投稿(妄想)小説の部屋 Vol.3
唸るような奇妙な声音の旋律が、風にのって夕暮れ近い草原を渡る。
バヤンが桂花のゲルを訪れたのは、夏も終わりのことだった。
部下数名を供として連れてきたのは理解できるが、やっと一人で馬に乗れるようになったからとはしゃいで話す子供も一緒で、しかも所用を済ませてくる数刻の間、その子供を預かってほしいと頼まれた。
カイシャンのために、わざわざ用事を作ったのだろうと思ったが、桂花は分かりましたとだけ告げた。
その奇妙な歌が聞こえ出しのは、着いた早々に発つバヤンを見送る最中のことだった。
バヤンが完全に見えなくなってから、カイシャンはあたりを見回した。どうやら声の主は、少し離れたところで粗末な椅子に腰掛ける老婆のようだ。その周りには羊の群れが見える。
しばらくその様子を見つめていたカイシャンだったが、やがて隣に立つ桂花に問いかけた。
「あれは…なんだ?」
「あれ…ですか」
問われた意味が分からず、こちらを見向きもしない子供の目線を追った桂花は、その意味に気づき得心した。
「なんだか不思議な歌だな。まるで羊たちに聞かせてるみたいだ」
「おっしゃるとおり、あれは羊に聞かせるために歌ってるんですよ」
「羊に…?」
そう見えはしたが、本当にそう思って口にしたことではなかったので、意外な答えにカイシャンは桂花に向き直り、目を見開いてそう言った。
「あの歌は、雌の羊が他の子羊に乳をやるように仕向ける歌だそうですから」
「他の仔に? どうしてだ?」
桂花の答えに、問うた子供は要領を得ない様子で訊き返す。
「…吾の言い方が悪かったようですね。他の仔、というのは、母親のいない子羊のことです。母親のいない子羊は、乳を飲むことができなければ飢えて死ぬしかありません。でも、他の母羊が乳を分け与えてくれれば、子羊は生き延びることができるでしょう?」
「……うん」
「家畜が死ぬことは草原に住むものたちにとっては大問題です。だから遊牧民の間には、ああいう歌が代々歌い継がれているんだそうですよ」
「それ、本当の話か…?」
まっ黒な瞳が『だまされないぞ』と言ってるようで、桂花の口元がほころぶ。
「吾も初めて聞いたときには信じられませんでした。でも、本当に、雌の羊にあの歌を聞かせると、不思議と他の仔にも乳を飲ませてやるようになるんですよ」
そう言われて羊たちのほうに目をやれば、かの歌を歌う老婆の近くで、それまで乳をねだろうとする子羊を嫌がり暴れていた一匹の羊が、徐々に大人しくなり子羊に乳を飲ませだした。
「本当の親子じゃないのか?」
「ええ」
事の成り行きを見ながら、桂花はそう答える。
「羊だけか?」
「いいえ。牛や駱駝や山羊の歌などもあって、それぞれに違う歌なのだとか」
「すごいな」
「ええ、本当に」
「人間には、ないのか…?」
「人には、こうやって思いを伝え合う術がありますから」
子供の問いに、言外に人には必要ないことだろうことを伝える。
「歌がなくとも、口で言って頼めば、たいていの母親は嫌がらずに引き受けてくれるのでは?」
「いやがらずに…」
つぶやくように紡がれた小さな声に、桂花は自分の迂闊さを呪った。
他の子どころか、実の子であるカイシャンへのダギ妃の仕打ちに、今更ながら胸がきしむ。
「人間にも、あればいいのにな……」
「……カイシャン様」
柢王ではない人の子に、深くかかわるつもりも情を注ぐつもりもない。
それでも、いまこの子供の心を占めているだろう実の母への思慕を思えば、思い切り抱きしめてやりたい衝動にかられる。
「俺、馬に乗ってくる」
