(no title)
大きなガラス窓に、一樹は裸のまま身を預けていた。
まだ明けきらない空が、その身体を鮮明に映し出している。
シャワーを浴びたばかりのくるみ色の髪は艶をまし、色濃く輝いていた。
もっとも、どんなにその姿が妖艶であろうとも、高層ホテルの上層階では、誰もその姿を目にすることはできないのだが。
部屋にあるベッドでは、忍が静かな寝息をたてている。
「一樹さん…」
消え入りそうな声で一樹の胸にしがみついてきた忍を、昨夜そのままこのホテルへと連れて来た。
恋人である二葉が日本に居ない今、親友である桔梗をも頼らず…。
一樹の腕の中に守られホテルの部屋に着くと、安心したように崩れ落ちた忍をベッドに運び、暑い湯でしぼったタオルを使い全身を拭いてやる。
誰かに何かをされた形跡はまったくない。
一樹は、少しだけ乱れた忍の服に、ふっと昔の自分を重ねていた。
駐車場で見知らぬ男達に襲われかけ、城堂の元へと逃げ込んだあの日の自分を。
「何かあると貴方を思い出してしまうんですよ、城堂さん」
貴方はもういないけど…
一樹は小さな声で続けると、ほんの少しウェーブがかって天井へと上がっていく薄紫の煙を見つめた。
「最期まで、愛しているとは言ってくれませんでしたね。ひょっとして、オレが忍を見る目と同じ気持ちで貴方は俺を見ていたのかな」
そんなことはないと信じつつも、つい自虐的な思いにかられてしまう。
「本気で好きになった人からの言葉は、心の繋がりとは別に欲しいものなんですよ」
あの頃の一樹が一番欲しかったものは、愛しい人からの聞き飽きるほどの言葉だったかもしれない。
”愛している”
聞き飽きることなどないその言葉。
「ふふ、無いもの強請りで、少し乙女チックだったかな…ねぇ、17歳の俺」
大きなガラス窓の向こうに、17歳だったあの頃の自分を見て話しかけているのだろうか。
過ぎてみればなんてことはない。
現に自分も慧嫻にその言葉をもらったものの、返してはいないのだから。
でも。
大切な言葉は必要だよね。
「違う?」
今度はガラス窓に映る自分よりも、もっと遠い場所へ視線を移し問いかける。
「だって、声や言葉は愛を伝える手立ての一つなのだから」
貴方にはもう、その術はないけど…。
そう付け加えると一樹は、少し短くなった煙草を口へと運んだ。
「どこかにも居たな。愛しい相手に大切な言葉を伝えてあげてない人が」
‐‐‐‐ホストの言葉なんか誰も本気にゃしないさ。
それが彼の言い分だったけど。
そういえば他にも…。
「類は友を呼ぶ…かな」
だが、それと同時に
‐‐‐‐キャンキャンと騒がしいのも問題だぞ。
一樹と長年の付き合いのある男が言った言葉を思い出す。
「人、それぞれ…か」
でも俺は、貴方の言葉が欲しかったよ。
叶うものなら今でもね。
一樹は煙草を消すとバスローブを羽織り、忍の隣に静かに腰をおろした。
この子が俺のとこに来たのは何故なのかな。
二葉は煩いほどの言葉かけをする子だから、離れている今、寂しさに耐えられなくなってしまったのだろうか。
忍を見た瞬間、昔の自分に重ねて、慌てて身体を確かめてしまった自分の行為を少し恥じ、一樹は冷静さを取り戻していった。
遠距離恋愛は辛い?
二人はずっと一緒にいたからね。
俺たちのように最初から離れていたのならともかく。
それでも、ふとした瞬間、寂しさでどうにもならない時があるよ。
そんなことは口には出さないけどね。
卓也に言われるんだ、香港に嫁に行けって。
酷いだろう?
でも、それもいいかなって思う時がある。
俺も歳をとったのかな。
滅多に口にしないようなことばかりを、眠っている忍の横で言葉にしている一樹。
「愛している…慧。…城堂さんの次にね」
ふっと悪戯っ子のような笑みを浮かべ携帯を手にする。
あて先は二葉
『俺のお気に入りは、今も昔も変わらないよ』
それが何を意味しているのか、二葉はすぐに察するであろう。
「明後日には、忍…キミの前に二葉が現れるはずだよ」
眠っている忍の頬に唇を落とすと、さて次は…というように一樹は携帯に視線を戻した。
あて先は慧嫻
素直な言葉なのか、天邪鬼な言葉なのか。
それを知るは一樹のみ。