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投稿(妄想)小説の部屋 Vol.3

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No.171 (2008/01/08 11:04) title:宝石旋律(18) 〜嵐の雫〜
Name:花稀藍生 (54.155.12.61.ap.gmo-access.jp)

「・・・・・ッ!!!!」
 背中に衝撃が来た。巨虫がかすっていったのだ。
 背後から現れた巨虫は、地上に躍り出たその勢いで柢王をかすり、地に縛り付けられた
巨虫の上を飛び越えて一直線に他の二頭と闘うアシュレイ目指して滑るように泳ぎだす。
「・・・アシュレイ!そっちに一頭行ったぞ!」
 全身が痺れる。立っていられずに勝手に両膝が地に着いた。
 倒れ込まなかったのは巨虫に絡みついた場所からぴいんと伸び出た稲妻が腕に食い込でい
るため、逆にそれが支えのようになっているからだ。
(・・・畜生!しくじった!)
 背後に迫った巨虫から脊椎を守るために、とっさに体をひねって腕で攻撃をうけたのだ。
―――左腕は完全に砕かれた。
 それでも衝撃で背骨が痺れている。 肋骨も、やられたようだ。
 かすっただけで、この衝撃だ。あの巨体にまともにぶつかられていたら、おそらく柢王で
も命はなかっただろう。
(・・・運がよかったわけだ・・。 ・・・・・左腕は完全にイッちまってる。あと肋骨の何本か 
―――内臓も、ちょっとイッたな・・・ ・・・肉体的には戦闘不能状態って訳だ)
 かすっていかれた衝撃でズタズタに破れた上着と、口中に広がる血の味に柢王は顔をしか
めながら、己が負った傷の検分を他人事のように下した。 
「柢王?! どうした?!」
 呼びかけられて振り返り、地に膝を突いた柢王に気づいたアシュレイが、砂埃に煙る上空
から叫ぶ。 周囲が砂埃に満ちているのは、柢王にとっては己の醜態を見られずにすんで幸
いだったが、それは同時に地上を走る巨虫の姿も、アシュレイの視界から隠されているとい
う事だった。
「もう一頭がお前の真下にいる! ―――出るぞ!」
 柢王が叫び返した瞬間、 地上の砂埃を割って伸び上がってきた三頭目にさすがのアシュ
レイも目を見開く。
 三方から同時に攻撃を受け、避けたはずの巨虫の顎があり得ない角度から反転もせずにぶ
つかってきた。避け損ない、顎の端がかすっていったふくらはぎから血が流れ出した。
「・・・こ・・・の・・っ!」
 続けさまに三方からの同時攻撃を受け、休む間もなくそれを凌ぐアシュレイが歯がみする。
 アシュレイが創り出した周囲を取り巻く結界である炎の壁の高さが急激に下がった。
 巨虫との戦闘に意識の大半を持って行かれる分、結界の維持が難しくなっているのだ。
「・・・・くそ・・・っ!」
 アシュレイが危機に陥っているというのに、一歩も動けはしない己の不甲斐なさに、地上
から見上げる柢王も歯がみする。 背骨はまだ痺れたままだ。回復するかどうかもわからな
い。
(・・・肉体的に戦闘不能状態だとすると、・・・あと俺に残ってんのは、意識と、霊力だけって
ことか。 ―――情けねえ・・この俺が後方支援しかできないとは!)
 柢王の周囲に風が巻き起こった。 旋回するその風はアシュレイの炎の結界に吸い込まれ
ると、次の瞬間、空間を揺るがす巨大な旋風となって結界の外周に沿って立ち上がった。柢
王の風に煽られたアシュレイの炎が勢いを取り戻す。
「柢王!」
「結界の炎は俺が支えててやる! とっととやっちまえ!」
 しかしそれは同時に周囲をおおっていた砂埃を一掃する事になり、アシュレイは地上の柢
王の姿を見て息をのんだ。
「柢王!お前、・・・その傷・・・・・腕・・・! ・・・・・・!」
 遠目からでもわかる。満身創痍の、その姿。 ズタズタになった上着。両腕に稲妻が滅茶
苦茶に喰いこんで血が滴っている。左腕の形が変だ―――。
 身を翻して降下しようとするアシュレイを、柢王が怒鳴りつける。
「・・・馬鹿野郎!人のことを構っている場合か! 動きを止めるな!囲まれたら終いだぞ!
動き回って死角を作るな!」
「・・・・・!」
 背面から来た一頭をかわし、横合いから来たもう一頭の外殻甲の継ぎ目にすれ違いざまに
斬妖槍を突き立てた。炎を叩き込む前に二頭の連携攻撃を受け、一頭はかわしたものの、も
う一頭の攻撃を避け損ない、はじき飛ばされる。
「ちくしょう!」
 かろうじて斬妖槍の柄の部分を間に挟む事で直撃を避け、空中で体勢を立て直しながら、
歯がみする。
(くそ・・・!早く終わらせたいってのに・・・!)
  