「お待ち下さい。すぐにバヤン殿も戻りますから、遠乗りならそのあとで……カイシャン様!」
言うが早いか、カイシャンは柵に繋いであった馬に声をかけ手綱を取ると、勢いよくまたがり駆けて行った。すぐに供の者が後を追う姿が桂花の目に映り、カイシャンへと伸ばした指先を握りこむ。
(……抱いて、あやして、そんなのはただの自己満足だ)
一時の哀情は、誰の為にもならない、なにも…救ってはくれない。
ましてや、あの子が求めているのは、母親の『代わり』ではなく、『母』自身なのだ。
(吾があなたを…今でもあなた自身を求めているように……)
……過去も未来も、自分が辿ることを決めた道が決して正しいばかりだとは思っていない。
手探りで進む道。真っ暗で怖くて…孤独に慣れた頃、手を引いてくれる誰かが現れて、ともに歩こうとした途端…いつも置いていかれた。そのたび、どうすればいいのか分からなくなった。分からないまま、その影を追って……。
指針となる誰かがいれば、支えとなる誰かがいれば、ぶれずにまっすぐ進めただろうか。
「……最近の吾は迷ってばかり、分からないことばかりだよ、柢王」
でも今ひとつだけ今の自分にも分かることがあった。
あの子に必要なのは、母の代わりではないということ。
あの子の心を癒したいなら、母の代わりでは駄目だということ。
母以上の存在でなければ、母以上の想いでなければ、あの子を抱いてやってはいけない。迷いのある自分では、カイシャン以外のものに心を砕く自分では、駄目なのだ。
なにより自分は、本来カイシャンのそばに在ってはならない存在なのだから……。
夕焼けに染まりだした草原に、風がそよぎ青草がオレンジ色に光る。
カイシャンを乗せた馬が駆けた後の土埃を見ながら、拳に力をこめて握り締める。
(吾は、ここに在ってはならないもの……)
いまだ自分を引きとめ戒める術があることに、桂花は少し安堵していた。
(終)
(実際は、2008/11/10 13:42に投稿されました)
「年取るごとに若くなってくよね♪ホントに年を盗っちゃうみたい」
接客する一樹を見ながら桔梗は笑う。
「神に魅入られ時を止めた話を思い出すね。あれは少年だったっけ」と忍も微笑み「恋してるのかな?」と続けた。
「なに、なに?」
待ってましたと桔梗が体を乗り出す。
「だって『恋すると綺麗でいられる』って一樹さん言ってたから」
「なーんだ」
脱力する桔梗に、五杯目をあけた二葉が口を開いた。
「けど一樹変わったぜ」
ふんわりとした雰囲気はそのままに、だが時折見せる壮絶な危なさや壊れそうな儚さの輪郭がぼやけてきた気がするのだ。
「そ・れ・よ・り」
弾んだ桔梗の声が響く。お得意の強制話題変更だ。
「先週で二葉も『30』になったしぃ、ビッチピチの20代は、俺・だ・け!!♪」
勝ち誇った桔梗に二葉はムッとしたが、すぐに不適な笑みを浮かべ
「そうそう。 オレも忍も卓也も一樹もみーーーんな30代だもんな!!」
<オマエ以外>と告げる。はじきを嫌がる桔梗への当てこすりだ。
案の定、桔梗の笑みが消えた。
更に二葉は携帯でカレンダーを映し
「あ、忍の誕生日、俺と同じ曜日じゃん!! いやーーー、こんなところまでピッタリ〜!! 運命感じるよな」とわざとらしく、はしゃいでみせた。
バカらしいと呆れた忍が見たのは、瞳いっぱいに涙を浮かべる桔梗。
やっぱ、こいつら従兄弟だわ・・・ため息をついた。
「二葉が一緒ってことは俺も忍と同じってことだね」
いつの間にカウンター内にいたのか、ヒョイと顔出した一樹に二葉は盛大にむせこんだ。
