投稿(妄想)小説の部屋 Vol.3
UNKNOWN
ビィーッ、ビィーッ、ビィーッ! と、鋭い音が辺りに響き渡った。
ハッと顔を上げたアシュレイたちの耳に、敷地のあちこちにあるスピーカーから緊迫した声が届く。
『スクランブル! スクランブル! 洋上チェック・ポイント・ビクトリーにアンノウン2機! 高度1万フィート、防空エリアに向け
南下中! スクランブル要員は直ちに配置につけ!』
激しく点滅する赤い警告灯。軍の人たちがいっせいに無線を取り囲み、
「コントロール! 演習中止だ! ドルフィンを降ろせ!」
「第二ラジオをアラートに合わせろ!」
『コントロール! アルファ・フライト、緊急発進発生! ヘディング0、2500に下降し指示を待て!』
『アルファ・フライト、ラジャー! ヘディング0、2500!』
ラジャーと、初めてチームの声が重なったと思う間に、戯れていたイルカたちはダイヤモンドにピシリと編隊を組んで、リーダーの機を
先頭に翼を揃え、一直線北へと向って飛んでいく。そして、
『アラート! コントロール、320、366、エンジンスタートします』
聞きなれない声がもうひとつの無線からそう言ったと思うと、耳を劈くようなすさまじい音が響き渡った。アイドリングの機体の揺れを
そのまま表わすようなその地鳴りさながらの轟音に混じって、
『機体を廻せ!』『パイロット、スタンバイОK!』『油圧チェック!』
大勢の人が口々に叫ぶ声が聴き取れる。
アシュレイはそのさまにあぜんと息を飲む。
自分の機ならともかく、軍でエマージェンシーを体験するなんて予想もしていない。ついいましがた、聞いた話を実感するような出来事に、
心拍数がどんどん上がっていく。が、スクランブルに対応している人の邪魔をしてはならないのはルール以前の話だ。とっさに掴んでいた
手首から、視線をティアの顔に向けると、そのとまどうようなまなざしに小さくうなずいて、手を引っ張った。
ともかくジープの側を離れよう。そう思ったのはアシュレイだけではないらしく、柢王も桂花の背を押してこちらへ来るし、
緊張顔の空也とスタッフも同じく。
辺りには、ドドドドド……と、天地を揺るがすような音が轟いている。無線からだけにしてはあまりに近くて大きい。知らず輪になった
天界航空一同はそれぞれに緊迫顔を見交わしたものの、会話するのも絶叫を要するエンジン音にただ辺りの動きを見守るだけだ──。
どの国にも、ここからが自分の国だという空の領域があり、そのギリギリが防空エリアと呼ばれている。が、現実にはそのかなり手前の
空域にそれぞれチェック・ポイントと呼ばれる場所があり、正体不明の機体がそこに近づけば必ずレーダーで捕縛される仕組みになっている。
旅客機はかならず事前にフライト・プランを官制に出すし、原則その通りに飛ぶのが基本だが、それほどの高度を飛ばない、ごく私的な
飛行機だったりすると、プランを出さずに飛ぶこともないではない。そのこと自体は違法ではないのだが、そうした機体は関係者から
『存在していない機体』だとみなされるから、迷子になっても墜落しても誰も探してくれないし助けてもくれない。
『UNKNOWN』──国籍不明機、と呼ばれるのはそういう機のことも多い。が、敵国機が認識信号を出さずに飛んでも同じだから、
迎える国はともかく偵察機を出す。それが先程の指令『V地点に国籍不明機、スタンバイ要員は配置につけ』だ。
それは無線が命綱のパイロットなら誰でも聴き取る程度のことで、事実、アシュレイもサイレンの中でも聴き取れた。が、非常事態に
慣れていない──というより、その手元に来た時には大事件になっているしかないティアは不安そうにきれいな顔を曇らせている。
アシュレイは、思わず強くその手首を掴んだ。こちらを見たティアの瞳に小さく頷く。と、ティアも頷き返してくる。
エンジン音が次第に高く鋭くなり、軍の人たちの無線を囲んで話しているその声すら聞き取れなくなる。と、滑走路のちょうど真向かいにある
鈍色の屋根の格納庫のシャッターが開くのが見えた。そこからは黒く塗装された鋭い機首の戦闘機がゆっくりと姿を現してくる。
とたんに切り裂くようなエンジン音が響き渡る。思わず天界航空一同は耳を塞いだ。
高く光るコクピットにはすでに完全装備のパイロットの姿。ごく短いタクシー・ウェイを滑走路へ出てくる機体の周囲には黒いツナギに
イヤホン姿の整備員が駆け足している。黒いグローブを嵌めたパイロットの手がかれらに向って合図を繰り返す。エンジンの音が一際甲高く轟き、
尖った機首の前方にいた離陸スタッフが鋭くその手のフラッグを振った。
と、機体の後方のバーナーが赤く光り、機体が加速していく。ギィーーーンと鋭い音を立てて黒光る滑走路を過ぎ、視界の端で、
ドオーン! と、火を吹いたと思うと真っ直ぐに上昇する。その後から続いて二機目も発進し、すぐにふたつの機体は翼を揃え、
白い筋を残して、一直線に雲の彼方に消えて行った。その後には地鳴りのような音が響いて、天界航空一同は再び身をすくめた。
それが遠雷の響きくらいに遠ざかるまで、息をつめてその場に立ち尽くして──
「……さすがに速いですね」
最初に耳から手を外して言ったのは桂花で、同じく、柢王もやれやれとばかりの顔で、
「ったく、マジでありえねぇよな。何分だ? 五分もかかってねえぞ、いまの離陸まで」
呆れたように首を振る。
「ね、いまの領空侵犯じゃないよね」