   
   ・・・・・ ピシャン・・ ――――――

「・・・真っ二つになると思ったが、黒髪め、腕一本で凌いだか。 あの体勢から防ぐとは、
なかなかやる。とどめが刺せなかったのは残念だが、その傷ではもう動けまい・・・」
 黒い水の満ちる水面に映し出される境界の光景に、教主は冥い色の瞳をゆっくりと細めた。
「―――状況は膠着したな。」
 喉の奥で低く笑いながら、教主は水面から手をゆっくりと引き抜いた。指先から滴り落ち
た黒い水滴が 金の波紋を生み出す。
「地上の黒髪は動けない。 赤毛は地上の黒髪を巻き込むことを恐れて大技を繰り出すこと
が出来ない」
 階に深く座り直し、水面に映し出される光景を見つめる教主が、笑みを深くした。
「―――氷暉、水城。虫たちの操作をお前たちに渡す。使いこなして見せよ」

 ―――そして、魔刻谷の底。
「・・・あの赤毛、あたしが殺しちゃってもイイかしら?」
 教主の声に目覚めた水城が、両手をゆっくりと顔の高さまで持ち上げ、ニッコリと笑いな
がら言った。
 ―――右腕に二頭 左腕に一頭。手や指の動きをもって操るというより、感覚―――思念
で操るといった方が正しい。実際に水城は手の動きを伴うことなく思念のみで操っている。
手は触媒に過ぎないが、感覚を繋げているため、そういう風に感じるのだ。
「3頭を同時に操るのは、お前にはまだ無理だ。片腕に一頭ずつにして攻撃に専念しろ。
一頭は助勢として引き受けるから、俺に渡せ」
「・・・ いやよ!」
 ―――そして、境界。
 アシュレイは急に動き方が変わった巨虫三頭に首をひねりながらも、好機と取った。
 他の二頭に比べて、三頭目の動きがぎこちない。 ぎこちない分、動きのアラが良く見て
取れる。そのうちアシュレイは、巨虫の頭部を取り巻く気管の存在に気づいた。
「・・・・良くわかんねーけど、アレが変な動きをさせてんのか?」
 口中で小さく呪を唱えると、巨虫の動きにタイミングを合わせて槍を振るう。
 ―――突如として、巨虫の気管近くに火球が出現した。
 南の王族の炎をまともに吸い込んだ巨虫は、頭部を取り巻く気管や大顎から炎を噴き上げ、
金属がこすれ合うような音を立てて滅茶苦茶に暴れだした。
 ―――そして魔刻谷の底。 腕の一部に走った激痛に、水城が押し殺した悲鳴を上げた。
むき出しの白い腕に焼けただれたような傷が浮かび上がる。 巨虫と感覚を繋げているが為
に起こる現象だ。
 ――― 心とは おそろしい。
 実際に火に触れたわけでもないのに、そう思いこませるだけで、実際に手で火に触れたよ
うな傷が皮膚に浮かび上がる。
「だから言ったろう!・・・早く、燃えてるヤツの操作権を俺に渡せ!」
 氷暉の声に、水城が涙の浮かべた目で悔しそうに唇を噛んだ。そして一頭の操作権を氷暉
に譲り渡した。 ―――健常な、傷のない巨虫を。
 自分の過信から負った傷は自分だけのものだ。氷暉には渡せない。
(・・・くやしいけど、氷暉のほうが上手だわ!)
「水城!」
「ほらほら!また攻撃が来るわよ! 早くしないと、やられちゃうわよ!」
 水城はわざと蓮っ葉な口調で言い放ち、傷の痛みをこらえながら、腕を持ち上げた。
 ―――そして境界。 ・・・巨虫の動きがまた変わった。 離れたところから見上げている
柢王には、違いがよくわかる。火球を喰らった一頭は頭部を炎に包まれながらも、まだアシ
ュレイに襲いかかっている。
(・・・とはいえ、三頭相手に、良く凌いでいる・・・―――)
 死角を作らないために、三頭の間を休むことなく飛び回り、決定的な攻撃は出来ないものの、隙あらば斬妖槍を突き立て、少しずつ相手の力を削いでいる。
(・・・デカイ技を放てないのは、・・・・・俺が動けないせいだな―――)
 左腕は砕け、あちこち傷みっぱなしで血は流れっぱなし背骨も痺れっぱなし。倒れ込まな
いのがやっとの己の状態を、柢王は嘲るように笑い、そして唇を噛みしめた。
 ・・・・・ また 額が 熱を 持ちはじめている。
 柢王は天を仰いだ。 そして両脇に倒れ伏す、間近で見ると意外なまでに体側が平たく、
体長が長いため、黒光りする石を連ねて作られた巨大な橋のように見える巨虫を見おろし、
血の味のする舌を動かして言った。
「―――俺の意識のあるうちに、潰させてもらうぞ」
 ・・・そして魔刻谷の底。
「――――ッ ツッ!」
 ―――突然、左腕に一気に圧力が来た。地面に縫いつけられそうなその重みに耐えて氷暉
は腕を持ち上げた。 左腕一面に網の目のように青黒い筋が走り、ところどころから血が滴
り始める。
「氷暉?!」
「―――構うな!」
 赤毛を攻撃する一頭と繋がっている右腕はどうということもない。しかし黒髪が押さえ込
む二頭と繋がっている左腕にかかる、腕ごと引きちぎれそうな、この凄まじい負荷は。
 巨虫の内部の圧力を上げて機能を護りながら、反撃の機会をうかがうので精一杯だ。
 ・・・そして境界。
 稲妻に巻かれた両側の巨虫が身じろぎするたび、みしみしっと音を立てて外甲殻のカケラ
が砕け落ちる。
 柢王はさらに霊力を送り込む。 霊力を注ぎ込まれる稲妻は、そのまま巨虫を地面に押し
つけ、なおも暴れる巨虫の黒光りする外甲殻に食い込む。 巨虫の下のガラス化した地面が、
圧力に耐えかねて音を立てて砕けた。 それでもなお、巨虫は暴れ続けている。

 結界を維持しつつ、上から押さえつけ、押し潰そうとする力と
 巨虫を操りつつ、束縛を引きちぎって襲いかかろうとする力と

 ――― 一瞬たりとも気を抜く事の出来ない力の拮抗を繰り返しながら、境界と魔刻谷と
いう離れた場所で、柢王と氷暉は同時に叫んでいた。
「――――虫ッケラの分際で暴れんじゃねえ! おとなしく潰れろ!」
「――――この死に損ないが! いつまで足掻く気だ! 早く死ね!」

