投稿(妄想)小説の部屋 Vol.3
** 一部、プレノタートのネタバレがありますのでお気をつけ下さい **
なにかにつけて記念日をつくる。
そんなことは、浮かれた女子が勝手につくり勝手に祝うものだと思っていた。
「・・・なんだって?」
「だからね、この前の苺 記念日のときに―――」
「ちょっと待て。その苺 記念日ってなんだ?」
「え?やだな、苺 記念日っていったら、変化した君がドレスを着て私と踊った日じゃない。公衆の面前でプロポーズしたのに、忘れるつもりなの?次の日の朝なんて、初めて君のかわいいお口が私の・・イタッ」
品の良い顔にいやらしい笑みを浮かべながら、指を絡めてくるティアをつい殴ってしまったのは、仕方のないことだろう。
しかし、変態な恋人は頭をさすりながらセクハラ発言を続ける。
「あの朝のバースデープレゼントには興奮したよ」
「プッ、プレゼントじゃねぇし!!」
氷暉が聞いているというのを知っているくせに平気でこういう事を言うティアの神経を疑う。羞恥のカケラもないのか。
まるで氷暉に聞かせるためのように、それからもあの記念日がどうの、この記念日がどうのとうるさい。
「おまえ、そんなくだらねーことでいちいち記念日なんかつくってたら、一年が全部記念日で埋まるぞ」
呆れ口調で言うと、「ステキだね!君との記念日が一年中だなんて♪」 と、まったくイヤミが通じない。
「でも、なんと言っても私にとって印象深いのは『岩場記念日』だよ。あの時はすごく寒かったけど君の肌はあたたかくて、君の中はもっとあた・・モゴッ」
すごい勢いでアシュレイに口をふさがれたティアは、息ができずにもがく。
「それ以上しゃべったらマジで殺すぞっ」
うんうん、と頷いた口を解放してやると、ティアは部屋中の酸素を吸い込むように喘いでから、恨めしそうな視線をむけた。
「ひどいよ・・・・君は私を殺せるの?」
酸素不足のせいなのか、本気で悲しんでいるのか、瞳いっぱいに涙をためこんでいるティア。
「私はなにがあっても、どんなことをされても、君を殺したりできないよ。君が息をしなくなるなんてこと、考えただけで気が狂いそうだもの」
うなだれながら切々と訴えるティアに、居心地がわるくなるアシュレイ。
「悪かったって・・・・本気にとるなよ。俺だっておまえがいなくなったりしたら、どうにかなっちまう」
その言葉に瞳を輝かせ、ティアは愛しい体を包みこんだ。
「どうにかなっちゃうなら・・・・私の寝台でどうにかなっちゃって?」
「・・・・・・・はあっ!?」
やわらかい声でささやかれて、ついその言葉の意味を理解するのに時間がかかってしまった。
「放せ、バカッ!!」
アシュレイはとっさにティアの脇腹にケリを入れると、瞬間移動で自室へ逃げていった。
《 で?岩場記念日ってなんだ。俺が知らないということは共生する前のことだな 》
部屋についたとたん、氷暉が待ってましたとばかりに問いかける。
「そ、そんなこと、知らなくていいっ」
《 お前の肌があたたかかったと言っていた 》
この時点で、アシュレイは必死になって「あの時」を思い出さないようがんばった。
《 岩場ということは外だな・・・・・寒かったけどお前の肌があたたかく・・お前の中はもっと・・・なるほど 》
氷暉がニヤリと笑った気がして、アシュレイはわめく。
「うるさいっ!勝手にヘンな想像すんなよっ?!」
思考回路を切ろうとしたつもりなのに、ますます記憶が蘇りアシュレイは慌てた。
《・・・・・・・・》
「人の頭ン中読むなって言ってんだろっ!おい聞いてンのか、氷暉!」
《・・・・・・・・・》
「コラ――――ッ!!」
真っ赤になって、さわぐアシュレイをよそに、氷暉は「岩場記念日」の記憶を読みとってしまった。
