよ」
「そいつに触るな」
アシュレイの髪に触れた孔明を、思わず制してしまった氷暉。
「私はこの子が幼い頃からの友人だ。おまえに指図される謂れはない」
深海のような底の知れぬ瞳で氷暉を見返すと、アシュレイをひょいと抱き上げ、長椅子に座らせた。
頼みもしないのに、桂花のことも同じように運ぶ孔明。その間、冰玉はハラハラしっぱなしだった。麒麟がどんなにおそろしい生き物か。それも桂花から嫌と言うほど聞かされていた。
いくらあの麒麟が、じぶん達を見過ごすと言っても、過信してはいけないと。
「何があったか分かるか?」
孔明の問いに首を振る冰玉と、黙したままの氷暉。
「これは・・」
孔明が落ちていた紙切れを拾い、つなぎ合わせたところで「なるほど」とつぶやいた。
「正確には分からないが、それほど面倒なことでもなさそうだな」
アシュレイを座らせた長椅子の中心に腰をかけ、赤い髪を自分のほうへ寄せる。
その様子を、不服そうな顔で見つめる氷暉はやっと立ち上がることができたようだ。
冰玉は、なるべく孔明から距離を置きながら、桂花の元へと移動した。
「桂花・・・大丈夫かな」
白いなめらかな髪をなでながら、孔明にそれとなく問うてみる。
「何事もないだろう。ちょっとした実験に巻き込まれたようだ」
「実験?誰の仕業さ!承知しないよ、こんな風に桂花を眠らせるなんて」
「おまえの、質の悪いイタズラに比べたらかわいいものさ」
鼻で笑われて、冰玉はムッとした。
なぜ知っているのだろう?アシュレイが告げ口したのだろうか。
「告げ口するなんて、男らしくない奴」
ボソッと口にすると、孔明が冰玉を見た。その瞳には、龍鳥の冰玉が映っている。
「アシュレイがそんなことをするか。ティアランディアとアシュレイが、おまえの身を心配して話していたのをたまたま聞いただけだ」
「僕の心配?」
「おまえ、この天主塔で自由に暮らせるのは誰のおかげか分かっているのか。私達には、なわばりというものがあるだろう。それを無視して自由奔放に生活できるのは何故か考えたことがあるか」
ないわけではない。でも、そんな なわばり は、冰玉の力があれば簡単に奪えるものだった。だから、端から争わずに譲られているものだと、思っていた。
「確かにおまえとこのあたりの野生動物とでは、力の差は歴然としている。だが、もしお前が なわばり争いで他のものを傷つけたりしてみろ、お前の主はアシュレイに頭を下げここから出て行くことになるだろう」
「なんでさ!なんで桂花がアシュレイなんかに頭を下げなくちゃいけなくなるの?強いものが力で奪い取ったって、それは自然のことじゃないか!僕らはそうやって、生きていくんだから!」
「外では、な。でも、ここは天主塔だ。それを忘れてはいけない」
あ・・・・と冰玉が口をつぐむ。
「アシュレイはそれが分かっているから、おまえを大目に見てやってくれと頭を下げて頼んだ。『動物相手に』だ」
桂花が、自分のせいでアシュレイに頭を下げるだなんて、絶対に嫌だ。
アシュレイだけじゃない。優秀な桂花が頭を下げるなんてあってはいけないことだと思う。
でも・・・・・。
アシュレイは自分のために。自分の主の桂花のために。魔界で共生を終え帰ってくる柢王のために頭を下げてくれた・・・動物相手に・・。
「い、いいんだ、だってアシュレイは桂花みたいに優秀じゃないもの」
目を逸らしながら冰玉が言うと、それまで黙っていた氷暉が口を開く。
「俺は違う。他の動物なんかと一緒に考えるな。アシュレイが頼もうが喚こうが泣こうが、関係ない。気分次第でおまえを殺れる」
本気ですよこの人・・・と震えた冰玉の隣で、アハハと笑う孔明。
「私もだよ。おまえ(氷暉)がアシュレイに危害を加えるようなことが少しでもあったら全力でおまえを消す。覚えておけ」
どうやってだ?などと、軽口を返せるような状態ではなかった。
