投稿(妄想)小説の部屋 Vol.3
東領が誇る花街で一・二を争うと言われている大店『無憂宮』。
殊に三階は上客のみが入れると言われていて、普通の客は二階の階段から覗くのがせいぜいだ。
その無憂宮の三階を覗いていた酔客の視界で、す、と控えの間の扉が開いた。
店の女に続いて出てきた姿は白い髪に紫微色の肌、そこに浮き上がった刺青が美しい――魔族。
目を剥いた男達に気づいた魔族は、にっこりと微笑みかけて会釈し、すぐに視線を戻す。
魂を抜かれた男達を背に、桂花は澄ました表情のまま、内心で呟いた。
(・・・馬鹿め)
柢王元帥の軍は花街警備を主とする。
兄達の嫌がらせ交じりの任務とは言え、危険は少ないし美人と知り合えるしと、意外と兵士達からは好評だ。『花の男衆』ランキングでも、頼りになる兵士達に投票する女達は多く、そうなるとなおさら、柢王元帥の軍は士気が高くなる。さらには恒例となりつつある、勝ち抜き戦上位者ご招待の宴。ここ東領の王子である元帥主催の宴である。中流貴族の出がせいぜいの兵士達では手が出ない美女と美酒、旨い食事と余興が振舞われるのだ。
今夜の宴の主役は、七班の兵士達だった。
班長以外はあまり親しく話す機会のない元帥と同席し、花街でもトップクラスの妓女に注がれる美酒。肴の旨さときたら芸術的なほどで、値段を聞くことなど、恐ろしくてたわむれにもできない。
「もう一生、こんなところ来られないよな・・・」
しみじみと一人が言えば、隣で同僚がこくこくと肯く。無言なのは口の中に物が入っているからだ。その傍らからすいと徳利が差し出される。
「まあ、そんなことおっしゃらないでくださいな。次の勝ち抜き戦でも勝って、またいらして、ね?」
艶やかな妓女が小首を傾げて微笑みかけると、髪に挿したかんざしがしゃらりと音を立てて揺れた。濡れたような眼差しに見つめられ、つい杯を呷る手にも力が入る。
「よう、楽しんでるか?」
笑みを含んだ声とともに徳利が傾けられた。はた、と見たそこにあるのは第三王子、柢王元帥の顔である。
「元帥! はい、楽しんでます!」
「今夜は無礼講だ、思いっきり楽しんでってくれ。で、班の奴らに自慢してやれよ」
「はいっ!」
自慢の結果、次回の勝ち抜き戦がさらに熱を帯びたものになることは予想するまでもない。
柢王は自身の席に戻ると、楽の音の中、傍らの妓女に尋ねた。
「桂花はまだか?」
「遅いですわね・・・見て参ります」
妓女が膝を浮かせたとき、ちょうど背後の引き戸が開いた。
「――お待たせしました」
あまり機嫌のよくなさそうな桂花の声がして、柢王は待ちかねた様子を見せずに振り返る。
そこにいたのは、普段どおりといえば普段どおりの、白一色の衣装の桂花だった。
「・・・布だな」
「布ですね」
あしらう調子で答える桂花が数歩踏み出す。装飾らしい装飾は足首に巻いた金鎖のみ、踏み出した脚の一方は腿の刺青までが半ば露わにされていて、体に巻きつけるように着付けられた白い布からは両の肩と腕、背中までもがむき出しにされている。
「これでも吾に合わせて作ったそうですが」
「・・・だろうな」
柢王の半歩後ろに膝をついて落ち着いた桂花の、胸と片足以外の刺青を見せ付けるようなデザインである。後頭部で結い上げてまとめた髪もまた、背中の刺青を隠さないようにという意図だろう。
「今日の仕立て屋は?」
「あとでご挨拶をと」
柢王が店の女に尋ねる横で桂花は澄まして座り、招かれた兵士たちは呆けたように目を丸くしている。
紫微色の肌に色濃く浮き上がる刺青――このうえなく魔族らしさを前面に押し出した装いだ。酒の席とは言えこれが許されるのは、享楽に聡い東領の花街の大店であるからに他ならない。他国でこれをやったら間違いなく、桂花も仕立て屋も、あるいは女将も首が飛ぶ。
呆然と己を見つめる兵士たちの眼差しに、桂花は悪戯心で微笑みかける。僅かに首を傾げ、後れ毛を揺らし、普段は刃物のように鋭い眼差しに匂い立つような色香を覗かせて。紅を差した唇が柔らかく綻ぶ様は咲き初めの花のようでもあり、長い間熟成させた酒が喉を滑るときの芳醇さを思わせもした。
「・・・よろしければ、一献」
すぐ傍に膝をつかれれば、白い布に焚き染めたと思しき微かな香りが肌をくすぐる。細身の体に女性的な丸みは存在しないというのに、しなやかな肢体、惜しげもなくさらした肌の肌理、控えめな微笑は、柢王元帥の趣味の良さをいやというほど知らしめていた。
「桂花、こっちに来い」
苦笑交じりの声が副官を傍らに呼び寄せる。
「俺のかわいい部下をあんまりいじめんなよ」
声とともに伸びた手が、白い髪に両側から挿してあった簪を抜いた。解けた髪が刺青の浮いた背を覆い、魔族の美貌にも落ちかかる。紫微色の手がそれをかき上げたときには、桂花の表情はもう、いつもの怜悧なものに戻っていた。
「仕立て屋が随分心配してましたよ。吾にこんな服を着せて、柢王元帥のご不興を買うのではないかと」
だったら着せるな、と柢王は思った。
「見る目が確かなのは褒めてやるよ。ただ、もう少し場を読めなきゃ一流にはなれねえな」
「今、何を飲んでいるんです? 吾にも一杯」
「ああ・・・って、もうなくなってるな。おい、もう少し持ってきてくれ」
酒席で酒を切らす失態を『無憂宮』の女がするはずがなかったが、彼女たちは心得顔で裾を払った。あわせて桂花も立ち上がる。
「では吾は着替えてきます。この格好は落ち着かない」
「えっ! 副官殿、もうですか?」
「もう少し・・・」
惜しげな声に微かに口角を上げたものの、桂花は止まらなかった。
「失礼」
背後で、次の曲を急かす元帥の声がした。
――機嫌が悪いな、と柢王は言った。柢王にとって花街は、天主塔と並んで第二の家というくらいには馴染んでいるが、今日は桂花の機嫌のために保険をかけて、二人だけのあの小さな家に帰ることにしたのだ。
「あなたこそ。吾がお酌して回ってたとき、すごい目でしたよ。隠してたようですけど」
「おまえがあの格好で入ってきたときからだぜ? 事前にどんなのか、確かめとくべきだったな。迂闊だった」
飛びながら、柢王の手が服越しに恋人の体を辿る。
「あなたは吾を着飾らせるのが好きだと思ってましたが」
「本気で言ってんのかよ、桂花」
宙に浮いたまま、柢王は桂花の額に己のそれを当てた。触れそうな距離で、わかってんだろ? と囁く。続いた声と返ってきた答えに、恋人たちは笑った。
見せびらかしたいけど見せ物にはしたくないんだ。
少しくらい妬いてください。・・・たまには。
その夜の家までの距離はひどく遠かった。
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