   ・・・・・ ピシャン・・ ――――――
「・・・ハッハ――― なかなかやる」
 境界の光景と、黒き水の中継を通して繋がっている氷暉達の闘いぶりに、教主はわずかに
首をのけぞらせて笑った。
 教主は階から湖へと足を進める。黒水を踏む白い足にはわずかの乱れもなく、足下で波紋
が次々と生まれて金色に沸き立つ。
 湖の中央に腰を下ろし、結跏趺坐の形に足を組むと、長い腕を伸ばして体の両脇に湖に両
手をひたした。
 ひたされた所から、黒水は金へと色を転じ、波紋ではなく小さな渦となり、教主を中心に
ゆるりと弧を描き出す。
 
「―――では 天界の至宝に拝謁を賜るとしようか」


No.170 (2008/01/03 13:29) title:フェアリー・テール
Name:しおみ (l198059.ppp.asahi-net.or.jp)

前書き
突然ですが、おとぎ話の裏には複雑な世の中を賢く生き抜くための処方箋ともいうべき知恵と教訓が多く含まれています。本日はそのなかのいくつかをご紹介してみることに致しましょう。

■『金の斧』
あるところに働き者で時に融通きかない正直者のきこりがいました。
ある日、きこりが森の奥でいつものように大きな木を切っていた時のこと。勢い余ったきこりの手から大事な斧がつるりと滑り、あっと
振り向いた時には、後ろにあった湖にぼちゃんと落ちてしまいました。
きこりは慌てました。青く深い湖を覗き、生真面目そうな眉間に皺を寄せて、
「なんということだ、もぐれるだろうか」
と思案に暮れていたその時です。
ふいに湖が泡立つと水面がゆれ始めました。思わず身構えたきこりは、次の瞬間、声も出ないほど驚きました。
まるで雲母がきらきら光るように──着ている方が放送コードギリギリの薄物衣装をまとった人の姿が湖の上に浮びあがったのです。
しかもその面は華のごとく、微笑むとあたりの空気が紫ラメに輝くような超絶美人です。その方は驚くきこりにいともマイペースに言いました。
「人の住まいに斧なんか投げ込んで、どんな奴かと思えば、運がいいね。おまえが不細工だったら沈めているところだけど可愛い雛だから
特別に聞いてあげる。おまえが落したのはこの金の斧か、それとも銀の斧か」
いきなりクイズです。しかも、ほっそりした指が差す方を見れば、ギラギラ光る黄金の斧とこれまたギラギラ光る銀の斧とがこれみよがしに
宙に浮いているイリュージョン。
が、実直なきこりはそのヤバイ衣装に赤面、狼狽していたので俯いたまま、
「い、いえ、私が落したのは鉄の斧です」
弾む動悸を押さえるのに必死で、『それ以前にそんな金銀で木は切れません』との突っ込みも思い浮かびません。
と、美しい人は微笑んで、
「ふふふ、初心な雛は可愛いよねぇ。それに馬鹿がつくほど正直だしねぇ。では、おまえの斧を返してやろう」
と、指を払えばあら不思議、きこりの膝もとに使いなれた斧が現れたではありませんか。きこりはおおと安堵の声を漏らします。
勢いよく顔を上げ、
「ありがとうございます!」
叫んだ後でまた赤面。懲りない様子に美しい人はさらにご満悦らしく、ふふふと微笑い、
「おまえの正直さの褒美にこの金と銀の斧もやろう。家宝にするといい」
使用目的限定勝手にファイナル・アンサーです。きこりは慌てて居住いを正し、
「わ、私はしがないきこりですからそのようなものを頂いても持てあましてしまいます。しかしあなた様のような方に巡り会えた奇跡の証に、
ひとつだけお伺いしたいことがございます!」
 期待に頬紅潮させるきこりに、美しい人は艶然と、
「本当に欲がない雛だね。いいよ、特別に許してあげる。なんだい?」
 と、きこりは一転まじめな顔で、
「このような湖にお住まいであるあなた様はもしや伝説の……」
「伝説の?」
「カッ……」
パ、と言う前に、きこりの脳天にはドゴッ!! 突き刺さった金銀の斧の下から血飛沫上げて後ろに倒れるきこりに、吐き捨てる声が、
「可愛いからってどんな失言も許されると思ったら大間違いだよ、雛っ!!」

これは『雉も鳴かずば撃たれまい』という教訓を含んだ、おとぎ話です。

    *

■『眠り姫』
あるところに、魔女の呪いにかかって、百年の眠りに就いている美しい姫君がいました。
これまで幾人もの勇気ある騎士がその姫を救い出そうと挑みましたが、姫の眠る城をとり囲む、切っても切っても生えて来るシュラムとかいう
アグレッシブな茨に負けて、目的を果たせませんでした。
しかし、ちょうど呪いから百年目のある日、とある南の王国の王子が、その茨の城を訪れたのです。王子は国一番の勇敢な騎士。時に過ぎたるは
尚及ばざるが如しと噂されるほどの短気な強者です。
びっしりと城を取り囲み、悪意に満ちたざわめきでその刺を揺らす茨を見上げた王子は、不敵な輝きに瞳を燃やし、正々堂々言い放ちました。
「俺が相手になってやるからかかって来い!」
かくしてゴングは鳴り、王子がその剣を振って太い茨をバサッと切り裂くと、茨がうねりを上げて王子を攻撃。王子がえいっと切る。
茨がビュンッと反撃。茨が攻撃、王子がバサッ。王子、茨、茨、王子。お互いヒットポイントなしに延々と勝負が続きます。
と、ついに茨が王子の頬にピシッとかすり傷! その瞬間、国一番の勇者で国一番の短気を誇る王子の瞳がルビーに燃えて、
「くそーっ、なんだ、この化け物草っ! これでも食らえーっ!!」
と、放たれたのは王子の必殺技、『火焔砲』! 悲鳴のようなきしみを上げて一気に燃え上がる茨に王子は会心の笑みを浮かべ、
「よしっ、ざまーみろっ」
すっきりすると馬に飛び乗り故郷へと凱旋。
その背後で音を立てて燃え上がる城の中で眠り姫はいったいどうなったのか──。
これは『時に現実より夢のなかにいた方がましなことだってある』、という、おとぎ話です。

