投稿(妄想)小説の部屋

ここは、みなさんからの投稿小説を紹介するページです。
投稿はこちらのページから。 感想は、投稿小説専用の掲示板へお願いします。

No.607 (2005/11/25 00:07) 投稿者:碧玉

Another Story

 桂花は今夜も場末の店に足を向けていた。
『また、明日な』
 微笑む柢王の表情、言葉が繰り返し桂花の頭に甦る。
 もう行かない・・・と決めたのに・・・。
 毎夜それは繰り返される。

 出会いは一月前。
 古びた繁華街の裏のまた裏にある小さな飲み屋。
 初老の男が切り盛りしているその店には、数種類の酒しかない。
 ロック、水割り、ソーダ割り程度には応じるが、それ以外が飲みたきゃ他の店に行けという偏屈さ。
 だから常に5〜6人の客層だった。
 まあ、客席もカウンター席が7つ、二人掛けテーブルが2つの狭さだが。
 桂花は決まって、際奥のカウンター席にいた。
 いつもの通り、グラスの氷をかじりながら水割りを飲んでいる。
 カランカラン・・・と扉に下げてあるベルが客の到来を告げた。
 だが、そんな音に目をやる者はいない。客はもちろん、マスターすらである。
 此処はそういう場所だ。

 柢王は入ってくるなり桂花から三つ空いた席に腰を下ろした。
 そしてウィスキーを頼むと、立て続けにストレートで数杯あおる。
 桂花は目に映った、その光景をただ、ただ見つめていた。
 その日以来、彼は毎夜店に現れるようになった。
 日を重ねるうち桂花との空席が、二つになり、一つになり、いつの間にか隣に座るようになっていた。
「こおり・・・好きなのか?」
 初めての言葉がこれだった。
 いつも合わせなかった視線を、バッチリ桂花に注いで、柢王は言った。
「え!? ええ。ストレートですか?この店の氷と水は最高なんですよ」
「へぇぇ・・・・」
 カリカリ・・・と氷を口に含んでは割って食べている桂花を、柢王は楽しそうに見ていた。
 互いの名を知ったのは、随分経ってからだった。
「ところで、あんた名は?」
「・・・ケイカ」
「どんな字だ?」
「桂の花」
「桂花、桂花・・・か。いい名だな」
 柢王は口の中で何度か噛み締めるように呟き、人懐っこい顔で笑った。
 今迄に桂花の名を聞いたものは限りなかったが、それを相手にし、尚且つ素直に答えている自分を奇妙に思った。こんな場所で名乗る名など偽りに決まっている。きっと彼もそう思ってるだろう・・・自分に言い訳をし、桂花はちょっとホッとした。
「・・・聞かないのか?」
「は????」
「・・・だからっ!! 俺の名は聞かねーのかっ?って言ってんだ」
「・・・クッ、ククク・・・。聞いて欲しいんですか?」
 桂花は吹き出した。
 柢王は怒って・・・いや、拗ねたような顔で桂花を睨みつける。
「聞いて欲しいんじゃねぇ、呼んで欲しいんだよ、桂花に」
 思ってもみない言葉に、桂花の笑みはサッと消え失せた。
 そういえば、彼は桂花の名を知ってから『おまえ』や『あんた』とは一度も呼ばない。低く、暖かい声で『桂花』と呼ぶ。そして、それを聞くたび、自分の名が極上に思え桂花は自然と微笑む。
 目ざとい柢王がそれに気がづかぬワケもなく、桂花の名は尚更呼ばれ続ける。
 柢王と毎夜会うようになり、桂花は胸に宿った心地良い暖かさに戸惑いながら、養い親が絶えず否定していた『絶対』の存在を考えるようになっていた。

