投稿(妄想)小説の部屋 Vol.3
『この入場券を持って投票所に行き、係りの指示に従い、投票したい候補者の名前を触って下さい』
(……名前を触る?)
投票3日前に各戸に配布された投票入場券に記された注意書きを見て、領民達は首を傾げた。
投票所は、選管の指示で各国割り当てて急ピッチで造られた。人一人が入れるくらいのボックス――箱形状の建物――で、奥には選管からの指定机がひとつ、出入り口は正面の一箇所のみ。
いったいこんなボックスと机でどうやって投票するのかと、急遽建造を依頼された各国も不思議に思い問い合わせたが、選管からは、投票装置は当日委員長自らが配備するとの返答が届いただけだった。
そして、いよいよ投票当日の早朝。
各国の主だった街を中心にそれぞれ数十箇所ずつ設置された投票所では、すでに各国武将とその配下数名ずつが警備を兼ねた投票係として配置され、集まってきた有権者の入場券チェックに当たっていた。
チェックの終わった者から順番に、ひとりずつ投票の際の注意を受けてボックスの中へと誘導されて行く。
――奥の机の上に、候補者の名前の入った石が置いてあるから、
――投票したいと思うほうの石を一度だけ触って、出てくるように。
――それで投票は完了だ。2回触ったり、両方触っては駄目だぞ。
――無効になるからな。
中に入り、係りの者に告げられたとおりに奥の机の上を見ると、大人の肩幅くらいの間を空けて左右に置かれた真っ黒な石があった。
向かって右の石にティアランディア、左にネフロニカの名が刻んである。
その碁盤を縦半分に割ったくらいの大きさの石。
その石こそが、デンゴン君が遠見鏡から各投票所に飛ばした、返答にあった投票装置、つまりこの統一地方選挙にあたり選管自らが最上界から持参した投票用の石だった。
『ソシタラ、ヤルカー!』
アウ 「今日ばかりはデンゴン君の腕の見せ所だな」
『我ノ 一人舞台。我ハ、コノタメニ、天界ニ 来タ。』
アウ 「…そうだな。だが、」
『ナニ?』
アウ 「いや、なんでもない。今日は頼むぞ、デンゴン君」
『任セロ!』
投票開始時間とともに、仮の選管室である執務室の遠見鏡の前に陣取ったデンゴン君は、降ろした両手をひじの高さにまであげ掌を上に向けて開いた。
そうして、目の前の遠見鏡に映しだされる各投票所を瞬きもせず見つめ続ける。
デンゴン君の額の御印がほのかに光りを帯びたかと思うと、後方で見守るアウスレーゼの目に、デンゴン君の両の掌に透明な柱が少しずつ背丈を延ばしていくのが見えはじめた。投票所に置かれた特殊な石と遠見鏡を連動させて、得票の逐一を、この小さな人形が集結、集計しているのだ。
アウ 「一人舞台か。…まさにその通りだな、デンゴン君」
柱は、右の掌がティアの得票、左の掌がネフロニカの得票で、それぞれの得票数により相対的に背丈を延ばしたり縮めたりしていた。
このまま投票終了時間がくれば、その掌の柱の背丈で一目瞭然に結果が分かる。
「もうすぐ、また、あの子達ともお別れか……。だが、我よりも、そなたのほうが寂しかろ…」
そう思い、デンゴン君には聴こえないと知りつつ、そっと声に出して問う。
「そなたは、このために天界に来た、と言った。その言葉に間違いはないが、我には、それだけとは思えぬのだ…」
デンゴン君とともに天界に来てからの日々を思い出すアウスレーゼの瞳は、優しさにあふれていた。
『ト、イウコトデ。守護主天ハ、てぃあらんでぃあ ノ 続投 トナリマシタ。』
投票が終了し、それとほぼ時を同じくして集計が終わると、アウスレーゼは選挙部屋で待つティアに心話で呼びかけ、選管部屋に来るように伝えた。
投票所警備のため各地に赴いているアシュレイ、柢王、桂花を除いた珀黄・江青の両名も一緒だ。
珀黄 「おめでとうございます、守天様!」
江青 「おめでとうございます…!!」
ティア「ありがとう。…ありがとう」
結果を聞いて、涙を流さんばかりの江青と感無量な珀黄に、ティアが心からの礼を述べていると。
アウ 「守天殿、ちょっと」
名を呼ばれ、手招きされて近づけば、アウスレーゼが小声で続けた。
アウ 「ネフロニカと話してはみぬか、守天殿」
ティア「…いいえ」
アウ 「あの子も、他の兄弟達も皆、そなたのことを思ってのことなのだ。
それだけは分かってやってほしい」
ティア「………」
あまり理解したくはないが、アウスレーゼの言葉なら嘘ではないのだろう。
はい…とティアが答えると、アウスレーゼはひとつ頷いた。
ティア「アウスレーゼ様。山凍殿には…」
アウ 「そなたへの報告のあと、遠見鏡から伝えた。…ネフロニカとは、
昨夜のうちに別れは済ませたそうだ。あとで直接そなたに祝辞を
述べたいと言うておった」
ティア「そうですか…」
そこへ、大急ぎで帰ってきたアシュレイと柢王・桂花のふたりが同時に部屋になだれ込んできた。
ティア「…早かったね」
アー 「結果は…っっ!?」
ティア「おかげさまで」
アー 「そうか…。よかった。……よかった」
何度も「よかった」と繰り返すアシュレイの後ろで、柢王と桂花も目でティアに祝意を表す。
そして、突然ハッとしたようにアシュレイが回りを見渡して、もう一度「よかった」と呟いた。
その目には、デンゴン君とアウスレーゼが映っていた。
そうして、そのまま守護主天当選証書付与式が行われた。
『てぃあらんでぃあ・ふぇい・ぎ・えめろーど。』
ティア 「はい」