               *

■『サンドリヨン』
あるところにサンドリヨンと呼ばれる娘がいました。サンドリヨンとは灰被りの意味で、意地悪な義理のお姉さんふたりに日々こきつかわれ、
暖炉の側で寝させられていることからついた名前です。
その日も、王宮で開かれる舞踏会のためにサンドリヨンの高飛車な姉さんたちは朝からサンドリヨンをこきつかっていました。
「ほら、サンドリヨン、靴を持って来なさい! 早くしないと遅れてしまうでしょう!」
「私の髪飾りはどこ? 全く、サンドリヨンはなにをやらせてもダメなんだから」
王子様との玉の輿で中央政権狙う野心家の姉さんたちの命令に、サンドリヨンははいはい笑顔で尽くしていました。
が、軍艦のように飾り立てた姉さんたちが馬車に乗って王宮へと向うと、その態度は一変。頭の灰除け投げ打って、
「ったく! 鏡見ろっーのな! あんなケバくて年食ったヤツら、どんなぼんくら王子だって誘いたくねぇつーの! つか、働かせたいなら
金払えっつーのな!」
腕組みするサンドリヨンは、灰被りの上に猫かぶり。外へ出れば王宮の明かりが小高い丘の上に煌煌と点ってサンドリヨンを嘆息させます。
「腹減ったなぁ……」
食べればその分メタボまっしぐらな姉さんたちと違って、サンドリヨンは育ち盛りの食べ盛り。色気も食い気もありありありのお年頃です。
王子様にもダンスにも興味はありませんが、王宮に用意されているというごちそうのことは気になります。台所にあるのはかびたパンと
チーズのひとかけら。んなもん髪の毛一筋の栄養にも足りません。
ぐうぐう鳴く腹の虫にサンドリヨンが我慢しかねて、
「腹減ったぁぁ! ああくそっ、誰かいますぐものすごいごちそう食わせてくんねーかなーっ!!」
全身全霊、叫んだその時です。
パッと目の前が光り、
「あなたですか、ごちそうが食べたいと願った人は?」
現れた人にサンドリヨンは愕然と目を見張ります。それは白い長い髪に三角帽子、ほっそりした腰のものっすごい美人魔法使いの姿です! 
魔法使いはそのきれいな顔に食いつきたいような笑みを浮かべてこう言いました。
「あなたの切実な願いが耳に届いたので来ました。吾があなたの願いを適えてあげましょう」
「えっ、マジで! ほんとにいいのかっ?」
喉を鳴らしたサンドリヨンにうなずいて、
「もちろんです。では、さっそく始めましょう。このマッチを擦ると……」
と、懐から煉獄印のマッチを取り出しかけた魔法使いは、悲鳴を上げました。
「なにするんですかっ!」
「え、だって願い適えてくれるんだろ?」
と、その首筋に齧りついたサンドリヨンが答えます。
「だからこれからその説明をするところでしょう!」
「えっ、説明なんか要らないって。俺、場数は踏んでっから。それに優しくするし痛くしないしさぁ」
「えっ、なんの話ですか? あなたはごちそう食べたいだけでしょう?」
「うん、ごちそう食べたいし、それを適えてくれるんだろ。だから、いっただっきまぁぁーーーーーっす!!」
と、目の前のごちそう美人に齧りついたサンドリヨン。魔法使いの悲鳴が響いたその後は──

「一体ここでなにが起きたんだ?」
明け方になり、メイクも崩れ、若い赤毛に夢中な王子様に玉の輿の夢破れて戻って来た姉さんたちが見たものは、家の前に散らばるマッチの
残骸と、何事ですかっ、ちゅーくらい乱れまくった寝室に、
『恋人できたんで、アデューッ!』
浮かれながらもいままでの駄賃代わりに金目のものかっぱらって家出したサンドリヨンの実にふざけた書き置きひとつ。
これは『猫でも恥でも衣服でも、とっととかなぐり捨てたもん勝ち!』という、あくまで、おとぎ話です。

■使用上の注意
この教訓は体験者の経験に基づくものであり、効果には個人差があります。ご利用は計画的に!


No.169 (2008/01/03 13:20) title:ESPRSSIVO ─The Addition of Colors─
Name:しおみ (l198059.ppp.asahi-net.or.jp)

『1』 

「おまえら、なんかあったろ」
尋ねた機長にクールな恋人は静かに微笑んで、
「なにかって何ですか、柢王。そんなことよりこれ、テーブルに運んでください」
いつも同様、ごく冷静な顔で食材を渡された機長は、渋々キッチンを後にする。
先週、購入されたばかりのテーブルには熱々の鍋がうまそうに煮えている。その前で、嬉しそうに待ち構えているのは、仕事帰りの
アシュレイとティア。引っ越し祝いの夕食会だ。
奇跡なのか、翌日がみんな休みで三人が夕方帰ってくる日。帰宅も一緒の仲良しプラン。
降りてくるティアを待つ間に、車を取りに行っていた柢王は、玄関先に残してきたふたりの間の空気の変化にちょっと眉をひそめた。