《 ふん、人界でな。寒いのによくやる 》
「わーっわーっワァァァァ――――――!!」
両耳をおさえて走りだしたアシュレイに《耳をふさごうが逃げようがムダだろ。お前の中にいるんだぞ》と笑った氷暉だったが、体の主には届かない。
ゼェゼェ息を切らし、やっと足を止めたアシュレイは、次の氷暉の言葉にめまいを覚えた。
《 俺との記念日もつくるか。蛟記念日・・・は、おまえにとっていい記念にはならないな。そうだな・・・・これから風呂にでも入って、かわいがってやろうか。風呂場記念日 》
「・・・・ビンテージの聖水記念日ってのもいいかもな」
そんなことをしたら、ビンテージの聖水を飲んでやる。と、脅しをかけたつもりだが、氷暉はかるく聞き流していた。
「また氷暉殿と話してるの」
「ティア!?」
とつぜん背後に現れたティアに距離をおくアシュレイ。
「禁縛記念日をもう1日増やそうか」
「アホかっ」
「・・・・・分かってよ。君が好きで好きでたまらない。君に関しては氷暉殿になにひとつ譲るつもりはない」
譲るつもりも何も、共生したからには既に自分だけのアシュレイではなくなってしまったけれど・・・けれど、やはり許せないのだ。
恋人の全てを独り占めしたいのに、自分では知り得ないアシュレイの本音を、氷暉はただ存在するだけで完全に把握してしまえる。
それがくやしい。
「そんなに氷暉がうらやましいのか」
「・・・・・」
「氷暉は実体がないんだぞ」
「・・・分かってるよ」
「そうやって拗ねたって、こんな風に・・・・甘やかされることもないんだ」
言うとアシュレイはデカンタを手にし、ひとくち含んでからティアを抱きしめる。
「甘やかしてくれるの?」
「もう少し待て」
「甘えんぼ記念日?」
「くだらねぇ」
どう諭されてもシットしてしまうけれど。
精一杯のアシュレイの気持ちに応えるべくティアは恋人の体を抱きかえす。
実体がなければできないこと。
恋人でなければできないこと。
アシュレイは自分が彼を殺したということもあり本気で気の毒に思っているのだろう。
( 同情と愛情はちがうよね )
アシュレイの、氷暉に対する感情を同情だと決めつけたら、「ひとことで簡単に表現できるものじゃない」と彼は怒るかもしれないが、そう考える事で自分を何とか宥める。
「君だけを愛してるよ」
氷暉を含めてアシュレイを愛せると言ったらウソになる。実際、彼が妬ましいのだから。
今夜、もしくは明朝。自分たちの営みをアシュレイから読みとるであろう氷暉。
(せいぜい、出歯亀ればいい)
自分にしかできないことを見せつけてやろうとするティアは、尊い身分の守護主天とはかけ離れた、ただの嫉妬に狂う男なのであった。
「柢王、桂花、こっち来いよ!」
アシュレイが呼びに来た理由は、テーブルに置かれた、見た目も美味しそうなケーキでございました。
「クリスマスケーキですか?」
「人間界で、クリスマスプレゼントのお礼にってもらった」
桂花の問いに、威張ってアシュレイが答えて、柢王がツッコミます。
「プレゼント交換だろ、それは」
「ふふっ…断ったんだけど、その子も買ったのに、お兄さんも買ってて、2つも食べきれないからってくれたんだよ」
思い出し笑いをするティアに、アシュレイも笑いました。
「面白いんだぜ。毎年二人とも買って来るんだってさ」
「なんで、どっちが買うか決めとかないんだ?」
「パーティーするわけじゃないし、季節感を感じるから、さり気なく用意したいなと思うんだそうだよ」
「仲良き兄弟だな」
アウスレーゼ様がおっしゃると、冥界教主様はアヤしい笑みを浮かべていらっしゃいます。
「あの子の兄ならさぞ…」
「ふむ…確かに、そそられるね」
息もつかせないアヤしいトーク突入は、ティアランディアの質問で阻止されました。