『ソナタ ニ、コノ天空界デノ 全権 ヲ 委ネマス。シカシ、アクマデ、民主主義トイウコトヲ忘レテハナリマセン。…全権 トハ「スベテノ権力」ヲ言イマスガ……、守護主天殿、』
改まって役職名で呼ばれ、ティアは再び、はいと答えた。
『権力 ノ 「 権 」 トハ 「ごん」、ツマリ、仮ノモノ、真実デハナイモノ ヲモ意味シマス。カリソメデナイ、真実ハ、自分自身デ見ツケ、手ニ入レナサイ。天界ノ人々 ヤ、人界ノ人々、ソレラガアッテコソノ、ソナタナノデス。良ク、治メ、導カレルヨウニ。』
ティア 「……はい」
『…我ハ、守護主天ニ、「ごん」ノ意味ヲ 伝エルタメニ、来タ。ダカラ、』
デンゴン君。
伝権…君、だったのか…。
その場に居合わせた全てのものが、ちょっと驚いた。
まさか、デンゴン君のネーミングに、メッセンジャーとしての意味以外があるとは、これっぽっちも考えてなどいなかったので。
『…ナントナク、失礼 ナ 空気……?』
『つんつん、マタナ…?』
桂花 「………」
『つんつん…』
柢王 「おい、桂花」
桂花 「…吾は天界人じゃありませんから、」
『?…ダカラ?』
桂花 「いえ、なんでもありません」
『ダイジョブ。つんつんガ ドコニイテモ、マタ会エル。約束ノ言葉ナンダッテ。ドコニイテモ、マタ会エル。ナ、あしゅうれい?』
アー 「ああ!」
『マタナ、つんつん』
桂花 「はい…。また」
『……つんつん ノコト 泣カスナヨ』
柢王 「はー!? なに言ってんだ、おまえっ」
桂花 「お気遣い、ありがとうございます」
柢王 「おまえもっ、なに礼言ってんだっ」
アウ 「やはりデンゴン君は、人の機微に聡いの…」
アウ 「珀黄、江青を頼むぞ」
珀黄 「・・・・・・・はい」
心の中で、「なぜ?の嵐」な珀黄だった。
というか、選管の方も、最上界へ……?
いやいや、たぶんこれは、自分などが追求していい問題ではないのだ。
……日常は目の前だ。
そう自分に言い聞かせ、珀黄はスルーを決め込むことにした。
アウ 「ではな、江青。元気でな」
江青 「はい。アウスレーゼ様も。……お世話になりました」
……本当は、もっといろいろとお世話したかったのだが。
なにせ、最初にプラトニック発言をしてしまった手前、妙にそれを守ってしまい、少々後悔中のアウスレーゼだった。
『天空界デノ選挙結果、選挙管理委員長トシテ、三界主天様ニ タシカニ オ伝エ シマス。』
ティア「それにしても、こんなに早く結果が出るとは思いませんでした。
デンゴン君、見事なお手並み、おみそれしました」
『コノ 選管まーく ハ、伊達ジャナイッテカ?』
アウ 「…デンゴン君、それは選管マークではなく、御印。
…くれぐれも三界主天様の前でそんなおもしろいことは
言わないように」
『ナンデー? キット、三界主天 モ 楽シガルト思ウノニー?』
アウ 「それと、三界主天様を呼び捨てにしないこと。これだけでも、
肝に銘じてくれ」
『肝ー? ソレ、我ニモ アルノ?』
アウ 「なかったら、今度三界主天様に御願いして追加してもらえばよい。
『様』は忘れるでないぞ?」
『ハイハイ』
アウ 「まったく…小猿みたいになったな、デンゴン君は」
『ソレ、知ッテルー。馴レルト可愛イッテ。我モ、ソンナ感ジー?』
アウ 「ああ、ああ、可愛いとも。…それでは行くか」
『…………ウン』
アウ 「また、会えるさ」
『…………ウン』
アウ 「デンゴン君。……我は?」
『神ナリ』
アウ 「だったら…」
『我ノ アルベキトコロヘ 帰ル。』
アウ 「よし、では行くぞ」
『ウン』
デンゴン君を腕に抱き、その場の皆に、ひとときの別れを告げる。
アウ 「では、またな」
『マタナ…!』
アー 「おーっ! またなっ!! 絶対、またなーーーっっ…!!」
バルコニーから身を乗り出し、千切れんばかりに手を振るアシュレイの後ろで、名残顔のティアたちが静かに彼らを見送った。
中庭では、宵闇の中、咲き渡る花達が風もないのにかすかにその首を揺らしていた。
そうしてアウスレーゼとデンゴン君は、最上界へと帰っていったのだった。
〜〜〜〜・〜〜 * 〜〜〜〜 * 〜〜・〜〜 *〜〜〜〜〜 * 〜〜・〜
『天主塔ニュースの時間です。
はじめに、選挙管理委員会からのお知らせです。
今日、統一地方選挙の後半戦、天空界新守護主天選挙の投票が
行われ、現職のティアランディア・フェイ・ギ・エメロードが、
新人のネフロニカ・フェイ・ギ・エメロードを破り、再選を果たしました。
天主塔では、当選証書の付与式が行われ、選挙管理委員長から証書を
受け取った新守護主天は、感慨深げな表情を浮かべていました。
これにより天空界における統一選挙は終了しました。
次回の統一選は、4年後を予定しております』
柢王 「また、やんのかっっ!?」
桂花 「…それが民主主義というものらしいですよ」
アー 「またアイツ、来るよな…っっ!?」
江青 「また…会えますね」
選管の残していったニュースに喜ぶアシュレイに、ティアも思わず苦笑がもれる。
「守天様…守天様っ!」
そこへ、声を押し殺して珀黄が鼻息荒く迫ってきた。
珀黄 「守天様、お願いがございますっ。どうかどうか、
4年後までに江青を、天主塔勤務から遠く離れた地方へと
異動させて下さい…っ!」
ティア「い、異動…!?」
珀黄 「守天様っ、江青には妻と子が…っ!!」
ティア「わ、分かってるよ。それはもう耳タコだって…」
珀黄 「分かっておいでなら、お願いでございます…!
