投稿(妄想)小説の部屋 Vol.3
バカが風邪をひいた。
間違い。
バカしか引かないという夏の風邪を、東と南の元帥が人間界から引いて戻ったのは夜のこと。
「桂花、そろそろ終ろうか」
「そうですね、守天殿、お茶を淹れます」
天界の決裁者とその有能な臨時秘書が、きれいに積まれた書類の束に満足そうに微笑んで顔を見合わせたとき。
いきなり、執務室の窓が開くと、顔面蒼白の柢王が、顔面まっ赤っかのアシュレイともつれ合うように転がり込んできたのだ。
「アシュレイっ」
「柢王っ」
ふたりは驚いて窓際に駆け寄った。
「アシュレイ、どうしたのっ、ああ、すごい熱だっ」
「柢王、顔色が真っ青ですよっ」
と、
「なんでもねえっ、俺は、柢王の奴が無理やりここにっ・・・」
「なんでもないわけないだろ、おまえは一人ではろくにっ・・・」
げほげほげほげほげほっ。闖入者であるふたりは同時に激しく咳き込んだ。
「悪い・・・、驚かせて。・・実は、人間界で、どうも風邪をひいたらしいんだが・・・俺は胃が痛いし、めまいはするし、こいつなんか、熱だしてんのに、そのまま残ろうとするから・・・俺が無理やり連れてきたんだ。あのまんまんじゃ絶対倒れてるから」
「それが余計な世話だって言うんだ、俺はあのままでもっ」
げほげほげほっ。また咳きこみそうな声で説明する柢王の横で、反論した南の王子はふたたび、体を二つに折って咳き込んだ。もともと真赤な顔が上気してルビー色の瞳もうるうるしている。柢王は柢王で、みぞおち辺りを押さえて、とてもいつもの快活さはない。
執務室にいたふたりはそのありさまに唖然としたが、
「わかったよ、柢王。人間界でひいた風邪ならひどくなるかも知れないから早く手当てしないと。ふたりとも、椅子に座って」
「わりい、ティア」
柢王は助かったといいたげに長椅子に腰を下ろしたが、アシュレイは真赤な顔をさらに赤くして叫んだ。
「俺はいいっ」
「いいって、アシュレイ、君の体すごく熱いのに」
「触るなっ、俺はこんなことぐらいでおまえに治してなんかっ・・・・・・」
げほげほげほげほっ。
「アシュレイっ」
ティアが慌ててアシュレイの体を抱えおこすのを見て、桂花は眉をひそめた。
どうやら南の王子は本当に無理やりここに連れてこられたらしい。ふだんなら、互角のふたりが互いを出し抜くのは大変だろうが、このありさまでは・・・。
「柢王、大丈夫ですか」
ティアがアシュレイの背中を撫で、
「さわんなよっ」
抵抗されては咳き込まれて、
「ああっ、アシュレイっ、大丈夫? 大丈夫? ああ、どうしようっ」
いや、どうしようって、あなたがさっくりお治しになられればよいのでは、と突っ込みたくなるほど狼狽しているようなさまを横目に見ながら、桂花は腹を押さえて座っている柢王の顔を覗き込んだ。
「悪い、桂花、心配させて」
柢王は笑みを浮かべて答えたが、額に汗が浮いている。
天界人の体は、魔族の桂花には時々、理解できない反応を示す。人間界の武器に傷つけられると傷が治らないとか、人間界に長くいると瘴気に当てられるとか。天界人というのが弱いのか強いのかわからなくなる。
このふたりだって、天界でなら風邪など引かないだろうに。
だが、天界人一般の事は桂花にはどうでもいい。
弱みを見せるが嫌いな柢王がここへ飛び込んできたなら相当辛いのだ。弱いところを桂花に見せているいまは、プライドも辛いだろう。
「また夜中に出歩いて朝帰りとか、それとも、おなかを出した寝たとか、人間界の夏の夜は結構冷えますからね」
「おいおい、俺は子供じゃねえぞ」
わざと皮肉った桂花に、柢王もわざと抗議してみせる。それに、と付け加えると、桂花の腕を掴んで自分の方に引き寄せて、
「おまえがいないのに、夜更かしもないだろ」
「それはどうかと」
桂花はクールに答えたが、耳朶に触れた唇の冷たさに眉をしかめた。抱き寄せられるまま柢王の冷えた体を抱いてやる。
早く治してもらったほうがよさそうだ、と、ティアに再び目をむけると、
「アシュレイっ、大丈夫だよ、私がついてるから、気をしっかり持ってっ」
「さわんなっ・・・ティア、てめぇ、どこをっ・・・・」
動転していると見えたのは間違いで、なぜかひどく嬉しそうに頬を染めて咳き込むアシュレイの背中を撫でまわしていると見えるのは気のせいか。
(守天殿・・・・・・)