「あの子?なぜご存じなのですか…まさか!」
「もちろん、そなたたちの仕事を見届けるのも、ブラック・サンタとしての我の役目だからね。ずっと見ていたよ」
「ずっとだと!!」
当然ではないかと楽しそうなアウスレーゼ様に、まさかあの時も見られていたのではと、アシュレイは焦っています。
「手をつないで飛んでいるところも、抱き締めているところも、可愛い顔を…」
「うわぁぁ!!」
「うるさい…」
アシュレイがアウスレーゼにそれ以上言わせまいと叫び、耳元で叫ばれた桂花は、とっさに切り分けていたケーキで、アシュレイの口をふさぎました。
「うぐっ…ん〜美味いっ!」
「あーんした…ずるいっ」
ティアがうらやましそうに、桂花につめよって、
「すみません。つい…」
「俺だって、めったにしてもらえないのに」
柢王がアシュレイにヘッドロックをかけ、
「我にも、食べさせてくれまいか」
ちゃっかり交ざってお口をお開けになる冥界教主様に、アウスレーゼ様が笑っていらっしゃいます。
「ふふふ、にぎやかな事だ」
守護主天様が、これほどにぎやかに過ごしていらっしゃれば、地上も幸せに違いありません。
遠見鏡は、慎吾の姿を映しておりました。
暗闇の中、クリスマスプレゼントを持って、走る姿を。
世界中の人たちが幸せに過ごせますように。
メリークリスマス。
ぽかぽか陽気に誘われて、庭のテーブルにお茶の用意をしている桂花のそばで、柢王がふわぁぁっとあくびをしていると、突然金色の嵐が現われて、平和な午後の終わりを告げました。
「我は、クリスマスプレゼントを所望する」
冥界教主様は、挨拶もなくそう宣うのでございます。
「クリスマスはサンタクロースが、プレゼントを渡すものではありませんか?」
人間界に詳しい桂花は、サンタクロースらしきお召し物の冥界教主様に、伺います。
「我は、ブラックサンタだ。だから、クリスマスプレゼントをもらう資格がある」
「…」
(ブラックサンタ…って、黒いサンタか?)
(知りません。どうしますか?)
(…任せた。お前が適任だ)
(柢王っ)
柢王と桂花のどちらが対応するか、視線で押し付けあっている事も意に介さず、冥界教主様はお話しをお続けになりました。
「この紙に書かれたものを、人間界で買って参れ。その間、こいつの世話はしておいてやろう」
こいつと、捕まえられた氷玉は嫌がって、ぴぃーと鳴きます。
「お待ちくださいっ」
「天主塔にいる。優しく世話をしてやるが、遅いと焼き鳥にしてしまうぞ」
突然現われた嵐は、哄笑と一枚のメモを残して、氷玉を連れ去ってしまいました。
「…人質だろ、それは…焼き鳥にしてどうすんだ?…まさか、食うのか?」
唖然と呟く柢王に、我に返った桂花は、冷たい目を向けております。
「柢王、突っ込むところは、そこではありません」
「いや、あんまりにも、アレだったから」
「…それにしても、あの人は、何を企んでるのでしょうか」
「仕方ない。さっさと、買い物すませようぜ。あいつなら、本当に焼き鳥にしかねないからな」
疲れたように柢王が申しますのに、桂花も確かにやりかねないと思うのでございます。
ティアランディアとアシュレイが、人間界から戻って参りますと、天主塔にも、クリスマスツリーが飾られておりました。
大きなもみの木のてっぺんには金色の星がキラキラ輝き、枝にはたくさんのクリスマスオーナメントが飾られ、幻想的な風景を演出しております。
「なっ!なんだこれ!!どうしたんだ」
「いつの間に!人間界で見たのと変わらないね」
驚く二人に冥界教主様が、お声をおかけになりました。
「ようやく、戻ったか」
「冥界教主様?どうして天界に、いらっしゃるのですか?」
「そなた達とクリスマスパーティーとやらをしようと思ってな。我らが、そなたの為に飾り付けたのだ」
