投稿(妄想)小説の部屋 Vol.3
「「クリスマス?」」
ティアランディアとアシュレイの声が見事にはもるのに、来客用の椅子に腰掛けるアウスレーゼ様は、微笑なさいました。
「人間界では、サンタクロースがプレゼントを配る日なのだよ」
「プレゼント、もらえるなんていい日だな!」
なんで天界にはないんだろと、アシュレイ。
「そうだね。善意の人が配るのかな」
用意するのも、配るのも大変でしょうねと、ティアランディア。
「そう、大変なのだよ」
優雅に御足を組み代えられながら、アウスレーゼ様。
しかし、お召しになった帽子の先のふわふわしたぼんぼりが、揺れています…
天主塔にいらっしゃった時、いつものお召し物と違いすぎて、不審人物かと危うくアシュレイに、攻撃されるところだったのでございます。
「大変?アウスレーゼ様が、サンタクロースなんですか?」
お二人は存じませんでしたが、アウスレーゼ様は、由緒正しきサンタ服をお召しになっていらっしゃいました。
しかし、なぜか服の色は黒でございます。
「ふふっ…少し違うのだよ。我は、ブラック・サンタ」
「「ブラック・サンタ?」」
また、見事にはもりました。
「生け贄…いや、その年のサンタクロースを決める役目なのだよ」
とても楽しそうなアウスレーゼ様のご様子に、ティアランディアとアシュレイは、走って逃げたい気分でございました。
「そなたたちに、サンタクロースを任せようと思ってな」
「なんで、私達がっ」
「まあまあ、そう言わず。我からのクリスマスプレゼントだ」
アウスレーゼ様は、こちらはそなたの制服と、由緒正しき赤いサンタ服を、ティアランディアに。
こちらは、アシュレイの分とお出しになった制服に、ティアランディアの目がキラッと光りました。
ショートパンツにロングブーツ、ちょっと長めのコートがワンピースにも見えるデザインでございます。
「やります。やらせてください!」
「ティア!?」
「アシュレイ、人間を幸せにするのも、私の仕事だからね。もちろん、手伝ってくれるよね?」
もっともらしい言葉と、困ったような極上の上目遣いで、ティアランディアがアシュレイを説得するのを、アウスレーゼ様は笑って、御覧になっていらっしゃいました。
「そう言うわけで、望みを言え」
突然現われた、サンタクロースと名乗る、元気で可愛いらしいサンタクロースが言いました。
何かの罰ゲームなのだろうか戸惑う慎吾に、もう一人の綺麗で王子様のようなサンタクロースが、苦笑を浮かべています。
「アシュレイ、それじゃあ、押し売りみたいだよ。クリスマスプレゼントに望みをなんでも叶えるから、希望を聞かせて?」
「えっと…特にありません」
慎吾が断ると、赤い髪のサンタが、火を噴く勢いで食って掛かります。
「望みを叶えないと、天界に帰れないんだ!だから、早く言えっ!!」
「アシュレイ…そんな強引な…」
慎吾は、よくわからないけれど、サンタクロースもいろいろ大変なんだなと思いました。
「あの…それなら、取り寄せていた品物を、代わりに受け取ってきて欲しいんですが…」
「そんな事でいいの?」
「健さん…いえ、プレゼントを取り寄せていたんですが、急に仕事が入って、取りに行けなくなってしまって…」
健さんと過ごすはずだったクリスマス、インフルエンザで休む者がでて、約束が守れなくなってしまったのです。
健さんは慎吾とクリスマスを過ごすために、睡眠時間をけずって、予定を開けてくれていたのに。
始めは機嫌が悪かった健さんも、落ち込む慎吾に、
「しゃーねーな。この貸しは高くつぜ。おら、行ってこい。お前はインフルエンザなンか、うつされンじゃねーぞ。俺は、ひとり寂しく寝てっから、夜中に忍んで来いよ。サンタさん」
と、言ってくれました。
その後、「泣いても許してやンねーからな」と囁かれた事まで思い出して、慎吾は頬を赤く染めています。
そんな慎吾の様子は、ティアランディアとアシュレイに、それがとても大切な人へのプレゼントなのだと伝えました。
「そんなに、大事なものを、私達に任せて大丈夫?」