楽しげに、和やかに。桂花と話しているアシュレイ。それはいまはもうアシュレイが桂花を嫌っていないのは知っている。が、もとが
照れ屋で、照れているところを見せるのも嫌なぶっきらぼう。そんな当たり前そうな笑顔をはじめて見た。
おいおいどういう心境の変化? 聞こうとしたところへ、
「ごめん、待たせたね」
ティアが降りてきて、聞けずじまい。
それでうちに戻ってから、こっそり桂花に確かめてみたのだが・・・・・・。
常にクールな恋人は、それにただ微笑むだけで何も答えない。
大の親友と恋人の和解は嬉しい事のはずだが、恋人の事は何でも一番に知っておきたいヤキモチ焼き機長が、ややふて腐れながら、
鍋に具材を放り込むのは仕方がない。

「俺、お前に謝ることがあった・・・・・・」
アシュレイがうつむきがちにそう言ったのは、車を取りに行った柢王と降りてくるティアを待っていたときのことだ。
「謝ること、ですか?」
尋ねた桂花に、アシュレイはうなずいて、
「俺、誤解してたことあったろ。おまえと冥界のオーナーのことで・・・・・・」
「ああ・・・・・・ありましたね、そんなこと」
「俺、そのことおまえに謝ってなかったよな。・・・・・・ごめん、あんなヤツと不倫してるとか言って」
赤くなりながら、しかし、しっかりと顔を上げて言ったアシュレイに桂花が瞳を見開く。
「あれは──もう、終わった話ですし。そんなこと、気にしていたんですか」
尋ねた桂花にアシュレイはきっと瞳を上げて、
「だって、あんな気持ち悪いヤツだぞ! 俺、知らなかったけど、でもあんなヤツとデキてるなんて失礼じゃんかっ」
「それは──」
ある意味、冥界オーナーに大変失礼。思ったかもしれないクールな機長は、しかし、かすかに笑うと尋ねた。
「ですが、いまは誤解はないのでしょう?」
「それはそうだ。おまえのことは信用─して、る、から・・・・・・・」
言いかけた言葉の半ば、ちょっと息を飲み込んで、迷ったもののはっきりと言った機長は赤くなる。自分で自分の言葉が恥ずかしいが、
ここは我慢だ。ちゃんと言うべき事はちゃんというべきなのだ。
と言いたげに、瞳をまっすぐ、見つめてくるのにクールな美人は、
かすかに目を見張り、
そして──
「それなら、問題は何もありませんよ」
微笑んで、優しく瞳をそらす。
その横顔に目を当てたアシュレイは、少し、瞳を動かしたが、すぐに、
「うん。問題ねぇよな──」
前を向いて答える。その口元と瞳にあるのは、それでも嬉しそうな笑顔だ。

「あ、これうまい。桂花、おかわりあるか」
器を差し出したアシュレイに、ティアと柢王が目を見張る。いま名前で呼びました?
が、呼ばれた桂花はいたって冷静に、はいと器を受け取り、
「オーナーもたくさん召し上がってくださいね」
「あ、うん」
言いながらもティアの瞳はうるうるしている。アシュレイ! と感嘆符と感激が瞳の中で踊っているのがよくわかる。
対して、柢王は渡された器を受け取り、またガツガツ食べている親友と、いつもながら変わらない顔の恋人とを見比べて、
(ありえねぇだろ。つか何だ、これ)
複雑な顔で肩をすくめる。

嬉しそうに食べる顔。感激に瞳を潤ませている顔。クールな笑顔とその隣のヤキモチ混じりの困惑顔。
機長自宅の食卓は、とてもエスプレッシーヴォ。

『2』

「…マジでありえねぇ……」
降りて来た機長がよろめいたのは自宅のリビング。
階下から漂う飯の匂いに腹の虫が目覚めた。隣を見れば昨夜あんなに熱烈に愛し合ったはずの恋人の姿はない。
「マジで? つか起きれねぇくらいしときゃよかった…」
黒髪機長が思わずむっとしたのは、昨夜しつこく絡んだ理由が理由だから。
「ぜってーあいつらに気ぃ使って早起きしたな。んなに早く起きねぇつの。つか気使うなら俺に使ってくれっつーの」
大の親友と恋人の微妙なニアミスに妬けたなんて大声で言えることではないが、桂花だって薄々わかっているはずなのに。
マッタリどころか、朝7時半から飯の支度!
ティアたちが起きてくるまで絡んでいちゃつこう。決めて、階下に降りて行ったところ……。
見たのだ。すっきり着替えた恋人と親友がキッチンで楽しげに飯を作っている姿を。
愕然と突っ立っていると、
「おう、柢王」
笑顔満開のアシュレイが気付いて声をかける。と、その奥からクールな美人の恋人が、
「早いですね」
くすりと瞳で笑って見せたのに、黒髪機長の機嫌は一気に低気圧だ。

「おまえ早いなぁ」
起きて来たアシュレイが目を見張ったのは30分ほど前のこと。
キッチンにいた桂花はそれに挨拶して、
「あなたこそ。眠れませんでしたか」
尋ねるのに、アシュレイはいやと首を振り、
「よく寝たけど、飲んだ次の日は早く目が覚めるんだ。おまえこそ、昨夜、柢王が朝はゆっくりなって言ってたのに」
カウンター越しに覗いて見れば朝からうまそうな料理が仕込まれていて、にわか腹が鳴る。
慌てて顔を洗いに行って戻って来たアシュレイは再び桂花の手元を覗いて、
「おまえなんでもできるんだな。俺、目玉焼きなら作れるけど後はさっぱりなんだよな……」
と、桂花は穏やかに、
「慣れですよ。それに吾は食べないものが多いので」
「そっか。んじゃ、俺もやったらできるかな。なんか簡単なの教えてくれたら……」
いいんだけど。最後までいう前に赤くなったアシュレイに、桂花は微笑んで、
「構いませんよ。どうぞ」
赤毛機長はルビー色の瞳を輝かせて、おう! と、キッチンに踏み込んだ。

