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投稿(妄想)小説の部屋 Vol.3

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No.152 (2007/09/15 21:30) title:On Your Marks
Name:実和 (u064217.ppp.dion.ne.jp)

天界テレビの社長室。
柢王は身を沈めいているソファをしげしげと見た。
「これ、イタリアで買ったやつじゃないよな?あれ、どうしたんだよ?」
ティアは書類から顔を上げずに答えた。
「使用禁止にしたよ。今は私のマンションにある。それは代わりに買ったやつなんだ」
「使用禁止?何で?」
「だってあれはアシュレイと私の大切な場所だもの。他の人が使うなんて絶対ダメだよ」
「大切な・・・場所?」
「ソファって狭いから少し不便だけど、でもスリリングでいいよね。たまに落っこちるけど」
ふふふ・・・とティアが幸せそうに笑うほど、柢王は顔色をなくしていった。
親友が幸せなのは嬉しいが、どうも頭のネジを1本どこかへ落としてきた様子に(件のソファの下にでも落ちているに違いないが)柢王はこのテレビ局の未来を案じた。
親友の心配を余所に幸せ一杯のティアは続けた。
「アシュレイにうちの社員にならない?て誘ったんだけど、社員になると現場で働けなくなる可能性があるから嫌だって言われちゃったんだよね。そんなの任せてくれれば大丈夫って言ったら人事にお前が口出すなって言われちゃって。まぁ、ああいう筋の通ったところが格好いいんだけど。しかも夜は可愛いし」
言うだけ言うとティアはホワンと視線を飛ばしてどこかへ行ってしまった。大方ピンクの靄のかかった昨夜の記憶の中で遊んでいるのだろう。昨日電話した時に、今晩はアシュレイとアバンチュールなんだとウキウキした口調で言われて柢王は携帯を持ったまま脱力したのだ。
 柢王はため息をついて
「じゃ、そろそろ行くわ」
と、聞こえてないだろうが一応告げて社長室を出た。エレベーターホールでティアの秘書の山凍を見かけた。あんたも大変だな、と心の中で同情して柢王はエレベーターに乗り込んだ。

 エレベーターを降りると柢王はそのままメイクルームへ向かった。共演者への挨拶は済ませてしまっている。以前も一緒に仕事をした人もいれば、初めての人もいる。それはスタッフも同じだ。柢王は赤毛の大道具係を思い出して笑いを噛み殺した。あのティアを壊すとは中々だ。泣く女性が何人いることか。そちらも適当に慰めておかねば。忙しい時は用事が重なるものだ。
 メイクルームの扉を開けると、ヘアメイク担当は化粧台の上に大きなメイク道具入れを開けて道具の確認をしていたが、柢王を見ると会釈した。
「もう準備させていただいてもよろしいですか?」
「あぁ。よろしく」
柢王は慣れた様子で化粧台の前に座った。青年は丁寧に柢王の髪をとかしはじめた。
柢王は鏡の中の自分を見て、何事もないような顔をしていることにホッとした。
心臓が喉から飛び出そうなくらい鼓動が激しい。思考停止の中で、繊細な手が今は首筋に触れないことをひたすら願った。
 超絶美形のヘアメイクアーティスト。
昨夜、女友達が言っていたことを思い出した。
「確かまだ俺達一緒に仕事したことなかったよな」
美容師は手を休めずに鏡越しに柢王の顔を見た。
「えぇ、初めてですね。申し遅れましたが、桂花と申します」
「こんな美人と仕事ができるなんて、この仕事やっててよかった。あんたどこの店にいるんだ?今度からそこ行こうかな」
「普段から美人とばかり仕事なさっているでしょう。それに吾は美容院ではなくて事務所に勤めていますので」
「そうか。それは残念」
もっと話をしたかったが、残念ながら2人きりの時間はここまでだった。
桂花のアシスタントが入ってきたし、共演者も来てしまったので桂花は後をアシスタントに任せてそちらへ行ってしまった。

