投稿(妄想)小説の部屋 Vol.3
花街の倉庫が小火を出したのは未明のこと。
近くで上げられていた花火の火の粉が飛んだとか。幸い、側に警護の者がいたのと、店の者の発見が早くてすぐに消し止められた。
忙しさに倉庫の中身を忘れていたその店の女将は、いい機会だからと倉庫の虫干しを決めたらしい。
そんな報告を柢王と桂花が受けたのは数日前のこと。万事めでたしと忘れていたその件を、思い出したのは今日の午後。
花街警護の最中に、その店の女将に呼び止められた時のことだった。
女将は先日の警護の働きに丁重に礼を言った後、柢王たちに見せたいものがあるのだと切り出した。
なじみのその店の座敷に通され、柢王は、微笑んでいる女将を見て尋ねた。
「それで、見せたいものってなんだよ」
女将はそれに笑って、
「はい、先日、倉庫の整理を致しましたでしょう? その時に、昔の姿絵がいくつか出て参りましたのですけれど」
花街では、人気のひいき客の姿絵を飾るという風習がある。店の宣伝のようなもので、現在最も人気があるのは他ならぬ柢王のものだった。
女将が机に並べてくれた絵は、たしかに飾られていたらしい、色褪せてはいるが当時の客たちの様子がよく窺い知れた。髪型や服装、
顔立ちにまでいささかの変遷があるのは、天界といえど、流行り廃りがあるからだ。
なかでも強烈なのが、柢王がいま手にしている一枚。
金の髪の貴族的な顔立ちの若い男が、滝のようなフリルのブラウスにこれみよがしに刺繍の入った上着を着て、右斜め45度の角度
から満面の笑顔を見せている絵姿。
東領はたしかに祭り好き気質で、王も美しいものは好むが、西領ほど華麗を好む土地柄ではない。こんな姿はめったに見られるもの
ではなかった。
「すげぇ」
酒の勧めは桂花に却下されたので、熱々の茶を片手に呟いた柢王に、女将は裏書を見るとああとうなずいて、
「こちらは先代の守天さまがおいでの頃ですわ。あの頃はこうした衣装がたいそう流行りましたのよ。薄物も人気で。この方のはまだ
大人しいほうですわ」
「これで大人しいんですか」
桂花も思わず口をはさむ。天主塔で手伝いをする時に着ているびらびらの衣装さえ派手だと思えるのだが、この男のフリルはその十
倍はありそうだ。
とはいえ、先代の守天は天主塔をして『淫魔の城』と呼ばしめた『好色一大(受)男』。噂では相当の華美を好んでおいでだったとか。
「世が世なら、柢王、あなたもこんな格好で・・・・・」
「マジでやめろよ」
フリルふりふりに微笑む柢王を想像して、ふたりはぞっと背筋をふるわせた。
「でも、見せたいもんってこれか」
尋ねた柢王に、女将はいいえと答えると、文箱から大切そうにいくつかの絵を取り出した。
「こちらですの」
白銀に近い洗練された衣装と、こちらを見ているきりりとした面。端正で、すずやかなその美青年は・・・。
「これ、蒼龍王さまでは?」
「親父?」
柢王が慌てて覗き込むのに、女将は頷いて、
「ご即位なさって間もない頃だと思いますわ。あの頃から、蒼龍王さまの姿絵にはとても人気があって。わたくしも懐かしくて、
ぜひ柢王さまに見ていただこうと思いましたの。なんでしたら、お持ちになって蒼龍王さまに差し上げてくださいましな」
過去を思い出すようにうっとりとした顔を見せる。
柢王の父である蒼龍王の即位といえば、人間界でいうビフォア・センチュリー。この絵だって人間界で見つかれば世界遺産の年代物だ。
「これが親父かよ・・・」
想像すらしたことのなかった父親の若かりし日の姿に、柢王ははああとため息をつく。横から覗いていた桂花が、ふいに、
「なんだか、柢王に似ていますね。さすがに親子」
「あら、わたくしもそう思いましたのよ。柢王さまにそっくり」
感心したようなふたりの意見に、柢王はやめろよと首を振った。
「ってことは俺が年取ったらああなるってことかよ。冗談じゃねえぞ。第一、親父のやつ、老け顔だろ、俺とは全然似てないって」
「あら、でも、お目もとの感じとかお顔立ちが・・・・・・」
「ええ、口元も似ていますよ。いままで考えた事はなかったけれど、柢王、やはりよく似ていますね」
畳み掛けるふたりに、柢王はまじかよと叫んで頭を抱えた。
若者にとって、自分の未来予想図を見るのは確かに楽しい事ではない。が、全く似ていなければそれも問題には違いない。
