投稿(妄想)小説の部屋 Vol.3
「これ…返さなくてもいいだろ…?」
フビライが出て行くと、カイシャンは小さな声で尋ねた。
「なんなんですか、それは」
「言ったら、返さなくてもいいか?」
「…カイシャン様、」
「言っても言わなくても返さないといけないなら、言わない!」
呼びかけに否定の意を感じ取り、カイシャンは桂花の言葉をさえぎった。
「わかりました。じゃあ、言わなくてもいいですから、返してください」
いつも素直な子供の頑固さに、桂花もつい突き放したような言い方で答えてしまう。
言いすぎたかもしれないと思ったときには遅かった。
いっぱいに目を見開いた子供が、可哀想なくらい情けない表情で自分を見ている。
「桂、花…」
呼ばれてもなにも返せず、桂花は思わず顔をそむけてしまった。
「けい…か?」
もともと子供は苦手だった。
うるさくて自分勝手で我を通すことしか知らない、我慢することを知らない、泣けばいいと思っている、大人が譲るのが当然だと思っている、この世で一番図々しい生き物、できれば一生近づきたくない、かかわりたくない生き物。
(言ってもわからないんだから、少しくらいきつく言ったって………)
「…………けぃ…か…っ!」
涙のからんだような声に、そむけたばかりの目線をつい戻してしまう。
無意識に自分の中に言い訳を探していた桂花の目にカイシャンが映る。
涙がこぼれないのが不思議なくらい瞳を潤ませ、それでも自分から目を離さない子供の顔が……。
「…けぃ……っ」
(――――――― ああ……)
唐突に、目の前の子供には折れるしかない自分を桂花は痛感した。
「………………柢王が、」
そして心で苦笑しながら、慎重に言葉を選んでカイシャンに告げる。
「……そうですね……柢王が、あなたにあげたものですから。吾が返せというのは筋違いですね」
「……桂花、怒ったのか…!? でも、でも、俺っ…!」
だが選んだつもりの言葉は、思いのほか素っ気無い響きで当の子供に届いてしまったらしい。
「男が、『でも』なんて言うもんじゃありません。……吾は怒ってませんし、」
桂花はひとつ息を吐いて、続けた。
「吾のほうこそ、すみませんでした。あの人を疑りすぎてたようですね。あなたがそれほど気に入るものを選んでくるなんて…」
「…………うん」
「ところで、」
改まって続けられた桂花の言葉に、思わずカイシャンは身構える。
「その…柢王からのものとは別に、吾からのお返しも受け取っていただけますか?」
「えっ!?」
「よかったら、次からはご一緒に」
そう言ってカイシャンの大好きな優しい笑みとともに渡されたのは、何の変哲もない普通の茶色の事務用封筒だった。
「開けてもいいか?」
どうぞと、桂花が頷いたのを見てカイシャンは軽く留められただけの封を剥がす。
「……あ、」
(しろ、だ……!)
中から出てきた二つ折りの白い厚紙。
それは、手作りの『プライベートお茶会』への招待状だった。
しかも桂花の仕事が手空きであれば、カイシャンが望むときにいつでも何回でも薬屋『夢竜』でお茶をご馳走してくれるという、無期限無制限のフリーパス。
「…俺、だけか?」
「どういう意味ですか?」
「アイツも、いるのか…?」
「あなたが望まないものを、呼んだりしませんよ」
近くをうろついているかもしれませんが、とは心の中でだけ付け加えておく。
「………友達も、呼んでもいいか?」
「あなたが望むなら、どうぞ」
「あ…ありがとう!」
思いきり大好きな人に抱きついて、自分がどんなに嬉しいかを伝える。
「俺も…っ、俺もお茶請け作って持ってくから、一緒に食べてくれるかっ?」
「お待ちしてます」
「うんっ!」
毎日だって桂花に会いたい。でも、忙しい桂花の邪魔はしたくない。
カイシャンは子供なりにそう考えて、近所の薬屋に行きたいのを我慢していた。
招待状をもらったからって、桂花が忙しくなくなるわけじゃない。だから今まで通り、頻繁には訪ねられないだろう。
それでも嬉しかった。桂花の気持ちが、カイシャンには泣きたいほど嬉しかった。
「桂花、桂花っ……ありがとう!!」
「はいはい」
小さな子供をあやすように桂花がカイシャンの頭を撫でる。
桂花にされる子供扱いだけは悔しいと感じるカイシャンも、今日ばかりは嬉しくてたまらない。
「もうすぐ春ですから、桜のお茶はどうですか」
「うんっ。だったら俺、おじいさまに教わって…下手だけど…桜餅作ってみる!」
「期待してますよ」
「うんっ…あ、でもその前に、」
――― おじいさまが戻ったら最初に「ありがとう」って言おう。
――― それから「今度は、桜餅の作り方を教えて下さい」って頼むんだ。
――― カルミアにも、明日塾に行ったら一番に「ありがとう」って言おう。
――― それから……
「どうしたんですか?」
突然黙ってしまったカイシャンに、桂花が問う。
「ううん、なんでもない。桂花と俺と、俺の友達と……。楽しみだなぁって考えてただけだ」
ニッコリ笑って答えたカイシャンに、桂花も穏やかな笑みを返す。
「吾も楽しみです」
――― それから、
――― 一緒に桂花のお茶会に行こうって、カルミアを誘うんだ!