 初日の撮影を終えて帰宅したのは夜だった。まずまずの滑り出しだ。現場の雰囲気も良いし。うまくいきそうだ。スタジオで木材をせっせと運ぶアシュレイを見つけ、柢王は「よっ、アバンチュールはどうだった?」と声を掛けるとアシュレイは真っ赤な顔で木材をガラゴロと落とした。途端に、
「えっ、アシュレイ、彼女できたのか?」
「嘘だろー」
ワラワラと寄ってきた他のスタッフ達に紛れてしまったアシュレイを尻目にさっさと柢王は休憩場所であるスタジオ隅のテーブルへと帰っていった。
「バカヤロー!柢王!!」
人だかりの中からアシュレイの怒声だけが聞こえた。
彼女じゃなくて彼氏だよなー、とはさすがに柢王も言わなかった。あれ?両方彼氏になるのか?
今日は中々楽しかった。柢王は気分良くソファに倒れ込んだ。ただ1つを除いては。脳裏に白い髪がよぎる。あのヘアメイク担当は、仕事が済むと柢王が飲みに誘う前にさっさと帰ってしまった。結局話しができたのはあの僅かな時間だけだった。
 今日一日、柢王はさりげなく桂花のことを周囲の人間に聞いていた。分かったのは、ニューヨークやパリで活躍していた李々というメイクアップアーティストが経営する、ヘアメイク事務所に勤めていること。ドラマや雑誌など幅広く仕事をしていること。柢王よりも年上であること、どうやら恋人はいないらしいこと・・・。それだけだった(とりあえず最後の項目だけ確認できたら良かったのだが)。よく桂花と一緒に仕事をしているという女優に聞いても、物静かで聡明そうな寧という桂花のアシスタントに聞いても、柢王の人懐っこさと話術をもってしてもそれ以上のことは聞けなかったのだ。皆、隠しているのではない。本当に知らないようなのだ。
 柢王は自分の頬にそっと触れた。桂花の手がここに触れた。彼の手はひんやりしていたのに、触れられた跡は燃えるように熱くなった。