「いいんです。だって、初めてあなたを見た時、神様って、こう言う人なんだろうなって思ったんです。俺だって、ホテルマンですから、人を見る目には自信があるんですよ。なんて…」
笑う慎吾に、ふたりのサンタクロースは、心がほんわりとあたたかくなりました。
こんな笑顔が見られるなら、サンタクロースも悪くありません。
海賊の襲撃に遭ってから数日後。
カイシャンが王族だと知れ渡ったときこそ恐縮した水夫達も、変わらずに接してくる人懐こい子供と態度の変わらない桂花や馬空たちに、自分達のテリトリーである海の上という安心感も後押しして、すぐにいつもの彼らへと戻った。
声を取り戻したカイシャンも、おかげで前にも増して元気になったようだった。
ある日のこと。
甲板での喧騒に桂花が近づけば、騒ぎの中心はやはりカイシャンだった。
「だから気をつけて下さいと言ったのに!」
「大丈夫だって」
人だかりの中から馬空とカイシャンの声が聞こえる。
「ダメですって、まだ起きちゃ。…ったく、こんなとこ、あのおっかねぇ教育係様にでも見つかったらどうなるか……」
「誰に見つかったらだって?」
「ゲッ!」
「カイシャン様。そろそろ文字の勉強の時間ですよ」
突然の桂花の突っ込みに踏みつけられた蛙のような声を発した馬空をスルーして、桂花は自分に背を向ける格好で男と相対していたカイシャンに声をかけた。
元気になって遊ぶのはいいことだが、甘やかしてばかりではカイシャンの将来のためにならない。
「………」
「カイシャン様…?」
返事のない子供の様子がおかしいと思ったときには勝手に身体が動いていた。
カイシャンの小さな肩を掴み、我が身に引き寄せ振り向かせる。
そうして目に映ったのは、額に巻かれた白い布と赤い染み。
「――――――!」
「カイシャン様があんまりすばしっこいから、ついマジんなっちまって……」
馬空を筆頭に、周りの者たちも頭を下げる。
相撲の勝ち抜き戦の途中での怪我だった。子供相手(しかも王族)ということで当然ハンデはつけてあったのだが、運の悪いことに、たまたまカイシャンが投げられた先の木板の留め金が外れていて、その角が額を傷つけた。
「血が…」
そばで馬空が訴える言い訳じみた説明もなにも耳に入らなかった。桂花には目の前の子供以外、なにも目に入らなかった。
「たいしたことないんだ。馬空たちが大袈裟にグルグル巻きにしただけで…。それより、時間に遅れて悪かった。俺を迎えにきたんだろう? 着替えるから、もう少し待ってくれるか?……桂花?」
「勉強はいいですから。まずきちんと傷の手当てをしましょう。…吾の部屋まで来ていただけますか?」
「大丈夫だ。本当にただのかすり傷なんだから」
「ダメです…!」
「桂花…?」
いつもの冷静な桂花らしくなくて、カイシャンはちょっと不思議に思い目を見開いた。
「駄目です。…ちゃんと消毒して薬を塗って、それから清潔な包帯を綺麗に巻きましょう」
「…イヤミか、それは」
「なにかあってからでは、取り返しがつきませんから。それとも、あなた、責任が取れますか?」
殊勝な態度だった馬空がボソッともらした一声に、桂花は過剰に反応した。
「桂花は心配性だな」
そんな桂花に、カイシャンが少し笑った。
「王子が自分から手当てしてくれーって時には、舐めときゃ治るとか言うらしいのになぁ?」
「そんなふうに言った覚えはない」
「いっそ、舐めてもらったらどうです? 王子」
「さ、行きましょう」
馬空の軽口に真っ赤になってしまったカイシャンを抱き上げ、桂花は冷たい一瞥を男にくれてから甲板を後にした。
(大騒ぎするほどの怪我じゃないことくらい、分かってる……。でも…!)
早く、早く、早く――――――。
取り返しがつかなくなってからでは遅いのだ。
あのとき、守天殿に相談していれば……。
せめて、自分の手には負えないと認めていれば……。
何度も、その兆候はあった。柢王の額を封じるたび、吾は気づいていたはずだ。なのに………。
結果、あの人はひとりで魔界へ行き、殺された。
(その挙句…………!)