ティアが声をひそめて尋ねた。辺りにはようやく静けさが戻り、ジープのところからの声も聞こえる。と、柢王が笑みを見せて、
「まだだろ。あの勢いで行ったら絶対入る前に駆けつける。つかさ、俺らだって国境際でちょっと風避けてさ、寄り過ぎたかなぁって
思ったとたんに『どこへ行く!』だもん。ほんっと、ガラスばりみたいなもんだって、最近の空はさ」
ごく軽やかな口調で言ってのける。
実際にはそれ以上の可能性もあるとわかっているはずだが、かれの大事なものの優先順位は明確。自分でどうするでもないトラブルより
身内の安心の方が大事。事実、その言葉に、ほっとしたように肩の力を抜いたティアは、アシュレイと目が合うと恥ずかしそうに笑って、
「驚いたよ。理屈でわかっていても経験するのは違うもんねぇ」
その言葉にアシュレイはどきりとした。先刻の隊長の言葉が頭をよぎる。
と、その隊長が一同のもとにやって来た。変わらぬ落ちついた声で、
「皆さん、驚かせてしまって申し訳ありませんでした。残念ながら本日の演習は中止になりました。皆さんにはわざわざお越し頂いたのに
誠に申し訳ないと思います」
謝るのに、ティアが代表して、いいえと首を振る。礼儀正しく穏やかな笑みを見せて、
「とてもすばらしいフライトを見せていただきました。本来、無理なことを通してくださったことをありがたく思います」
答えるのに、隊長も微笑んで、
「そう言って頂けたことをありがたく思います。いま迎えのジープが来ますから、司令塔までお送りしましょう」
言ったところへ、通信していた制服将校が、鋭い声で、隊長、と呼んだ。思わず、天界航空一同様もその後に続く。と、将校は
こちらには全く構わず、隊長に向って、
「一万フィートは現在、強いタービュランスだそうです。偵察機はターゲットの側面からアプローチしますが、かち合う辺りが最も
危険と推測されます」
「ターゲットの進路は?」
「ターゲットは進路を変更していません。約1M、旅客機ではありません」
「なら、コントロールの指示に従わせろ。後は現場で判断するしかない。それと、アラートに680はあるか」
アシュレイは目を見張る。
「第4ハンガーに格納されています」
「スタンバイさせろ」
「了解しました。──パイロットも、ですか」
「パイロットも、だ」
「……ちょっ・・…・」
アシュレイは思わず口を挟んだ。
「あいつが飛ぶんですか」
叫んだのに、隊長はこともなげに、
「非常事態ですので。戻ればまた営倉に入れます」
「でっ、でもいま上空は乱気流だって──」
タービュランスは上昇気流と下降気流がぶつかりあう激しい気流の流れで、空の上では最も危険な風のひとつだ。下手にぶつかると
旅客機でも操縦不能になるほど強いこともあり、縦横斜めどこからでも襲って来るので予測しにくい。
そんな空に、と思わず言ってしまったアシュレイに、隊長はごく落ちついた顔で、
「だからですよ、機長。氷暉なら無事に戻るとは言えませんが、他のパイロットよりはうまく飛ぶでしょう。営倉にいるパイロットを
飛ばせるだけの理由にはなると思います」
その言葉に、アシュレイは素手で心臓を掴まれたような気持ちになる。
「墜落、するかもしれなくても……ですか──」
尋ねると、相手はやはり鋼鉄の穏やかさで、
「相手機が乱気流で引き返すなり落ちるなりしてくれればいいと、願って待っているわけには行きませんからね」
「──……」
そこへジープが一台やって来る。隊長が、ああと笑みを浮かべ、一同に言った。
「迎えがきたようです」
「俺はここにいます!」
アシュレイは叫んだ。えっ、と一同が驚く。
「あいつが飛ぶなら降りて来るまで俺はここにいます!」
「アシュレイ! 何を言ってるの、君!」
驚いた顔のティアに、アシュレイは瞳を向け、
「俺はあいつには貸しがあるから──あいつがちゃんと…また、バックレないで降りて来るまで、俺はここで待つから。だから
おまえたちは先に──」
「なに、あいつって誰のこと?」
と、航務課スタッフが、ティアに何事か囁いた。ティアが目を見張る。後ろにいた空也も柢王たちに事情を説明したらしい。ティアが
まじまじとアシュレイの顔を見る。そして、
「それなら、私もここに残る」
「えっ?」
「言っておくけど、これは命令だからね、アシュレイ。君ひとり残るなんて認めない。私たちと行くか、一緒に残るかしかないよ」
敢然と、言い切るティアに、アシュレイは瞳を瞬かせた。と、
「おまえら、ここ自分ちじゃねぇってわかってんのか」
柢王の呆れたような声に、ハッとふたりは顔を見合わせた。赤面し、アシュレイが慌てて隊長に視線を戻すと、隊長はなにか面白がるような
目をしてそのさまを見ていた。そして、
「お招きした理由は、ファイターがどのようなものか見て頂くためでしたね。──いいでしょう」
「ほ、本当ですかっ」
「ただし、ここでは長時間の待機には向きません。680が離陸したら官制塔へ向っていただきます」
えっ、と天界航空一同はふたたび驚く。
「なぁ、これって親切って域だと思う?」
柢王が桂花の耳に囁く。その苦笑いに近いまなざしが、みんなの疑問を代弁している。
が、ともあれアシュレイはホッとした。隊長の思惑などいまはどうでもいい。危険な空を飛ぶとわかっている相手が無事に降りて
来るまで見届けられるなら──
と、そこへ通信係が告げた。
「隊長、680スタンバイができました──」
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