投稿(妄想)小説の部屋 Vol.3
「あ・・・」
薬草を摘んだ手の甲に、朝露が落ちたその冷たさに、桂花はかすかに息を呑んだ。
秋の早朝。日差しはまだ低く、胸に吸い込む空気は冴えて冷たいが、見上げる空は遠い輝きを予感させる気配を見せている。ある種の薬草を摘むには適した時刻。甘えん坊の恋人を置き去りにして、寝台を抜け出し、林に向かった。
露の降りたつややかな緑の草を、ゆっくりと摘み取る。朝の林は深い緑と露の匂いに満ちている。
手の甲に落ちた水滴は、桂花にふと、何日か前のことを思い出させた。
人間界から戻ってきた柢王が、溶けるほどの夜を過ごした翌朝、食事の席で何気なさそうに告げた人間界での出来事。
菊の節句と呼ばれる吉日。人間たちは長寿を願って朝露を口に含むとか。
そんなもので長生きできれば安いものだと、笑いながら話していたその態度に、いつもと違ったものはなかったはずだけれど。
ふいに抱きしめてきたその腕の強さが、やはりと、苦笑いを誘った。
花の露を口に含んで長生きできるなら。
それをさせたい、あるいはしたいと思うかと。
冗談めかしてでさえ、しかし、口にしなかったのは、優しさだ。
天界人とは寿命も違う桂花には、いつまで柢王といられるかの保証はない。いや、誰の命にも保証はないが、柢王を唯一に天界にいる桂花に、不安を引き起こすことは口に出さなかった、あれはとっさの優しさなのだと。
「まったく、大雑把なのに、聡いんだからな」
苦笑いで、光る朝露を眺める。きらきらと、透き通り、儚くて。
そんなものに願いをかけなくても、自分にはいくつも耐えられることがある。そう笑いたいところだけれど。
正面切って傷つくのなら癒されるけれど、こちらの胸の中に、自分でも知らないうちについている傷。あるいはあまりに辛くて封じ込めた・・・。
そんな痛みすら、見抜いて、温かな腕で癒してくれようとするその顔を見たら、弱気は笑い流し、見ないフリをするしかない。
守られているだけでいいと思っていないから。そんな気持ちも見抜いて、もっと俺を信用しろと怒るのもわかっているけれど。
「まったく、甘いよな」
胸の中にこみ上げてくる温かさ。そして、ふいに肌を過ぎる秋の風のひやりとする冷たさと。
愛しさと不安の両方を抱えながら。
桂花は立ち上がった。
濡れた露草が足元を濡らし、飛び散る。光の珠のこぼれるようなその儚く、透明な美しさに目を細めて。
「多少、秘密があるほうが、恋も盛り上がるよ、柢王」
振り払うように微笑むと、ふたりの家に戻るため歩き出す。
いまだ寝台を恋しがる、甘えん坊の恋人を起こすために。
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