「おっと!!」
 差し出された柢王の左手に、桂花は息を呑む。
 ふらついた桂花を支えた、柢王の大きな左手中指には一つの指輪がはまっていた。
 元帥の証。それは権力とは無縁の桂花ですら知っているものだ。
 ―――――王の三男が十二元帥の一人に選ばれた・・・それも最年少で―――――
 数ヶ月前に国全土で流れた大ニュースを思い出す。
 桂花の心は急速に凍りついてゆく。
 吾がふらつかなければ・・・柢王が手を差し伸べなければ・・・。
 事実に目を逸らし、気づかない振りをする。けれど、すればするほど柢王の中指が目に付く。
「吾は馬鹿だ・・・あれほど聞かされていたのに」
 やはり、聡明な養い親、李々の言うことは本当だった。
 もう、会うのは止そう。あの人とは住む世界が違いすぎる。何処で生まれたのか、親の顔すら知らない自分とは余りにも遠い存在だ。
 そう己に言い聞かせるものの、夜になると店の扉に手をかけている。
 手をかければ誘惑には勝てず。
 柢王に会えば、魅かれ、離れがたくなる。
 自ら終わらせなきゃ終わらない関係。
 苦悶する毎日。
「李々、助けてーっ」
「だから言ったでしょ。『絶対』なんてないものだって・・・あっても、それは幻なのよ」
 泣き寝入る桂花の夢で、彼女は繰り返す。

 次の日、桂花はまだ日の高いうちに起きだした。
 夜になる前に、その前に。
 この一月は休暇だった。
 だが、それも終わりだ。金も底がついた。
 新たな土地に着いたら、今度は働いてみようか。
 今まで常だった愛人稼ぎを続ける気は失せていた。
 桂花は大きく深呼吸した。そして、ボストンバックひとつを担ぐと久しぶりの昼間の外気の中、歩き出した。
「・・・柢王!!」
いくつめかの角を曲がった処に、柢王は立っていた。
「ナイスタイミングだな」
「な、なにしてるんですか」
「何って、桂花を待ってたんだ。何処に行くんだ?」
「・・・・」
「ちょうどいい。俺も行く・・ってか高飛びの誘いにきたんだ」
「高飛びって・・・あなた王子でしょ」
「勘当、勘当。もともと三男だから誰も俺のことなんか当てにしちゃいないさ。だから、俺は俺の生きる道を見つける。桂花と一緒に」
 見つめたら今度こそ離れられなくなりそうで、桂花は俯いたまま、柢王とは目を合わせられずにいる。
 そんな桂花を見ながら、やれやれと頭を掻き、柢王は明るく言った。
「ほら、見ろよ。もうないだろっ」
 俯く桂花に左手をひらひらと降って見せる。
 声を聞いただけで気持ちが砕け、桂花の目元が潤む。だがボヤけて見えた柢王の左手には、何もはまっていなかった。
「・・・そんな・・・」
「それより、早くずらかろうぜ」
「ずらかる・・・って」
「追ってくるぜ、兄貴達。ま、兄貴はともかく親父に捕まったら〜〜」
「今ならまだ、早く戻ってください!!」
「バーカ!!捕まって困るのは桂花、おまえの方さ。親父に捕まってみろ、その美貌で即愛人だ」
「・・・・」
「行こうぜ」
 柢王は桂花からボストンバックを奪うと肩に掛け、細い手首をつかんだ。
「これだけか?少ねーな」
「あなたこそ、手ぶらじゃないですか」
「手ぶらじゃないさ」
 柢王はつかんだ細い手首に力を込める。
 俯いた桂花の頬が赤く染まる。
「さてと、何処へ行くか?北か南か?・・・そうだ、西にしよう」
 西、西と唄いながら、柢王は桂花の手を引き歩き出す。
「なぜ西なんですか?」
「それゃ、西は水の国だからさ。水か美味けりゃ、氷も美味いさ。好きだろ?氷」
 一瞬の間のあと、桂花は笑った。
 柢王をも骨抜きにする艶やかな笑みで。
 地面に吸い込まれたよう、柢王は棒立ちとなる。
 桂花はつかまれた手をはずすと、改めて繋ぎなおす。
 離れないよう、しっかりと指をからませて。


この投稿者の作品をもっと読む | 投稿小説目次TOPに戻る