「あれ、みんな早いねぇ」
起きて来たティアは一同を見回して驚いた顔をした。テーブルに並んだ皿に感激顔で、
「うわ、すごい! これ、桂花が?」
「アシュレイ機長も手伝ってくださいました」
「アシュレイが?」
いつの間にそんなに仲良しに? と、当の赤毛機長はちょっと顔を赤くしながらも、
「桂花に簡単なの教えて貰ったから、今度おまえ泊まるときも大丈夫だからな」
その言葉に、オーナーは目を見張る。
「私のためにっ?」
「たまには目玉焼き以外もいいだろ」
「アシュレイ〜っ!」
「うわっ、こんなことで泣くなよ、ティアっ」
抱きつくオーナーに赤毛の機長は真っ赤になって目を見張る。
そんなハイテンションな親友達を前に、躍起になって新聞読む黒髪機長にクールな美人が穏やかに、
「柢王、ちょっと。忘れていたことがありました」
呼ばれた機長は渋々キッチンへ。ふて腐れた五才児モードで不機嫌に、
「何だよ、忘れ物って?」
尖らせたその唇に、ふと優しい感覚が触れて、
「おはようの挨拶を」
きれいな恋人が瞳細めるのに、目を見張り、それから秒速で上昇気流に乗った機長は、一転、笑顔で、
「おっはよーっ」
恋人を抱きしめて熱烈な挨拶返し。
機長自宅の今朝は、ややも高気圧配置のエスプレッシーヴォ。

『3(新春特別ジパング・バージョン)』

「なあ、桂花、これもうひっくり返してもいいか」
尋ねた赤い髪の機長に、隣にいる白い髪の機長は微笑んで、
「まだですよ。お餅は真ん中が膨らむくらいに焼いたほうがおいしいそうですから」
「そっか。でもうまそうな匂いだなぁ。早く焼けないかなぁ」
「ねぇ、アシュレイ! まだ焼けないならこっちでおせちでもつまんだら?」
「桂花もさ、キッチンじゃエアコン効きにくくて寒いだろ、こっちで酒でも……」
と、ダイニング・テーブルについた金髪のオーナーと黒髪の機長が声をかけるが、
「いや、そろそろ膨らんできたから目が離せない。先に食ってろよ、ティア!」
「吾もいまは寒くありませんから。飲みすぎると、明後日フライトですよ、柢王」
オープン・キッチンのふたりは席には戻らない。
コンロの上、網に載せた餅の焼け具合を様子を見守るふたりは赤白めでたい頭をくっつけそうな仲良しぶりだが、ダイニングの
金黒ふたりは手持ち無沙汰の不機嫌顔で、
「ちょっとあのふたりくっつきすぎてるよねぇっ、柢王っ」
「つか雑煮の餅なんかレンジでいいっつーのな、どうせ腹入ったら同じなんだし、なっ、ティア!」
すでにヤキモチこんがりきつね色。
機長自宅の食卓は、新年早々エスプレッシーボ。


No.168 (2007/12/26 17:37) title:永遠の時
Name:未来 (softbank219172066006.bbtec.net)

誰も訪れない地の果てで、泣いて泣いて涙が枯れるまで泣いた。
やがて涙も出なくなったころ。
涙と一緒に悲しみ以外の全ての感情を失ってしまったかのように、心の奥にはもう何も残ってはいなかった。
愛する人の魂を持った命は全力で生きていて、新しい時を紡いでいる。
それを見るたびに愛する人は永遠に失われ、今自分の腕の中にいる彼は決して自分が愛した人ではないということを思い知る。
吾に“永遠”を教えてくれた人…。
その永遠は今、吾の目の前に絶望となって広がっている。
あなたがいない世界を生きていくこと…。
それは永遠より長く、言葉では言い表すことが出来ないほど悲しい。
吾に永遠を教えてくれた人はいなくなってもなお、こうして永遠の時を示す。

もしも あの時 あなたと出逢わなかったら。
もしも あの時 あなたの手を取らなかったら。
もしも あの時 あなたを 愛さなかったら。

吾は今、こんなに悲しく孤独な思いはしなかったのだろう。

だけどあの時
あなたと出逢わなかったら。
あなたの手を取らなかったら。
あなたを 愛さなかったら。

“永遠”を知ることも、“絶対”を信じることも、自分を、誰かを愛することも出来なかった。
生まれてきた喜びを、生きてきた強さを認めることが出来なかった。
そうして吾は気付くことが出来た。愛する人との出逢いを否定することは今の自分を否定することだ、と言うことに。吾の中のあなたを、あなたの生き方を否定することだ、と言うことに。
出逢わなければ良かったなんて、決して思うことは出来ない。
あなたに逢えて、あなたを愛せて、あなたに愛されて…良かった。

泣いて、泣いて、泣いて。遥か昔に枯れ果てたはずなのに。
紫微色の頬を涙が流れ落ちた。


No.167 (2007/12/13 14:43) title:PECULIAR WING 11 ─A  Intermezzo of Colors─
Name:しおみ (l198059.ppp.asahi-net.or.jp)