江青には、年老いた父母やまだ嫁にもゆかぬ姉や妹がっ…!」
ティア (いつのまにか増えてるじゃないか…)
アー 「…おまえ、なに珀黄泣かせてんだ?」
ティア「わっ、私が泣かせてるはずないだろっ!?」
珀黄 「守天様ぁっ…!」
(なにが、家庭に波風を立てる気はない、だっ)
ひとり激浪状態の珀黄に、窓の外、うらめしげに天空を仰いだティアは、大きなため息をついていた。
暉蚩城内の、選挙事務所。
ネフィー「・・・・になったな」
山凍 「は…?」
ネフィー「だから、世話になったって言ったんだよ」
山凍 「ネフィー様…」
最後の個人演説会を終えて、城に戻ってきた途端、さらっとネフロニカの口からそんな言葉がこぼれた。
ネフィー「明日、もし私が負けたら、おまえにはもう会えないからね。
それだけ言っておこうと思って」
山凍 「負けたらなどと……そんなことおっしゃらないで下さい」
ネフィー「じゃあ、言い方を変えるよ。…山凍、」
山凍 「はい、ネフィー様」
ネフィー「守護主天を頼むよ」
山凍 「…それは、」
ネフィー「私がなっても、誰がなってもだ。もちろん、私は勝つつもりだよ」
山凍 「……承知しました」
ネフィー「ああでも、おまえもそろそろ身を固めないといけないだろうから、
無理はしなくていい」
山凍 「私のことなど、お気になさらず」
ネフィー「うーん。でも、たまに廊下ですれ違う爺やたちがさ、私と目が
合うと泣くんだよねぇ…」
山凍 「ドライアイ気味な老人ばかりなので、ちょうどいいでしょう」
ネフィー「ははは。言うね、おまえも。……だったら、頼むよ」
山凍 「はい…」
ネフィー「ねえ、山凍。覚えておいて。
もし、もう二度と会えなくて、おまえに私が見えなくなったとしても、
私にはおまえが見える。……私はちゃんと、おまえを見てるよ」
投票前夜、天主塔へと帰る前に交わした言葉が、山凍が聴いたネフロニカの最後の声だった。
〜〜〜 * 〜〜・〜〜 * 〜〜〜〜 * 〜〜・〜〜 *〜〜〜〜〜 * 〜〜〜
ちょっといいか、と柢王に訊かれてティアは投票前夜、その日の反省会が終わった後も選挙事務所部屋に残っていた。
柢王 「守天なんてものから解放されたほうが、楽に生きれんじゃねぇかと
思ってさ。なりゆき…とか、責任感みたいなもんなら…」
ティア「そうだね。そこまで考えてなかったかな…。守護主天というものを
他の人たちがどう考えているか分からないけど、本音を言えば、
立候補者が出るなんて思ってもなかった。だからどうせ私がやる
しかないんだろうなって。……我ながら傲慢だよね。
…でも、守天になりたいって立候補者が現れて……」
それが、もし先代守天でなかったら、自分はどうしただろうか……。
とにかく、先代が出馬した以上、自分は戦って勝たねばならない。
減価償却(?)が間近とはいえ、今すぐということではないのだ。
だったら、先代が当選した暁には、この自分の身体を明け渡さなくてはならない…らしい。
そうなっても、私が消えてしまうわけではないらしい。
ただ、他の歴代守天の方々と同じような存在になるだけなのだ。
実体のない、すべてを見守るだけの存在に……。
柢王 「ティア…?」
黙ってしまったティアに、心配して柢王が声をかける。
ティア「あ、ああ、ごめん。…他の候補者が立ったおかげで、自分でも
もう一度守護主天について考えてみたんだ。それで私はまだ満足に
守天としての仕事を全うしていないことに気がついた。私は、
守天として私にできることをしたいんだ」
柢王 「おまえが、やるってんなら、俺は応援する」
ティア「清き一票をお願いするよ」
答えるティアの言葉に笑いがにじむ。
柢王 「…で。本当の理由はなんなんだ?」
ティア「うーん…。やっぱり聖水作ったり手光が使えることだね」
柢王 「向こうも聖水とか手光とか言ってるみたいだけど、おまえもか?」
ティア「私には、とっくの昔に私を置いて霊界行きになってそうな親友が
いるからね。なにかと便利かと思って」
柢王 「親友だけじゃねぇだろ」
柢王の突っ込みに、ティアの顔からすっと笑みが消えた。
私は、私以外のものにはなり得ない。
だったら、守天の私のまま、守天の力を有効利用させてもらう。
そのくらいの気持ちでなければ守天なんてやってられない。
そして本音の本音は…
ティア 「守天としての私でなければ、アシュレイのそばにいられないし、
アシュレイを守れないからね……。守天ていうのは、今の私に
とっては、手段のひとつとも言えるかな」
柢王 「ま、いんじゃねぇの。だが、そのためにはまず、」
ティア 「明日、勝たないとね」
柢王 「ああ」
そう言って、顔を見合わせたふたりはともに口角の端をあげてニヤリと笑いあった。
〜〜〜 * 〜〜・〜〜 * 〜〜〜〜 * 〜〜・〜〜 *〜〜〜〜〜 * 〜〜〜
その頃の、選管部屋。
『♪シバシモ 休マズ〜』
アウ 「…歌まで覚えたのか?」
ぎょっとしながらも、デンゴン君に尋ねる。
『てぃあらんでぃあ ノ 趣味ハ 奏器ノ 演奏ナンダッテ。』
アウ 「対抗意識か?」
『?』
アウ 「いや…。アシュレイには聴かせたのか?」
『ウン。すげー!!ッテ。』
アウ 「ほう…。それはよかったな」
頬染める人形というものを、アウスレーゼは初めて見た。
アウ 「ところでな…。明日のことだが」
『ウン』
アウ 「アシュレイや桂花に、先に挨拶しておくか?」
『………』
アウ 「明日は、ゆっくり話ができる余裕などないぞ」
『ウン…』
アウ 「デンゴン君」
『イイ。明日、ソノママ 帰ル。』
アウ 「………それでよいのだな」
そのとき、ノックとともにアシュレイが入ってきた。
アー 「まだ仕事してんのかー? …アウスレーゼはともかく、
おまえは小さいのに働き者だなっ」
そう言ってニッコリ笑ったアシュレイに、頭をがしがし撫でられ、嬉しそうなデンゴン君。
アウ 「なんだその、我はともかくというのは」
アー 「だっておまえ、少なくとも俺らの10倍は生きてんだろ」
アウ 「まあな。…で、なにか用か?」
アー 「あ? ああ、ほら、俺、明日は投票所の警備に行くからさ。
ちょっとおまえらの予定も聞いとこうかと思って。
前に聞いたとき、結果を持って帰るって言ってただろ。
だから、ちょっと気になってさ…」
アウ 「そうか」
アー 「なっ、なに笑ってんだよっ!」
アウ 「いや、なにも。明日は、投票終了後、結果が判明次第、
新守天を見届けてそのまま帰途に着く」
アー 「え…」
アウ 「そなたとは、今回はこれが最後かもしれぬな」
アー 「そ、そんな急に帰らなくても…」
アウ 「約束だからな」
アー 「約束?」
アウ 「ここへ来る前、三界主天様との約束だ」
『あしゅれい…』
アー 「おまえ…っ。黙って帰るつもりだったのかっ?」
『ダッテ…我、あしゅれい ニ さよなら 言イタクナイ…』
アー 「馬鹿っ!!! サヨナラなんてな、ただの社交辞令(?)だっ!