終。
余談(1)-------------------------------------------
カイシャンと桂花を残し、フビライが訪れたのは近所の茶飲み友達『水晶宮』だった。
「どうじゃ、うちのカイシャンの元気玉は。甘くてまろやかで美味この上なしとは思わぬか」
「ふむ…いつもと同じと思うが。だがうちのカルミアもコレが好きで、よく余の部屋にねだりに来おる。『父上、喉が痛いのでいつもの飴を下さいませんか』と。下から見上げるようなおねだりが、それはもうかわゆうてのぉ…」
「それでいつも持って歩いておるのか」
「でなくては、あの子のおねだりにすぐに応えてやれぬではないか。ああ、だが前に、失敗したことがあった。あの子にねだられた時、飴と一緒にトロイゼンが特別に夢竜で調合させたという薬を出してしまっての」
「トロイゼン殿は、どうしてもそなたに後添えをと考えとるようじゃの」
「余はもう誰も娶るつもりはない。だが、トロイゼンは諦めきれんようで、『旦那様はまだまだお若こうございますれば、いざというときにはぜひこれを。元気すぎるほどお元気になるそうでございます』とな…。まあそんな話はさておき。飴玉とその薬を一緒に出してしまった折り、あの子がカワイイ声で、それはなあに、それも甘いのですか? と訊くので、そばにいたトロイゼンが『これはお父上様の、苦〜いお薬でございます。坊ちゃまが飲んだら守天様に聖水を頂かなくてはならなくなりますぞ』と脅しての。…あのときのあの子もまたかわゆかったぞ…フォッフォッ」
「おぬしの親バカは、たぶん死んでも治らんのだろうの」
「そなたの曾孫バカ以上と自負しておる」
そんなジジバカ談義で盛り上がる幸せなふたりだった。
余談(2)-------------------------------------------
「俺がせっかくお返ししといてやったのに」
「…………どうしてあなたが」
「チビ、喜んでたろ〜?」
ニヤニヤ笑いの柢王に、やはりなにか変なものを贈ったのではないかと桂花の心中は穏やかでなくなる。
「って、おい! どこ行くんだよ!?」
「モンゴル亭です。カイシャン様に言って、やはりあなたからのものは返してもらってきます」
「はーーーっ!? やめとけって。俺が大枚はたいて作らせたんだぞ!? うち持ってきたって意味ねえし、」
「意味!?」
「…や、意味、つーか…なんつーか」
「……まさかと思いますけど、爆弾とか…」
「そんな危ねえもん、俺が作らせるわけねえだろっ」
「だったら…」
まだまだ不審げな桂花に、仕方なく当たり障りない程度に意味を話す。
「あれはな、おまえに似せて作らせた人形なんだ。あのチビ、生意気にもおまえに惚れてんだろ。だから、さ…」
「人形……」
それも自分に似た……。
だから…?