「曜日が運命なんて知らなかったなぁ〜〜〜」
笑う一樹に桔梗は即便乗。
「そうだ!! 今日は一樹の誕生日だしっ忍かしてあげたら〜〜運命なんだろっ!!」
「ヤダ」
「いいね」
さすが兄弟。息ぴったりの返答だ。
事態を素早く替えたのは忍。
「一樹さんお誕生日おめでとうございます。 花なんて芸がないけど、これしか思いつかなくて」
用意しておいたアレンジフラワーをさしだす。
「綺麗だね。ありがとう」
早速カウンターに飾った一樹は「帰りまで待っててね」と花に語りかけた。
「プリザートフラワーにしようと思ったんだけど、飽きちゃうかもしれないし」
「花は生が一番だよ」
「人もね」
微笑む一樹に桔梗も付けたす。
「ところで何の話?」
「えっと・・・『一樹さんの年が止まってるみたい』って」
運命云々に戻る前に素早く答えた忍に「実は止まってるんだ」と一樹は声をひそめた。
「どうして俺がこの『イエロー・パープル』に居続けてると思う?」
本能的な危険に身を引く三人。
「それはね、若いエナジーを吸いとるためだよ」
ズイッと身を乗り出す一樹の瞳は魔性のミッドナイトブルー。
深く澄んだ妖かしに魅入られ動けない三人。
―――――――ガッシャーーーン―――――――
沈黙を破ったのは忍。厳密には忍の手から滑り落ちたグラス。
弾けるように覚醒した桔梗はグラスが割れてないのを確認すると「ダスター」とカウンター内へ滑り込んだ。
音の割に被害は少なくカウンターを少し濡らしただけだ。
タオルを手にカウンターを越えた一樹に「兄貴が言うとシャレになんねぇー」と二葉はボヤき、桔梗から受け取ったダスターでテーブルを拭く。
「ホラ!忍もいつまでも腑抜けてないで」
いまだ呆ける忍に桔梗が叱咤。
「だいじょーぶ♪ 一樹には有り余る俺のエナジーをあげてるから。それで俺も一樹にもらって循環、循環。 贅沢なエコだろ?」
明るく言い放ち「でもね」と声をひそめ
「でもね、時には補充も必要で―――きた、きたエネルギーの素っ」
現れた卓也に三人は吹きだす。
なんだ? わずかに顔を顰めた卓也に
「太陽発電の話だよ」と一樹が言えば
「光合成だろ」と二葉が返す。
さすが兄弟。主旨は違っても示唆するものは同じ。
笑いが溢れる。
楽しげな一樹を見ながら桔梗は思う。
一樹の太陽は心に封印されたままなのだろうか? それとも海の向こうの・・・
桔梗は願う。
―――彼が太陽になるといい・・・と。
でも今日は俺たちが―――――
Happy Birthday 一樹
たくさんの思いと一緒に心で復唱し、桔梗は静かにグラスをかたむけた。
この手に、見えない糸が絡みついている。
強くなった風が肌を突くように吹きぬけている。
まだ雪は降らない。だが、遠く澄み渡った空の鋭さは、それが間近だと語っていた。
雲の流れが早い。その流れのままにどこかへ行ければいい。
冬目前のモンゴルの草原で、空を眺めてそう呟く。
幸せだった頃には考えられなかったことだ。
こうしてまた人間界で空を見上げることなど。
肌を刺す風に身を晒して、終るべきだった命を痛切に感じるなど。
すぐにも思い出せる、まだ遠くないあの日々が、自分の意思で選べた最後の日々だった。
あの頃、あの場所にいたのは、愛していたからだ。愛されていると信じたからあの場所にいた。それがそこにいる全ての理由だった。
「あなたの『絶対』になる」、そう約束した。
そのために、できる限りのことをした。強くなろうとした。そのために、どんな傷でも耐えられると思った。それらは確かに真実だった。
でも、もしあの時、本当に強かったなら。