若い頃の父親の姿は、たしかにその三男坊によく似ていた。意志の強そうな瞳。笑みを浮かべた口元。与えられたものは決して悪くはないものだ。
「はぁぁ。まあ、親父は嬉しいだろうな、これを見たら」
女将が渡してくれた何枚かをめくりながらため息をつく。
柢王本人には自分が歳を取ったらどうなるのかのモデル・データのようなものだが、いまだ現役を自負する父親は自分の若かりし
日の姿を見れば喜ぶだろう。それを甘え上手の三男が持って行けば、母親には言えない過去の自慢話を酒の肴に話してもくれそうだ。
「親孝行しろってことかよ」
女将の笑みにそんな意図を感じて、最後の絵を眺めようとした時。
「柢王、その絵、二枚が重なっているようですよ」
貫禄あふれる男盛りになっていた絵の裏に、もう一枚、絵が張りついている。
「まあ、わたくしも気がつきませんでしたわ。きっと糊がついているのかも」
「ほんとだ。まあどうせ同じような絵だろうから、多少傷がついたってかまやしねぇだろ」
柢王は笑って、二枚の絵の間に指を入れると、べりっとはがした。
「どれどれ」
大して期待もなく覗き込んだ柢王の顔が、げッと強張る。何事かと覗いた桂花と女将の顔も同じだけ硬直した。
見てはならないものを見てしまった沈黙が、重く座敷に垂れ込めた。
色褪せ、一部ははがれかけたその絵に映し出された蒼龍王の絵姿。
もういいかげん壮年の、貫禄あふれる威厳ある王が、ナイアガラのようにこぼれ落ちるフリルとこれでもかといいたげな刺繍の
上着をばっちり着込んで、右斜め45度に、渋いスマイルでキメているその姿・・・・・・。
流行の恐ろしさは、それが過ぎた後にまざまざと押し寄せるということを、人生初期の柢王たちと人生半ばの女将とがまざまざ
と思い知った瞬間だった──
「火・・・火を持ってきてくれっ」
柢王が胃痙攣でも起こしたような引きつった声でそう叫んだのはしばらくしてから。すぐにっと座敷を走り出た女将が廊下をバタバタ鳴らす音が響く。
「・・・柢王」
桂花が絵から視線をそらして尋ねた。
「なんだ、桂花」
柢王も握り締めた絵には視線を戻さない。
「その、絵・・・ですけど、それ、飾るための絵、でしたよね・・・・・」
確認するように言った桂花に、柢王も右手をふるふる震わせて、
「そう、飾るための、な──あんのくそ親父っ!! よくもこんなもん飾らせやがってたなっ」
流行というのは恐ろしい。おかげで柢王も桂花も女将も、壮年になった柢王がフリルふりふりで微笑んだらどうなるかがよぉく理解できた。
「いいか、このことは絶対に内緒だぞ。俺たちだけの秘密だからなっ」
火鉢の上で燃え上がる姿絵を、それがこの世から消滅するまで見届けると決めているように睨み続けている柢王が、後で正座している桂花と女将に念を押す。
後ろのふたりは、はいと答えた。
桂花はもちろんだが、女将も、当時はそれを見てどう思っていたかはともかく、時の流れが理性を取り戻させたいま、四国の要と称えられる蒼龍王の、見てはならない過去を封印せねばならない必要性は強く理解しているらしい。
他の絵を一巻にして筒に収めると紐をかけて、
「こちらは時期がきたら蒼龍王さまのお手元にお送りして、絵のことは一切忘れてしまいましょう」
強い口調で進言するのに、柢王も桂花もうんと強く頷いた。
そして、みんなで息をつめ、一致団結、証拠が燃え尽きるのを見守った。
天界に機密事項はままあれど、この秘密の存在は、限りなく重い──。
永遠に続く春の盛り。終らない春。枯れることを知らぬ花々。
それは世界がとこしえに変わらぬことの証なのかも知れなかった。
「守天さま、ともかくもう少し身をお慎み下さいませ」
八紫仙のひとりが憔悴したように言葉を続ける。
「守天さまは天界に唯一の尊い御身。その方があまりに羽目を外されては世界に示しがつきませぬ。今日も今日とて、
執務半ばであのような・・・・・・」
言いにくそうに咳払いをする。
「尊い身のなさりようにしてはあまりに奔放に過ぎるとはお思いになられませぬのか」
嘆くように訴えるその姿に、目の前の麗人はいつもの妖艶な笑みを浮かべて答えた。
「奔放に過ぎるなどとは思わないよ。だって、悩みがある者だからこそ、私の腕の中で癒されるのだろう?