だからあの子は、あんなに一所懸命だったのだろうか、中身のことを訊かれて赤くなったのだろうか……。
「な? もういいだろ、ガキんちょの話は」
「ええ……」
「んじゃ、もう寝るか」
「…まだ早いですよ」
「俺への返しももらわねーとなっ」
「なに言ってるんですか。だいたい、あなたからはなにもいただいてませんよ」
「やったじゃん。2月14日の晩から翌日にかけて、たっぷりと俺の愛を、おまえに」
そう言ってニッコリ笑った柢王に、反論する隙もなく桂花は寝室へと拉致られた。
――― ガキは人形で我慢しな
――― 本物は絶対手に入らねんだから
――― つか、俺が絶対手放さないし、放してやる気もねえからな
柢王の心の声は、誰にも聞こえなかった。
余談(3)-------------------------------------------
その夜のカルミアは……。
カルミアのチリチョコに非常に感激したらしい守天から、白くはないがお返しに七色の輝くマシュマロを頂いた。残念ながら白くはないが、敬愛する守天からのお返しと、なにより自分の手作りのチョコを喜んでくれたというのが嬉しい。
カルミアは自室のベッドに正座すると、そっとマシュマロをひとつ口に運んだ。
「・・・・・・・・・・・・・っっっっっ!!!!!!!!」
………死ぬ思い、というものを、カルミアは生まれて初めて味わった。
「ティ……ア、兄…様っ………」
焼けつく喉をおさえ、はいつくばってテーブルの水差しから直接水を一気する。
ようやく人心地ついて、気がついた。
ベッドの上においたマシュマロの箱の中に、小さなメモが入っている。
手に取ってみればティアの直筆で、マシュマロには異国から取り寄せた唐辛子の20倍辛いと言われる激辛粉末を使用したと書いてある。そして最後に「この前のチョコ、本当に嬉しかったよ。一緒に友人と頂いたのだけど彼が凄く気に入ってね。お礼に特別注文したものだけど、気に入ってくれると嬉しいな」とある。
一緒に食べたという友人のことが少し気にはなったが…。
「こんなにすごいものがお好きなんだったら、僕の作ったものなんて、まだまだ子供騙しだったんだろうな…」
箱の中のマシュマロを見ながら、カルミアは心で敗北感を感じていた。
「よーーーーし!」
そして、すっくと立ち上がり、カルミアは心に誓った。
――― 来年は、もっと辛いものに挑戦だ!!
余談(4)-------------------------------------------
カルミアが誓いを立てていた頃・・・
「どうしたんだ?」
「いや…なんだか急に寒気がして…」
「って、どこ触ってんだっ!」
「いやだから…温めてもらおうかなと」
「寒いんなら、これでも食ってろ!」
「!!!!!!!」
無理やり口に詰め込まれたものに、ティアは生まれて初めて目から火が出る思いを味わっていた。
(完)
そうして、3月。
「カイシャン、そなたに言伝じゃ」
「誰からですか?」
塾から帰るなり、曽祖父に言われてカイシャンは首を傾げた。
「その前に。2月のチョコのお返しは済ませてきたか?」
「はい」
カイシャンの返答に「ふむ」とひとつ頷くと、フビライは派手な色合いの大きな紙袋をカイシャンの前においた。
「柢王殿からそなたにと」
「……………………は?」
「柢王殿から、そなたに渡してくれと頼まれた」
「…柢王殿から、ものをもらう理由がありません」
「向こうにはあるように言うておったが」
「は?」
「そなた、先月桂花に贈り物をしておったであろう? なんでもその返しじゃと柢王殿が昼頃持ってこられた」
「どうしてアイツが…っ!」
「…ん?」
「い、いえ、なんでもありません。どうして柢王殿が…」
「そなたが贈ったチョコで、とてもよいことがあったとか…楽しそうに話しておったぞ」
(楽しいこと…? 俺が桂花に贈ったチョコで…!?)
(わからない……)
桂花へ贈ったチョコの返しに、どうして柢王が来るのか。
桂花に贈ったものなのに、どうして柢王がお礼に来るのか。
意味も理由もわからなくて…でもわからない気持ちの悪さよりも、カイシャンは心の中に苛立ちと悔しさを感じ始めていた。
「とりあえず中を確認して、柢王殿に礼を言って来るがよかろう」
「……」
「カイシャン?」
「……はい」
尊敬する曽祖父に言われ仕方なく、紙袋の口を少しだけ開けて覗き込む。
最初に目に飛び込んできたのは、――――――― 白。
「!!」
「ほぉ……、これは見事な」
声を詰まらせたカイシャンの横から手元の紙袋を覗き込んだフビライも、思わず感嘆の声をもらした。
「桂…花……?」
中には背丈30センチ弱ほどの明らかに桂花を模したと思われるミニドールが一体。
どうやって作られたのか、その髪も肌も瞳も……全てが本物のようにカイシャンの目をひきつける。ただ現実の桂花と比べると、人形ということを差し引いて考えても、等身の比率や表情などから、若めに…と言うか可愛く作られているように見えた。
「そなたが桂花を慕っておることを知った柢王殿が、わざわざ匠に頼んで作らせたものに違いない。よかったの、カイシャン」
「は…い」
目を奪われながら、それでも次第に冷静になっていく。
(どうしてアイツが、俺に……?)
「失礼します」
「桂花っ!?」
声がして振り向くと、ついさっきカイシャンも入ってきた勝手口から桂花が現れた。
「おお、桂花ではないか。さきほど柢王殿から素晴らしい贈物をカイシャンに頂戴した。よろしく伝えておいてくれ」
「……まさか……、来たんですか、あの人…、………!」
「桂花…?」
フビライの言葉にそれでも半信半疑の桂花だったが、カイシャンの手にある見覚えのある紙袋を見つけ、一瞬言葉を失った。
(桂花、なんか空いてる紙袋で死ぬほどでっかいのってねえか?)