アシュレイが「すごいな」と、ティアランディアが「綺麗ですね」と申し上げるのを、冥界教主様が当然のようにお聞きになっていらっしゃいます。
それを、少し離れたところで、柢王と桂花が見ておりました。
「…俺らが、ほとんど飾ったんだが…」
「柢王。聞こえますよ」
「だって、桂花っ!あいつは、遠見鏡で人間界を見て、アシュレイのお尻が可愛いとか、ティアが美人だとか、あの子は可愛いなとか、アウスレーゼ様と盛り上がってただけなんだぞ」
「何もしてないのに、そこの飾り付けは気に食わぬとかもおっしゃってましたが…触らぬ神にたたりなしですよ」
「桂花」
噂をすればなんとやら…冥界教主様にお声をかけられて、桂花と柢王はぎくりといたしました。
「これは、そなたへのクリスマスプレゼントだ。冥界に咲く花を、天界でも育つように李々に改良させた」
「このような花が冥界に?ありがとうございます。大切にいたします」
「こんな男は捨てて、冥界に永住すれば、もっといろんな花が見られるぞ」
桂花は、以前から冥界教主様に冥界に住まないかと、強引に誘われておりました。
李々がいる事には、心惹かれるけれど…
何度断っても、「断られる」という言葉が辞書にない冥界教主様は、あきらめてくださらないのです。
「吾が離れられないのですよ。李々に宜しくお伝えください」
「嫌じゃ。冥界に参って、自分で申せばよい」
ふんと機嫌を損ねた冥界教主様は、ティア達のほうにお戻りになりました。
「桂花っ」
桂花の後ろに寄り添うように静かにしていた柢王が、冥界教主様が去ると耐えきれなくなって、桂花を強く抱きしめました。
どこへも行かせないと言うように。
それに桂花は、困った人ですねと微笑い、小さな箱を渡します。
「柢王…これは吾からあなたへの、クリスマスプレゼントです」
「小さな陶器のマリア像?こんなに小さいのに精巧だな。ひんやりしているのに、この微笑みを見るとあたたかく感じる」
「フェーヴと呼びます。人間界の西の方の国では、エピファニーと言う祭りの時、ケーキの中に入れて焼き、切り分けたケーキの中に入っていた人は、その一年幸せに過ごせるそうです。自分で幸せにしたい人を決めるマリア像。柢王が気に入ればいつまでも、そばにいてくれますよ」
このマリア像のように、桂花はずっとそばにいるのだと、伝えたかったのでございます。
「自分で決めるか…」
桂花のプレゼントに込められた心を受け取って、不敵な笑みを浮かべる柢王に、桂花の笑みはマリア像と同じくらい、あたたかくなっておりました。
「「クリスマス?」」
ティアランディアとアシュレイの声が見事にはもるのに、来客用の椅子に腰掛けるアウスレーゼ様は、微笑なさいました。
「人間界では、サンタクロースがプレゼントを配る日なのだよ」
「プレゼント、もらえるなんていい日だな!」
なんで天界にはないんだろと、アシュレイ。
「そうだね。善意の人が配るのかな」
用意するのも、配るのも大変でしょうねと、ティアランディア。
「そう、大変なのだよ」
優雅に御足を組み代えられながら、アウスレーゼ様。
しかし、お召しになった帽子の先のふわふわしたぼんぼりが、揺れています…
天主塔にいらっしゃった時、いつものお召し物と違いすぎて、不審人物かと危うくアシュレイに、攻撃されるところだったのでございます。
「大変?アウスレーゼ様が、サンタクロースなんですか?」
お二人は存じませんでしたが、アウスレーゼ様は、由緒正しきサンタ服をお召しになっていらっしゃいました。
しかし、なぜか服の色は黒でございます。
「ふふっ…少し違うのだよ。我は、ブラック・サンタ」
「「ブラック・サンタ?」」
また、見事にはもりました。
