投稿(妄想)小説の部屋

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No.518 (2004/04/18 00:22) 投稿者:桐加由貴

主なき花

 自分の髪に頬をくすぐられて桂花は眼を覚ました。
 隣に転がっていたはずのぬくもりはどこかに消えてしまっている。白い髪を揺らしたのは、あの風来坊が開け放していったのであろう窓からの風だった。
 桂花はしばらくそのまま、寝台にもぐったままでいた。草の匂いを乗せた風が心地よい。眼を閉じたままぬくもりの残る寝具にくるまって涼しい風を感じる、休日には最高の贅沢だ。
 柢王は風に誘われて、散歩にでも行っているのだろう。窓を開けて行ったということは、すぐ帰るということ。本格的に留守にするのなら、そんなことはしないから。
 こんな日は柢王の帰りを待つ時間すら安らかで愛おしい。桂花はもう一眠りするつもりで、額まで毛布にもぐった。
 だが、再度うとうとしかけたところで、髪が引っ張られた。毛布から出てみると、愛鳥の冰玉がちょこんと止まって、一生懸命桂花の髪をくわえてひっぱっている。朝の挨拶にしては妙に力のこもっているその様子に、思わず桂花は微笑んだ。
「おはよう、冰玉。ご飯の催促か?」
「あ、それ俺」
 柢王が窓の外に立ち、窓枠に肘をついて身を乗り出していた。
「おはよう、桂花」
「おはようございます。そこは玄関じゃありませんよ」
「おまえの寝顔が可愛いから、ついな」
「吾の顔、見えてなかったと思いますが」
 桂花は髪をかきあげて起き上がった。波打った寝台に揺られて転がった冰玉をすくいあげ、はだけた寛衣を整えながら窓に歩み寄る。
「朝の散歩はどうでした?」
「おう、いいもん見つけたぜ」
 柢王は得意げに笑って桂花の頬に口付けた。
「・・・いい香りがしますね」
「分かるか。さすが」
 ひょいと柢王が差し出したのは、赤い花をつけた枝だった。
「梅の花ですか。もう咲いているんですね」
「きれいだろ? おまえに見せたくて持ってきたんだ」
 可憐な紅梅に桂花も唇をほころばせる。
「全く・・・枝を折るくせは直してくださいと、いつも言っているでしょう?」
 桜が咲いた時分も枝を折って持って来た柢王に、桂花はそのときも文句を言ったものだった。
「いいじゃねえか。ちょっとだけだし、それにおまえ、梅が咲いたことにも気付いてなかったんだろ? 俺が持ってこなかったら、今年の花見逃しちまうじゃねえか」
「来年も咲くでしょう」
「んで来年も見逃すのか?」
 再来年とは言わず、桂花は軽く肩をすくめた。
「せっかくきれいに咲いてるんだから、見てやらないと可哀相だろ?」
「別に花は、見られるために咲いているのではないと思いますが」
 柢王は苦笑して白い髪を引っ張った。白い寛衣姿で枝を抱いている恋人に、赤い梅の花はよく映えている。それに向けられた紫水晶の眼差しも、珍しく微かな高揚を伝えているというのに。
「じゃ、なんのためだ?」
「花が咲くのは実を結ぶためです。人が見ようと見まいと、時季がくれば咲きますよ」
 柢王は窓越しに桂花の肩を抱き寄せた。外に立っている柢王は、今だけは桂花と同じ背だ。梅の花を潰さないよう互いの距離は保ったまま、桂花の肩に顎を乗せた。
「時季か。東領は常春だぜ?」
 桂花は僅かに頭を傾けて柢王の頭にこつんとぶつけた。
「――見逃す心配ありませんね」
「でもおまえは、俺が教えてやらないと見逃すんだよな」
「もう教えてくれないんですか?」
「馬鹿。教えてくださいって言えよ」
 素直じゃない恋人の美しい眼差しに、紅梅を映した瞬間に光が差した。
 ほんとにこいつは素直じゃない、と柢王はこっそり笑った。
「心配しなくても、ちゃんと教えてやるから」
「――早く入ってください」
 触れ合った部分から伝わるぬくもりは、桂花にとっては花以上のものだった。それが柢王に伝わっていると桂花は思った。