(なにに使うんですか? 棚の一番上に不用な紙袋がおいてありますけど、死ぬほど大きくはないですよ)
(んー)
今朝の柢王との会話を思い出し、いまカイシャンの手にある紙袋の色や模様に、まさにあの紙袋だと確信する。
「カイシャン様、」
「なんだ?」
「それを…返してはいただけませんか」
「え…」
柢王の思惑を考えこむあまり無口になりがちのカイシャンだったが、意外な桂花の申し出に逆に今度は言葉に詰まる。
「な、……なん…で?」
「……いえ、すみません。少し頭を冷やしてから出直してきます」
「え…? ま、待って! 桂花、待って! 俺の…俺のあげたチョコレート、美味しくなかった? …嬉しく、なかった、のか…?」
来た早々、柢王からの品を返せと言ったかと思えば突然踵を返し出て行こうとする桂花の袖口を掴んで、懸命になってカイシャンは言葉を継いだ。
「いえ…いいえ、そういうことではありません。とても…美味しくいただきました。嬉しかったですよ。ただ……」
歩を止め振り返り、桂花は必死に自分を見上げてくる黒い瞳を見つめて問いかけた。
「カイシャン様、ひとつお聞きしてよろしいですか? チョコに粉がかかっていましたが、あれはどこで?」
「カルミアがくれた。…桂花は苦いものが好きだから、これをかけるといいよって」
「……………なるほど」
「好き、じゃなかった…のか?」
「いいえ……。でも、そうですね……吾よりも柢王のほうが好きだったようです。だから、それをあなたに」
「アイツも食べたのかっ!?」
「すみません、あっと言う間に…」
そう、あっと言う間に……。
粉雪が風に舞い、できれば外には出たくないと誰もが考えるだろう、2月のその日。
薬屋『夢竜』の前に、営業に出ていた桂花の帰りをじっと待つカイシャンの姿があった。
毛糸の帽子に毛糸のマフラーと毛糸の手袋、たっぷり厚着の上にコートを着込み、分厚い靴下の重ね穿きにもこもこの長靴。完全防備なのだろうが、外にのぞく顔は雪に濡れ頬は真っ赤だった。
通りすがりのおばちゃんたちの心配はもちろん、近所の肉屋や魚屋や寝具店や諸々の人たちも心配して数分おきに「うちに入って待ったらどうだい」と声をかけるがカイシャンは動かない。『モンゴル亭』の主に言えばなんとかなるかと思ったが、あれの好きにさせてやってほしい、と返される始末。こうなれば桂花がダメでも、せめて柢王が帰ってきて薬屋の中にカイシャンを入れてやってはくれないだろうかと遠巻きに皆が願っていたとき、
「…カイシャン様!?」
カイシャンが、そして皆が待ち焦がれていた桂花が帰ってきた。
同時に勝手に見守り隊(仮名)も安心して密かに解散した。
「桂花っ…!」
「どうしたんですか、こんなところで…。ああ、こんなに手も頬も冷たくなって…!」
自店まで目と鼻の先まできたところでカイシャンの姿を認めた桂花は、すぐさま走り寄って膝を折り、自分のコートを着せかけた。その上から小さくて冷たい身体を抱きしめる。
(………うわぁ)
じんわりと春のような温かさに包まれて、カイシャンの心は逸った。
「桂花っ。俺、桂花に…」
俺が作ったチョコレートを、と胸に抱いたままの包みを意識しながら言いかけて……一瞬にして身体からぬくもりが消えた。
「なんだ、早かったな?」
「…あなたは遅いお帰りで」
突然二人の後ろに現れた柢王が、桂花を羽交い絞めるようにして掬い立たせていた。そのままおんぶお化けのように背中に張り付き桂花の襟首に顔を摺り寄せている。
「おまえがいないのに、ひとりで待つなんてイヤじゃねーか、なあ!?」
「そうですか。わかりました。重いからどいてください」
「この重みが好きなくせに〜〜〜〜〜〜!!」
バキッッ!!