いくら久しぶりに会うといっても、相手は病人、それに南の王子のプライドも柢王に負けず劣らず高いはず。
と、桂花の視線に気づいたのか、ふいにティアの瞳がこちらを向いて、
(大丈夫)
と、いいたげににっこり微笑んだのは錯覚ではない。よくよく見れば、背中を撫でまわしている反対で、アシュレイの肩を掴んでいるほうのティアの手は広げられて、どうやら内密に治療は行われているらしい。
桂花は肩をすくめた。
人間界でかかった病が天界人の体にどう影響するかは未知の部分が多い。だから、柢王は早々にアシュレイを連れて来たのだろう。そして、プライド高い南の王子はこんなことでティアの手を煩わせるのも、病ごときでふらつく自分を見せるのもイヤだというわけだ。
それをこっそり癒す守天の優しさ・・・。
いやにしつこく嬉しげに撫でまわしているように思えるのは、まあ、恩ある人だ、みないことにしておこう。
そう決めたように柢王に意識を戻す。
アシュレイが散々咳き込み、文句を言った後、すうっと眠りについたのは少し後の事。熱があった分、一気に疲れが出たらしい。
「ごめんね、柢王、待たせたね」
長椅子にアシュレイを寝かせたティアが柢王のところへやってきた。柢王は桂花の膝からその顔を仰ぎ見て、
「もうちょっとゆっくりしててよかったんだぜ、ここ、いい気持ちだから」
にやりと笑う。ティアも微笑んだが、すぐに真顔になって、柢王の体の上に手をかざした。
冷えて、かすかに震えていた体が熱を取り戻すのに、桂花がわずかに息をつく。膝の上の柢王がその顔を仰いで、
「ごめんな、心配したろ」
いつものようにいたずらっぽく微笑むのに、
「柢王、吾は人間界にいたときに、夏の風邪はバカしかひかないと聞いたことがあります」
「なんだよ、かわいくねぇなぁ。元気になったら覚えてろよ」
柢王が笑う。桂花も微笑んで、
「覚えておきますよ」
「あああ、急にあつくなったみたいだね」
ティアが苦笑いして手を下ろす。
「柢王、一応、体は楽になったと思うけど、少し休んだほうがいいよ。人間界に戻るのも体力を消耗するだろう。今夜はここに泊まって、明日の朝、戻れば?」
柢王は桂花の顔をちらと見、長椅子のアシュレイを見ると、
「そうすっか」
ティアが微笑んだ。
「じゃあ、今夜はこれで。また明日の朝、会おう」
「ああ、サンキュ、ティア」
「ありがとうございました、守天殿」
「気にしないで。桂花、明日もよろしくね。おやすみ」
ティアは長椅子のアシュレイの体を抱え上げた。
その頬に、特別仕様のにんまり笑顔が浮かんだと見えたのは幻覚か。次の瞬間、ふたりの姿は消えていた。
「嬉しそうでしたね、守天殿」
思わず呟いた桂花に、
「そりゃそうだ。一月ぶりにアシュレイに会えたんだ。あいつ、嬉しくて今夜は眠れないぞ」
柢王は笑って桂花の膝から頭を起こした。
「気分はどうです、柢王」
「すっげえ、元気になった。ってことで、俺らもさっさと寝室に行こうぜ。さっきの話を、実行しにな」
笑顔満面の柢王は、言うが早いか、桂花を抱いて宙に消えた。
「こんなときぐらい、すなおに私のところに来てくれてもいいんじゃないの、アシュレイ」
天主塔の一角。守天の寝室でティアが囁いている。すぐ傍らにある美しいストロベリーブロンドに唇を這わせて。
柢王が連れて来なければ、きっとアシュレイはここには来なかったことをティアはわかっていた。意地っ張りで、頑固で、弱みを見せるのが嫌いな南の王太子。だが、自分の事を誰より大事に守ろうとしてくれているのもわかっている。忙しい自分に負担をかけるくらいなら黙って病にでも耐えようとするだろうことも。
「まあ、君らしいけど」
囁いて、ティアは微笑んだ。
アシュレイは熱が下がったからか、暴疲れたからか、まつげを頬に落として安らかな寝息を立てている。その鼻先にちょっと唇を触れさせて、ティアはアシュレイの体を腕に包み込んだ。
心音。体温。大事な人が腕の中にいる幸せ。その思いに満たされながら。
風邪の熱は簡単に下がっても、恋の熱は永遠に冷めない。
翌朝、天主塔の人々を起こしたのが、恋の熱がどうしても醒めなかったティアが我慢しきれずつけてしまった赤い跡をアシュレイが見つけて怒り狂った怒鳴り声だったのは、まあ、よくある話のひとつだろう。
いくら守護主天でも、恋の病は癒せない。
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