……感傷に浸る暇などない。
この子の傷を治さなければ。
この子の額には、傷痕を残さない。
ひとすじほどの傷も許さない。
……あれは、柢王の傷。
柢王だけの傷。
吾の…後悔の象徴。
この子は柢王じゃない。
だから、同じ傷痕は残させない。
同じ後悔は、決してしない。
「心配かけて、ごめん…」
「いいえ…」
子供を抱きかかえる腕に力を込めながら、桂花は過去の後悔に囚われぬよう、ただ歩を急いだ。
(終)
唸るような奇妙な声音の旋律が、風にのって夕暮れ近い草原を渡る。
バヤンが桂花のゲルを訪れたのは、夏も終わりのことだった。
部下数名を供として連れてきたのは理解できるが、やっと一人で馬に乗れるようになったからとはしゃいで話す子供も一緒で、しかも所用を済ませてくる数刻の間、その子供を預かってほしいと頼まれた。
カイシャンのために、わざわざ用事を作ったのだろうと思ったが、桂花は分かりましたとだけ告げた。
その奇妙な歌が聞こえ出しのは、着いた早々に発つバヤンを見送る最中のことだった。
バヤンが完全に見えなくなってから、カイシャンはあたりを見回した。どうやら声の主は、少し離れたところで粗末な椅子に腰掛ける老婆のようだ。その周りには羊の群れが見える。
しばらくその様子を見つめていたカイシャンだったが、やがて隣に立つ桂花に問いかけた。
「あれは…なんだ?」
「あれ…ですか」
問われた意味が分からず、こちらを見向きもしない子供の目線を追った桂花は、その意味に気づき得心した。
「なんだか不思議な歌だな。まるで羊たちに聞かせてるみたいだ」
「おっしゃるとおり、あれは羊に聞かせるために歌ってるんですよ」
「羊に…?」
そう見えはしたが、本当にそう思って口にしたことではなかったので、意外な答えにカイシャンは桂花に向き直り、目を見開いてそう言った。
「あの歌は、雌の羊が他の子羊に乳をやるように仕向ける歌だそうですから」
「他の仔に? どうしてだ?」
桂花の答えに、問うた子供は要領を得ない様子で訊き返す。
「…吾の言い方が悪かったようですね。他の仔、というのは、母親のいない子羊のことです。母親のいない子羊は、乳を飲むことができなければ飢えて死ぬしかありません。でも、他の母羊が乳を分け与えてくれれば、子羊は生き延びることができるでしょう?」
「……うん」
「家畜が死ぬことは草原に住むものたちにとっては大問題です。だから遊牧民の間には、ああいう歌が代々歌い継がれているんだそうですよ」
「それ、本当の話か…?」
まっ黒な瞳が『だまされないぞ』と言ってるようで、桂花の口元がほころぶ。
「吾も初めて聞いたときには信じられませんでした。でも、本当に、雌の羊にあの歌を聞かせると、不思議と他の仔にも乳を飲ませてやるようになるんですよ」
そう言われて羊たちのほうに目をやれば、かの歌を歌う老婆の近くで、それまで乳をねだろうとする子羊を嫌がり暴れていた一匹の羊が、徐々に大人しくなり子羊に乳を飲ませだした。
「本当の親子じゃないのか?」
「ええ」
事の成り行きを見ながら、桂花はそう答える。
「羊だけか?」
「いいえ。牛や駱駝や山羊の歌などもあって、それぞれに違う歌なのだとか」
「すごいな」
「ええ、本当に」
「人間には、ないのか…?」
「人には、こうやって思いを伝え合う術がありますから」
子供の問いに、言外に人には必要ないことだろうことを伝える。
「歌がなくとも、口で言って頼めば、たいていの母親は嫌がらずに引き受けてくれるのでは?」
「いやがらずに…」
つぶやくように紡がれた小さな声に、桂花は自分の迂闊さを呪った。
他の子どころか、実の子であるカイシャンへのダギ妃の仕打ちに、今更ながら胸がきしむ。
「人間にも、あればいいのにな……」
「……カイシャン様」
柢王ではない人の子に、深くかかわるつもりも情を注ぐつもりもない。
それでも、いまこの子供の心を占めているだろう実の母への思慕を思えば、思い切り抱きしめてやりたい衝動にかられる。
「俺、馬に乗ってくる」
「お待ち下さい。すぐにバヤン殿も戻りますから、遠乗りならそのあとで……カイシャン様!」