――――――― 没。
「カイシャン様、さあ早く中へ。少し温まったら、モンゴル亭まで吾がお送りしますから」
「大丈夫。俺、いっぱい着てきたし。桂花に渡したいものがあって待ってただけだから」
そう言って「ありがとう」とまず自分にかけてくれた桂花のコートを返し、手の中に大事に持っていたものを桂花に差し出す。
「…これ、は…?」
「俺が作ったんだ。バ、…バレンタインだから。そ、そしたら俺、帰る。おやすみ桂花!」
「え…? あっ…!」
少し照れくさそうに言いたいことだけ早口で告げてしまうと、桂花に引き止める隙も与えず、カイシャンは雪明りの中を駆けていった。
「ガキんちょ、なに持ってきたんだ?」
小さな後姿を見送る桂花の背後から、いつのまに復活したのか、柢王がひょっこり顔を覗かせ、桂花の受け取ったものを奪おうと手を出した。
「ダメです!」
その手をピシリと打って、桂花は薬屋の戸を開けた。
すぐに湯を沸かし、最近お気に入りの青茶を入れる。
そうしてカイシャンからの包みを開き、中のものに笑みがこぼれた。
「一緒に食べて行けばよかったのに…」
それぞれ大きさも形も微妙に違う、不恰好な一口大の生チョコレート。
でもだからこそ、カイシャンが一生懸命に作ったものだとわかる。
「いただきます」
着膨れした子供の姿を思いだし明日モンゴル亭に身体の温まるお茶でも届けようと思いながら、早速桂花はひとつ取って口に運んだ。
「………?」
瞬間感じた違和感は、それが口の中であっと言う間に解けた途端、確信に変わった。
(これは…!)
「いただき〜♪」
「柢王…っ!!」
止める間もなく、柢王も口に入れてしまう。
「結構うまいな〜。んでもガキんちょの分際で俺の桂花にバレンタインチョコ贈るなんて…アイツ最近調子こいてんじゃねーかっ」
口調だけは憤慨した様子で口に放り込み続ける。
「はぁ…」
「なにため息ついてんだ、おまえ」
口の周りに青緑色のパウダーをつけた柢王が、不思議そうに問うてくる。
「別に」
そっけない桂花にそれ以上追求しなかったが、答えは数時間もせずに出た。
雪は降りやまず、この冬一番の底冷えのする夜だったが、主人が戻った薬屋は熱帯夜のごとく熱い夜だった。
営業の疲れもあり、翌朝は柢王より起きるのが遅くなってしまった桂花だったが、そのとき、ガキんちょにお礼しないとな…と笑いながら呟く声を聞いたような気がした。
柢王がカイシャンに礼だなどと、それこそ信じられなくて、たぶん幻聴だろうと思っていた。
そうしてひと月が経った、今朝。
「ガキへの返しは俺がしとくから、おまえはなんもしなくていいぜ」
突然そう言われ、はいそうですか、と了承できるはずもなくきっぱりと断った。
吾が頂いたものですから、吾がお返しをします、と。
だが柢王も引かず、
「いいって。マジ、絶対アイツが喜ぶもの用意しといたからさ!」
尚もきっぱりと言い放ったのだった。
(喜ぶもの、って…………)
あの人のことだから、絶対なにか変なものを無理やり押し付けてきているに違いない。
そう思い、どうしても予定から外せない馴染みの客だけを回り終え、モンゴル亭へと急いだつもりの桂花だった。
………結果は柢王に後れを取ってしまったわけだが。
「アイツが食べたのは、…別にいい。でも、」
「でも?」
「……これは…返したくない」
「カイシャン様」
「だって、これは俺がもらったものだ!」
「カイシャン、我侭を言うでない」
「いいえ、吾のほうが勝手を言っているのですから」
そう言ってカイシャンを見て、ふと疑問が湧く。
どう贔屓目に見てもカイシャンが好意を持っているとは思えない柢王から贈られたものに、どうしてそれほど執着するのだろうかと。
「カイシャン様、それではその中身を見せてはいただけませんか」
「…知らないのか?」
「え?」
「桂花は、この中身を知らないのか?」
「え、ええ。……でも柢王のことですから、なにか不調法したんじゃないですか?」
桂花の決め付けたような物言いに、もしここに柢王本人がいても桂花の言葉は変わらないのだろう、とフビライの面にかすかに笑みが浮かんだが、桂花が気づいたのはカイシャンの変化だけだった。
「…だったら、」
ほんの少し顔を赤らめ、カイシャンにしては珍しくそっぽを向きながら言った。
「これを俺が持ってるのが、イヤってわけじゃないんだな」
「は?」
「フォッフォッフォッフォッフォッフォッ」
「おじいさま…っ!」
「いやいや、すまん。…おお、わしはちょっと用事を思い出した。少し出てくるが、あとは頼んだぞ」
「え、あの、吾もすぐに帰りますけど…」
