投稿(妄想)小説の部屋

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No.560 (2005/06/18 00:15) 投稿者:モリヤマ

ドリーム・ラッシュ

(3年前に掲示板で書いたものを直したものです)

「慎吾!」
 兄の制止を振り切って、慎吾はレッスン場を飛び出しました。

 関係者以外立入禁止の夜の歌劇団のレッスン場に、まだ中学生の慎吾がわざわざやって来たのは、兄である貴奨に自分の進路についての相談をするためでした。
 相談と言っても、すでに慎吾の心は決まっていたのですが――。

  …はじめて貴奨の舞台を見たときから思ってた。
  貴奨と同じとこに立ちたいって。
  絶対貴奨と一緒に輝いてみせるんだって。
  ずっとずっと思ってたんだ。
  なのに――。
  『おまえには無理だ。そんなことよりも、まず中学を無事卒業することを考えろ』
  確かに成績はそんなによくないけど…、でもっ…。
  自分のやりたい道を進めって、俺が悩んでたときそう言ってくれたのは貴奨じゃないか。
  貴奨だから話したのに。
  貴奨ならわかったくれると思ったのに…。
  喜んでくれると思ったのに…!!

 こぼれそうになる涙をこらえながら、ただその場から一刻も早く、少しでも遠くに立ち去ることしか、そのときの慎吾の頭にはありませんでした。

「っぶねぇーなっ!」
 そんな暴走慎吾が、誰にも迷惑をかけずに敷地から出られるわけもなく…。
 案の定、門の手前でひとりの男とぶつかりそうになりました。
 ところがその男、照明灯の薄明かりの下、突然目の前に現れた暴走者を持ち前の反射神経でなんなくかわすと、舌打ちしつつも余裕でもって今度は態勢を崩した慎吾の腕を捕らえ、そのまだ華奢な身体を引き寄せると、地面との顔面衝突から救ってくれたのです。

「おらおら、『ごめんなさい』と『ありがとーございました』は!? ここはなー、そういう礼儀にゃ厳しいとこだって知ってんだろが。ああっ!?」
「…っ、ごっ、ごめっ…な…っ…」
 至近距離でいきなり怒鳴られて、極限状態だった慎吾の涙腺は壊れました。
「…ぃっ……、…ぇっ…」
 驚いたのは男のほうです。
 なんてったって、慎吾の泣き顔と言ったらもう………。(「絶品だ」by:貴奨)
「なっ…なんだよ、おいっ。俺ゃー、そんなキツイこた言ってねーぞっ。ただ当たり前のことをだなー…って、ほらっ、泣くなっ!…なっ?なっっ?」
 それでも泣き止まない慎吾に、いつもなら百戦錬磨の男も慌てます。
 そして困惑の挙句、心底不承不承といった様子で、
「…おら、よーく見てな。こりゃまだ発表前の新作なんだからよ」
 突然軽やかなステップとハミングでもって舞い始めたのです。
 ハミングはいつしか的確にリズムを刻み始め、それは言葉を伴いました。

  誰…?
  なんの歌?
  すごい…、すごい!!

「すげぇだろ。ん?」
 自慢げに、目の前で男が笑いかけてきました。
「ぅわっ…!!」
 すっかり男の演技に見入って心を飛ばしていた慎吾は、男が近づくのにちっとも気づきませんでした。
「失礼なガキだな、てめぇはよー」
「あっ…ごっ、ごめっ…なさっ…」
 現実に引き戻された慎吾は、それでもまだ目の前の男がたったいま見せてくれた夢のような世界にドキドキです。
「まあ落ち着けって。…んー。とりあえず泣き止んだみてぇだなっ」
 そう言って笑った男の顔が、目がなくなって人懐っこく見えたその顔が、なんだかすごく好きだなと思った瞬間、落ち着くどころかますます鼓動は早まります。
「あっ、あっ、あのっ」
「いーから、いーからっ。てめぇみてぇなガキに、俺様もちーっとばかり大人気なかったからよ」
 サービスサービス、んじゃなっ、とその男は着ていた上着を慎吾の頭に放り投げると踵を返しました。
「まっ…待って…」
 その声にも、風邪ひくなよ〜と後ろ向きに左手をひらひらと振るだけで…。
 そして、そんな男の後ろ姿を見送りながら、慎吾はやっと気がついたのです。いつのまにか小雨が降っていたことに。
「だから…?」
 慎吾は頭の上にかけられた上着をそっと胸に抱き込みました。

  ぶつかって、転びそうなとこ助けてもらって、勝手に泣き出した自分を慰めてくれた。
  貴奨の、ライトを浴びた貴奨の力強いダンスや歌は、もちろん凄く素敵だけど。
  あの人…貴奨とは全然違ってて、違うのに…素敵だった。
  凄く素敵で、ドキドキした…。
  …俺のために、俺だけのために踊ってくれたんだよね?
  なのに、お礼も満足に言えなかった。
  凄く素敵で感動したって、言えなかった。
  雲間の月に照らされて、あの人の跳ねた髪とか指先とか…、輪郭がキラキラ光って綺麗だった。
  ……あれは、小雨だったんだ。

 さっきまでの高揚した気分が、急激に冷えて行くのを慎吾は感じました。

  なんにも伝えられなくて、ただ見送ることしかできなかった…。
  こんなの、イヤだ…。
  もっと自分に自信を持ちたい。
  自信のかたまりみたいな、そんなふうに見える、貴奨みたいになりたいと思ってた。
  あんなふうに踊れたら、歌えたら、どんなに気持ちがいいだろうと。
  俺には無理かもしれないけど…。
  でも、貴奨みたいになれたら、きっと自分に自信が持てる。
  頑張って努力して得た自信で、いつかあの舞台に立つ。
  貴奨と同じ舞台に立つんだ。
  そのために、ここに来たいと思ったんだ。
  ここに入りたいって…。
  来年、絶対ここを受験する。
  ここで、俺は変わるんだ。
  変わって、そして――。
  そしたら、いまの人にも会えるかな…。
  会えたら今度こそ「ありがとう」って言うんだ。
  そして。
  そして………。

 腕の中の上着には、まだ彼の暖かさが残っています。
 慎吾の夢への挑戦は、いま本当に始まったのでした。

(副題は「踊る健さん」です)


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