梅雨の季節
思いと、想い
例え意味が違っていても
かけがえの無いものに違いは無いはず…
「嘆かわしい…」
グラインダースはわざとらしい位オーバーによろめいて額を押さえた。
「…姉上」
「南領の武将が夏風邪とは…っ」
「…。」
「夏風邪は馬鹿しか引かないと言うのに…」
「…何ですかソレ」
ぐったりとしたままアシュレイは姉を見上げた。
「下界のある島国の言い伝えよ。」
よく下界に下りるのに知らないの? そう言ってアシュレイの寝台に腰掛けた。
「…本当に…情けない」
熱に軋む体を起こしアシュレイは自嘲気に唇を歪めた。グラインダースはそんな弟の姿を見て眉を顰めた。そもそも彼女は何も、床に伏した弟を笑いに来た訳ではない。このアシュレイの熱の上昇のせいで近隣の火山が噴火し続け、大きな被害が出ており、父王に何とかしてきて欲しいと懇願されていたのだ。しかしそれだけではなくなにより、めったに風邪など引かぬ彼がここまで思いつめることが何なのか、姉として保護者として心配だったからだ。
「で、」
「え?」
「なにがあったの?」
アシュレイは姉の唐突な問いかけに、ひどく狼狽した。
「何年お前の姉をしていると思って?」
「〜っ」
「観念なさい」
額に軽くデコピン喰らいアシュレイは観念した。一呼吸おいてアシュレイは口を開いた。
「…姉上は、自分を認めさせたいと思っている者に、庇護すべきものとして見られたら、どう思う?」
「そうね…腹が立つでしょうね、それから悲しくなるわね。自分を信用してくれてないのかって」
「…どう言ったら分かってもらえるのか分からなくて…」
「その人に言ってみたことあるの? 決断は必要よ。」
風邪のせいもあるのだろうが、いつに無く気弱な姿にグラインダースは違和感をおぼえ、思わず聞いてしまった。アシュレイの顔が陰った。どうしてそんなことを聞けるだろう。アシュレイが自分でさえ掴みきれていない気持ちをティアに言えるはずも無い。言って傷つけてしまうかもしれないと思うと、余計に言えない。
「一体どんな娘がお前をそこまで悩ませているの?」
「え?」
アシュレイは見当違いのことを言われ、心底驚きグラインダースを見上げた。彼女はからかうようにニヤニヤと笑った。
「…姉上」
「ん?」
「熱が上がってきました。しばらく寝かせてください。」
「熱のときは心細いでしょう? 昔のように添い寝してあげようか?」
「…使い女達が見たら、また肩書きが増えますよ…」
「なんのことかしら? まあ、ゆっくり頭を冷やしなさい。おやすみ」
グラインダースはひらひらと手を振って出て行った。アシュレイはふと彼女が来る前よりずっと心が軽くなっていることに気がついた。やたらふざけたふりをして、人の気も知らないで…と恨みがましくも思ったが、あれはわざとだったのだ。昔からこう、さり気なくアシュレイの気持ちをほぐしてくれていた。やはり、姉はすごいと再び思い直した。彼は他に類を見ないおねえちゃん子でもあった。しかし、彼女はああ言ったがどうしたらいいのか。
「…ティア」
何をどう伝えればいいのか、アシュレイには分からなかった。ティアは自分を好きだと言った。アシュレイ自身も友人として好きだったから、元に戻れたのだとはじめは嬉しかった。けれど彼は違うようだった。自分を女のように守りたがった。自分は彼と対等の位置に立って居たいから、だからこそ天界一の武将になろうとしているのに、なぜそれを阻むのか。守られたいわけじゃない、守りたいのだ。昔彼と約束したから。それ故に自分の思いと彼の想いが違うことを言って傷つけたくなかった。好きの種類が違っても大事な友人だから。
「アシュレイ…っ!」
「すみませんっっ…お止めしたのですが…」
ものすごい形相ティアと、その後ろから困りきった様子の使い女が顔を出した。誰も通すなと命じられていたからだ。
「…ティ、ア?」
