薤露(かいろ)下
「絶対にここから出ないで下さいね?! その代わりに吾がウーオイの店に行って偲火のことをきちんと調べてきますから!」
今にも飛び出していきそうなティアに何度も釘をさしてから夢竜に変化した桂花は、ウーオイの店へと出かけて行き、その間、身動きのとれないティアは遠見鏡でアシュレイの姿を探していた。
偲火の使用法がわかった時点で、おおよその検討がついていたティアは赤い髪を見つけ出すのにそう時間はかからない。
遠見鏡の中の、炎のスクリーン。これを最後まで見てしまったら廃人になってしまうのだろうか?打ち寄せる不安を払いながらティアも偲火の映し出す映像に見入っていた。
しかし、一つ目の想い出が終わった時居ても立ってもいられなくなり、天主塔を抜け出してしまう。
「アシュレイ・・・無事でいて」
彼が廃人になってしまうなんて考えられない。生きてさえ居てくれればいいと、いつも思っていた。けれど、あの笑顔が・・・・自分を幸せにしてくれるあの笑顔が見られなくなるなんて耐えられない。
あたりが随分と暗くなり始めている。白い鳥に変化したティアは心中で柢王と桂花に謝り、彼のもとへと急いだ。
やっと小さな赤い点が見えてきたとき、既に偲火は消えていた。シンと静まり返った空間で、一本杉のように立ったままのアシュレイに向かって急降下する。
「――――――――アシュレイ?」
恐る恐る声をかけても、アシュレイは微動だにしない。
「アシュレイッ!?」
怖くなって飛びつくと機嫌の悪そうな声が耳に入った。
「・・・・なんだよ・・・・お前、こんな所で何してんだ」
いくら機嫌が悪くても廃人に発せない言葉だ。ティアは心底ホッとして膝をついてしまう。
「・・・・・無事でよかった」
「なに言ってんだ?」
「アシュレイ・・・・目、赤いね」
「・・・ンな事っ! 俺の目はいつだって赤い!」
「うん・・・・いつだって赤くて綺麗。ねぇ、アシュレイ私ではダメ? 私が傍にいるだけでは寂しい?」
「―――――――――見てたのか」
「うん、ごめんね。帰りが遅かったから・・・・小鳥は埋めてあげた?」
そう訊かれてアシュレイは、あぁそうだった、小鳥を埋めると言って出てきたんだっけ。と思い出した。
「アランに居てもらいたい?」
―――――――――――――そりゃそうに決まってる。けれど解かってる。それが叶わないことくらい。
「アシュレイ、私が何故こんなに慌ててきたか分かる?偲火はね、使用者を廃人にしてしまうって噂があるんだって。でも実際は大丈夫そうだね」
ティアの右手がアシュレイの頬に残る涙の跡をそっと撫でる。
「確かにそうかもな・・・想い出に浸りすぎて溺れたら、それは廃人と変わらないかもしれない。ティア、俺はアランを忘れない・・・でもいつまでもその事に囚われて前に進めないのは愚かだと思う。俺は偲火を手に入れたいと思った時点であいつに関しては足踏み状態だったんだ。あいつが存在した証として今の俺が生かされているなら、俺は成長している所を見せなきゃならない。でないとアイツ心配でたまんねーだろうからな。」
「なんだか妬けるね」
「妬ける?」
「そう、妬けちゃうよ。ね、アシュレイ、私のためにも生きててくれ。君に何かあるたびに寿命が縮む思いだよ」
「アホか、ホラ帰るぞ。入れ」
アシュレイが珍しく自ら胸元を開く。
いいの?! と大喜びで飛び上がったティアは、その胸元に釘づけになった。
「・・・・なに?これ」
「あ?」
つられて自分の胸元を見ると、そこに白い玉が浮いている。
それは『夜の虹』とかいう失敗作である、あの白い玉だった。
「あのジジイ、いつの間に!」
「見せて」
「あ! 触んなっ!」
悲鳴じみた声をあげアシュレイは乱暴にティアの手を払いのけた。
「あぶねーんだよ! これは! パカッと割れたら最後、煙が・・・・・」
「・・・・・出てるね」
「うわっ、ティア! 息とめろ!」
言いながらティアの鼻と口を両手で抑えつけ、自分も息を止める。
モゴモゴと訴えてくるティアの指差した方を振りかえると、そこにはキラキラと輝く虹が出ていた。
「あ・・」
虹というよりもアーチと言った方がいいくらいのもので、高さも地上ざっと3メートルくらいか。手を伸ばせば簡単に届きそうな感じだった。
貴婦人の夜会用ドレスについているスパンコールのような煌びやかさがあり、虹そのものが発光しているようだ。
「凄い・・・・綺麗だね、どこで手に入れたの?」
「・・・・・ウーオイの店。でも、俺は知らない、買ってないのにいつの間にか・・・」
「気に入られちゃったのかな?」
「知らねーよっ!」
カッとして怒鳴ったアシュレイをふわりと抱きしめて、ティアは虹の近くまで浮かんだ。
「手で触れそうだね」