俺とおまえが、そんなもんでどうにかなるはずねーだろっ!」
『ダッテ、さよなら ッテ、ココラヘンガ きゅっ…テシテ…。ナンダカ 苦シクナルンダモン…。』
自分の胸の辺りをぎこちなく手で押さえてデンゴン君が言う。
アウ 「…それはきっと、いろんな気持ちがそこに、デンゴン君の胸に、
あふれてきておるからなのだろうな」
『イロンナ 気持チ…?』
三界主天様は、ご自分の創った『人形』に命を吹き込み、知恵を授けられてきた。
デンゴン君は、命と、メッセンジャーとしての役割と、選挙の際の集計器としての能力を与えられた。それ以上でもそれ以下でもない。そのために創られ、そして天界につかわされた。
(ある程度の知識はインプットされておったが、ただそれだけの”人形”だった。それが、これほどまでに感情豊かになろうとは……)
アー 「…あのな。いつも寝るとき、『また明日』って言ってただろ。
あれと一緒だ。帰るんなら、『またな』って言ってけ。そしたら、
俺も「おー!またなっ」て言うから」
『マタナ…?』
アー 「おー、またなっ! ……また絶対会える、約束の言葉だ!」
『ウン…!』
アー 「……そしたらっ、俺はもう寝る。おやすみ! …また明日なっ!」
そうして、アシュレイは唐突に部屋を出て行った。
語尾が涙声だったのは、気づかぬ振りのアウスレーゼだった。
山凍 「明日は出る直前に下穿きを脱ぎ捨てていかれませんように。
あと、孔明の上でM字開脚もどきも、絶対駄目です。
……聞いておられますか? ネフィー様」
選挙運動から戻った暉蚩城。
その城内に設けられたネフロニカの選挙事務所部屋。
選管からのイエローカードもあって、今日の駄目出しを事細かにひとつひとつ挙げ連ねる山凍を、ネフロニカがじーっと見つめている。
ネフィー「フフ…。いいねぇ、そのハチマキ」
山凍 「は…?」
ネフィー「理想的な長さだ。そう思わないかい?」
山凍 「…よく分かりませんが」
長さなど、単に頭に巻いて後ろで結べればそれでよいのではないのか?
ネフロニカの真意が読めず、山凍が不思議な顔を見せると。
ネフィー「…うーん。長さはいいけど、おまえにはそんな布きれよりも
鎖とか、そういうメタリックなもののほうが似合うかな」
山凍 「鎖でハチマキは、ちょっと…」
ネフィー「あはは、バカだね山凍。誰がハチマキの話をしてるって?」
(あなたが……)
とは、たとえ口が裂けても言うつもりはない山凍だった。
ネフィー「縛るのにだよ。おまえだったら、こう…太目の鎖でもいいけど、
細めのもので手首とかグルグル巻きにして、もちろん両手は
万歳の格好で、壁なんかに張りつけてみるんだ。足も忘れず
にね。鞭の傷跡なんかあって、多少乱れた着衣から、破れて
血が滲んだ皮膚が垣間見えでもしたら……フフ」
アウ 「時間終了だ、ネフィー」
恍惚としたネフロニカと、ちょっと引き気味の山凍の目の前に、突然アウスレーゼが現れた。
山凍 「これは…お忙しいところ御足労いただきまして」
アウ 「いや、そなたにも苦労かけるな」
山凍 「いいえ。私は…苦労などとは思っておりません」
ネフィー「そうだよ、変なこと言わないでほしいね。…わざわざそんなこと
言いに来なくても、着替えたらちゃんと戻って変化を解いて、
ティアランディアと交代するよ」
アウ 「別にそなたのことを信用してないわけではない。ただ、我も一度、
遠見鏡越しにではなく、山凍殿にじかに挨拶しておきたいと
思うてな。…山凍殿、此度のこと、心から感謝する」
天界人では、唯一、ネフロニカとティアの交替事情を知る北の王に、アウスレーゼは直接会って礼を言いたいと思っていた。
山凍 「いいえ。…私は喜んでお仕えさせていただいております」
それに、と心の中でだけ山凍は続けた。
(いま目の前のネフィー様は、本当ならここに在るはずのない、やり直す術などないと諦めていた、奇蹟の生なのだ。あなたに二度と、寂しさも絶望も感じさせない。そのためなら、私は……/by:岩◎水君な山凍)
山凍 「それでは、ネフィー様。また明日、お待ち申しております。
…ひとつ言い忘れておりましたが、今日で用意しておいたポケット
ティッシュの在庫が切れました。明日からはティッシュに頼らず、
この山凍、命を賭して領民の流血を事前に阻止いたす所存です。
……ネフィー様も、さきほど私が申し上げましたこと、真剣に、
御願い致します」
この三日ほどで、ティッシュちぎって丸めて領民の鼻につめるのが得意技のひとつになってしまった山凍の、心からの訴えだった。
ネフィー「私はいつだって真剣だよ。…雛のくせに私に指図するなんて。
可愛くなくなったね、おまえは」
そうしてネフロニカは、山凍の伸びた髪を一掴みすると、起用に三つ編んで手に持った自分のヴァイオレット・ハチマキでグルグル巻きにする。
山凍 「ネフィー様…」
ネフィー「フフ、可愛い。いいかい、明日、私が来るまで解くんじゃないよ」
そう言うと、ネフロニカとアウスレーゼは消えた。
山凍 「以前も奔放な方だと思ってはいたが……」
(今は憑き物が落ちたかのように、一段と弾けられたような……)
後に残された山凍がそんなことをボーっと考えている陰で、その左耳の横に揺れる可憐な一房の三つ編みに、北の老重鎮達が涙をぬぐっていた。
ところ変わって、天主塔・執務室。(現・選管部屋)
『あうすれーぜ、ねふろにか、オカエリー』
アウ 「ああ、デンゴン君、ただいま。一人にして悪かったな」
ネフィー「あー、疲れた! それじゃあ末っ子と交代しよっかな」
そう言ったネフロニカをアウスレーゼが引き止める。
アウ 「ネフィー。そなた、実体…というか、自分の身体が欲しいのか?」
ネフィー「別に…。まあ、あればあったでおもしろいだろうけどね」
アウ 「やはり、身体がほしくて守天選に立候補したのではないのだな」
アウスレーゼの問いに、さあね、とネフロニカは興味なさそうに答えた。
アウ 「ネフィー」
ネフィー「だって、誰も立候補者がいなかったら必然的にティアランディアが
守天だったんじゃないの? だから他の兄弟たちとも話し合って、
私が代表で出たんだ」
――― 話し合って…?
