ちょこれーと戦争
南領では、その日最もチョコを貰ったのは、男性ではなく女性であった。
いや、天界で最もチョコを贈られた女性でもあった彼女がチョコを贈る相手は………。
「はい、アシュレイ。私の気持ちよ。」にっこり♪
「ありがとう、姉上…。」
「アシュレイ様、どうぞ。」と、控えめに差し出す姉の従者の少女。
「え、いいのか、シャーウッドまで…?」
何しろ、この姉とそのお気に入りの占者とののっぴきならない関係に薄々気づいているアシュレイは、少々遠慮がちに姉を見やった。
「お姉様の大切な弟君ですもの。私からのほんの気持ちですわ。」にこにこ、にっこり。
そこまで言われては引くに引けない。
「いいから、貰っときなさいな。全く、おまえときたら、私と乳母と王子宮の使い女達からしか、貰えやしないんだから………。」
グサリ。自分が女にもてない事は承知してるが、ちょっぴり落ち込むアシュレイ。
「いいんだ! 俺はっ! 女なんか………っ!」それでも、「嫌いだっ!」と言わなかったのは、目の前の姉の機嫌を損ねたくなかったからだ。
アシュレイだって、この日が一体どんな日かぐらい知っている。
文殊塾時代はそれこそ毎年毎年、ティアと柢王が散々貰いまくっていたのだ。
柢王は子分達に気前良く分けてやっていたが、ティアはいつもアシュレイにくれた。
(そういえば、あいつ今年はどうすんだろう………?)
元服後はそれこそ、老若男女を問わず、もはや今となっては天界一チョコを貰っている、一応、口にするのも不本意ながらも向うは嬉々として使っている単語である所の『恋人』の顔がちらとよぎった。
むか。むかむかむか。何だか、急に腹が立ってきた。
(昔から、俺だけだった…とか言っといて、女どもから貰いまくったチョコを平気で俺に食わせてやがった………っ!)
むかむかむかむかむか。更にむかむか。
「ちょ、ちょっとアシュレイったら! どうしたのよ一体?!」
はっ、と我に帰る。見ると、すっかり怯えたシャーウッドを背にかばった姉のいぶかしげな視線の先には、すっかり溶けて茶色い世界地図を作った包みが、甘い香りを漂わせていた。
「いやぁね。ほんの冗談だったのよ。そんなに怒る事ないじゃない。ご覧なさい、シャーウッドだってこんなに怯えて…。可哀想に。」よしよし、と髪を撫でる。
「すみません、姉上…。」しゅんとうなだれるアシュレイ。2人は何も悪くないのだ。
「まあ、いいわ。その代りと言ってはなんだけど、これを父上に持って行って頂戴。」
そしてずいっと渡されたのが………。
「別にいいけど…。でも何故姉上が御自分で渡さないんですか?」と、首を傾げる。
「最近の父上は顔を合わせる度に『見合いしろ』の一転張りなのよ。流石に私だってうんざりだわ。」
と、眉間に皺を寄せる。
「いいこと? 父上に持って行ったら、『私の気持ちです』と言って渡すのよ? 他に余計なコトは一切言わないでね?」
「う、うん…。」何だか良く解らないけど、姉の迫力にただならぬ気を感じ、肯くのだった。
「さぁ、善は急げ! 行ってらっしゃい!」
「アシュレイ様、行ってらっしゃいませ。」
そうして、女性陣に見送られ、一路、父王の住まう本宮へと向かうアシュレイなのだった。
「父上!」
「おお、どうしたのだ。アシュレイ?」にこにこにっこり。良かった。今日の父上は機嫌が良さそうだ。
心なしか、そわそわした印象は受けるが…?