TURBULENCE

 滑走路の向い側のアラート・ハンガーのシャッターが上がり、そこから尖った機首と慌しく動く整備士たちの姿が見える。軍の人たちも
いっせいにそちらを振り向いた。
 が、パイロットが営倉からそこへ向うというなら、先程のようにさっさとチェック・インして即座に離陸、とはいかない。アラートの
せわしさを尻目に、ジープの無線からは、先発機と官制とのやり取りが続けられている。
『320、P地点より北上中、あと7分でターゲットと接触予定』
『コントロール、了解。ターゲットは針路340方向より南下中。機種不明、速度約1・2M。接触予定空域にタービュランス、
風速250ノット』
『了解』
 答えるパイロットの声はくぐもってはいても落ちついていた。秒速125mの風が吹く空域にも怯んだ様子は、少なくともその声には
ないように思われる。官制も同様に冷静で、もう一方の無線ではイルカ・チームへの着陸指示が出される。
 エマージェンシーは、その人の器量が試される時だ。驚いてもいいが、慌てふためいたらパイロット失格。だからそのキビキビとした
やり取り自体はアシュレイには意外ではないものの、緊張が忍び寄ってくるのは仕方がない。旅客機なら絶対に飛ばない気流の中へと向う機体、
そして、それがそうと承知で飛ぶはずの機体……と、パイロット。
 Tシャツの背中に汗が伝い落ち、実際には五分にも満たないはずの時間が永遠のようにすら感じられるそのアシュレイの側で、
ティアは険しいような不安なような、複雑な思いを宿した面でアラートの方を見つめている。
 と、無線から落ちついた声が、
『アラートよりコントロール、680、パイロット、チェック・イン』
 アシュレイはハッと瞳を上げた。
 と、いきなり凄まじいエンジン音が響き渡る。耳を劈くようなその音に混じって、様々な人が先程の作業同様、慌しく機体の最終チェックを
する声が無線越しに聞こえる。油圧、オイル・タービン、火器官制システム、排気、立て続けにOKの声が聞こえるそのなかに──
『680、スタンバイ完了』
 醒めた声が、耳朶の奥に低く響くのが聞こえた──。
 隊長が、マイクを掴む。落ちついた声で、
「氷暉、聞こえるか」
 無線の向こうの声はかすかにこもりながらもあの、腹立たしいような投げやりさで、
『……聞えてますよ』
「偵察機が無事に飛べるならおまえは援護だ。それが不可能ならおまえの判断で対応して構わん。だが、度は越すな。目的を達成したら
速やかに帰還しろ。この前のような真似をしたら後がないぞ。わかったか」
 飛ぶこと事態が危険な空に出ていく相手に指示する隊長の声も静かだが、当人の声といえばさらに輪をかけ、無感情に、
『了解──』
 面倒そうに答えると、話は済んだとばかり、官制に離陸を求める。と、官制もすぐに『クリアード・フォー・テイク・オフ』のコールを返す。
 エンジンの音が鋭く響いて、格納庫から銀の機体がゆっくりと姿を現してくる。きらきらと日差しをはね返す機体の翼の下には
大きなミサイル。鋭く尖った機首が滑走路に進入してくる。
 鋭角に、天を仰ぐように起こされた機首。銀に輝く機体の腹にはクリスタルの国旗と680のナンバー。風防に虹をたたえたコクピットに、
ヘルメットをつけた完全武装のパイロットの姿。
 ここからではその顔などわかるはずもないのに、アシュレイにはあの醒めた目で自分を見下ろした冷たい面が、いま視界が黒と青との
二色に分かれた世界を睥睨しているさまが見えるようだ。
 離陸スタッフの腕が大きく振られる。フラッグがたなびく。あの低い声が無感動に、
『680、テイク・オフ──』
 言うや否や、機体が銀の軌跡を残して、熱に煙立つような滑走路を加速していく。耳を塞いでも響く鋭いエンジン音。速度が増して、
タイヤが軋むいやな音が混じる。銀色の機首が引き起こされる。引き起こしが早い、まだ滑走路は半ばだ。車輪が浮かんで、
後方のバーナーが焔を上げた。
 瞬間──ギュウンッと、鳥肌が立つような音に天界航空一同は思わず身をすくめた。と、次の瞬間にはもう、機体は銀の光の矢を貫くように
一直線、空の彼方に飛び立っている。鼓膜を破りそうな轟音。後に浮びあがる白い水蒸気のライン。ゴゴゴ、ゴォンと降りて来る音を
待つより早く、青空に光る銀の点はきらめきだけを残して、完全に視界から消え去っていた。
 脳が、視界の出来事を理解する、遅れた数秒──
「なん……だっあれっっ!!」
 ぼんやりとつぶやきかけた柢王の声が、後半で跳ね上がる。信じられないように鋭く空を振り仰いだ。
 離陸時はどんな飛行機でも機体が重い。だからパイロットによっては離陸時のほうがはるかに着陸時より難しいという人もいるくらいだ。
滑走路いっぱい加速しながらエンジン全開、向かい風に乗って機体を浮かせるのが飛行機の原則で、いくらバーナーがあるとはいえ、
いきなりあんな角度で飛べるなど──
「あんなの、初めて見た・・・…」
 ティアがぼうぜんとつぶやくが、それはアシュレイだって同じだ。あの一見無茶な着陸の時も思った。でも、いまもまた思うしかない。
あれはうまい、うまくないの問題ではなく、もう、奇跡だ。同じ着陸を見たはずの空也と航務課スタッフもふたたびあぜんと空を眺めている。
 と──、彼方を、睨むようにしていた柢王の唇にふしぎな笑みが浮ぶ。その笑みのまま、
「──あれがヴィルトゥオーゾ、か……。よぉっくわかったぜ」
 桂花を見るのに、桂花も静かな笑みを宿して、
「一見の価値のあるフライトでしょう」
 まなざしを空に向け直したふたりに、アシュレイは、胸につきあげるものを感じて、息を飲んだ。
 旅客機のパイロットとファイターは、求められるものが違う。あんな鋭角的な離陸は旅客機には不可能というよりしてはならないことだ。