もし、山凍がこの場にいれば腰を抜かしたかもしれないフレーズだ。
アウ 「だから…出た、とは?」
ネフィー「末っ子が義務だけでなろうと思うなら、代わってあげたほうが
いいかと思って」
アウ 「そうか」
ネフィー「守護主天なんて、…他の誰にもさせたいと思えるものじゃない。
でも、そんなわけにはいかないことも分かってる。……だから、
私がなろうかと思って。私がなれば、少なくとも兄弟達が助けて
くれるからね。末っ子は全部自分でやろうとするから、心も身体も
どんどん疲弊して擦り減って……見てるこっちまでつらくなる」
アウ 「良い子だ、そなたは」
ネフィー「…別に、私がつらいわけじゃない。他のお人よしな兄弟達の
話だ」
アウ 「そういうことにしておくか」
ネフィー「しておくか、じゃなくて、そうなんだよ!」
『ねふろにか モ、ヤッパリ、てぃあらんでぃあ ト 似テルカモ。』
ネフィー「はぁーーー!? どこがっ!」
『意地ッ張リ ナ トコ トカ?』
ネフィー「むかつく…。アウスレーゼ様、この人形、壊していい?」
アウ 「はは、デンゴン君は三界主天様直々の人形なのでな。壊そうと
思って壊れるものではない」
ネフィー「なんか、いっそうむかつく…」
『かるしうむ不足…?』
アウ 「…デンゴン君はどんどん賢くなるな。
ちなみに、そなたの…守護主天の身体も今の三界主天様が創ら
れたものゆえ、ある意味そなた達は兄弟みたいなものだな」
『我ノ 弟ー?』
ネフィー「なんで私が下なんだよっ。ていうか、人形と兄弟になった覚えは
ないね!」
『ソシタラ、てぃあらんでぃあ モ 我 ノ 弟ー?』
ネフィー「だから…っ! 兄弟なんかじゃないって言ってるだろっ」
『…ソシタラ、江青タチミタク、従兄弟 ナノ…?』
ネフィー「ああもうむかつくーーーー!!」
アウ 「……ネフィー。デンゴン君はまだ子供なのだぞ?」
ネフィー「子供なら、なんでも許されると思ってる? アウスレーゼ様」
アウ 「いや、そうは思わぬが。デンゴン君は、我のお気に入りでもある
のでな。いじめないでやってくれ」
ネフィー「…………私は?」
アウ 「なんだ?」
ネフィー「私は、アウスレーゼ様のお気に入りじゃないの?」
アウ 「…うーむ。」
ネフィー「どうして悩むのさ」
アウ 「…そなたは我のお気に入りになりたいなどと思ってはおらぬ。
そうではないのか」
ネフィー「…とにかく! もし私が守天になったら、ティアランディアの
身体は私のものだからね。…前はもともと私のものだったんだし」
アウ 「うーむ…」
ネフィー「…小猿もお気に入りだものね。あの子を悲しませたくない?」
アウ 「アシュレイか…」
『あしゅれい? ナニナニ? あしゅれい ガ ナニー!?』
ネフィー「なんでもないよ! …全く、ティアランディアもアウスレーゼ様も、
…この人形もっ!! みんな趣味が悪い、悪すぎるよ!」
(そういえば、彼も小猿派らしいことを言っておったな)
別所で選管の手伝いを頼んでいるひとりの青年の姿が、アウスレーゼの脳裏をよぎる。
『ダッテ、あしゅれい ッテ、最高ナンダモン』
ネフィー 「…おまえ、最高の意味知ってて言ってる?」
『当タリ前ダロ。アトネ、素敵?』
ネフィー 「はぁぁぁぁ…!? おまえ、素敵の意味分かってて言ってる?」
『当然ダロ。ソレニ、てぃあらんでぃあ ダッテ、言ッテタモン』
ネフィー 「…なんてさ?」
アウスレーゼの顔がちょっとひきつる。
『エトネ、あしゅれいハ…』
アウ 「ま、待て! デンゴン君。そこから先は言ってはならん!」
『ナンデー?』
ネフィー 「ハハーン…」
(遠見鏡でデバガメねぇ……)
ネフィー 「大丈夫だよ、アウスレーゼ様。私の口は貝より固いからね。
アウスレーゼ様たちが末っ子と小猿の情事を覗いてたなんて、
誰にも言わないよ?」
アウ 「覗いてたわけではないぞ。たまたま、な…」
ネフィー 「たまたま見ちゃったんだー。あはははは!」
『ナニナニ? ねふろにか、ナニガ楽シイノー?』
ネフィー 「なんでもないよ。…それより、ティアランディアがなんて言って
たって?」
『アノネ、』
アウ 「ネフィー。なにか望みがあるなら言うてみよ。できることなら、
……善処する」
ネフィー 「ええー? 悪いなー? じゃあ、北にポケットティッシュを
死ぬほど贈ってもらえるかな? 雛ってば、なんだか小舅
じみてきてうるさいんだよねぇ。…ま、そういうとこも可愛い
んだけどさ」
(そなたと付き合えば、誰もが小舅や小姑になるであろうな…)
気持ち若めに変化したネフロニカの嬉し楽しそうな様子に、アウスレーゼは心でそっと涙をこぼした。
翌早朝。
天主塔急便の朝一便で、北の毘沙王の元に、選管からの選挙見舞品として大量の箱が届けられた。なにごとかと驚いた山凍が開いたその巨大な箱の中には、「やわらかポケットティッシュ」の束がぎっしりと詰め込まれていた。
そうして江青がアウスレーゼにお持ち帰りされてすぐ、寝室で休憩を取っていたティアが現れた。
ティア 「遅れて悪かったね。…あれ、デンゴン君。アウスレーゼ様は?