「生け贄…いや、その年のサンタクロースを決める役目なのだよ」
とても楽しそうなアウスレーゼ様のご様子に、ティアランディアとアシュレイは、走って逃げたい気分でございました。
「そなたたちに、サンタクロースを任せようと思ってな」
「なんで、私達がっ」
「まあまあ、そう言わず。我からのクリスマスプレゼントだ」
アウスレーゼ様は、こちらはそなたの制服と、由緒正しき赤いサンタ服を、ティアランディアに。
こちらは、アシュレイの分とお出しになった制服に、ティアランディアの目がキラッと光りました。
ショートパンツにロングブーツ、ちょっと長めのコートがワンピースにも見えるデザインでございます。
「やります。やらせてください!」
「ティア!?」
「アシュレイ、人間を幸せにするのも、私の仕事だからね。もちろん、手伝ってくれるよね?」
もっともらしい言葉と、困ったような極上の上目遣いで、ティアランディアがアシュレイを説得するのを、アウスレーゼ様は笑って、御覧になっていらっしゃいました。
「そう言うわけで、望みを言え」
突然現われた、サンタクロースと名乗る、元気で可愛いらしいサンタクロースが言いました。
何かの罰ゲームなのだろうか戸惑う慎吾に、もう一人の綺麗で王子様のようなサンタクロースが、苦笑を浮かべています。
「アシュレイ、それじゃあ、押し売りみたいだよ。クリスマスプレゼントに望みをなんでも叶えるから、希望を聞かせて?」
「えっと…特にありません」
慎吾が断ると、赤い髪のサンタが、火を噴く勢いで食って掛かります。
「望みを叶えないと、天界に帰れないんだ!だから、早く言えっ!!」
「アシュレイ…そんな強引な…」
慎吾は、よくわからないけれど、サンタクロースもいろいろ大変なんだなと思いました。
「あの…それなら、取り寄せていた品物を、代わりに受け取ってきて欲しいんですが…」
「そんな事でいいの?」
「健さん…いえ、プレゼントを取り寄せていたんですが、急に仕事が入って、取りに行けなくなってしまって…」
健さんと過ごすはずだったクリスマス、インフルエンザで休む者がでて、約束が守れなくなってしまったのです。
健さんは慎吾とクリスマスを過ごすために、睡眠時間をけずって、予定を開けてくれていたのに。
始めは機嫌が悪かった健さんも、落ち込む慎吾に、
「しゃーねーな。この貸しは高くつぜ。おら、行ってこい。お前はインフルエンザなンか、うつされンじゃねーぞ。俺は、ひとり寂しく寝てっから、夜中に忍んで来いよ。サンタさん」
と、言ってくれました。
その後、「泣いても許してやンねーからな」と囁かれた事まで思い出して、慎吾は頬を赤く染めています。
そんな慎吾の様子は、ティアランディアとアシュレイに、それがとても大切な人へのプレゼントなのだと伝えました。
「そんなに、大事なものを、私達に任せて大丈夫?」
「いいんです。だって、初めてあなたを見た時、神様って、こう言う人なんだろうなって思ったんです。俺だって、ホテルマンですから、人を見る目には自信があるんですよ。なんて…」
笑う慎吾に、ふたりのサンタクロースは、心がほんわりとあたたかくなりました。
こんな笑顔が見られるなら、サンタクロースも悪くありません。
海賊の襲撃に遭ってから数日後。
カイシャンが王族だと知れ渡ったときこそ恐縮した水夫達も、変わらずに接してくる人懐こい子供と態度の変わらない桂花や馬空たちに、自分達のテリトリーである海の上という安心感も後押しして、すぐにいつもの彼らへと戻った。
声を取り戻したカイシャンも、おかげで前にも増して元気になったようだった。
ある日のこと。
甲板での喧騒に桂花が近づけば、騒ぎの中心はやはりカイシャンだった。
「だから気をつけて下さいと言ったのに!」