その理解で不要なものは取っ払い、ただ打ちのめすような技量には腹の底から感心し──それでも、勝気な瞳に笑みを浮かべて、
空を見ているその姿。
 それは背中に数百人の命を背負う旅客機の機長の正しいプライドだ。
 優れたパイロットに会えば誰でもそうなりたいと願うし、憧れもする。だが、その賛嘆から来る悔しさも負けず嫌いも自分自身と
挑むためのものだ。腕も誇りも高くて結構。だが、旅客機の機長は絶対に後ろの命のことは忘れない。自分がひとりで飛ぶ翼ではないことを
忘れたりしない。うちのめされるべき場所があるなら、その場所は決して間違えない。 
 だからこそ──
(もっとうまく、ちゃんと飛べるようになろうって、努力できるんだよな──)
 ファイターとは違うスタンス、違う視点で、自分の腕を鍛えようと思えるのだ。
 アシュレイの、波打っていた心臓に、新たに熱いものが流れる。それはあの高高度のコバルトの色を初めて見たとき、初めて
『クリアード・フォー・テイク・オフ』のコールを、その耳に聞いたときの気持ちに似ていた。視界がふいにあざやかに、全てが鮮明に
見え始めたような驚きに、胸をときめかせたあのときの、あの気持ちに──
 だが、アシュレイがその気持ちをふたたびしっかりと味わう前に、無線から聞こえる声が、アシュレイを現実に引き戻した。
『アルファ・フライト、クリアード・フォー・アプローチ』
『ラジャー! アルファ・フライト、アプローチ』
 空の彼方がきらきらと輝き、イルカ・チームが隊になって姿を現す。滑走路を今度は横側から降りて来るらしい。隊長がアシュレイたちに言った。
「ジープに乗ってください、管制塔に向いますから」
 もたもたしていられない天界航空一同は、軍の人を加えて盛りだくさんの狭いジープに無理やり乗り込み、滑走路際のコントロール・
タワーへと向った。
 走るジープの中で聞える無線は、先発機と官制との交信。
『320、ターゲットをレーダーに捉えた』
『コントロール、ラジャー』
『機影2機、シグナル、ゼロ。これより接近する』
『コントロール、ラジャー。ターゲット後方よりアプローチせよ、120度よりガスト、風速245、パランスを崩すな』
『ラジャー』
 落ちついたやり取りに、しかし、軍の人たちが険しい顔をする。旅客機だろうが戦闘機だろうが、ふつうは機体の側面に大きく
国名と機体ナンバーが書かれているもので、それがないということは故意にそれを隠して飛んでいると思うのが妥当だ。隊長がマイクを取って、
官制に告げる。
「Cチームの機体とパイロットをスタンバイさせろ」
 官制が了解と答え、ふたたびスピーカーから声が響く。
『チャーリー、パイロット、チェック・イン。ハンガー、チャーリー、スタンバイ』
 言うまでもなくこの場合のチャーリーはC、ブラウンではない。と、つっこむ余裕もない天界航空一同はおのおの真顔。
「…大丈夫かな」
 ティアが険しいような表情で滑走路を振り返る。その横で、アシュレイも眉間に皺を寄せて空を仰いだ。
『320よりコントロール、ターゲット、インサイト。F16、2機。国籍機体ナンバー不明、火器搭載はここからは確認できない。交信する』
『コントロール、ラジャー』
 偵察機が相手機を目視できる範囲まで近づいたらしい。旅客機でよその機体が見える範囲にいるのは原則空港上空のみ。目視150m以内に
誰か飛んでいたらその時点でニア・ミス、の世界を厳守している旅客機機長に、機体側面見える近場に国籍もわからない戦闘機を見る
パイロットの気持ちは──まあ、この前経験したといえばしたが、だからよけいに、心拍数が高くなる。
 が、無線から聞こえる声は落ちついていて、
『前方を飛行中のF16に告ぐ。ここから先はクリスタル・アイランドの領空である。国籍と機体ナンバーを明らかにし、すみやかに進路を変更せよ』
 おもねる響きのかけらもないその警告は、自分がひとりのパイロットである前に、国の護りの最前線がここにあると思い知らせるかのようだ。
が、そんなラインに出てくる相手も腹は据わっているはずで、反応しないのかできないのか。
『繰り返す、F16、すみやかに進路を変更せよ』
 二度目の警告をしたパイロットの声が、官制に続けて、
『コントロール、アンノウンは進路を変える気配がない。軽く追い上げてみるか』
 落ちついた響きで言うのに、官制も、
『了解。風が乱れてきた、気をつけろ。いま680がそちらへ向っている。五分以内に合流するはずだ』
 と、パイロットの声は笑って、
『ヤツなら五分も必要ないが、たまには空振りしてもらった方がいい』
 と、連れの機体に、相手機の後ろ側につく指示を出す。
 ジープが高くそびえるコントロール・タワーの下に着いた。わらわら降りた天界航空はほっと息をつく。隊長がゲートを開く間にも、
無線の中ではパイロットたちが国境際をうろつく相手を追いまわしにかかる。そんなうろつき、どこの国でも月に一度はやっている、
というのが本当かどうかはともかくとして、時速1Mに近い速度の戦闘機が上に下にと機体を返し、
『しつこい奴らだな、よし、廻り込んでテールに着け!』
 開いたゲートに天界航空一同がなかへ入ろうとした時と、その声が響いたのは同時だった。
『タービュランス!!』
 うわあっ、とパイロットの驚いた声が響く。ガガガガガガ…とすさまじい音が無線から響く。官制の声が、
『320、385、応答せよ!』
 鋭く問うのに応えるものは、翼が軋むようないやな轟音、無線のノイズ、パイロットの押し殺したような声。
 天界航空一同は、その場に立ち尽くして息を飲む──


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