一緒じゃないの? 江青も…いないけど……」
恒例の反省会と対策会議のはずなのに、なぜか選管委員長がいて、会議のメンバーのひとりがいない。しかも、アウスレーゼもだ。
アー 「ああ、いまアウスレーゼが具合悪いってんで江青が部屋まで
送って行ったんだ。…それよりティア! こいつ、すげぇんだぜっ!」
(アウスレーゼ様を部屋へ…?)
喜々としてデンゴン君の特技について語ろうとするアシュレイに隠れて、ティアはそっとため息をもらした。
珀黄 「守天様…、江青になにか…?」
ティア「え…ああ、なんでもないよ」
珀黄 「ですが…」
ティア「本当になんでもないから。
…………アウスレーゼ様だってプラトニックって言ってたし」
小さくもらした言葉を近頃不安倍増中の珀黄は、聞き逃さなかった。
珀黄 「プラ と ニック…!? アウスレーゼ様のお部屋には、他にも
どなたかいらっしゃるのですか?」
ティア「え!? あ、いや…そういう意味じゃなくて」
武闘派の思考回路は似ているらしい。
従兄弟を心配するあまり、アシュレイと同じ発想で、なんだか変な勘違いをしている(ある意味その不安は自体は正しいのだが)珀黄に、どう説明すればいいものか…とティアが躊躇していると…
アー 「ほらな! やっぱり、プラ と ニック って奴がいるんだ!」
『あしゅれい、スゴーイ!』
結局あのあと遊びに興じてしまい、桂花に「プラトニック」の意味を尋ねそこねたふたり(一人と一体?)が、珀黄発言に勝手に確信しているのが目に入る。
ティア 「え? なに? アシュレイのなにがスゴイって!?」
そんなアシュレイとデンゴン君に気をとられかけたティアに、なおも珀黄がすがりつく。
珀黄 「守天様…。こ、江青には、妻も子もいるのです…っ」
ティア「し、知ってるから…。
えーと…ほら、アウスレーゼ様はデンゴン君と同じお部屋だから、
たぶん珀黄が心配するようなことはなにも…、ね?」
珀黄 「わ、私がなにを心配していると…っ!」
『我、寝チャウト ナニ ガ アッテモ、ワカラナイケドー』
珀黄 「ナニ!? ナニ がって…なにかあるんですかっっ!?」
デンゴン君の一言で、珀黄の不安はさらに倍。
桂花 「助けてあげないんですか」
柢王 「うーん…なにをどう助けりゃいいのか。…なぁ?」
他人事のように笑って、いちゃつく二人。
そして、いつもなら↑そんなふたりにすかさず突っ込むアシュレイも、白熱する珀黄の突っ込みの完全なる傍観者となっていた。
アー 「…やっぱ、3人でって意味だったんだな」
『あしゅれい。我ニモ 詳シク教エテッテバ』
アー 「…いや、おまえにはまだ早い。大人になったら自然と分かることだ
から、な?」
『エエー! ソンナノ ヤダ。我モ、あしゅれいト 同ジコト 知リタイノニィィ…』
アー 「……ああもう、おまえってば可愛すぎ!!」
駄々をこねて拗ねるデンゴン君が、今日もアシュレイのツボにハマったらしい。拗ねてじたばたするデンゴン君を、無理やりギューギュー抱きしめる。
『ウワッ、ク、苦シイヨーあしゅれい』
アー 「あははははっ」
ティア「………珀黄。」
珀黄 「は、はい…?」
それまで珀黄をなだめる一方だったティアの、突然の地を這うような低い声に、珀黄、三度(みたび)びびる。
ティア「珀黄。私はさっきから『大丈夫だ』と『心配ない』と、何度も
言ったね。なのに君は私の言葉を信じない。…私の言葉が
信じられないほど、いったいなにを心配しているのか、
私に理解できるように、4000字以内にまとめて明日一番で
提出してくれ。では解散」
珀黄 「守天様……?」
温厚(?)な守天の打って変わった冷え冷えとした口調に、珀黄はやっとのことで我に返り青くなる。
柢王 「おまえのせいじゃないって。…さ、部屋に戻って休め。俺達も
退散すっから」
そうして、柢王、桂花、珀黄と、事務所部屋を後にする。
アー 「んじゃ、俺達も行くかっ」
デンゴン君とともにアシュレイも部屋を出ようとすると。
ティア「アシュレイは残って。話があるから」
『ソシタラ 我モー』
ティア「デンゴン君はいいから。部屋に戻って」
『デモ…今 戻ルト、我、昆虫 ニ ナッチャウカモ…』
アー 「え!? おまえ、虫に変化できるのかっ!?」
『分カンナイケドー。あうすれーぜ ト 江青 ノ トコニ行クト、おじゃまむし ニ ナッチャウンダッテ…。虫 ニナッテモ、マタチャント 我ニ戻レルカナァ…』
アー 「おじゃまむし…」
ティア「デンゴン君。絶対、虫にはならないから、部屋に戻って、江青に、
珀黄が呼んでるよ、って伝えてくれないか」
『オ願イー?』
ティア「お願いだ」
『分カッター。ソシタラ、あしゅれい、マタ明日ー!』
ティア「…………」
アー 「お邪魔虫なんてっ…。子供に変なこと教えたのは、柢王だなっ。
…明日、きっちりシめてやんねーとっ」
ティア「アシュレイ」
アー 「なんだ」
ティア「君は、私とデンゴン君と、どっちが大事?」
アー 「・・・・・・・」
ティア「…呆れてる? 私だってバカみたいだと思うよ。けど、君、
選挙が始まってから絶対私といるよりデンゴン君と遊んでる
