投稿(妄想)小説の部屋 Vol.3
海賊の襲撃に遭ってから数日後。
カイシャンが王族だと知れ渡ったときこそ恐縮した水夫達も、変わらずに接してくる人懐こい子供と態度の変わらない桂花や馬空たちに、自分達のテリトリーである海の上という安心感も後押しして、すぐにいつもの彼らへと戻った。
声を取り戻したカイシャンも、おかげで前にも増して元気になったようだった。
ある日のこと。
甲板での喧騒に桂花が近づけば、騒ぎの中心はやはりカイシャンだった。
「だから気をつけて下さいと言ったのに!」
「大丈夫だって」
人だかりの中から馬空とカイシャンの声が聞こえる。
「ダメですって、まだ起きちゃ。…ったく、こんなとこ、あのおっかねぇ教育係様にでも見つかったらどうなるか……」
「誰に見つかったらだって?」
「ゲッ!」
「カイシャン様。そろそろ文字の勉強の時間ですよ」
突然の桂花の突っ込みに踏みつけられた蛙のような声を発した馬空をスルーして、桂花は自分に背を向ける格好で男と相対していたカイシャンに声をかけた。
元気になって遊ぶのはいいことだが、甘やかしてばかりではカイシャンの将来のためにならない。
「………」
「カイシャン様…?」
返事のない子供の様子がおかしいと思ったときには勝手に身体が動いていた。
カイシャンの小さな肩を掴み、我が身に引き寄せ振り向かせる。
そうして目に映ったのは、額に巻かれた白い布と赤い染み。
「――――――!」
「カイシャン様があんまりすばしっこいから、ついマジんなっちまって……」
馬空を筆頭に、周りの者たちも頭を下げる。
相撲の勝ち抜き戦の途中での怪我だった。子供相手(しかも王族)ということで当然ハンデはつけてあったのだが、運の悪いことに、たまたまカイシャンが投げられた先の木板の留め金が外れていて、その角が額を傷つけた。
「血が…」
そばで馬空が訴える言い訳じみた説明もなにも耳に入らなかった。桂花には目の前の子供以外、なにも目に入らなかった。
「たいしたことないんだ。馬空たちが大袈裟にグルグル巻きにしただけで…。それより、時間に遅れて悪かった。俺を迎えにきたんだろう? 着替えるから、もう少し待ってくれるか?……桂花?」
「勉強はいいですから。まずきちんと傷の手当てをしましょう。…吾の部屋まで来ていただけますか?」
「大丈夫だ。本当にただのかすり傷なんだから」
「ダメです…!」
「桂花…?」
いつもの冷静な桂花らしくなくて、カイシャンはちょっと不思議に思い目を見開いた。
「駄目です。…ちゃんと消毒して薬を塗って、それから清潔な包帯を綺麗に巻きましょう」
「…イヤミか、それは」
「なにかあってからでは、取り返しがつきませんから。それとも、あなた、責任が取れますか?」
殊勝な態度だった馬空がボソッともらした一声に、桂花は過剰に反応した。
「桂花は心配性だな」
そんな桂花に、カイシャンが少し笑った。
「王子が自分から手当てしてくれーって時には、舐めときゃ治るとか言うらしいのになぁ?」
「そんなふうに言った覚えはない」
「いっそ、舐めてもらったらどうです? 王子」
「さ、行きましょう」
馬空の軽口に真っ赤になってしまったカイシャンを抱き上げ、桂花は冷たい一瞥を男にくれてから甲板を後にした。
(大騒ぎするほどの怪我じゃないことくらい、分かってる……。でも…!)
早く、早く、早く――――――。
取り返しがつかなくなってからでは遅いのだ。
あのとき、守天殿に相談していれば……。
せめて、自分の手には負えないと認めていれば……。
何度も、その兆候はあった。柢王の額を封じるたび、吾は気づいていたはずだ。なのに………。
結果、あの人はひとりで魔界へ行き、殺された。
(その挙句…………!)
……感傷に浸る暇などない。
この子の傷を治さなければ。
この子の額には、傷痕を残さない。
ひとすじほどの傷も許さない。
……あれは、柢王の傷。
柢王だけの傷。
吾の…後悔の象徴。
この子は柢王じゃない。
だから、同じ傷痕は残させない。
同じ後悔は、決してしない。
「心配かけて、ごめん…」
「いいえ…」
子供を抱きかかえる腕に力を込めながら、桂花は過去の後悔に囚われぬよう、ただ歩を急いだ。
(終)
Powered by T-Note Ver.3.21 |