投稿(妄想)小説の部屋 Vol.3
──Now slides the silent meteor on, and lesves.
A shining furrow, as your thoughts in me──.
冷たい風が草原を揺らす。
吸い込まれそうな遠い夜空に、零れ落ちそうな星が無限に広がり、露にぬれた草を踏み分けて歩く桂花の瞳を燦然と銀に染めている。
足元までの衣服の裾はもううっすらと重く濡れている。闇にほのかな銀が刷かれたような、月も姿を見せぬ夜。長い髪を、まだ夏になりきらぬ
草原の冷たい夜風にさらして、暗い海のようなざわめきのなかを歩くその姿を、迷信深いものが見れば、精霊だと恐れたものかもしれなかった。
いまの桂花は変化を解いている。長い白い髪、紫微色の肌。薄物の衣服の下にはあざやかな刺青がある。他に誰もおらぬと確信しての
その姿は、いまや知るものの少ない、かれの真実の姿だ。
濡れた草の匂いがざわざわと揺れるにつれて濃くなる。人間界の植物は、まるでそれが命の証であるかのようにその時節、もっとも香り、
もっともあざやかに、もっとも美しくその姿をさらしては消えてゆく。次の時節が訪れるまで。
足元に踏みしだく命の証に、薄い笑みをたたえた唇がひくくつぶやく。
「繰り返す、命、か……」
ふと、見上げた瞳がはっと見開かれたのは、銀をちりばめた空に、ふいに一条、流れていく光を見たからだ。
「流星──」
紺色の空へ、すうっと銀の筋を引いて、星が流れていく。そのあざやかな軌跡に見開く瞳のその前で、ふ…と光は輝き、そして消える。
大いなる命の、最後の、輝き。瞳の奥に、その光の跡を残して。
細められた瞳がふいに、わずか、震えた。伏せられた睫毛の先にその震えがあとから伝わっていく。再び、開かれた瞳が濡れて揺れるのは、
空のざわめきを宿したものではなかった。
「……柢王──」
桂花の指先が、唇を押さえる。いまやその震えは細い全身に広がって、うつむいた先、踏みしだかれた草を見つめる紫の瞳には涙が滲んでいた。
暗くなると──
モンゴルの草原もうねりに似たざわめきを宿す。その音が聞きたくなって外へ出る。踏みしめて歩く草の、肌に触れる感触、風の匂いは変わらない。
それでも、あのなつかしい場所で見る、目を奪うようなぎらついた光を放つ闇ではなく、この世界では、月や星だけが波のようにゆれる
草原に宿る光の全てだ。
淡く、頼りなく、この世を照らす光。命の終わりを予感し、年毎に生まれ変わる草原。天界とは違う。柢王とふたりで暮らした家の周囲の
草原とは違う。それがわかっていても。ふいに、星のない空からあの声が、
『桂花、いま戻ったぞ』
降りてくることなどないとわかっていても──
眠りを求めない体が、風にざわめきに記憶を蘇らせて、外へ出る。満天の星。違うとわかっているのに、
(柢王──……)
草の海のなかを歩き続けている時だけ、理性も苦しみも忘れて歩き続けている時だけ。
あの声を、あのぬくもりを、あの存在を、求めることができるから。
足をとめた後に心を切り裂く孤独があるとわかっていても、ただ捜し求めるように歩き続ける時だけが、もう二度と会えない人を
愛し続けて生きるこの偽りの命を救ってくれるから。
(何度も生まれる命……)
そう、この一面の草原のように。生まれて、消えて、また生まれ変わる命。
いま、命よりも大切だった人の再現が、日毎夜毎に、その命を輝かせて育っていくさまを見ている。
二度と誰かを愛しいと思うことなどないと信じた胸の奥に、どうしようもない愛しさと喜びが生まれてくる。どうしようもなく、
心が惹きつけられるのを感じている。
だからこそ、その向こうでずたずたになっていく胸の痛みを思い知る。
かれの面影をさがす罪悪感。かれに対して感じる後ろめたさ。いるべきところではない場所にいることの罪深さ。
だが、それにも増して感じる、このどうしようもない想いを、言葉でどう言い表せばいいのだろう。
(覚えていない──)
あれほど愛した記憶をまっさらにして、いま、なにも知らない輝きでその手を差し伸べてくる。何も知らない輝きで、ただ純然と、
(俺にも懐かしい気がするって言ったら、怒るか)
自分を見上げたあの瞳を見たときの、言葉にならないあの気持ちを──。
生まれ変わっても……。
どれだけかれが生まれ変わり、そして、たとえいつでもその側にいられたとしても──
狂おしい夜に、瞳の奥に怯えに似た渇望を宿して、
(おまえは俺のものだ。そうだろう?)
くり返し問いかけた人の、想い、まなざし、記憶の全て──
それはもうよみがえることはない。
(吾だけが、覚えている──)
かれの記憶はあの星のように──二度とは、戻らない。
ただ一度の命。ただ一度の記憶。それで消えていくのは自分のさだめでこそあったはずなのに……。
(それなのに、吾がこうしてあなたの生まれ変わるさまを見ている。消えていくこともしないで、吾だけが空の命を生き続けている……)
皮肉だ、と、涙を滲ませた美貌が笑みを浮かべる。
「生まれ変わったのに……でも、吾にとって、あなたはあの星のようなものだ。あの、流星のように……」
続けかけた言葉を、こぼれる涙がさえぎった。
かれの存在は、あの流星のように……
つかの間に触れてすり抜けていったのに。この胸に、消えない軌跡を刻みつけている──
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