「父上!『私の気持ちです』!」素直に姉の言いつけに従うアシュレイ。
「な、なんと………!」玉座からズリ落ちる炎王。
アシュレイがずんっ! と付き出したその品物………。真っ赤なリボンがぐるぐると巻かれた炬燵大の箱、であった。
「ア、アシュレイ??? これは一体何なのだ………?」炎王、眼が点。
「はい、ほんの『私の気持ちです』!」にこにこ、にっこり♪…先刻の姉とシャーウッドの真似を返す。
再び炎王、眼が点。
「それでは、失礼します。」まだ点眼の父親を残し、『おつかい』を終えたアシュレイは退室した。
「これ、アシュレイ! 待てというのに。しかし解せぬ…。何かおかしな物でも拾い食いしたのだろうか………? 父の知らぬ間にそなたに何があったのだ?!」
その夜。自室に引き篭った炎王は戦々兢々箱を開けてみた。
そこに現れたものは直径60cm大の、巨大なハート型のチョコレート。更に『ぱぱ だいすき あー』と書かれた
ホワイトチョコの文字と絵を見た途端、炎王の胸にチョコよりも甘い思い出が過った。
ぐふ。ぐふぐふ。ぐふふふふふ。そうか。そうであったのか。
炎王はいそいそと奥から螺鈿の細工が丹念に施された文箱を取り出して来た。
一目で名のある匠の手による品と見受けられるその中に大切に大切に収められている秘密の宝物………。
『うちのおとうさん あしゅれい・ろー・ら・だい』文殊塾の年少組時代の息子が描いた父の日の似顔絵である。
(ちなみに、この絵を見た南領の家臣達は皆、固まってしまった。『果たして、これは人(神)と呼べる代物なのだろうか………?』と。仮にこの様な「王の肖像画」を描く画家がいたら、即刻投獄されるだろう。)―――火を吹く怪獣。
ぐふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふ。
「そうか、これがそなたの気持ちか………。アシュレイよ、父は確かに受け取ったぞっっっ!」
いざ、実食! ―――ごきょっ! ………鈍い音が響いた。そのチョコ、厚さ15cm………。
(くっっっ! 何のこれしきっ…! 父はっ、父は残さず食すぞっっ! そなたの気持ちをっ!)
「はんがっ! ひんがっ! ふんがっ! へんがっ! ほんがっ!」――――――かけ声は一晩中続いた。
「…完璧ですわ、お姉様。これで明日の定例会議後、157回目の『見合いしろ』は回避されましたわ。」
覗きこんでいた水鏡から顔を上げて主人を振り返る、清楚な梨の花の様に可憐な少女。
「当然よ。その為の『すきすき チョコレート 大作戦』なんだから。」
ふふん、と満足した笑みを浮かべる、こちらは咲き誇る大輪の牡丹の様な豪奢な美女。
将を射んとすれば馬を射よ。兵法の基本である。剣の腕もさることながら、知略においても名将と名高い南領元帥の立てた作戦は大成功で終了した。
「まったく。『ナントカとカントカは使い様』、とは言ったものね。あのムスコン親父、明日は使い物にならないわよ。」
天界一のムスコンとシスコンを家族に持った、天界最強の女性は勝ち誇って艶やかに笑った。
(素敵ですわ、お姉様…。)シャーウッドはそんな主人をうっとりと見つめた。と、その時…。
「あっ………!」
ふいに、脳裏に浮かんだ風景………。それは、今日アシュレイからのチョコを貰いたがってそわそわしていたもう1人の『殿方』が住まう、文句無しに天界一チョコが運び込まれたその場所をこれから襲う惨事であった。
ミニ怪獣来襲………。さぁ〜〜〜っと青ざめる。
「シャーウッド? どうかして?」愛しい少女の不穏な様子に笑いを収める。男嫌いで有名な南の姫元帥は実は何を隠そう天界一弟を溺愛するブラコンでもあるのだ。
「い、いいえ何でもありませんわ、お姉様…」
(たとえお姉様ともいえど迂闊に弟君の『恋のお相手』について口に出来ませんわ…。)
シャーウッドにとってアシュレイは『大切な主兼恋人の大切な弟君』だが同じ立場にいる『お仲間』でもある。
密かに応援してもいるのだ。
恋愛は一種の戦争だ。より多く惚れるのも惚れさせるのにも雌雄を決する気で挑まねば呑まれる。
戦女神に仕える姫巫女にも自分の戦場がある。
「お姉様。私から差し上げたい物がありますの。」にこにこ、にっこり♪
シャーウッドはちろ、と背後にうず高く積まれた綺麗にラッピングされた包み達を見やる。
(私には無理だから…アシュレイ様には是非本懐を遂げて頂きたいわ………。)
………こうして聖なる夜は更けて行った。