悩みがひとつもないような者ならば、私の手など求めはしないよ」
「それは詭弁と申すものでございます。現に・・・」
「現に世界は平和だと、私の目には映るけれどね」
ネフロニカは、御印のある美しい面に笑みを浮かべて遮った。
「終らぬ春、護られた天界。人間界だって大きな事件も起こらずに、この世は全て平和。まあ、私のおかげと
は思わぬけれど」
「守天さま」
言いかけた八紫仙に向けた麗人のまなざしを、慈悲と呼ぶか、高貴な冷酷と呼ぶかは見る者次第だろう。
「でも、まあ、こうして書類も山積みだし、そなたも私の仕事を思い出させてくれたことだし、少しは役目を
果たす事にするよ。しばらくは誰も近づかぬように。そなたたちが、私の仕事を手伝ってくれる意思があると
いうのなら、心に憂いなど抱えず、私をひとりにしてくれるのが一番だよ」
出て行けと、はっきり言葉で告げるよりも、凍りついたような瞳の笑みがその意思を告げる。
八紫仙のひとりもいくらか体をこわばらせ、
「で、では、御用の際にはお声をかけてくださいませ」
そそくさと、礼を取り、部屋を後にする。
扉が閉まる瞬間に、守天が浮かべた謎めいた笑みは、八紫仙には届かなかった。
「終らぬ春、か」
窓の外に続く美しい空と花々の咲き群れる庭とに目をやり、ネフロニカはその瞳を細めた。
守天と閻魔の結界に護られた天主塔は、とこしえに春の続く世界の楽園。美しく護られたその場所で、守護主天は人々の心を救い、愛しむことに専念する。
天界の絶対権力者の、それが真実。
「私のおかげで世界が救われているというのなら、その証を見てみたいものだよね」
うずたかく机の上に積まれた書類はこの世の悩みの総括とも言うべきもの。
何代も守天はこの世に降臨し、その度ごとに世界は救われ、終りない春が続くようにそれは繰り返される。永遠に。
ただひとりの身がただひとりの生涯を終えるまでに、この世の全てが癒されるなど、信じる事などできるはずがない。
「この世はきっと私なしでも美しいよ」
ただ人間を、愛し、愛しむだけならばどんなにか楽だろう。
誰かを納得させる生き方など不可能だと叫んでよいのなら、あるいは、守天とは完全に慈悲深く、
自由な存在だと言えたかもしれないが。
自分の存在を、鍛え、変わり続けなければ、与え続ける日々に精神が輝きを失い、磨耗する。
それでは守天の役割は果たせない。もしも変わり続けることができなければ、いっそ心を閉ざして生きるしかないが、
それもまた守護主天の生き方ではない。
「永遠に命でもあればねぇ・・・」
他人の期待など振り切るように、この世を愛し続けもできるかもしれないが。
世界はあまりに重く、命は尊くて、それに比べてこの身はあまりに軽く、もろい。
それでも──
肩をすくめ、執務机について書類をめくり始めた守天の頬には、誰にも見せぬ笑みが浮かんでいた。
なぜなら、かれはわかっていたから。
自分が何者かを。
時に、耐えがたいほど深い心の奥底で、この世を愛している。変わり続けることがどれだけ自己を傷つけていくか承知している。
それでも、いま、世界はここにあり、存在もまたここにあるのだ。
過ぎた奔放などありえるはずがない。確かなものを欲しいと切望する脆さ。そう願う自分を受け入れる強さ。
絶望と慈しみとはゆれ動く秤の両端なのではなく、互いに、それが存在するというだけの真実だ。
その真実こそが、今生の守護主天の存在の全てなのだ。
きっと世界が救われるのは、誰もが守天の手を必要としなくなるときだ。
だが、それまでは──
命を慈しむ何者かが、この世を愛し続けるのも悪くはないだろう。
たとえそれが、存在の耐えられないほど、儚く、小さな、ただひとりの身だとしても──。
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