ほうが多いし…。私の前で見せつけるし…」
アー 「はーっ!? なんだ、その見せつけるって!!」
ティア「お風呂だって結局一緒に入ってくれなかったし」
アー 「…風呂って。おまえは馬鹿かっ…!!」
ティア「どうせ馬鹿だよ。………私も人形だったらよかった」
アー 「…………」
ティア「そしたら、一日中君と一緒にいられるのに………」
アー 「……でも、俺は人形とエッチはしねーぞっ」
全身真っ赤に染め上げて、最大譲歩でアシュレイが言う。
ティア「…私とは、する? してくれる?」
アー 「ぎゃーーーーーー!! んなこと、マジに訊くなっっ!!」
自分で振ったくせに、相手から言われるとどうにもサブイボが出てしまう、アシュレイだった。
翌朝。
昨夜、江青が無事部屋に戻り胸をなでおろしたのも束の間、守天の静かなる怒りが気になり、徹夜で仕上げたレポートを持って、珀黄は充血した目で臨時執務室の扉の前に立っていた。
そして、いざノックをしようとしたとき、中から扉が開き、当の守天が現れた。
「…お、おはようございます、守天様!」
緊張の面持ちでそういえば、
「おはよう、珀黄。いい朝だね」
いつにも増して肌つやのいい、ご機嫌な様子。
これならいけるかも!(?)と、レポートを差し出そうとすると…
「こんなに素敵な朝は久しぶりだよ。……珀黄、君にも祝福を」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
光の化身が向けたまばゆい微笑と、突然の抱擁が珀黄を襲った。
最近貧血気味だった珀黄は、そのまま一瞬で凍り付いていた……。
「目指すは、パラダイス――!!
(左手腰に、右は突き上げた拳に人差し指を立て、
不敵で妖しい笑みを浮かべた仁王立ちネフィーの写真)
雇用促進を第一に考える、ネフロニカ です。」
「クリーンな天界を、あなたとともに……。
(まなざし落としのドアップ・ティアの写真)
ティアランディア・フェイ・ギ・エメロード」
選管チェックが入ったらしく、思ったより普通のポスターが街中に張られている。たまに剥がされているのは、候補者の熱烈なファンか、それとも危険なアンチか……。
さて。
選挙戦も中盤に入った、ある夜のティアの選挙部屋。
桂花 「あちらの方、昨日の個人演説会では、背中にありえないくらい
大きな羽根を背負ってたらしいですね」
柢王 「北じゃ、そのためにダチョウ2000羽絞めたって話のか?
……馬鹿馬鹿しい」
冗談だろ、そりゃ。と、この事務所部屋へ来しな、廊下で小耳に挟んだ使い女達の立ち話を思い出し、柢王が呟く。
アー 「…に、にせん…って、う、嘘だろ…っ」
だが、動物好きなアシュレイにそんな冗談は通じない。
桂花 「…珀黄殿は、昨日は偵察には?」
珀黄 「一般道や広場とは違い、個人演説会へは、ちょっと……。
ただ、演説会帰りの者に聞いてみたところ、異様に…いえ、非常に
派手だったと。衣装替えも数回あったそうです。確かに、関係者の
会場入りの際、大量の衣装ケースが運び込まれておりました」
柢王 「…演説会で衣装替え?」
いったいどんな演説会だったんだ? と、柢王はもちろん桂花も隣で呆気に取られる。
江青 「そんなことのために2000羽の命を…? 山凍様に限って、
そんな…まさか…っ」
桂花 「ただの噂ですよ。第一この選挙の実施自体、突然決まったもの
だし、ダチョウを絞めて…なんて、そんな時間なかったでしょう。
そもそも2000羽なんて数字、いったいどこから…」
そんな数字が出ること自体、眉唾物だ。
だが、呆れたように呟く桂花とは反対に、江青の顔色は依然冴えなかったし、アシュレイの表情も固いままだ。
珀黄 「こちらも街の噂ですが。
……聖水も手光も、作ってナンボ、人を治してナンボのもの。
ネフィー様当選の暁には、長生きで楽しい老後が待っている。
今の守天様のケチケチした聖水作りや出し惜しみの手光など、
綺麗さっぱりおさらばして、ネフィー様とともにこの天界を
至上のパラダイスに!……という声がありました。
実際、あちらのマニフェストでは、雇用促進以外の目玉として、
聖水はもちろん、特に手光に対する、今の守天様への批判と、
全ての者達が平等に手光を受ける権利を持つ、手光チケット制の
導入が謳われています」
柢王 「雇用促進って、男の使い女とかいう奴だろ?」
珀黄 「はい…」
桂花 「そんな話、前にもありましたねぇ…」
いったい、天界人というのはなにを考えているのやら…と呆れたように桂花が呟く。
江青 「雇用促進だなどと…。選挙の結果如何では、早々にリストラの
危機に直面する可能性が高い『天主塔使い女協会』はもちろん、
『全使い女協会』は、現守天様派だと聞いております!」
柢王 「ティアの奴、使い女に人気あるしな〜」
そう言って笑いながら柢王が、桂花の淹れてくれたお茶を一口飲もうと碗を口に持っていく……と、一滴もない。おや? と思う間もなく、部屋の気温が急上昇しているのを感じた。
アー 「…ざけんなっ!!」
柢王 「アシュレイ?」
(守天の…ティアへの批判だと…っっ!?)