熱のせいか、なんだか現実感が無くて、夢の中にいるような気がしていた。
「どうして…こんなになってるのに私を呼んでくれなかったんだっ」
ティアは本気で怒っているようだった。昔、柢王と(子供にしては)無謀な冒険をして、大怪我をして帰ってきたときのようだった。
「君が苦しんだり、悲しんだり、悩んだりするのをただ見ているだけは嫌なんだ。ちゃんと言って欲しい。君の事を守りたいんだ。君を苦しめる全てから…なのに君はっ」
勘違いしている。アシュレイが体を起こそうとするとティアは彼の胸を押して起こさせまいとした。完全に怒っていた。
「…俺は、女じゃない」
「何、それ」
「だから…ティアの世話は、いらない」
「アシュレイっ」
アシュレイはふわふわとする意識をどうにか保ってティアを見上げた。不思議と頭は冷静だった。
「私は必要ないってこと?」
不意にティアがひどく傷ついた顔をした。一瞬アシュレイは、後悔した。やはり傷つけたのかと。しかし、いつまでも誤魔化せはしない。分かって欲しいなら話さなければ、決断をしなければいつまでも互いに苦しまなければならない。
思いの種類は違っても大事なことに変わりないことを言わなければ。
「ち、がう」
「ごめん…君は病気だっていうのに感情的になってた。」
「…ティア」
ティアは顔を背けてアシュレイに手光をあて始めた。
「…ティアがいらないんじゃない。ただ認めて欲しいんだ」
「認めてるよ、君は強い武将だ。勇敢だし、思いやりもあって、」
「そうだ。俺は自分の身ぐらい、自分で守れる。」
一瞬ティアはアシュレイの眼差しにドキリとした。強い、強い炎のような武将の戦う者の眼差し。およそ庇護を受ける者の眼ではなかった。そう、アシュレイは誰からの庇護も受けるような者ではなかった。自分で考え自分で決めるそういう男だった。
「立場も、地位も及ばないのは分かってる。けど、お前俺が好きだって言ったけど、俺は女じゃないし守られたくなんかない、対等がいい。お前の好きが、女を守るみたいなそういう好きなら、応えられない。」
しばらく沈黙が続き、気まずい空気が流れた。
「…わかった。君が大切だから、どうしても無意識にやっちゃうんだけど…気をつけるよ。君に嫌われたくはないから。」
「…ティア、きっとまだ、気持ちの意味は違うと思う。けど、お前が大事なのには変わり無いから」
「うん。今はそれで十分だよ。話せて良かったよ」
少し寂しげな顔をしたものの、飛び込んできた時とは比べ物にならないようなすっきりとした顔をしていた。
「お帰り」
「お帰りなさい」
「ただいま、柢王、桂花」
天主塔に戻ると二人は微笑んで出迎えた。ティアの表情が明るく上手くいっただろうことが伺えたためだった。外はすっかり晴れていた。
「で、どおよ」
「どうって…」
「もう、大丈夫なのかって聞いてんだよっうれしそーな顔しやがって!」
「うん、もう平気。ありがとう」
柢王はそうか、とつぶやくと満足そうに笑った。桂花も微かに口端をあげた。
「だってよ、桂花」
「そうですね。帰りましょうか」
桂花はにっこりと笑うとティアの机の上にどーんと書類の山を置いた。
「え?」
「サボっていた分の仕事です。南の方のことも片付いたようですし」
「心置きなく仕事に専念できんだろ?」
「残って、くれない、の…?」
「自業自得です」
「がんばれ〜ティア! 人生楽ありゃ苦もある」
柢王はひらひらと手を振ると桂花を抱き寄せ笑いながら出て行った。
「…片付くかなコレ」
判を押せばよいだけの仕事のようだが、量が果てしない。じわりと眼元が湿る。いつもなら、感謝する種類別に綺麗に重ねられた書類の山が今は眼に痛い。厳しいところは厳しい、本当によくできた友人達だ。
「また…当分会えそうにない…」
ティアは南領の方向を見つめ、涙ぐんだ。
「アシュレ〜イっっっ!!」
ティアが天主塔を脱走する日は近いかもしれない。
END