 背中でまとめた髪を風が揺らす。
 それは草原を走る風よりも弱く、湿気を含んで桂花の三つ編みを撫でていった。
「ここのところ、王都はずっと風が強いんだ」
 カイシャンが振り返って桂花を見上げた。やっと十になったばかりの王子は、明るい瞳に気遣いを宿していた。
「草原でも、風が強い日が続いています」
「そうか。ゲルでの暮らしは大変じゃないか? 桂花なら、いつでも王宮に来てくれていいんだぞ」
「吾は慣れておりますので。お気遣いなく、カイシャン様」
 桂花は相変わらず草原と王宮を行き来する生活を送っている。薬師として、またカイシャンの教育係として、瞬く間に時は過ぎ、今日もこうして、お忍びで街を散策する王子のお供兼護衛としてついていた。
 あっさり断られたカイシャンは、顔をしかめて文句を言う。
「いつも桂花はそれだ。おまえ、俺の言うことを断ってばかりじゃないか。剣の手合わせだって、俺があんなに頼んでいるのに、まだしてくれていないんだぞ」
「申し訳ありません」
 そっけない言葉に、慣れていてもカイシャンは心がきしむ。
「一度手合わせしてくれれば、俺には護衛なんかいらないっておまえも分かるのに」
「そのようなことをおっしゃってはいけません。カイシャン様は貴き御身なのだから」
 桂花は頭二つ分下のカイシャンを見下ろした。
「あまり周りの者を心配させるようなことをなさってはいけませんよ」
 子供扱いに、カイシャンはそっぽを向いた。ふとその瞳が瞬き、一拍置いて突然方向転換する。混雑する道を横切り、すぐに人波に埋もれていく。
「カイシャン様?」
 人の流れをすり抜けて駆けて行ってしまった王子を桂花は慌てて追いかけた。人々の通行を妨げながら苦労して横切って、見守り続けてきた姿を探す。
 子供の姿はすでに視界にはなく、数度辺りを見回してから桂花は眼を閉じて、体の周囲を流れて行く風に意識を集中させた。
 あの小さな王子の体をいつも取り巻く風の守護。
 突っ立っている桂花に、舌打ちしながら何度も人がぶつかっていく。それには頓着せずに、桂花は風の軌跡を気配で追った。
 軌跡はある横道に続いており、桂花はそれを追って歩き出した。天界の風の守護は、人の悪意まで遮るわけではない。知らずに足が急いた。
「――カイシャン様」
 子供はそこにいた。民家の塀を見上げて立っていたカイシャンは、桂花の顔を見て笑顔になった。
「言った側から・・・。カイシャン様、吾から離れてはいけないと申し上げたでしょう」
「ごめん、桂花。いい匂いがしたから」
 言ってカイシャンが指し示したのは、塀の内側の高い木だった。小さな赤い花をいっぱいにつけている。
「なんて花だ? 知ってるか?」
「これは梅の花です。まだ咲いているんですね」
「梅か。いい匂いがするんだな」
「一枝もらえるよう、頼んでみましょうか?」
 カイシャンは梅花を見上げてしばし考え込み、首を左右に振った。
「いや、いい。せっかくきれいに咲いているのに、折るのは可哀相だ。見たくなったら、またここに来るよ」
 ――柢王は、枝を折って持ってきた。
 突然桂花は思い出した。最近では、この小さな王子に柢王の影を探すことも少なくなったというのに。カイシャンが梅の花を見つけてしまったから。
(俺が教えてやるよ、と柢王は言っていた・・・)
「・・・高貴な方が、そう出歩くものではありません。お気に召したのなら、王宮で探してみてはいかがですか。きっとありますよ」
「そうか。じゃあ、俺が見つけたら、桂花も一緒に見てくれるか?」
「ええ、カイシャン様」
 微笑んだ桂花は少し間を空けて、喜んで、と付け足した。
「今年の花はもう終わっているかもしれませんが」
「じゃあ、来年。一緒に見ような、桂花」
 滅多に見られぬ教育係の笑顔に、カイシャンはすぐ帰って梅の木を探そうと思った。


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