「では、わしの用事が済むまでここにいてやってはくれぬか。店のほうは大丈夫なのじゃろ?」
「まあ…たぶん」
あまり役には立たないが、とりあえず店番はいる(はずだ)し…と、だらけた様子の店番を想像しながら桂花が答えると、
「では、頼んだぞ」
そう言い置いてフビライは出て行った。
その夜。
閉店後の甘味処「モンゴル亭」に、カルミアがやってきた。
敬愛するティアランディアに、毎年愛の証のチョコ菓子を手作りして贈りたいという野望を抱いていたカルミアだったが、周りにそんな芸当(菓子作り)ができるものは見当たらず…。今年こそはと考えた末、家が甘味処で器具が揃っている上、自身も菓子作りの経験者らしい同級生に思い当たった。
だが近所で同級生とはいえ、当のカイシャンとは挨拶すら交わしたことがない。
躊躇ううちに日は過ぎギリギリの今日、ようやく声をかけることに成功したカルミアだった。
……だったのだが、
「そうじゃ、そこでココアパウダーを」
ジジつきなのは、なぜ。
「おじいさま、そろそろお寝みになって下さい。明日も早くから仕込があるのではありませんか?」
「おお、そうじゃな。それではそろそろ寝むとするか。カイシャン、カル坊の布団はちゃんと敷いたか?」
「はい。ここの片付けが終わったら、すぐに眠れるように用意してあります」
「うむ。ではあまり遅くならんうちに寝むのだぞ」
「はい」
「カル坊もな」
「…はい」
「…………どうして僕がカル坊なんだっ」
フビライが厨房をあとにしてしばらくすると、地を這う声が作業中のカイシャンの耳に届いた。
おまえのほうが俺よりちっちゃくて可愛く見えるからじゃないか…と心で即答したカイシャンだったが、口には出さない。そういえばカイシャン自身もカルミアの姿が視界に入らず見逃すことがたまにある、というか…さっきもあったな、と思い出す。
「おじいさまは水晶宮の旦那とは古馴染みだし、おまえのことも生まれたときから知ってるからじゃないのか。俺も、おまえの父上や番頭さんと商店街ですれ違ったりすると『カイ坊、いつも元気だな!』って言われるぞ? …たぶんこっちが知らなくても、大人のほうでは俺達のことをよーく知ってるつもりでいるんだろうな」
「…………フン」
カルミアはまだ不満気だったが、カイシャンはなんだかおかしかった。
「それより、俺のはそろそろ仕上がるけど……」
自分の分は不器用ながらもフビライに教わったとおりオーソドックスではあるがそれなりに仕上がりつつある。あとは冷蔵庫で冷やしてパウダーをまぶしたりトッピングをすれば出来上がりだ。
だがカルミアのものは………。
「…それはまずいんじゃないか」
フビライが出て行った途端、カルミアは持ってきた大きな風呂敷包みの中から赤やら青やらの粉末や物体を取り出して、チョコ生地に大量に混ぜだしていた。
「マズイわけないだろ、この僕が愛を込めて作ってるのに! …まぁお子様な君には理解できないかもしれないけど、大人なティア兄様は死ぬほど辛いものがお好きなんだ!」
「ほんとにか?」
「柢王殿がおっしゃってた!」
自信満々に胸をはって答えるカルミアに、
「…………そ、そうか」
嘘くさいと思いつつ、カイシャンは頷いてみせた。
「そういえば、あの薬師は苦いものが好きだって言ってたぞ」
「苦いもの? でもうちに来ると俺が盛ったみつ豆とか、丸めた大福とか好きだって言ってくれるぞ」
「社交辞令じゃないのか」
あっさり返されたカルミアの答えに、
「…………そ、そうだったのか」
カイシャンはショックを隠し切れない。
「落ち込むなよ、うっとおしい。…そう思って、君の分も用意してきた」
ほら、と渡されたのは掌に納まるサイズに小さく折り畳まれた紙包み。開いてみれば青緑色した粉が入っている。苦いものでこんな色なら、ニガウリとかの類だろうか。フビライが好きで、前に新メニューの味見でゴーヤゼリーを作ってくれたのだが、それきりカイシャンは食べる勇気を失ったままだった。粉を見つめながら、そんなことを思い出していると、
「それを出来上がったものにまぶせば、少しはあいつの好みに仕上がるんじゃないかと思う」
「……カルミア」
「ほら、これも」
カルミアから渡されたのは自身もさきほどから着用している不織布マスクだった。
「粉って結構飛ぶからな」
たとえ愛する人が好むものでも、辛いのやら苦いのやらを吸い込んでは大変だ。お菓子作りどころでなくなるかもしれない。
「…うん、ありがとう」
カルミアの準備のよさに一瞬面食らったカイシャンだったが、すぐに心からの感謝を述べると、おそろいのマスクをつける。
そうして再びふたりは無言で作業に没頭したのだった。
