星祭
地底に…。
吾の。吾だけの柢王の元に戻ろうか。
戻ったほうがいいことは分かっている。
分かっている。
だが、会えば離れがたくなるのも…。
だけど。
桂花の眼裏に愛すべく小さな子供が浮かんでは消えていく。
人界に行く時は柢王に後ろ髪引かれる思いを振り切り、戻る時はカイシャンへの気がかりを背負い込む。
「…これが執着か。随分欲張りになったものだ」
苦笑いを浮かべて桂花はつぶやく。
柢王も天主塔に吾を残していく時はこんな気持ちだったのだろうか。
「いや、あなたは違いますね」
今度はあきらめた苦笑でつぶやく。
柢王は切り替えが早かった。
桂花との別れを思いっきり惜しむと次の瞬間には人界での魔族討伐に気持ちを切り替えていた。
戻る時は自分のことで頭を一杯にしていてくれることを知っていたから呆れたふりをしながらも桂花は許していた。
「いつも置いていかれた吾が今はあなたを置いてきてるなんて…」
一粒の涙と同時に哀しい笑い声がこぼれた。
突如、桂花は立ち上がる。
すぐに、今すぐに柢王に会いたい衝動に駆られゲルを飛び出した。
髪を振り乱して走る。
一直線にひたすら走った。
星月夜の下に浮かび上がる蒼い湖はまるで桂花を待っているように思えた。
湖の畔にたどりつくと桂花は身を屈め荒い息を静める。
気が逸り、すぐにでも湖に飛び込みたい気持ちを押さえ込み警戒心を張り巡らす。
息遣いが整った頃には逸った気持ちもいつしか穏やかに揺れる湖の水面のごとく治まっていた。
何をこんなに急いでいたのだろうか。
膝から力が抜けてペタリと地面に崩れ落ちる。
そんな桂花の長い髪を乾いた風がもてあそぶかのように揺らす。
柢王が好きだった髪。
桂花は無意識に髪に指を絡める。
人間に変化しているものの、その姿は自然と柢王好みだった。
顔を上げると空にはぼんやりと星が散らばっていた。
鈍い光は自分の瞳のせいだと気付き、目を伏せ手の甲で拭う。
再び空を仰ぐと天空には幾千もの星達が鮮やかに瞬いていた。
その中の二つの星を見つけ桂花は懐かしげに目を細めた。
『いつか一緒に見たいな』
柢王の言葉が甦る。
幸せだったあの頃。柢王が桂花に言った言葉だ。
柢王が魔族討伐に向かった島国は桂花もよく知っていた。
だから柢王は戻るたび、たくさんの土産話を桂花に持ち帰った。
その中にあの星等の話も含まれていた。
『あの星たちには説話があるんですよ』
博学の桂花は柢王が見てきた星を知っていた。
桂花は乞巧奠(七夕)や牽牛、織女の説話を聞かせてやる。
『ハッ、年に一度!ひでぇ神様がいたもんだ』
『神様って守天殿をはじめとする天界人のことでしょ』
皮肉を込めて桂花は言い返す。
『ティアなら狂って死んでるぞ』
俺もだと笑いながら桂花に抱きついた。
あの温もり優しさを思い出しまた目頭が熱くなる。
「一年に一度だけでも…」
声に出してつぶやいてみる。
フワッ。
涼やかな風が桂花を囲んだかと思うと暖かい腕に背後から抱きしめられていた。
桂花は息を呑んで振り返る。
「・・・カイシャン様」
小さいかシャンが腕をめいいっぱい広げて桂花に抱きついていた。
柢王の魂だからだろうか?
桂花の腕にまわった指の熱や周囲の暖かさが柢王とそっくりだ。いや、同じといってもいい。
「大丈夫だから」
一緒にいるからとカイシャンは桂花に告げる。
何が大丈夫なのか…。
それより、どうして夜更けにこんな場所にいるのか…。
問いただすことはたくさんある。
だが…。
口を開いても言葉が出ず、震える手を交差させカイシャンの小さな指先を握りしめた。
今だけ、今だけこのままで。
一年に一度だけでもいいから…。
掌に包み込んだ温もりにこぼれ落ちた願いを込めて。
桂花は震える掌を重ね続けた。