妙刻
薬草を取りに行く為、天主塔の庭を通りかかった桂花は人の足が植え込みからはみ出しているのに目をとめる。
「・・・?」
すんなりと伸びた足がピクリと動き、上半身がそこから脱け出すと不機嫌な赤い瞳が自分の存在に気づいた。
「どこ行くんだよ」
「・・・・・・薬草を取りに」
鋭い赤い目がウソは許さないとまっすぐ見つめてくる。
自分が柢王を追って魔風窟へ行こうとしていると、まだ思っているのかもしれない。
今までこんな風に話かけてくることなんて無かったことだ。
気味が悪い。
しかし・・・・・・どうやら最近この王子は、自分に対してほんの少しだけ気を使ってくれているらしいのだ。
先日、桂花一人で家に荷物を取りに行った時。
「君の身を案じてアシュレイはこっそりついて行ってたんだよ」と主天が言っていた。
実際、アシュレイがいてくれたおかげで東の連中に捕まらずに済んだ。
そんな事とは知らなかった為、彼とやりあった時に怪我を負わせてしまった。わざと挑発してきたあの態度が、実は気づかいの表現だったのか・・・と、その不器用さには失笑してしまったほどだ。
あれほど魔族は大嫌いだと吼えていた彼だから、未だ信じ難いが。
「・・・・見ろよ」
彼は胸に抱いたリスの足を指差した。
「血が・・・・・」
「こいつ他の奴らにすぐいじめられるんだ。あそこでエサ食ってる・・・あいつがリーダー格で、意地きたねーんだ。エサも独り占めしようとしやがる」
「――――――リスの・・・区別がつくのか? 全部?」
「当たり前だろ」
「・・・・・・」
当たり前なのだろうか。
ここにはアシュレイが保護したリスが数匹いるが、どれがどれだか桂花にはさっぱりだ。
「それで? 主天殿に頼みに――――」
「この程度のケガで頼むかよ」
確かにそうだ。この程度なら桂花の薬でもすぐに癒せるだろう。
「・・・・何故この子だけ苛められるんだろう」
桂花は痛々しいリスの姿を見ながら疑問を口にした。
「・・・・体が小さいからな」
ボソッと呟いて、アシュレイはリスの背を撫でている。
リスは嫌がることなく撫でられながらウトウトと安心しきっていた。
「見かけってのは―――――そんなに大事なもンなのか?」
この南国の王子の頭には、天界人には付いていないはずの角がある。
いくらケンカをしてもいいが、その事にだけは触れないでやってくれと柢王に言われ、そんな約束はしない! と突っぱねはしたものの、一度だって指摘したことは無かった。
『ずいぶん魔族を嫌うが、自分の頭のそれはなんだ』
喉まで出かかったこともある。
言わなかったのは柢王に頼まれたからではない。冠帽までかぶって必死に隠している彼にそれを言うのは卑怯な気がしてプライドが許さなかったのだ。
そういう点はアシュレイとよく似ていた。
「俺は・・・性根と心意気がよけりゃあ外見なんて関係ねーっていつも思ってる」
どうしたのだろう? 今日はやけに饒舌だ。
「吾は・・・醜いよりは美麗の方が良い」
「ふぅん」
それ以上会話が続かない。
ここまでだ、と桂花が踵を返すと、またもやボソっとアシュレイがつぶやいた。
「――――――――柢王、上手くやってっかな」
ドキンと胸が波打つ。
「お前のその髪、あいつなんて言うだろうな」
「・・・・・」
「まだ行きたいと思うか」
「・・・・・・・・待つと・・・・決めた」
「そうか」
「―――――――それでも・・・・・・、この状況は辛い。いずれ失うものならば始めから与えられずにいた方がどんなに楽か・・・真の幸せというものを知ってしまってからそれを失うのはこの身を裂かれるより辛い」
「失うって・・・・・・・失ったわけじゃないだろ」
「分かっている・・・・頭では分かっていても、心が受けとめきれない時もある」
アシュレイは苦しそうにうつむく魔族の言う事に共感できる。
自分だってティアランディアとのすれ違いの日々、そうだったのだ。
しかし、武将として、恋人として柢王の選んだ道もまたよく分かるのだ。
置いていった恋人がここまで嘆くのを想像できなかったわけではないはずだ。
けれど。置き去りにされた悲しみを目の当たりにして、一体自分に何が言えよう。
「もしこのまま・・・・あの人が帰ってこなかったら、吾はどうすればいいんだ。それでもここで待ち続けるしかないのか」
言いながら桂花は妙だと思っていた。
何故今日に限ってこんなことを、しかもアシュレイなどに言っているのだろう。
いつだって弱みを見せたくない相手だったはずなのに・・・・・・。
アシュレイは気丈な態度で日々を送る桂花の本音がこれなのだと、痛感していた。
それでも、自分達に恋人を託して行った幼馴染のために言わなくてはならない。
「・・・・・柢王を信じてるんだろ? 信じてやれよ。アイツだってお前が待っててくれるって信じて行ったんだ。アイツは帰ってくる、共生をやり遂げて必ずお前の所に帰って来るから!」
――――先日主天に、どんな時でも桂花を選んできた柢王を信じろと言われた。
嬉しかった。
『お前の所に帰ってくる』
今も同じくらい嬉しい。
桂花は荷物を下ろして数種類ある薬用ケースの一つを取り出し、もう一つ、畳紙に包まれたものを揃えて差し出した。
「なんだよ」
「・・・・これはリスの足に。これは・・・・のどの痛みに効く」
「・・・・・・分かるのか?」
「当たり前です」
「・・・・・・」
当たり前なのだろうか。
自分でも喉が痛痒い気がしていたが声はいつもと変わらないと思う。
「毒薬じゃねーだろうな」
アシュレイがニッと笑った
「・・・さぁ、どうでしょう」
うすい笑みを返し、桂花は今度こそ門へ向けて歩き出す。
背を向けた互いの心に、羽毛のようなふわりとしたものが残った、不思議なひと時だった。