そして―――。
口にふくめば、ほんのり冷たさを感じた瞬間ふわりと舌のうえでとろけるような、愛の手作り生チョコレートが完成した。
カルミアのものは、食感を楽しんでもらおうと赤唐辛子と青唐辛子を細かく細かくみじん切りにしたものを生地に練りこみ、表面には赤・青唐辛子のパウダーをまぶした究極のチリチョコレート。
そしてカイシャンのほうは、実は入ってないまでもニガウリパウダー(推測)がまぶされた、ほんのり苦味の利いた大人のためのゴーヤチョコ。
「うん、いいじゃないか! …っと、そうそう、これこれ…」
出来上がった生チョコを前にご満悦だったカルミアが、なにやら楽しそうにゴソゴソと風呂敷包みの中を探り出す。
その横で、カイシャンはふとこの数時間を振り返った。
…ここに来るまでの道のりは、カイシャンにとって遠く険しいものだった。
甘味処「モンゴル亭」を手伝う看板曾孫ということで周囲には誤解されがちだったが、実のところカイシャンは手先が器用なタイプではなかった。
店の手伝いも、フビライが言いつけるのは、混ぜるだけとか丸めるだけとか、極力簡単な作業だけで。
だから今夜の、いきなり厨房を使わせてほしいという子供達の申し出にも、フビライは出来るだけ簡単に作れるものをチョイスして自ら指導に当たったのだった。
それでもやっぱりカイシャンは容器をひっくり返してしまったり、湯煎のところを直火にしてしまったりと簡単な失敗を繰り返し、そのたび挫折しそうになっていた。
(ほんとに俺にできるんだろうか…)
(……こんなグチャグチャなものもらったって、桂花、迷惑なんじゃないのか?)
不器用な自分の掌の熱で融けかかったチョコをボーッと見ながら、そんな考えが浮かんでは消え、消えては浮かんでいた。
「なにしてるんだっ、握るなバカっっ!!」
「カイシャン、氷じゃ」
もしカイシャンを叱咤激励してくれた二人がいなかったら、きっとここまで辿りつく事は出来なかっただろう。
自分がここまで来れたのは、ふたりのおかげなのだ……。
「おいってば!」
「ぅわっ…な、なんだ?」
すっかり自分の世界に浸りきっていたカイシャンは、カルミアの声に一気に現実に引き戻された。
「ボケッとしてる暇なんてないだろっ。ほら、コレ!」
そう言って差しだされたのはラッピングセット一式。
「おまえ、本当に用意がいいな…」
「当然だろ」
カルミアの性格もあるのかもしれないが、それら全てが守天への愛の表れなのだろうとカイシャンは思った。
(俺も頑張らなくちゃな…!)
「小さすぎるかと思ったけど、このくらいでちょうど良かったな」
そうつぶやきながら満足げにカルミアがチョコを小箱に入れて漆黒の紙で包みだす。慌ててカイシャンも箱と包装紙を手に取る。
そうしてカルミアは金、カイシャンは薄紫のリボンをつけ、翌日それぞれ意中の人にチョコを贈ったのだった。
「どうだった、ちゃんと渡せたか?」
「うん。おまえは?」
「僕が渡せてないなんてこと、あるわけないだろ」
フン!とばかりにそっぽを向かれても、カイシャンはつい笑ってしまう。
「なんで笑ってるんだ」
「いや別に…。チョコ、気にいってくれてるといいな?」
「なにボケたこと言ってるんだ君は」
カイシャンの言葉にカルミアは呆れたように大きな息を吐くと、きっぱりと言い切った。
「この僕がリサーチして、ちゃんと好きな味に仕上げたんだから、気にいらないわけないだろっ。絶対気に入ってるはずだ!」
「そうだな」
自信満々のカルミアに、笑顔でカイシャンも大きく頷いた。
ところで、2月半ばといえば、例年塾ではちょうどさまざまな行事が催される時期だった。縄跳び大会や雪の彫像作り大会、定期試験に卒業式の予行練習、春にある入塾式の準備等々、大人同様、子供の世界もそれなりに多忙だった。
そのため二人の子供達は、チョコを渡したきりどちらも彼の人と顔を合わすことなく毎日が過ぎていった。
塾からの帰り、2月の夕暮れは早く、既にあたりは薄暗い。
曽祖父フビライとともに暮らす甘味処・モンゴル亭のある商店街はもう目と鼻の先だった。
「きらいなの?」
あまり見覚えはないけれど、行く手をさえぎるように突然目の前に現れたのは、どうやら同じ塾に通う女子らしい。
「…嫌いじゃないけど、、、」
「よかった! それじゃ、一日早いけど…これっ!」
「え? あ……おいっ!」
言いながら素早く手提げ袋からピンクにラッピングされたものを取り出した女子は、戸惑うカイシャンにそれを強引に押しつけ、またねと軽やかに走り去った。
その後姿を呆然と見送りながら、カイシャンはただ小さく息をついた。
塾に通いはじめてから、毎年不思議に感じる現象がある。