言うが早いか、カイシャンは柵に繋いであった馬に声をかけ手綱を取ると、勢いよくまたがり駆けて行った。すぐに供の者が後を追う姿が桂花の目に映り、カイシャンへと伸ばした指先を握りこむ。
(……抱いて、あやして、そんなのはただの自己満足だ)
一時の哀情は、誰の為にもならない、なにも…救ってはくれない。
ましてや、あの子が求めているのは、母親の『代わり』ではなく、『母』自身なのだ。
(吾があなたを…今でもあなた自身を求めているように……)
……過去も未来も、自分が辿ることを決めた道が決して正しいばかりだとは思っていない。
手探りで進む道。真っ暗で怖くて…孤独に慣れた頃、手を引いてくれる誰かが現れて、ともに歩こうとした途端…いつも置いていかれた。そのたび、どうすればいいのか分からなくなった。分からないまま、その影を追って……。
指針となる誰かがいれば、支えとなる誰かがいれば、ぶれずにまっすぐ進めただろうか。
「……最近の吾は迷ってばかり、分からないことばかりだよ、柢王」
でも今ひとつだけ今の自分にも分かることがあった。
あの子に必要なのは、母の代わりではないということ。
あの子の心を癒したいなら、母の代わりでは駄目だということ。
母以上の存在でなければ、母以上の想いでなければ、あの子を抱いてやってはいけない。迷いのある自分では、カイシャン以外のものに心を砕く自分では、駄目なのだ。
なにより自分は、本来カイシャンのそばに在ってはならない存在なのだから……。
夕焼けに染まりだした草原に、風がそよぎ青草がオレンジ色に光る。
カイシャンを乗せた馬が駆けた後の土埃を見ながら、拳に力をこめて握り締める。
(吾は、ここに在ってはならないもの……)
いまだ自分を引きとめ戒める術があることに、桂花は少し安堵していた。
(終)
(実際は、2008/11/10 13:42に投稿されました)
「年取るごとに若くなってくよね♪ホントに年を盗っちゃうみたい」
接客する一樹を見ながら桔梗は笑う。
「神に魅入られ時を止めた話を思い出すね。あれは少年だったっけ」と忍も微笑み「恋してるのかな?」と続けた。
「なに、なに?」
待ってましたと桔梗が体を乗り出す。
「だって『恋すると綺麗でいられる』って一樹さん言ってたから」
「なーんだ」
脱力する桔梗に、五杯目をあけた二葉が口を開いた。
「けど一樹変わったぜ」
ふんわりとした雰囲気はそのままに、だが時折見せる壮絶な危なさや壊れそうな儚さの輪郭がぼやけてきた気がするのだ。
「そ・れ・よ・り」
弾んだ桔梗の声が響く。お得意の強制話題変更だ。
「先週で二葉も『30』になったしぃ、ビッチピチの20代は、俺・だ・け!!♪」
勝ち誇った桔梗に二葉はムッとしたが、すぐに不適な笑みを浮かべ
「そうそう。 オレも忍も卓也も一樹もみーーーんな30代だもんな!!」
<オマエ以外>と告げる。はじきを嫌がる桔梗への当てこすりだ。
案の定、桔梗の笑みが消えた。
更に二葉は携帯でカレンダーを映し
「あ、忍の誕生日、俺と同じ曜日じゃん!! いやーーー、こんなところまでピッタリ〜!! 運命感じるよな」とわざとらしく、はしゃいでみせた。
バカらしいと呆れた忍が見たのは、瞳いっぱいに涙を浮かべる桔梗。
やっぱ、こいつら従兄弟だわ・・・ため息をついた。
「二葉が一緒ってことは俺も忍と同じってことだね」
いつの間にカウンター内にいたのか、ヒョイと顔出した一樹に二葉は盛大にむせこんだ。
「曜日が運命なんて知らなかったなぁ〜〜〜」
笑う一樹に桔梗は即便乗。
「そうだ!! 今日は一樹の誕生日だしっ忍かしてあげたら〜〜運命なんだろっ!!」
「ヤダ」
「いいね」
さすが兄弟。息ぴったりの返答だ。
事態を素早く替えたのは忍。
「一樹さんお誕生日おめでとうございます。 花なんて芸がないけど、これしか思いつかなくて」
用意しておいたアレンジフラワーをさしだす。
「綺麗だね。ありがとう」
早速カウンターに飾った一樹は「帰りまで待っててね」と花に語りかけた。
「プリザートフラワーにしようと思ったんだけど、飽きちゃうかもしれないし」