言えたはずだ。もう十分だと。
愛している。
それは弱さではないと、本当にわかっていたなら、どんな口惜しさも切なさも忘れて、ただ愛していたというわけで、全てを終らせることができただろうに。
終らない空の命を、こんな狂おしい執着で続けることなど、選ばなかっただろうに。
この身体も、命も、自分のものではもうない。存在すること、それすら自分のものではない。終りにできない。あの昏い地下以外、どこにも戻るところはない。
存在すべきでない自分と、存在させるべきではなかった恋人の抜け殻。そして、その恋人の魂と肉体のほとんどを現した生きている命。
両腕に重い鎖を引きずるように、揺れる想いに引き裂かれる。
見上げる空は、もう飛ぶことのできない聖域。吹きつける風は、命を持たないこの体を冷やすだけのもの。それがこの身のいまのあり方、いまの姿。
それでもたったひとつの真実だけ、いまも変わらない。
ただひとりとの出会いから、自分の存在理由はそのためだけにある。
ガシガシ、コツコツ・・・。ハァ〜〜〜・・・。
天主搭執務室の隣。与えられた桂花の部屋では数刻この状態が続いている。
騒音の主は柢王。また面倒を持ち込んだのだろう。
だが今日こそは自力解決をと桂花は無視を決めこんだ。
なのにっ!!
「あ゛ああ゛ああ゛あ゛あ゛・・・・」
「わわわわわ・・・わ・・・・・わわ」
「ふふふふーーーーーーーふぅっ・・」
外から沸き起こる濁声。
咄嗟に柢王に視線を向け、桂花の決意はあっけなく砕け散った。
チャンス到来、柢王はニヤリと扉に結界を張る。
防音できるなら始めからすればいいものを、しないのはモチロン故意。桂花ヘルプのオネダリだ。
「何です、アレは・・・」
「八紫仙だろ」
「聞けばわかります」
噛み付かんばかりの桂花に
「恒例の『四国対抗歌合戦』の季節が来たんだ」と柢王は告げた。
また恒例か・・・と息をつく桂花に柢王は四年に一度と付け足した。
「あなた持ち込みの面倒もコレですね」
「文殊塾協賛だからな」
「つまりは関係者・・・」
東の元帥と同時に文殊塾の体術講師を務める柢王は既に主催者サイド。
面倒だが仕方ない。
柢王の自力解決をキッパリ諦め、読みかけの本を閉じた桂花に、待ってましたと柢王は関係書類を飛ばした。
目を通し分類していく動きには一つの無駄もない。その流れる作業はしばらく続き、やがてプログラム原版で止まった。
「何です、この穴あきは?」
「順番が決まってねぇんだ。 四国とも同希望で」
「トリでもやりたいと?」
「いやトップ狙いだ」
「トップ!?」
印象を残すにはラストじゃないのか・・・首をひねる桂花に柢王は
「あの前振りがあるからさ」と扉を指差し
「ケドあいつら凄いぞ。 唄いだしはズレんのに最後はキッチリ揃うし、ハモリも見事なのか、そうじゃねぇのか分かんねーシロモノなンだ」と妙な後ひれをつけた。
「唄いだしがズレる? それは輪唱なんじゃ?」
「いやズレは不定期だ。 後のヤツが抜かすことも、一緒にもなることもあるし・・・」
俺にも分かんねぇ・・・と柢王は両手をあげた。
「―――――八紫仙のことはわかりました」(本当は全く理解できないのだが)
言って桂花は<順番→保留>と余白に書き込み、「出場者は?」と次に進んだ。
「資格は王族、貴族だ。まぁ、ほとんど王族だが」
「東はどなたが?」
「ウチは親父」
「なら西は洪瀏王さまですね」
桂花が東西の出場者名を書きかけたところ、柢王は首を振った。
「いや、西はカルミアだ。それに親父のライバルは毘沙王だろ」
「さ、山凍殿!!!」
「さ、山凍―――まっさかぁ」