それは2月になると女子が無理やりチョコをくれることだ。
常日頃、理由もなく人から物を受け取ってはならないと諭す曽祖父フビライにも、このときばかりは『3月のお返しを忘れてはならん』とアドバイスとともに受け取ることを強く勧められた。カイシャンとしても甘いものが嫌いというわけではない。決して嫌いなのではないのだが、どうにもわけがわからない。
「どうして2月にチョコなんだ…?」
「子供だな」
女子から押しつけられたチョコに目をやり、ポツリつぶやいたカイシャンの後ろから偉そうに答える声がした。
たった今、女子が走り去ったときには誰もいなかったはずなのに…と不審に思い、カイシャンが振り返ると、
「・・・なんだ、風呂屋の息子か」
「誰が風呂屋の息子だっ!」
「じゃあ、風呂屋の……若旦那」
「…………」
どうしてわざわざそんな持って回った呼び方なんだ…というカルミアの心の声は、当然だがカイシャンには届かない。
「……僕には立派な名前がある」
なので仕方なくカルミアは最大妥協でそう返した。
「呼んでいいのか?」
「…しょうがないな」
こいつ何様だと思うような言動にも、カイシャンはさほど頓着しない。
カルミアは、誰にでもこうなのだと知っている。
同じ商店街に生まれ育ったふたりではあるが、幼馴染というほど親しいわけでもないし、同じ塾に通うようになったからといって、仲のよい塾友というわけでもなかった。それでも、カルミアの性質くらいは知っていた。
来るもの拒まずだが滅多に自分から誰かに近づこうとはしないカイシャンと(例外が桂花)、塾の幼稚な子供達(というか、自分以外のもの)に対して完全に上から目線で、他人が勝手に自分の名前を呼ぶことにすら嫌悪の表情を隠さない、いつでもどこでもえらそうなカルミア。
相反する二人のようだが、カイシャンはこのえらそうな風呂屋の跡取りが嫌いではなかった。
「じゃあ、カルミア」と話しかけると、ほんの少しこめかみのあたりをひくつかせるのが分かっておかしかったけど、顔には出さない。
「俺は子供だけど、それがどうかしたのか?」
続く言葉に、許した途端呼び捨てか!?と心で密かに突っ込んでいたカルミアだったがすんでのところで我慢した。そんな細かく拾っていたら商店街の中に入ってしまう。こういうデリケートな類の話は、おおっぴらに話してきかせるものでなく、秘めやかに密やかにすすめるものだと相場は決まっている。
「2月14日のチョコレートは、違うんだ」
だから、カルミアは少し声を抑えて言った。
「今日は14日じゃないぞ?」
言ったのだが、すぐに瓦解した。
「だーかーらー!! さっきの子も、一日早いけどって言ってたじゃないか! 本当は14日に渡すものなんだよチョコはっ」
「…………」
「なんだよっ!?」
「いや、別に…」
なにか言いたげに口を開きかけたカイシャンだったが、カルミアの剣幕に首を振って心の中で呟く。
(…ただ、詳しいなと思って。チョコのことはもちろん、さっきの女子の言葉とか)
「それで、ものは相談だ」
カルミアは年配者(トロイゼン爺)に育てられたせいか、たまに言葉が子供らしくない。
「うん」
だがこちらも曾爺に育てられた筋金入りの爺っ子カイシャンだ、全く気にならない、どころかなんだか親しみやすささえ感じている。
「僕たちも、チョコを作らないか?」
「・・・・・・・なんでだ?」
「あああもううううう!! ほんっとうに無知だな、君はっ」
そうして苛つきながらカルミアが説明を始めた。
2月14日とは、大好きな人にチョコレートを贈る日。
チョコを渡せば、即ち「大好き」の証。
チョコが手作りなら、さらによし。
そして、3月14日にお返しがくれば……
「くれば? 来ると、どうなるんだ?」
「ふたりは、永遠に結ばれるんだ」
「う………、う、うそだろ、俺、去年もその前も…チョコくれた子達に『ありがとう』って3月に………」
「なに返したんだ?」
「元気玉。俺がこねたんだけど…」
「…それって琥珀色のだろ?」
「うん」
「なら心配いらない。永遠に結ばれるためには、お返しは『白いもの』じゃないとダメなんだ」
「そ、そうなのか?」
カルミアの返答に、よかったと息を吐く。吐きながら、やっぱり(詳しいな…)と感心するカイシャンだった。
「それでどうするんだ!? 作るのか、作らないのか」
「作る…!」
(作って、俺も桂花に渡そう…!)
柢王あたりが聞けば絶対爆笑されるような乙女な誓いを、カイシャンは心に刻んでいた。
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