氷暉はその場でひざが折れるのをこらえるだけで精一杯。二度も、跪いたりするものかと必死だった。
孔明は、ティア以上に氷暉の存在を許せないのだ。麒麟である彼は、良い者であろうと嫌な者であろうと、本能的に魔族を許せない生き物なのだ。
そんな許せない対象が、幼いころから自分の素性を思い悩んでいたアシュレイの体に入り込み、さらに彼を悩ませていたなんて・・・。
彼の中に息づく魔族に気づいたときは、ひどい衝撃を受けた。
アシュレイの手前、平静を装ったが、彼の体から魔族を抜き出し、切り刻みたい衝動に駆られたのは事実。
もっとも、今ではアシュレイがこの氷暉という魔族を認め、頼りにすらしていることを知っているため、感情を抑えてはいるが。
三人の周りに異様な空気が流れ、冰玉は桂花の体に抱きついてぎゅっと目をつぶった。
こわいこわいこわい。早く起きて桂花。それで、今の僕を見てよ、抱きしめてよ。
いつも、柢王にぎゅっとされている桂花を見て、あんなふうに自分も桂花をぎゅっとしてみたい、してもらいたいと思ってた。
せっかくのチャンスなのにこんなのってあんまりだよ。
でも・・・・桂花の体からいつもの草の香りがする。安心する。
冰玉は、桂花にしがみついたまま、いつしか寝入ってしまった。
「あれ?孔明?来てたのか、ごめん寝てたみたいだ・・・桂花?」
孔明の向こう側で座位のまま寝ている桂花を見て、声をかけると、すぐに彼も目覚めた。
「失礼しました・・・・吾、寝てました?あれ、冰玉?どうした、もう帰ってきたのかい」
肩の上でしきりに桂花の頬に嘴をすべらせる冰玉をなでて、微笑む桂花だったが、麒麟の存在に注意を払っているらしく、少しぎこちない。
「蔵書室、頼めるか?」
さっきの続き、と言う感じでアシュレイが促し、桂花も頷くと冰玉とともにすぐに執務室から出て行った。
「なんだったんだ・・・。やっぱり、またあいつのせいか」
破れた紙切れがつなぎ合わせてあることに気づいて、アシュレイが嘆息する。
宛先名に自分の名。送り主名に、インチキ?発明家の店主名。
「変なもんばっか送りつけやがって。大体今回のはなんだったんだよ?眠らせるだけか?」
ぶつぶつ言いながら、机の上にある箱を手に取る。
「孔明、待たせてわるかったな。ほら、これ手に入れたんだぜ、珍しい岩石。うまいかどうか分からないけど食ってみろよ。不味かったらやめとけ?」
孔明が持ってきた、山凍からの届けものを確認しながら、アシュレイは「うまいか?」と彼の背を撫でる。
岩石は好みの味だったので、孔明はアシュレイに頬ずりをし、応えた。
彼の柔らかなほほの感触を楽しみながら、アシュレイは忘れているな・・・と、思う。
『二度と、変なもん送りつけんな!どうせなら動物と会話できるものとか発明してみろよ、そしたら、使ってやる。な、孔明。お前が人語をしゃべるの、聞いてみたいし』
以前、発明家の店に品物を返しに行く途中のアシュレイとばったり会って、一緒に店内へ訪れたときの会話。
店主は、それに応じたのだろうが、微妙な結果となったようだ。
喋れるどころか人型になってしまうなんて、麒麟の孔明でも、この先二度とないような貴重な経験をさせてもらった。
この腕で、アシュレイを抱き上げたり、髪をなでたりすることができる日がくるとは・・・。
しかし、肝心なアシュレイとは会話できず、寝ているだけとあっては今回の発明品は失敗の部類だろう。孔明にとっては、すばらしい品であったが・・・。
いい経験をさせてもらった・・・・と、満足しているのは孔明のみで、冰玉は「せっかく人型になれたのに、桂花に見てもらえなかった!ぎゅってしてもらえなかったと、悲しむばかり。
さらに氷暉にいたっては、プライドを甚く傷つけられたようで、しばらくアシュレイの呼びかけにも応えられなかったらしい。
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