アー 「聖水だって手光だって、そんな簡単にできると思ってんのかっ!?
アイツはいつだって、自分を後回しにして自分にできる以上のことを
やってきた。山ほどの仕事を、朝から晩まで、休む間もなく…っ。
アイツは…ティアはっ、いつもいつも限界まで無理して頑張って、
守天やってきたんだ…っっ!!」
昔から、いろんなことを我慢して、堪えて、それでも天界や人界のために頑張ってきたティア。
(守天としてのティアの苦労を一番わかってるのは俺だ…!!)
そんな思いが、アシュレイの拳を震わせ、その真っ赤な眼をなお赤く潤ませる。
アー 「…そんなことも分からねぇ奴らに、天界を任せられるもんかっ!
ティアだけが、唯一無二の守護主天だっ!!」
悔しくて悔しくて……。
なにより、ちゃんと言葉で伝えられない自分に腹が立つ。
ティアはずっと頑張って守天やってきたのに……。
「……けど、」
それだけのために生きてるわけでもねーんだ……。
アシュレイの力ない呟きが、小さく部屋に響いた。
柢王 「まあまあ…。熱くなるのも分かるけどな、選挙ってのは結局足の
引っ張りあいだ。煽ったり煽られたり、のせたりのせられたりだ。
出所の知れねぇ噂話くらいで、わだかまりを残すんじゃねーぞ。
それとな、死ぬほど暑いんで、もうちょっとばかり涼しくしてくれ」
アー 「……てめぇっ!」
いつもは頼りになる柢王の冷静さに、今は憎しみさえ感じる。
「柢王殿の言うとおりだな」
アー 「アウスレーゼ…!」
いきなり現れたアウスレーゼに、アシュレイや柢王・桂花と違い、やはりなかなか慣れない珀黄は一瞬びびったが、それ以上に何度遭遇しても慣れない従兄弟の江青の腰を抜かし椅子からずり落ちんばかりの驚きように、珀黄はすばやく反応し、従兄弟の腕を掴み引き寄せる。
アウ 「…………」
珀黄 「え…? わ、私ですか? 私が、なな、なにかっ…!?」
突然現れた美貌の選管委員に無言でじーっと見つめられ(←ちょっと違う)、珀黄は再び、びびった。
『あうすれーぜ、残念ー?』
アウ 「いや…まあな。…ふ。それにしても、デンゴン君は人の表情をよく
読む子だな」
苦笑交じりにそう言って、用件を口にした。
「アシュレイ。選挙は、そなた達だけのものではない。たとえば今ここに候補者である守天殿がいるとする。その守天殿の周りには、守天殿を応援するそなた達がいる。そしてまたその周りには、守天殿を支持する無数の者達がいる。そなた達が知っている者もいれば、名前も顔も知らない者もいる。ただひとつ、守天殿を当選させたいと願う心だけで繋がる者達だ。だがその一心で、もしかしたら、あちらの新人候補や北に不利な行いをする者がおるやもしれぬ。ありもしない情報を流してあちらの妨害を考える者がおるやもしれぬ」
アー 「そんな奴いるもんかっ!!」
アウ 「たとえばの話だ」
アー 「…くそっ」
アウ 「同じようなことが、あちらでも起きていたりしてな」
アー 「まさかっ…」
アウ 「可能性の話だ。だがもしあったとしても、北の山凍殿は、
それでそなたや守天殿に不審を感じるような男なのか?」
江青 「いいえ! いいえっ、山凍様は、北の毘沙王様は、決して
そのような器の小さな方では…っっ!!」
江青の必死な声に、アウスレーゼはそっと微苦笑を浮かべた。
アー 「わかった。俺が浅慮だった。…山凍は、そんなことする奴じゃねぇ。
ダチョウだって…」
あの孔明があれほど信頼している北の王なのだ。
たかが装飾のために、そんな非道なことをするはずがない。
というか、アシュレイは忘れているようだが、ダチョウは北にはいない。南と東の境界辺りの草原に生息しているため、北だけの意向でどうこうできる鳥ではなかったりする。
柢王 (ちょっと考えりゃ分かることだっつーの…。/笑)
アウ 「うむ。この天界を争わせるための選挙ではないのだ」
アー 「……ん」
アシュレイの意気消沈ぶりに比例して、部屋の気温が下がり始めた。
皆がホッ…と安堵の息をついた、そのとき。
『………あしゅれい?』
(ドウシタノ…?)
アウスレーゼに対して力なく頷くアシュレイに、デンゴン君は考えた。
結果――――。
――――――― ビィィィィィ……ッッ!!
アウ 「どわっ…!! デ、デンゴン君っっ!?」
デンゴン君の銀の双眸が光ったと思った瞬間、アウスレーゼ目掛け一直線に眼光ビームが発射された。
『あうすれーぜ、あしゅれいノコト、イジメルナ!』
アウ 「こっこれは、いじめたのではないぞ…こらっ…!
や、やめなさいって」
アー 「…スゲーっっ!!」
ビーム連射のデンゴン君と、不思議な踊りを踊っているかのように飛び跳ねるアウスレーゼを見つめるアシュレイの目は、きらきら輝いていた。
アー 「おまえ、すげぇなっ!!!」
アシュレイの弾んだ声で、デンゴン君のビームが止まった。
『……我、スゴイ?』
エヘ♪ という照れ笑いが聴こえてきそうな人形に、駆け寄り感動しているのはアシュレイだけで、他は全員、ひいている…。
江青 「アウスレーゼ様っ…大丈夫ですかっ…!!」
アウ 「…あ、ああ。すまぬ、江青」
江青 「いえ、いいえ! いつも私のほうが…」
アウ 「悪いが、少々めまいがするので、部屋まで送ってはくれぬか」
江青 「お部屋…へ?」
アウ 「ああ、頼む」
江青 「は、はい…」
――――グッジョブ、デンゴン君!!
桂花 「…柢王、」
柢王 「ああ……」
アウスレーゼの声なき声が聴こえた気がして、ふたりは思わず声をかけあった。
Powered by T-Note Ver.3.21 |