ティアに呆れていたというのに。
アシュレイをからかったばかりだというのに。
「運命の出会い」なんて頭から信じていなかったというのに。

絹糸のような白い髪。宝石のような硬質な美貌。深遠な紫水晶の瞳。
その瞳の奥にあるものに触れたいと灼けるように願った。
もう認めざるをえない。

扉を開けて、彼と目が合った瞬間に。
心どころか、魂さえも奪われてしまったことを。

 1度決めてしまえば迷わず行動をするというのが柢王のスタイルだった。そしてそれは大概成功していた。しかし、今回は勝手が違うようだ。人生そう上手くはいかない。貴重な教訓である。全く恋というのは含蓄豊かだ。今までなぜそれに気が付かなかったのか。適当な恋愛ばかりだったからだろうか。そういう意味では自分は初心者なのだ。
柢王はスタジオ隅の休憩コーナーからセットを見つめながらため息をついた。柢王の悩みの種は、ヒロインのオフィスのセットの中でヒロイン役の女優の髪を直していた。どうもビギナーズラックも狙えないようだ。今日も防御壁は万年雪を頂く峰のようにそびえたち・・・、つまり内面に触れる隙間さえなかった。桂花はいつものように鮮やかな手際で柢王の支度を整えると、さっさと共演者の支度へと移っていった。メイクの最中も話はするのだが、いまいち手ごたえがない。折を見て話しかけたりするのだが、チャンス自体中々ないし、あっても反応は芳しくない。それでも諦める気持ちはどこを探してもないのだから自分でも感心する。柢王は無意識に丸めてしまっていた台本を見た。ドラマなら事件が起こって急速に距離が縮んでいくなんて展開もあるのだが、現実では望むべくもない。そんなもの待っている内に撮影が終ってしまう。そうしたら打ち上げで何とか今後とも付き合いができるようにもっていくしかないが、彼のことだから打ち上げに来ないかもしれない。今のうちに地道に気長に忍耐強く働きかけるしかないわけで。
桂花がセットから出てきて、柢王は椅子から立ち上がった。
「よ、次は俺のシーンだよな。頼むな」
「えぇ、よろしくお願いします」
桂花は会釈して仕事道具の入ったケースが置いてあるテーブルの方へ行ったが、そのまま柢王も付いて行った。
「お前って本当に上手いよな。正直こんなに上手い奴、初めてだ。事務所じゃ1番の腕だって聞いたぜ」
「オーナーには敵いません」
「でも従業員の中じゃトップなんだろ。1番古いスタッフのうちの1人なんだっけ?」
「吾と同じくらいに入った人達と大差ありませんよ」
桂花は道具を出し入れしながら柢王の方を見ずに返事だけを返した。
柢王は傍にあった椅子を引き寄せ、それにまたぐように座り、背もたれに顎を乗せた。そして桂花の顔を下から覗き込んだ。
「パリでオーナーに会って、その腕を買われて事務所に入ったんだってな」
「えぇ、あちらに住んでいた時期があったので」
そこまで言うと桂花は柢王を見下ろした。
「随分吾のことをご存知ですね」
「こんな程度で随分って言うなよ。まだまだあんたのことはたくさん知りたいのに」
「なぜ?」
「惚れたから・・・て、答えじゃ駄目?」
柢王の蒼い眼差しと桂花の紫のそれとが絡み合った。
先に目を逸らしたのは桂花の方だった。
「駄目ですね。そんな下手な口説き方じゃ」
「俺は本気だぜ」
柢王は椅子に背もたれに頬杖をついて、本気なのかふざけているのか分からない表情で言った。
桂花はメイク道具入れをパタンと閉めて腰を伸ばした。
「そうですか。トップ俳優に口説かれるなんて光栄ですね。光栄に思っていますから次のシーン、遅刻しないで下さいね」
そう言うと桂花は寧に何か指示を与えながらスタジオから出て行った。
スラリとした後ろ姿を見つめながら柢王は
「俺は本気だぜ・・・」
と呟いて、先ほどの桂花の眼差しを思い出した。思えば初めてまともに見てくれたような気がする。
静まり返った紫の瞳からはやはり何の感情も読み取れなかった。

撮影は順調に進んでいく。桂花とは何の進展もない。そんな日々が流れるある日、その日の撮影が終った後、かねてから飲みに行きたいとせがまれていた女友達数人と、人気アイドルで共演者の空也とで飲みに行くことになった。
 休憩時間、柢王は仕事が一段落ついた桂花を捕まえた。ようやく掴んだチャンスだ。ここは外せない。柢王は逸る気持ちを無理矢理抑えて桂花に声をかけた。
「今日、飲みに行くんだけどお前も来ねーか?モデルやってる俺の女友達と、あと空也も来るんだ」
2人きりと思われたら速攻で断られるかもしれないので、柢王は先にそうではないことを言った。本当は2人きりで行きたいところなのだが、この際贅沢は言っていられない。とりあえず来てくれるだけでも万々歳だ。
桂花は微笑んだ。
「ありがとうございます。空也にも誘ってもらったのですが事務所で仕事が残っているので今回は遠慮させていただきます」
何っ!?あいつ、俺に断りもなく。けれど断られたら断られたでどーしてもっと粘らなかったんだよ!と腹が立つ。
しかし柢王はそんな心情をおくびにも出さず、頭をボリボリと掻いた。
「そりゃ残念。でもそれが片付いたら合流ってのもありだぜ」
気持ちのままにしつこくするのは嫌われるもとだ。押しと引きのバランスが大事、なんて頭では分かっちゃいる。
「明日までかかりそうなので。明日は多分、事務所からこちらに来ることになると思います」
「大変だな」
疲れを微塵も感じさせず、仕事をこなしている。こんなに細身なのに結構タフなのだ。そっかぁ、タフなのか、と無意識に危ない方向に想像が行った柢王は慌てて頭を振った。
 煩悶する柢王を置いて桂花はさっさと次のシーンの準備に移っていた。


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