ティアが唆したのでアシュレイはそっと手を伸ばし、虹に触れてみた。
「あ!」
「ごめん、余計なこと言っちゃった」
シャラシャラ、とガラスの砂がこぼれ落ちるような音をたてて、アシュレイが触れた所の虹が、くずれてしまう。
「下りようぜ」
虹はやっぱり下から見上げるもんだ、とアシュレイはティアを引っぱって地面に降り立つ。
5分ほど経ちだんだん虹の輪郭がぼやけ始め、瞬く間に光の粒が小さくなり消えてしまった。完全に消えたと思ったら、今度は青光りした文字が浮かび始める。
「なんだ?」
文字を追っていくと・・・・・
『南方王子、アシュレイ殿。偲火と夜の虹は如何でしたかね?気に入っていただけたなら是非ともご親友である柢王殿に勧めて下さらんかね。更に守護主天殿にもお勧め頂けたら、うちは天主塔御用達店の仲間入り! という事で大繁盛間違いなしだがね! くれぐれもよろしくだがね!』
「・・・・・・・」
図々しくも生き生きとしたウーオイのメッセージにアシュレイの隣でティアが苦笑している。それにしても、あの短時間でこんな仕込をするなんて、とても信じ難い。
種を明かせと迫ったところで「死んでも言わないがね!」という応えしか返ってこないのは明白だ。
「あンのクソジジイ〜〜大した野望を持ってんじゃねーかっ!――――待てよ、アイツ俺が南の王子だって知っててあの態度だったのかっ?!」
ギリギリと歯を噛みしめるアシュレイをなだめながらティアは早々と小さくなって彼の胸元へ入り込んだ。これから天主塔へ戻れば、氷のように冷ややかな瞳で自分を見つめる桂花が待っているだろう。
(怒ってるだろうなぁ・・・・柢王、来てくれてるといいけど)
恋人の温かい胸元で、小さなティアは小さな溜息をついた。
「全く。何のための約束だよ?」
「だからごめん・・・」
殊勝な態度で頭を下げ続けるティアに柢王と桂花の視線は一向にやわらぐ気配が無かった。
「本っ当〜に、自覚しろって。お前の代わりはいないんだぞ?」
「アシュレイの代わりだっていないよ」
ボソッと呟いたティアに、桂花のするどい突っ込みが入る。
「そういうのを口が減らないというのです」
容赦ない美貌の魔族に叱られ、ますますティアは小さくなった。
柢王がいてくれて、少しは助かると思ったのは大間違いで、二人から責められてしまい、ティアの思惑は大きく外れた。
ついでに、アシュレイと帰った時、桂花とアシュレイがいつもの口論となれば、うやむやに出来るかも・・・・・。という不謹慎な思惑も外れた。
アシュレイは、桂花を見て「結局甘えてんのか」と不機嫌な顔をしたけれど、それでもケンカを売ることは無くサッサと帰ってしまったのだ。
叱られながらティアは偲火が映し出していた時の頃を思い返す。
あの頃はアシュレイを突き放す事で心の均衡を保とうと必死だった。
柢王にすらアシュレイとの確執を打ち明けられない日々は本当に辛かった。
だから――――今、こうして友人二人に説教される事でさえ自分にとっては幸なのだ。と自然に口角があがる。
「こら、笑ってんじゃない」
「ちゃんと聞いてますか」
同時に叱責が飛び、ティアは姿勢を正した。幸とはいえ、こう長々と責められたのでは気が滅入ってしまう。二人の機嫌をとって夕食を一緒に食べるためには、このあたりで手をうたなくては。
「今日は本当にすまなかった。お詫びに柢王にはビンテージの聖水を、桂花には――――何がいいかな?」
「吾はなにも要りません。そんな事よりそこの書類の山を何とかしてください、鬱陶しくてたまりません」
「ハハハッ! ティア、観念して仕事しな」
「―――――わかったよ・・・」
最後の思惑もダメになり、ティアはガックリと席に着く。
書類に目を通し始めたティアを確認して、柢王が小声で桂花に囁いた。
「お前、本当は偲火、欲しかったんじゃないか?」
「・・・・・李々は貴方が探してくれるんじゃなかったですか?」
「そっか・・・そうだったな、李々は生きてるんだもんな、悪い」
頭をかきながら桂花の腰に手をまわすと、ティアがわざとらしく咳払いをした。
「お、ティア、しっかりやれよ。俺たち用事を思い出したから失礼するぜ。ビンテージ、今度来た時な」
「一体何の用事だか」
「なんか言ったかぁ?」
東国のお二人は非常に耳がよろしいようで。
「いや、なにも。気をつけて」
ティアは書類の束を振って見送る。
「はぁ・・・・・アシュレイは帰っちゃうし、怒られまくるし、大変な一日だったけど・・・・泣いちゃうアシュレイもやっぱり可愛かったなぁ」
仕方がないので自分の妄想になぐさめてもらう、ちょっぴり惨めなティアだった。
その後、ウーオイの店が天主塔御用達の店になることは、残念ながら(?)なかったようである。