「花は生が一番だよ」
「人もね」
微笑む一樹に桔梗も付けたす。
「ところで何の話?」
「えっと・・・『一樹さんの年が止まってるみたい』って」
運命云々に戻る前に素早く答えた忍に「実は止まってるんだ」と一樹は声をひそめた。
「どうして俺がこの『イエロー・パープル』に居続けてると思う?」
本能的な危険に身を引く三人。
「それはね、若いエナジーを吸いとるためだよ」
ズイッと身を乗り出す一樹の瞳は魔性のミッドナイトブルー。
深く澄んだ妖かしに魅入られ動けない三人。
―――――――ガッシャーーーン―――――――
沈黙を破ったのは忍。厳密には忍の手から滑り落ちたグラス。
弾けるように覚醒した桔梗はグラスが割れてないのを確認すると「ダスター」とカウンター内へ滑り込んだ。
音の割に被害は少なくカウンターを少し濡らしただけだ。
タオルを手にカウンターを越えた一樹に「兄貴が言うとシャレになんねぇー」と二葉はボヤき、桔梗から受け取ったダスターでテーブルを拭く。
「ホラ!忍もいつまでも腑抜けてないで」
いまだ呆ける忍に桔梗が叱咤。
「だいじょーぶ♪ 一樹には有り余る俺のエナジーをあげてるから。それで俺も一樹にもらって循環、循環。 贅沢なエコだろ?」
明るく言い放ち「でもね」と声をひそめ
「でもね、時には補充も必要で―――きた、きたエネルギーの素っ」
現れた卓也に三人は吹きだす。
なんだ? わずかに顔を顰めた卓也に
「太陽発電の話だよ」と一樹が言えば
「光合成だろ」と二葉が返す。
さすが兄弟。主旨は違っても示唆するものは同じ。
笑いが溢れる。
楽しげな一樹を見ながら桔梗は思う。
一樹の太陽は心に封印されたままなのだろうか? それとも海の向こうの・・・
桔梗は願う。
―――彼が太陽になるといい・・・と。
でも今日は俺たちが―――――
Happy Birthday 一樹
たくさんの思いと一緒に心で復唱し、桔梗は静かにグラスをかたむけた。
この手に、見えない糸が絡みついている。
強くなった風が肌を突くように吹きぬけている。
まだ雪は降らない。だが、遠く澄み渡った空の鋭さは、それが間近だと語っていた。
雲の流れが早い。その流れのままにどこかへ行ければいい。
冬目前のモンゴルの草原で、空を眺めてそう呟く。
幸せだった頃には考えられなかったことだ。
こうしてまた人間界で空を見上げることなど。
肌を刺す風に身を晒して、終るべきだった命を痛切に感じるなど。
すぐにも思い出せる、まだ遠くないあの日々が、自分の意思で選べた最後の日々だった。
あの頃、あの場所にいたのは、愛していたからだ。愛されていると信じたからあの場所にいた。それがそこにいる全ての理由だった。
「あなたの『絶対』になる」、そう約束した。
そのために、できる限りのことをした。強くなろうとした。そのために、どんな傷でも耐えられると思った。それらは確かに真実だった。
でも、もしあの時、本当に強かったなら。
言えたはずだ。もう十分だと。
愛している。
それは弱さではないと、本当にわかっていたなら、どんな口惜しさも切なさも忘れて、ただ愛していたというわけで、全てを終らせることができただろうに。
終らない空の命を、こんな狂おしい執着で続けることなど、選ばなかっただろうに。
この身体も、命も、自分のものではもうない。存在すること、それすら自分のものではない。終りにできない。あの昏い地下以外、どこにも戻るところはない。
存在すべきでない自分と、存在させるべきではなかった恋人の抜け殻。そして、その恋人の魂と肉体のほとんどを現した生きている命。
両腕に重い鎖を引きずるように、揺れる想いに引き裂かれる。
見上げる空は、もう飛ぶことのできない聖域。吹きつける風は、命を持たないこの体を冷やすだけのもの。それがこの身のいまのあり方、いまの姿。
それでもたったひとつの真実だけ、いまも変わらない。
ただひとりとの出会いから、自分の存在理由はそのためだけにある。
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