目を見開く桂花と秒差で柢王は笑い出し涙ながらに言い直す。
「ハハハッ、わるいっ、前毘沙王だ。 山凍パパがライバルだ」
「前毘沙王さま・・・です・・ね」
ホッと額に滲む汗を拭う桂花。
その横で柢王は回想。
「そういや前回、北は江青と珀黄だったな。経みてぇって爺婆のアイドルだったっけ」
それを右から左に受け流し、桂花は「南はどなたが?」と話を進めた。
「南ねぇ・・・」
柢王は小さく息をつくと、身体全体不機嫌のオーラを滲ませた昨日のアシュレイを思い出した。
今時期、天界はどこへ行っても話題は決まって歌合戦。
アシュレイの苦痛は手に取るようだ。
そんな親友に苦笑しつつも柢王は、わざとテンションを上げ絡んでいった。
『よっ! 腐ってンな♪』
『うっせぇ!!』
『ケド仕事なんだ。な、おまえンとこは姉上の巫女姫が出んのか?』
歌合戦企画進行書をチラリと見せ協力を仰ぐ。
『姉上の大反対で断念だ』
オマエまで歌合戦かよ!!と悪態をつきつつも仕事なら仕方ねぇと吐き捨てた。
『じゃあ誰が?』
『さあな』
『―――炎王ってことはねーんだろっ?』
言ってブッと噴出す柢王に、アシュレイもクッと笑う。
二人して前回を思い出したのだ。
四年前、華々しくトップを飾ったのはアシュレイの父、炎王だった。
自信満々、迫力満点でステージに立つその御姿は会場中を圧倒した。
加えサビから始まる攻めの選曲。『今回はコレで決まり!』誰もが思っただろう。
イントロが流れ聴衆の期待は最高潮。
―――その初っ端・・・事態は起こった。
出だしをトチる・・・まさかの失態。
固まる炎王。
固まる聴衆。
生バンドが慌て修正したときは既に遅く、会場は割れんばかりの爆笑に包まれていた。
誰にも増しプライド高く自信家の炎王の傷心はことさら深く、その影響は下界にまでおよんだ。
川、湖は干上がり海面が沸きあがる灼熱地獄。
まさに壊滅一歩前の大惨事。
以来、南ではあの歌合戦は禁句の一つに数えられている。
『ああ見えてナイーブなんだ』
笑いを収め、珍しく父を労わるフォローをいれたアシュレイは先ほどの憂鬱はどこへやら 『出場者は決まり次第連絡してやる』と足取り軽く去っていった。
「南はまだ決まってないらしい」
「そうですか」
桂花は南の欄に保留と書き込むと、次の書類に目を落とし首をかしげた。
「この改定規約・・・変化なしってのは?」
「ああ。 前回な・・・親父のヤツすげーぇ若作りしやがって・・・それも整形、化粧バッチリで。 あの目張りにゃ身内もドンびきだ。―――それを幕裏で見た洪瀏王が」
「―――便乗したんですね」
「ああ」
「クレームは?」
「モチロン出たさ。中でも前毘沙王が厳しくってな。 ま、ありゃ仕方ねぇな」
「仕方ない?」
「ああ。前回、北は江青たちって言ったろ? ありゃ練習で声を枯らした前毘沙王の代わりだったんだ」
「それは自業自得でしょ?」
「いや声は治ったんだ、ティアの守光でさ。 けど守護主天の援護を受けたのはズルイ!!って親父たち他国王がイチャモンつけ、泣く泣く辞退」
「――――・・・・」
子供のケンカか・・・なんて低レベルな。
桂花は痛み始めたこめかみに片手を添えた。
「―――で結果は?」
「結果?」
「対抗歌合戦の勝者は?」
「ンなのつけられるわけねぇだろ」
「勝敗が・・・ない?」
「そ、出場者は好きな曲を歌い、審査員はそれを誉めちぎる。そして国に戻って自賛しつつ賛辞を聞き次回に闘志を燃やす。―――だからジジィたちが競って出場すんだろ」
―――つまり、対抗というのは自己自慢・・・。
バサッ!!