「大丈夫だって」
人だかりの中から馬空とカイシャンの声が聞こえる。
「ダメですって、まだ起きちゃ。…ったく、こんなとこ、あのおっかねぇ教育係様にでも見つかったらどうなるか……」
「誰に見つかったらだって?」
「ゲッ!」
「カイシャン様。そろそろ文字の勉強の時間ですよ」
突然の桂花の突っ込みに踏みつけられた蛙のような声を発した馬空をスルーして、桂花は自分に背を向ける格好で男と相対していたカイシャンに声をかけた。
元気になって遊ぶのはいいことだが、甘やかしてばかりではカイシャンの将来のためにならない。
「………」
「カイシャン様…?」
返事のない子供の様子がおかしいと思ったときには勝手に身体が動いていた。
カイシャンの小さな肩を掴み、我が身に引き寄せ振り向かせる。
そうして目に映ったのは、額に巻かれた白い布と赤い染み。
「――――――!」
「カイシャン様があんまりすばしっこいから、ついマジんなっちまって……」
馬空を筆頭に、周りの者たちも頭を下げる。
相撲の勝ち抜き戦の途中での怪我だった。子供相手(しかも王族)ということで当然ハンデはつけてあったのだが、運の悪いことに、たまたまカイシャンが投げられた先の木板の留め金が外れていて、その角が額を傷つけた。
「血が…」
そばで馬空が訴える言い訳じみた説明もなにも耳に入らなかった。桂花には目の前の子供以外、なにも目に入らなかった。
「たいしたことないんだ。馬空たちが大袈裟にグルグル巻きにしただけで…。それより、時間に遅れて悪かった。俺を迎えにきたんだろう? 着替えるから、もう少し待ってくれるか?……桂花?」
「勉強はいいですから。まずきちんと傷の手当てをしましょう。…吾の部屋まで来ていただけますか?」
「大丈夫だ。本当にただのかすり傷なんだから」
「ダメです…!」
「桂花…?」
いつもの冷静な桂花らしくなくて、カイシャンはちょっと不思議に思い目を見開いた。
「駄目です。…ちゃんと消毒して薬を塗って、それから清潔な包帯を綺麗に巻きましょう」
「…イヤミか、それは」
「なにかあってからでは、取り返しがつきませんから。それとも、あなた、責任が取れますか?」
殊勝な態度だった馬空がボソッともらした一声に、桂花は過剰に反応した。
「桂花は心配性だな」
そんな桂花に、カイシャンが少し笑った。
「王子が自分から手当てしてくれーって時には、舐めときゃ治るとか言うらしいのになぁ?」
「そんなふうに言った覚えはない」
「いっそ、舐めてもらったらどうです? 王子」
「さ、行きましょう」
馬空の軽口に真っ赤になってしまったカイシャンを抱き上げ、桂花は冷たい一瞥を男にくれてから甲板を後にした。
(大騒ぎするほどの怪我じゃないことくらい、分かってる……。でも…!)
早く、早く、早く――――――。
取り返しがつかなくなってからでは遅いのだ。
あのとき、守天殿に相談していれば……。
せめて、自分の手には負えないと認めていれば……。
何度も、その兆候はあった。柢王の額を封じるたび、吾は気づいていたはずだ。なのに………。
結果、あの人はひとりで魔界へ行き、殺された。
(その挙句…………!)
……感傷に浸る暇などない。
この子の傷を治さなければ。
この子の額には、傷痕を残さない。
ひとすじほどの傷も許さない。
……あれは、柢王の傷。
柢王だけの傷。
吾の…後悔の象徴。
この子は柢王じゃない。
だから、同じ傷痕は残させない。
同じ後悔は、決してしない。
「心配かけて、ごめん…」
「いいえ…」
子供を抱きかかえる腕に力を込めながら、桂花は過去の後悔に囚われぬよう、ただ歩を急いだ。
(終)
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