桂花は机に手元の書類を投げ出した。
そして震える怒りを忍耐力で抑え、読みかけの本に手を伸ばす。
「けっ、桂花」
慌て呼び止める柢王に−273,15℃の視線を突き刺し静寂を確保。
ガシガシ、コツコツ・・・。ハア〜〜〜・・・。
ページをめくる音と共に交わる不定音。
秋の夜長の天主搭。そこでは各部屋ごとに様々な音楽が奏でられている・・・そうだ。
−プロローグ−
人の声が聞こえると夢うつつに慎吾は思った。
「また、ソファーで寝ている」
「可愛い寝顔だね。風邪をひくといけないから、上着をかけてあげよう」
「俺の上着をかけるからいい」
「ずるい。お前はいつもしているだろ」
「…スーツがしわになって、困るのはお前だろう」
小さな声だけれど、うたた寝の慎吾が目を覚ますには十分だった。
目を開けると、スーツの上着を手にした高槻さんと貴奨がいて、慎吾はあわてた。
「た、高槻さん、いらっしゃい。すみません、寝てしまって」
「今来たところだから、気にしなくていいよ。それより、疲れているんだったら、寝ていていいんだよ」
「いえ、大丈夫です。あの…何をしていたんですか」
「どっちが、慎吾君に上着をかけるかをね」
くすくす笑って高槻さんは言った。
その相手は、びっくりした慎吾に驚いて逃げ出したミルクを、抱き上げていた。
「そんなところで寝ていると風邪をひくといつも言っているだろう」
−ある月の綺麗な夜に−
貴奨が、ソファーでうたた寝をしている。
慎吾は驚いて、リビングの入り口に立ち止まった。スーツの上着を脱いで座ったら、眠ってしまったみたいだ。
今日は、高槻さんが夕食を作りに来てくれてるのに。いつもは見せない疲れた姿を見ると心配になる。
じっと見ていると、貴奨の膝の上の特等席をゲットしたグレースが、上機嫌で尻尾を振った。
本当に貴奨が好きなんだなと、自然と笑みが浮かぶ。
その時、キッチンで料理をしていた高槻さんが、「どうかしたの?」とリビングに顔をのぞかせ、
その気配に目を覚ました貴奨が、しまったという顔をした。
「珍しいね。体調が悪いの?」
驚く高槻さんに、貴奨はグレースの頭を撫でながら苦笑した。
「いや、すまない」
「休んでいてもいいんだよ。慎吾くんと二人で、ディナーを楽しむから」
ふふっと笑う高槻さんに、貴奨は疲れを感じさせない、不敵な笑み浮かべる。
「お前の料理が食べられるチャンスは、逃さないさ」
リビングの入り口に立ちつくす慎吾は、気付いていても、こちらに視線さえ向けない貴奨に、
俺もいるんだけど…と、顔をしかめた。
「そんなところで寝てると風邪をひくって、いつもお前が言ってるくせに」
心配なのに、つい嫌みを言ってしまった。
「心配してるのか?ん?」
まるで、愛猫をみるように目を細めて、貴奨はわざと聞くのだ。
「そんなわけないだろっ」
赤くなった慎吾に、ふっと笑った貴奨は、高槻さんに、「着替えてくる」と言って自室に入った。
慎吾の側を通る時、心配するなと言うように、慎吾の頭をぽんと叩いてから。
立ち尽くす慎吾の足に、グレースが身をすり寄せて、にゃーと鳴いた。
まるで、素直じゃないんだからと言うように。
貴奨のやつ…グレースまで…高槻さんには「仲の良い兄弟でうらやましいね」とくすくす笑われる始末。
恥ずかしいだろ。
足元のグレースを抱き上げて、ふかふかするお腹に、慎吾は赤くなった顔を隠くした。
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